余野本城 最終話となります。

 

 

ネットで見つけた縄張図「摂河泉城館紀行」より。

矢印が進入路です。ご覧の様に単郭の城です。西の畝状竪堀群に辿り着き、主郭回りの空堀を巡りました。これより北西の虎口から主郭に突入します。

 

両側に土塁を配備した主郭への坂虎口

 

主郭虎口

 

虎口右側の西面土塁。

 

虎口左側の西面土塁。

 

虎口土塁に石っビックリマーク

 

 

 

 

主郭に突入しての正面。未整備やけど下草が茂ってないのが合格点。

 

主郭に突入しての右向け右(南) 櫓台と思しきモリモリがある。

 

主郭に突入しての左向け左(北) バッチ削平されて奥(北面)には土塁が巡ってるのが見える。

 

主郭中央辺りの段差部。この段差部で郭内を南北に区画していたもよう。

 

区画部の虎口状な部分。

 

段差部にコケ石っビックリマーク

 

主郭内に石っビックリマーク

 

虎口西面から北面へと連なる土塁。

 

主郭北部の土塁。

 

土塁に石っビックリマーク

 

石っビックリマーク石っビックリマーク

 

上に同じっビックリマーク 

 

北から見る主郭。

 

主郭の東部分。郭内にもチラホラ石が顔出してる🤗チラホラ 部分的にしか石は残っておらず、往時にはもっと石積みされてたのは確実であるというわしの説。

 

虎口より南の西面の土塁。

 

穴っ 何かは不明。

 

西面土塁。奥が虎口。

 

櫓台の右。バキバキである真顔

 

櫓台の奥(主郭南) は土塁は築かれてない。

 

櫓台の上。アレアレですがな真顔

 

櫓台から見る主郭。木がよく見える真顔

 

わしが乗せた。

 

 

坂虎口を下りて退城しまーす

 

余野本城は応仁の乱後に廃城となり余野氏は余野城を築いたと伝わるが、畝状竪堀、虎口、横堀など技巧的な縄張りが見られることから、天正期まで城として活用されていたのは間違いない。ただ、城の規模からして多くの将兵が駐屯するには心許ないと思われる。余野氏の勢力はさほどでもなかったもしれない。という 訪れてみれば分かるという説。

 

いや歯科死! こんなかっちょええ遺構がありながらほったらかしはもったいないねぇ。登城口は不明瞭。案内板、説明板一切なし。このままでは城跡も倒木地獄に陥るぞ~オエー  

 

帰り道からの城跡遠景。この道を進むと資材置場があるわけでして、この道から進軍しなかったので地獄に突入してしまった。まぁ地獄というほどでもありませんでしたが

 

 

 

画像はむっちゃズレてます。
前半に右往左往してから、とんでもない地獄山方向に行ってるのがお分かりいただけるかと。

 

 

 

摂津・余野本城 終話