久々にダニエル・バラボワーヌ(1952-86)の特集に戻りたいと思います。
これまで、ロック・オペラ「starmania」を特集して書いてきましたが、もし、その作曲者であったミシェル・ベルジェ(1947-92)が、この「ダニエル」に、そして、この「アルバム」に出合わなかったら、その後のフランスの音楽の歴史は、明らかに違ったものになっていたでしょう。

「目に見えない"壁"が、どこででも起こったであろうこの物語を作っている...」

このCDのブックレットの裏表紙に、まずこのコメントがあります。そして、登場人物の紹介と、この「物語」のあらすじが記されています。

「1961年8月13日、ベルナウアー通りで、シモンとグンターの兄弟は会う約束をしていた。しかし、シモンがそこに着いたとき、軍服の男たちが彼を足止めし、それ以上先には進めなかった。
同じころ、通りの反対側の端では、弟グンターにも同じことが起こっていた...。
2人は、"脱出"のため、手紙を交換することになった...」

この作品の「テーマ」が何か、おわかりでしょうか。
...そうです。このアルバム「les aventures de Simon et Gunther...Stein」は、「ベルリンの壁」がテーマの、「コンセプト・アルバム」なのです。1977年4月に発売された、オリジナルとしては2枚目。まだ、「初期」の作品と言ってよいでしょう。

ダニエルは、この数ヶ月前、当時活動を共にしていた女性歌手、カトリーヌ・フェリー(1953-,彼女は当時「ユーロヴィジョン」コンクールに参加していて、ダニエルは、そのコーラスの1人でした)と、4日間の日程でポーランドに旅行しましたが、その経験からこのアルバムの着想を得たといいます。次いで、ドイツで、1週間前に壁を越えようとして射殺された人の話を聞き、大変なショックを受けたのでした。

「壁なんか倒れてしまえ!!」

それからというもの、彼は、ドイツ大使館に幾度となく足を運び、特に、「壁」によって離れ離れになってしまった家族について調べていたということです(カトリーヌ・フェリーの談話によります)。

舞台となっている「ベルナウアー通り」は、実在する「象徴的」な通りです。アパートの中は「東側」、目の前の通りは「西側」ということで、住民が窓から飛び降りて逃げるという光景は、1961年8月12日から13日にかけて、「現実」に起こった「事実」です。その後、(仮の)鉄条網は、堅固な壁にとってかわり、アパートも爆破され、東西ベルリンの住民は、お互いに会うこともできなくなってしまいました。現在、この地には、その「壁」の一部が、「アート空間」として保存され、その脇には「ベルリンの壁 ドキュメントセンター」が建っています。

物語は、東側にいる兄、シモンの視点で進められていきます...。

「門は閉ざされた。この"地獄"から抜け出したい。門は閉ざされた...。
僕の頭は破裂しそうだ。
奴らは、僕たちの土地を"壁"で封じ込めてしまった。
僕の頭は破裂しそうだ」(「la porte est close」)

「君(西側にいる弟、グンター)の手紙を受け取ったよ、部屋の窓から。
奴ら(兵士たち)が君を連れていくのを見たとき、
僕はうなだれてしまった...」(「la reponse」)

「本当に、みんな逃げ出したいと思っていた。
でも、彼らは"射殺"されたことを僕は知っている。
それでも僕は、"牢獄"の中で死んだように生きるより、"自由"の中に死んだ方がいい...」(「mon pauvre Gunther」)

シモンとグンター兄弟の幼なじみであるアクセルは、何とか東側からの脱出に成功し、西側にいた婚約者リリーと再会することができました。そして今度は、兄シモンを受け入れるべく、グンターが準備を進めます。しかし、「(東側の)密告者」には要注意。かつて、父(Mr...シュタイン)が、(1942年に)「秘密警察」に逮捕されたときのことを思い出してほしい、と手紙を結びます。(「j'entends cogner mon(ton) coeur」)

シモンの学校の女性教師であったリズ・アルトマンもまた、父と同じ1942年に、「秘密警察」によって逮捕されていました。(「Lise Altmann」)

突然の「壁」によって、幼いころ同様、再び引き裂かれてしまった兄弟でしたが、シモンは、ついに、東側からの「脱出」に挑みます。(「les aventures Simon et Gunther...Stein」)

さあ、この後はどうなるのでしょうか?
以下、後編に続きます。
(daniel-b=フランス専門)