大阪府豊能郡能勢町野間中

能勢妙見山(のせ みょうけんざん) 

正式名:無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山 別名:能勢妙見宮 愛称:能勢の妙見さん

 

なんで「寺」「宮」なのかと言うと、仏教と神道が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現象である神仏習合時代の名残りであるそうな。

 

前に上げた「地黄陣屋の桜」地黄陣屋から、次の山城へ向かうのに妙見山の麓(巷では有名な恐怖のトンネルあるとこ)を通過するんですわ。前々から一度はお参りせねばと思うておりましたところ、この機会にお寄りいたしました。

 

山上に駐車場があり恐怖のクネクネ道ではあるが、楽ちんちんと上まで登ることができます。ちなみに妙見ケーブルは去年12月に63年の歴史に幕を下ろした。

 

天正9年(1581)に明智十兵衛に攻められた能勢頼次が本拠地の丸山城から当山に移り、山頂の大空寺の跡地に為楽山城(大空寺城)を築いて光秀軍と戦った城跡でもあるんです。その後の頼次は地黄陣屋で述べた通り。

頼次は日蓮宗の日乾(にっけん)に帰依し、頼次自ら開基となり日乾を新たに開いた真如寺の開山とした。

 

また、本尊は妙見菩薩であり、妙見山の山頂付近にあり、北極星信仰の聖地として知られる。

 

頼次が帰依した日乾の像

 

 

ちなみに 城としての遺構はなにも残ってません。

 

 

玉取り獅子さんはいてはります。

 

子取りさんもいてはります。

 

神馬もいます。胴にある十字は能勢氏の家紋が切竹矢筈十字であったから。ちなみに 能勢地方は高山右近の出身地であったことからキリシタンが多かった。そして頼次もキリシタンであったが、キリスト教禁止令と同時期に日蓮宗に改宗した。領民にも半ば改宗を強要したため、能勢の地は隠れキリシタンが多くいたと云う。

 

 

想像するに城の主郭跡であろう場所に砲弾型忠魂碑。その後ろに三角点がある。

 

三角点

 

 

寺院に似つかわしくない近代的な建造物は信徒会館「星嶺」。2階は礼拝堂であるそう。ちなみに 切竹矢筈十字をかたどっている。裏を取るためグーグルマップで確認。星形であった真顔 

 

信徒会館のとこからの眺望。川西とか池田の方かな。

 

 

山門。屋根に矢筈十字があしらわれてる。

 

 

またいてはりました 迫力ある青銅製の阿形の獅子さん。

 

今にも飛び掛かってきそうな 吽形の狛犬さん。顔の周りはクルクルである。

 

 

北辰殿 昭和50年製 寺務所・庫裡・待合所(右隣)がある。

 

鐘楼堂 鐘楼の建築年代未詳。梵鐘は寛永4年(1627)鋳造。宝暦4年(1754)改造。

 

手水舎。四代目・中村歌右衛門(1798-1852)が寄進したので「歌右衛門の手水」と呼ばれてる。手で水をすすぐと美しくなるらしい。すすぎまくるんだ~ビックリマーク

 

祖師堂(棲神殿) そしどう(せいしんでん)

明治29年の改修で、須彌壇上には本尊久遠実成本師釈迦牟尼仏、多宝如来、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩、普賢菩薩・弥勒菩薩、不動明王・愛染明王、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王が祀られ、中央には宗祖日蓮大聖人、向かって左は当山開山日乾上人が祀られている。狛犬さんいますがもういいっすね。

 

本殿(開運殿)

慶長10年(1605)能勢頼次公によって草創され、天明7年(1787)能勢頼直公の本願によって再建。明治28年11月に大改修され、現在に至る。内陣の御宮殿には開運の守護神である北辰妙見大菩薩が祀られる。

 

何度もすんません。本殿前にもいてはりましたんで。玉取りの獅子さん。玉は割れている。

 

子取り狛犬さん。やせ細ってる?

 

 

開運 交通安全  病気平癒 息災延命 一族繁栄 天下泰平 天下統一ビックリマーク・・・南無。

 

 

 

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御朱印いただきました。

 

 

 

 

ほな さいなら。