痴人の愛 | Jさんちの舞踏会

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 長崎で細々と、サルサとかタンゴとかやってます。ダンスに関する話題を、つれづれに書いていきます。

「ダンスなんて云うものは、稽古ばかりじゃいくらやったって上手になりッこありゃしないわよ。人中へ出てずうずうしく踊っているうちに巧くなるものよ」
                 谷崎潤一郎『痴人の愛』(新潮文庫版より)

 作家・谷崎潤一郎は1886(明治19)年7月24日生まれで 1965年(昭和40年)7月30日没なので、2015年が没後50年、今年が生誕130年のメモリアルイヤーにあたっている。

 久米正雄『私の社交ダンス』の時に少し触れたが、谷崎潤一郎もダンスが好きで、「谷崎令妹葉山三千子」が「花月園」に踊りに来ており、この「葉山三千子」こそ、谷崎潤一郎の代表作『痴人の愛』のヒロイン・ナオミのモデルだと言われている。
 葉山三千子は戦前の女優で、本名をせい子と言って、谷崎潤一郎の妻・千代子の妹だった。
 しばらく、谷崎夫妻と同居していた時期があり、自由奔放な性格のせい子に谷崎潤一郎は惹かれ、妻の妹なのに告白までしたものも、フラれてしまった。
 その経験をベースに書かれたのが、この『痴人の愛』なのだ。

  『痴人の愛』でも、ナオミが主人公と共にダンスを習い、ダンスホールに出かける場面が出てくる。
 作中、二人がダンスを習うのはロシアから亡命してきたダンス教師だということになっているが、巻末の注解によると、大正9年に西新橋か虎ノ門辺りにあった南欧商会という楽器輸入会社の二階で社交ダンスを教え始めた亡命ロシア人バレリーナ、エリアナ・パヴロバがモデルになっているのだという。
 ウィキペディアによると、エリアナ・パヴロバはもともとサンクトペテルブルクの貴族で、ロシア革命から逃れて、大正9年に日本に来たらしい。
 その後、1927(昭和2)年に神奈川県鎌倉郡腰越津村七里ヶ浜(現在の鎌倉市七里ガ浜東)に日本初のバレエの稽古場を開設し、日本バレエ界の母となったらしい。

 実体験をベースにしているのか、レッスンを受ける様子が細かく書かれているので、大正時代のダンス教室の様子が知れて面白い。
 作中では、週二回、1回1時間教えてもらい、月20円の月謝になっている。
 主人公たちの部屋の家賃が月35円とあるので、けっこうな値段だったようだ。
 主人公はこの時、「ワン・ステップ」を習っていて、巻末の解説には、「二十世紀初頭のアメリカで始まった踊り方。音楽に合わせてただ歩き回るのに近いので、初心者向けである」とある。
 動画を検索すると、それっぽいのが出てきた。


 順調にレッスンを受けた主人公とナオミは、実際にダンス・パーティに行くことになる。
 会場は架空のカフェ・エルドラドオで、この時代はカフェでもダンス・パーティが開かれていたことが伺える。
 「カフェ」といっても、大正から昭和初期のカフェは、今と趣が違い、バーやクラブのような感じだ(因みにナオミも元々、カフェの女給さんだったという設定)。
 入場料は3円で、ジャズバンドの生演奏でワン・ステップやフォックス・トロット、ワルツが踊られていた。
 他に、チークダンスも踊っていたようで、この時代からチークダンスがあったんだなあ。

 パーティ中に曲目は出てこないが、パーティの後の会話の中に、3曲のジャズの曲名がでてきて、どうもそれで踊ったことがあるらしい。
 デューク・エリントンの「キャラバン」と、ポール・ホワイトマン楽団の「ホイスパリング」と「蝶々さん」で、いずれもフォックス・トロットの曲だと、注解にある。
 この辺りの曲を聴くと、今のスロー・フォックストロットとも、クイックステップとも雰囲気が違い、いかにして、この時代のフォックス・トロットが、現在の社交ダンスに変化していったのか、興味深いところだ。


 痴人の愛 (新潮文庫)/谷崎 潤一郎

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