数年前にこの城を攻める気満々で駐車場まで来ましたが、登山足軽の団体さんとかち合い、それを見たわしは攻める気引っ込んでやめた城です。
再度攻めねばと今まで延び延びになっていましたが、期は熟した。いや 手遅れになる前に 意気揚々とやって来た次第です。
兵庫県赤穂郡上郡町赤松
播磨・白旗城(しらはたじょう/しろはたじょう) 別名:白旗山城
白旗城の築城期には二つの説があり、鎌倉時代末期の元弘3年(1333)に赤松則村(円心)が護良親王(大塔宮)の令旨を受け鎌倉幕府打倒の軍を挙げた時に築いたという説。もうひとつは、建武2年(1335)則村が幕府滅亡後に成立した建武政権から離反した足利尊氏に従い、宮方の新田義貞の西進を食い止めるために築いた有力な説。
『太平記』に拠れば、赤松円心はこの城に籠もり、東上する足利軍を迎え撃つ新田軍約六万を五十日あまりの間足止めさせ、湊川の戦いでの足利軍勝利に貢献したという。
城は標高440m、比高390mの白旗山に築かれており、奥の割目が入ってるのが白旗城主郭部である。なんで割目が入ってるかと言えば、木を伐採して眺望が利くようにしているのである。ちょっと気が利く城跡である。そして比高は約400mということで、いつものようにヘロヘロになること必衰な城跡である
この橋の手前を左に行けば城攻め用駐車場があるので、そこに本陣を敷きました。
前の写真の橋を渡るとすぐ登山道入口あります。入口からして賑やかなのは人気がある城であると共に、整備が行き届いてるという証であるかと。
降参して白旗あげた城ではなく落ちない城として売り出してます。この場所から本丸まで1.9㎞、約1時間 登る前からぐるじい~
ちなみに築城時に白旗が降って来たことからその名が付いたと云う。う~ん
難攻不落いうても、戦国期に2度ほど落城してんですけどね。落ちない城ではなかったということで おしい!
手動ゲートです。開けたら閉めましょう。ただ、内側からカギを閉め直すには、手を外側に出さなあかんので、指がギュウ~となる恐れがあるので注意しましょう。
ゲートを突破。暑くもなく寒くもなく歩きやすく快適である
少し歩くと五輪塔群の説明板が。説明文をお読みください。
少しコースから外れた場所に白旗八幡神社跡地の石柱下と右奥に五輪塔。
缶コーヒー飲めるのやろか
少し歩むと現れた。説明分をお読みください。
少し足を踏み入れると堀の様な溝のような? 説明にある発掘調査で出てきた基壇跡は埋め戻されてるものかと。
瓦片が落ちてた。
登山道に戻りばんばん進む。
ふもと絵馬掛所。落ちない城にあやかっての合格祈願の絵馬掛け所です。ここと山頂にあります。どうせなら山頂まで行きましょう。
地蔵さんいてはりましたが、指が現代風。
さあ ここからがほんまもんのスタートです。
士気を上げるんだ~!モグモグ ギョヘ~
アホなこと言うてんと、 本格的な山道に突入します。
なんとか緩やかで歩きやすい。今んとこは
斜面を見るとコケコケイシイシ群。
最初の休憩ベンチがあるが、まだしんどくないので休憩しない。城跡まで1.1kmとある。慌てずゆっくりマイペースで行きましょう。
山あるある。いちばん上はわしが積んだ。
そして遂に現れた歩き難いにも程がある岩々登山道!
元々ここが大手道であったと思いますが、石が敷き詰められた石段に、両側の斜面から岩石が転がり込んでこないなったんすか?
道の左側に積み石が。明らかに積まれてます。
裏っ側は積み方が荒い。これは城の遺構ではないと思うんですが、何なんでしょう?
ただ登り石垣の様に斜面に続いている。
さらに岩石が荒れ狂って増々歩き難い登山道 案内板にあった新田義貞軍に対して上から巨石群を落とした「谷落としの岩」辺りと思うが、なんぼなんでもこんな巨石を落とすことできんやろ~
足元注意。頭上も注意。
あ~ 帰りもここを通る事必衰! これはもうあじがいだぐなること必衰
コケ岩が少なくなりなんとなく石段が分かる図。
案内板にあった新田軍の進軍を阻んだ屹立する一枚岩「嘆きの岩壁」のようである。
わしが斬った
ぐるじい~
荒い息と、激しく鼓動する心の臓を鎮めるために休憩しましょう。
休憩所からは巨石群がなくなった代わりにごっつ急勾配になる
石段が露わになった図。
おおっ 明るい兆しが!
甘かったかな
もう1回休憩できる。鞍居方面へ下りる別ルートの分岐点のようですが、ペケぽんしてあり通行止めのようです。
休憩ベンチから風景は一転、急勾配の尾根道となる。
ややもすると岩盤ゴツゴツな場所へ。標柱に堀切の文字が見える。
堀切。麓の絵馬掛所から約1時間、遂に城の遺構が。
本丸(伝)にあった平面図で確認。図の左端(西端)が現在いる堀切。いよいよこれから城域に突入である。
堀切から落ちる竪堀。
堀切をやや上から。岩盤をくり抜いてますが、それほど深くは掘り込まれてないようです。
その代わり堀切の城側は岩盤ゴツゴツ攻め手は登るの不可能斜面。
前の平面図に石積と書かれてるのはこれのことか?
積み石にしてはちょっと荒れ狂ってるように見えるが、積み石が崩壊したように見えないこともないビミョーな感じ
堀切を上から見下ろす。堀切から上に道が通されてる。道の両側が人為的に石が積まれてるようにも見える。平面図の石積とはこれの事かも。
城域に突入し、足取も軽くなる。
堀切からの尾根横下の登城道を進軍。
城域南西部の第四郭付郭のよう。
南に向って小郭が連続してるようですが、これだけで済ます。
その付郭の向いに櫛橋丸(伝)・第四郭。ここで道が分岐しており、右奥へ廻り込んでるのが正規(?)の登城道のようで二の丸、本丸へ至る。標柱左の斜面を登って行けば櫛橋丸へ。ここはしんどくない右奥の道へ進軍しようと思ったが、櫛橋丸を侵しとかなあかんので、しんどそうやけど坂道登っていきます。
わしが置いた。
そして、その2へと続いてしまいます。
2年5月