この城の名物でもある苔巨石が荒れ狂った登山道を地獄のように苦しみながらなんとか城域まで到達しました。すんません、地獄のようには苦しんでません。同じ赤松氏の城でも城山城の方が数倍地獄でした真顔

 

播磨・白旗城 その2です。

 

登山道を登り最初に現れた堀切が城域の最西端であり、ここからが城域と考えてよさそうです。その堀切から尾根伝いに城の主郭部に向って進軍します。

 

登城道を行けば分岐があり、左の坂道を行けば櫛橋丸。右奥へ行けば本丸・二ノ丸方面へ。櫛橋丸経由でも本丸への道と合流するので、ここは櫛橋丸行っときます。

 

えーん ぐ ぐるじい~あせる

 

振り返る。驚きこえ~あせる

 

ぐるじがったが約3分で登れた。デカ石がようさん見える。

 

行く手を阻む巨石乱舞 巨石を乗り越え標識のとこまで進むんだービックリマーク

 

櫛橋丸(伝) 「○○丸」と呼ばれる曲輪は安土桃山系城郭と呼ばれる系統の城や江戸時代以降の近世城郭の主要部の名称にみられる(戦国時代にも丸と呼ぶ城もないことはない)。ということは正確には「櫛橋郭」と呼称することになる。まぁ別に細かいことはええけども、広さ加減からしてここを「丸・郭」と呼ぶほどの建造物は建てられられない感じですが、物見台的な場所であったのではないか。というわしの説。

 

櫛橋丸から物見してみた。登山口方面の赤松地区辺りの田園が見えた。くねってるのは千種川。

 

わしが乗せた真顔

 

 

櫛橋丸を突っ切って反対側から下ります。

 

恐怖のジャリジャリ下りは足を滑らさぬよう細心の注意を払うべし。

 

櫛橋丸から下りると登る前の分岐した道と合流。ちょうどその地点が堀切です。

 

両側の斜径からしてド迫力の大堀切!と言いたいところですが、堀底がユルユルな感じで鮮やかなV字になってないのは埋まってしもたかも知れない。真横から撮ると幅広で堀切と分からんので撮ってないあせる

 

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矢印が現在地。赤線が従来の登城道です。これより二の丸(伝)・第二郭馬場丸(伝)本丸(伝)・第一郭 三の丸(伝)・第三郭へと突入します。

 

二の丸へ向かうのにわざわざ登城道を避けて斜面を直登する変わり者。略して変人?

 

直登しないと見られられない、こんな虎口かどうかわからんような虎口状な開口部。

 

屈折させてるような虎口状な虎口みたいなとこ。

 

二の丸手前の長細い郭。

 

土塁

 

二の丸(伝)・第二郭

 

上とほぼ同じ図ですが、陽の差し加減がぜんぜん違うのがお分かりいただけるかと。ちょっと空模様が変になってきた真顔 

 

二の丸の土壇部。

 

土壇部から二の丸を見る。

 

二の丸から南東(図の右下)方面にある侍屋敷(伝)への斜径部。こちらへはその3で行きます。

 

二の丸腰郭というか、侍屋敷側にある帯郭ですね。

 

その帯郭からの・・・

 

本丸方向へ。

 

二の丸と本丸との間にある 馬場丸(伝) ただ細長い郭なので馬場丸。

 

馬場丸の木立がまるで並木道。

 

 

馬場丸下段の人でも走れる犬走り

 

馬場丸からの本丸手前の鞍部。礎石が見当たらんので正確な場所までは分からんが、平面図では桜門(伝)となってる辺り。

 

桜門跡からの本丸への登り。ここから見る限り互い違いに小郭を配し土塁をモリモリして直進できぬよう工夫されてる感じ。

 

本丸虎口手前の小郭は帯郭状に。

 

本丸西へ廻り込む帯郭。

 

その先はやや広し。馬出し的な郭かも。

 

正面から虎口への図。

 

小郭から虎口への図。

 

虎口から本丸へ。

 

本丸(伝)第一郭 到達 

 

本丸では強風が吹き荒れてたが乗せた葉っぱは飛んで行かなかった真顔

 

山頂の絵馬掛所。ここまで来ると願いも成就するかと。しらんけど

 

鉛筆型?の城跡碑。

 

三角点。標柱は立てかけたが諦めたあせる

 

石祠(せきし)があった。コケって不鮮明やけど傘部に「〇に上」らしき紋? 信濃の村上氏!瀬戸内の村上水軍! 関係ないでしょうね。

 

城跡碑から見る本丸。

 

デカくて斜めってる説明板。そして麓から見えた山頂の割目は木を伐採して眺望が利くようにしてある。

 

白旗城年表。知りたい方はお読みください。ちなみに 宇喜多能家(よしいえ)は梟雄宇喜多直家の祖父である。

 

城下の赤松地区。往時は城下町が形成されていたかと。

 

現在地は本丸(伝)。これより三の丸(伝)・第三郭を攻略し北端の堀切へ。ちなみに 第一郭付郭へは侵攻してません。なぜかというと 険しそうやったから真顔

 

本丸から段差部があり三の丸へ。

 

本丸と三の丸を繋ぐ郭。

 

その郭先端を進むと一段下がった所に見える三の丸。右手が坂虎口。

 

三の丸(伝)第三郭 ちょっと分かり難いが手前右半分が坂虎口のスロープ。

 

坂虎口を見返す。左が土塁であった。今気付いた

 

三の丸やや東寄りの土塁

 

三の丸北端の土塁

 

北端の土塁を別角度で。

 

三の丸の飛び出た北西端。

 

 

三の丸北端の土塁脇から城域最北端を死守する堀切へごっつ坂道を下りて行く。

 

堀切を補足。

 

最北端の堀切ドーン と、ド派手な大堀切を期待したがちょっとしなやかな堀切でしたね。

 

落葉や腐葉土で埋まって鋭さが失われてしまったんでしょう。往時はバッチ鋭い堀切やったに違いない。

 

堀切から北尾根方面は平面図にも描かれてなくていわゆる城域ではないようです。

 

 

北端の堀切から 図の中央あたりの二の丸(伝)まで戻りました。

さぁていよいよこの城のクライマックス、図の下、南の斜面に展開する侍屋敷(伝)大手郭へと侵攻して行きます。

 

二の丸から削平されてるような感じの通路というか帯郭というか、下り坂を通って侍屋敷へ向かいます。

 

 

 

そして

 

 

 

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ここは天国か地獄か!?

 

 

 

 

 

つづく。