まずは、「表紙代わり」にこの曲を...。

 

 

「le chanteur "歌手"」(1978)。

(1984年、ディジョンでのライヴ映像ですが、後述する、同年9月の、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」公演に、「最も近い」、ライヴ・パフォーマンスであるとも、言えると思います)

 

 

 

 

 

こちらは、「最新の大全集」(後に挙げるアルバムは、すべて収録されています)。

 

 

「貴重な録音」が、多数収録されています。

 

 

 

こちらは、前回、「没後30周年(2016年)」に向けて発売された「ベスト盤」で、現在も「入手は可能」ですが、「DVD」は、「PAL」に対応している再生機器が必要です。

 

 

 

(本国フランスでは、「没後40周年記念」として、新たに「2枚組CD」も発売されていますが、現在のところ、日本のアマゾンでは、取り扱いが「ない」ようです)

 

 

 

 

これまでの記事

 

 

(参考)「スターマニア」がテーマの記事一覧

 

 

(参考)「ミシェル・ベルジェ&フランス・ギャル」がテーマの記事一覧(ミュージカル「RESISTE」についての記事も「こちら」から)

 

 

 

 

さて...

 

 

 

「1月14日」は、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)「命日」です。

 

 

 

 

そして、それを「きっかけ」として、私自身、それまでの、「アマゾンのレビュアー」から、こちら、「アメブロ」へと、その「フィールド」を移して、早や「10年」...。

 

 

 

「当時」も、そのダニエルの、「没後30周年」ではありましたが、私自身の、「ブログ開設10周年」の「記念日」でもある、この「1月14日」はまさに、「没後40周年の命日」にも当たることから、今回、この「企画」を思いつきました。

 

 

 

 

「悲劇的な事故」による「夭逝」とは言え、「バークレー時代」(1975-85)に録音されたアルバム曲だけでも「81曲」を数え、それ以外にも、「シングル曲」、「最初期の曲(「バークレー」以前)」、「参加曲(「スターマニア」など)」、「提供曲」などありますから、実際には、「100曲」近い、その中から選ぶということは、本当に、大変「困難」な作業でもありました。

 

 

(本国、「フランス」でもやはり、「CD2枚組」で、「約30曲」というのが、「標準」のようでもあります...)

 

 

 

 

私自身、もちろん、「選ぶべき曲(絶対に外せない曲)」は、充分、「理解」しているつもりではありますが、「まったくその通り」でも、面白くはありませんので(特に今回は、「容量の都合」もあることですし...)、「20曲」という、大変「厳しい」制約のもと、「独自の判断」も加えて、何とか、選んでみました。

 

 

 

そして、それらの曲を並べるにあたり、本格的に、「コンピレーションアルバム」の形式にしようかとも思いましたが、それでは、「説明しづらくなる」とも思ったことから、やはり、「年代順(アルバム順)」に並べることにいたしましたので、どうか、ご了承ください。

 

 

 

それぞれの曲については、「ごく一部」を除き、すでに、「正式な記事」を書いてもいますので、上掲の「これまでの記事」より、ご検索いただけると幸いです。

 

 

(「グレードアップ版」、「リテイク」などとなっている、「(自身の)リブログ記事」が、「歌詞対訳」も載せている、「最新版」です)

 

 

 

 

まずは、その後、ライヴでも、まったく顧みられることがなかった(「不遇」...)、移籍後「初」となる、「最初期」のアルバム、「de vous a elle en passant par moi "あなたから彼女へと..."」(1975年。「全10曲」)から、その「2曲目」、「vis loin de moi "僕から遠く離れて..."」を...。

 

 

 

そして、このアルバム(一種の、「コンセプトアルバム」でもある...)の「締めくくり」となった、「Mona lisa suite "モナリザ組曲"」は、大変「皮肉」な内容ながら、非常に「印象に残る美しい曲」でもあり、また、「組曲」という形も「珍しい」ことから、私はぜひ、「この曲を選びたい」と思いました。

 

 

 

 

 

続いて、売り上げはやはり伸びなかったものの、ダニエルの名が知られる「きっかけ」ともなったのが、こちら、2ndアルバム、「les aventures de Simon et Gunther...Stein "シモンとグンター兄弟の大冒険"」(1977年。「全10曲」)。

 

 

その「代表曲」でもあるこの曲、「lady Marlene "レディ・マルレーヌ"」絶対外せません。

 

 

当時、テレビでこの曲を聴いたミシェル・ベルジェ(1947-92)が、直ちに、伝説的ロックオペラ、「スターマニア」(1979年初演。「最新リメイク」は、2022年版)の主役、「ジョニー・ロックフォール」役を「オファー」したことは、もはや、「神話」となっています。

(ミシェルは、ダニエルの死後、「ベルリンの壁(に分断された兄弟)」をテーマとした、この「コンセプトアルバム」を、「舞台化」したかったとも話していました...)

 

 

 

 

 

その「スターマニア」のプロジェクトが進む一方、「バークレー社」との「契約の危機」に陥ってもいたダニエルは、「これが最後!!」という、「悲壮な覚悟」を持って、「起死回生」となる、こちらのアルバム、「le chanteur "歌手"」(1978年。「全10曲」)の制作に励んでいました。

 

 

その甲斐もあって、冒頭に挙げたその代表曲、「le chanteur "歌手"」は「スーパーヒット」となり、アルバム自体も「80万枚」を超す「大ヒット」となりました。

 

 

 

こちらの曲、「les oiseaux "鳥たち"」は、「二部構成」という「大曲」ですが、その「成り立ち」も鑑み、ここでは、「1曲」として、取り扱うことにいたします。

 

 

こちら、「2e partie "第2部"」は、1984年9月、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」での、大変「感動的」な、「観客との大合唱」でお聴きください。

(この音源は、2020年12月、ダニエルの、「没後35周年」の記念として発売された、現行の「大全集」に、「初めて」収録された、「未発表(未収録/追加)音源」のひとつとなります)

 

 

 

 

このアルバムの、「制作のひとコマ」だったのかも知れないのが、この曲、「oiseau de nuit "夜の鳥"」。

 

 

「最初期」に知り合い、その後、「終生の友」ともなった、「サウンド・エンジニア」、アンディ・スコット(1949-)(上掲の、「最新の大全集」の「監修」も務めています)に捧げられたのが、この曲でした...。

 

 

 

決定的な「予言の書」と言うよりは、むしろ、「若さ」(「初期」)ゆえの、その「素直な心情」が綴られているとも言えるのがこの曲、「le pied par terre "地に足をつけて"」ですが、この曲では、アコースティック・ギターを担当してもいた、「オールラウンダーな才人」、パトリック・デュルフィ(1949-2008)が、ダニエルとともに、その「詞」を書いています。

 

 

 

 

 

「スターマニア」後である1980年、やはり「大ヒット」となり、その後の、「輝かしい1980年代の幕開け」ともなったのが、このアルバム、「un autre monde "もうひとつの世界"」(1980年。「全10曲」)(日本でも発売)でした。

 

 

 

こちらの曲、「mon fils ma bataille "僕の息子 僕の闘い"」は、当時のアメリカ映画、「クレイマー・クレイマー」(1979年公開。「アカデミー賞」受賞作品)「インスパイア」されたということですが、同時に、「友人(バンドメンバー)の実体験」に基づくストーリーでもあるということです。

(1984年9月、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」でのライヴ録音)

 

 

 

 

そしてダニエルの、「最高傑作」のひとつとも言えるのが、こちらの曲、「la vie ne m'apprend rien "人生は何も教えてくれない"」です。

 

 

「世の巨大な掟」の前では、自分は、あまりにも「無力」...。

 

 

「いま」だからこそ、聴いてほしい曲のひとつです。

 

 

 

 

「大スター」、ジョニー・アリディ(1943-2017)のために書き下ろされたのがこの曲、「je ne suis pas un heros "俺はヒーローじゃない"」。

 

 

もともと、「単なる提供曲」のつもりが、「共演の機会を失いたくない」こともあったことから、自身でも歌うことにしたのですが、結果、まさに、「自身を代表する大ヒット曲」にまでなった「名曲」です。

(こちらも、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」での、ライヴ録音からどうぞ)

 

 

 

 

このアルバムでは、「スターマニア」「大成功」の後とあって、ダニエルは、本当にさまざまな「役」を演じてみせてもいるのですが、こちらの曲、「mort d'un robot "あるロボットの死"」で演じているのは、「人間」のために、もう、「2000年以上」も働いたという、「精巧なロボット(あるいは「AI/ヒューマノイド」)」です。

 

 

 

今まで、ひたすら人間につくし、決して裏切ることのなかった「彼」、その「最期」は...。

 

 

ここでは、1981年3月、「オランピア劇場公演」での「熱唱」をどうぞ!!

 

 

 

 

 

「バンドメンバー」を「一新」して臨んだアルバム、「vendeurs de larmes "涙を売る男"」(1982年。「全13曲」)(日本でも発売)もまた、「大ヒット」となり、「トップスター」としての道を、着実に歩んでいたと言えるダニエル。

 

 

 

「シングルカット」もされたこの名曲、「souleve-moi "助けを求めて"」も、「ベストライヴ」である、「パレ・デ・スポール1984」からどうぞ。

 

 

 

 

私が、「初めて」、ダニエルを知った曲が、当時、「最新ヒット」でもあったこの曲、「vendeurs de larmes "涙を売る男"」。

 

 

「涙を売る男」とは、やはり「歌手」のことを指しているのですが、冒頭に挙げた曲、「le chanteur "歌手"」(1978)の、「アンチテーゼ」ともなっているところがまた、「面白い」ところだと思います。

 

 

こちらもぜひ、この、「パレ・デ・スポール1984」でどうぞ。

 

 

 

 

 

新しい電子機器の投入も始まり、「ワールドミュージック」への傾倒をも感じさせるのが、その次のアルバム、「loin des yeux de l'occident "西洋の視点から遠く離れて"」(1983年。「全9曲」)でしたが、より「社会派的(政治的)」な内容を扱ったため、「評価は高い」ものの、売れ行きとしては、やや伸び悩んだようです。

 

 

 

このアルバムからの3曲も、すべて、「パレ・デ・スポール1984」でお聴きください。

 

 

 

まずは、「pour la femme veuve qui s'eveille"目覚めし寡婦"」から。

 

 

 

 

「partir avant les miens "家族よりも先に"」は、いわゆる「予言の書」の一曲で、その、「消えた炎」を受け継ぎたくないからこそ、「先に逝く」と歌っているのですが、この公演から、「2年」も経たないうちに、それが「現実」となってしまいました...。

 

 

 

 

当時の南米の、「軍事独裁政権」への「抗議」を歌にしたひとつですが、より「普遍的」な意味を持つ曲でもあります。

 

 

「revolucion "レヴォルシオン(革命)"」(タイトルは「スペイン語」表記)。

 

 

 

 

 

本格的な「CD(デジタル)時代」を見越して、「電子機器」を「本格投入」したのが、その死のちょうど「3ヶ月前」、1985年10月14日発売のアルバム、「sauver l'amour "愛を救う"」(「全9曲」)でしたが、このアルバムの、ひとつのテーマにもなっている、まさに「人権」、「人道支援」に関する行動の最中に、搭乗したヘリが、アフリカの砂嵐に巻き込まれ、「搭乗者全員死亡」という、「大変な悲劇」となってしまいました...。

 

 

このアルバムは当時、「120万枚以上」を売り上げ、結果的に、ダニエルの、「一番の大ヒット作」となりました。

 

 

 

こちらも「予言の書」の、その「最たるもの」と言える曲ですが、その「叫び」が、何とも「痛切」に響きます。

 

 

「tous les cris les S.O.S. "すべての叫びはS.O.S."」。

 

 

 

 

こちらは、その死の「10日前」に放送された映像ですが、実際には、この後、女性司会者に、この年の「抱負」を話していました。

 

 

この曲のタイトル、「l'Aziza "ラジザ"」とは、「アラビア語」で「いとしい人」を表す言葉であり、「モロッコ出身」のダニエルの「妻」、コリンヌにつけられた「あだ名」です。

 

 

 

 

そして、「アルバムタイトル曲」でもある、「sauver l'amour "愛を救う"」。

 

 

こちらは、「公式MV」でどうぞ。

 

 

 

 

このアルバムを締めくくる、「ラストナンバー」はまさに、アフリカの「窮状」を訴える曲、「un enfant assis attend la pluie "座って雨を待つ子ども"」...。

 

 

 

 

 

今回は惜しくも、「20曲」の中には入れられませんでしたが、伝説的ロックオペラ、「スターマニア」(1979年初演。「最新リメイク」は、2022年版)の曲ももちろん、「素晴らしい曲」ばかりです。

 

 

 

その中から、「S.O.S. d'un terrien en detresse "悲嘆に暮れる(苦悩する)地球人のS.O.S"」を、1979年の「初演版」ライヴでぜひどうぞ。

(上掲の、「tous les cris les S.O.S. "すべての叫びはS.O.S."」とは、まったく「違う曲」ですので、「混同」しないよう、お願いいたします)

 

 

 

 

 

また、こちらも「迷った」末、「選外」とした、1979年発売のアルバム、「face amour face amere "愛の顔 苦い顔"」(「全10曲」)から、その「終曲」、「Rougeagevre "ルージャジェーヴル"」(=「rouge a levres(口紅)」)を。

 

 

 

全体的に、「自然体」なアルバムであり、ダニエル自身も、このバンドの音を、「とても気に入っていた」ことから、メンバーの提案した、「clin d'oeil (ウインク)」を、「正式なバンド名」としたのが、このアルバムからのことでした...。

 

 

 

 

 

というわけで、ざっと選んでみました。

 

 

 

みなさま、「お気に入りの曲」は見つかりましたでしょうか...。

 

 

 

 

今年は、「没後40周年」ということでもあり、また記事を書きたいと思っていますが、「次回」はまさに、その「命日」、「1月14日」ごろに上げたいと思います。

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

それではまた...。

 

 

 

(daniel-b=フランス専門)