播磨国の山城を攻めました。

ちょうど1年前の矢筈城 地獄登山が蘇る。

 

 

兵庫県たつの市

播磨・城山城(きのやまじょう)別名:亀山城、木山城

 

城山城は、同一の山の上に7世紀末の古代山城と、正平7年/文和元年(1352)に赤松則祐(村上源氏・播磨守護)が築城した中世(南北朝時代)山城が複合する珍しき山城です。

 

馬立登山口。国道179から県道724へ。来栖川に架かる橋を渡り、この先に墓地の駐車場があり、そこに本陣を敷きました。

 

標高458m、比高400m 揖保川の西岸にある山塊の亀山(きのやま)山頂付近に築かれています。ご覧の様に登城コースは幾つかあります。

 

この度攻め登るは馬立からの大手道コースから山頂の亀山城山城跡兵糧道コース下野田 → 本陣を敷いた馬立へ。

南斗ビックリマーク山頂の亀山まで、40+20+5+5+20=きゅうじゅっぷんビックリマーク わしの足ならその倍かぁ!城内を歩き回ってなんじゅっぷんはてなマーク 下山の兵糧道コースが10+40=ごじゅっぷんビックリマークほんでから馬立まで地道でなんじゅっぷんあせる  ひょえ~マジでヤバそうや煽り 

 

墓地からすぐの所に登山口があります。

 

山神社があるので、戦勝祈願。あいや 無事生還願うのみ!

 

登山口に立つ案内板。古代山城の遺構は主に⑩⑪など城山の西側斜面に残ってい、南方向に中世山城の遺構があるようです。ちなみに、搦手である⑦や⑧方面には侵攻してません。

 

麓には馬立古墳群があり、古墳が点在しています。これは登山口の神社横にある古墳。前の案内板の②をご覧ください。

 

さていよいよ地獄の登山道に突入です。直ぐ右側にも古墳があります。未盗掘でお宝ないかなと覗いてみたが、何もなかった。当たり前である。

 

城跡まで2.2㎞ 平地でもしんどい距離です。経験上山城の2.2㎞は、とてつもなくしんどい距離です真顔

 

また古墳。ここで永遠に眠るにはいいかもしれないふとん1

 

あと0.8㎞ !? 1が消えてた 登山道は整備されてるというか、何というか、道はハッキリしてるので迷うことはありません。

 

ご覧の様に石ゴロゴロ道で歩き難いったらありゃしないあせる

 

水晶谷というだけあって水晶があるのかどうか? 探してるヒマはないので、行きます行きます。ほんまは目視で少し探した。

 

石は少なくなり歩き難さは解消されましたが、緩やかな登り道となるえーんじわじわとぐるじぐなっでぎだ~

 

そして、案の定傾斜がキツくなるんですえーんはぁはぁはぁ

 

でたぁ~! 恐怖のトラロープ道! 

 

まあ予想と予習はしてたんですが、実際は予想以上ですわえーんげきぐるじい~

 

障害物も体力を奪うあせる

 

わしが吊るしたのではない。

 

どこが大手道や! ぜんぜん大手を振るって歩かれへんがなあせる

ちなみに、山城の大手道は廃城になり破城するにあたって、大手道は通れんくするために破壊します。現在往時の大手道がまともに通れる山城跡はほとんどありません。ほとんどね。少しはある。だいぶあるかも

 

おおっ!尾根に辿り着いたか!? 

 

まだであったえーん

 

休憩。

 

毎度毎度のことながら城攻めやなしに登山です。ロープがなかったら絶対にスベリます。ロープを付けてくれた人に感謝の念を抱きましょう。

 

今度こそ尾根に着いたか!?

 

山陽自然歩道という尾根道に達する。地図の標示通り60分で来れた。

 

 

尾根に出ての北方向は搦手で遺跡もあるんですが、また戻って来るのがイヤなので行きません。

 

尾根を南に進み、まずは亀山を目指す。あぁ平地を歩くのが心地よい。

 

 

供養碑がありました。いつ頃つくられたのか定かではないが、一説では「嘉吉の乱」の戦死者供養のためではないかと。南無阿弥陀仏の銘は見えなんだ。南無。

 

「嘉吉の乱」室町時代の嘉吉元年(1441)に播磨・備前・美作の守護 赤松満祐が室町幕府6代将軍・足利義教(通称・クジ引き将軍)を殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱。

 

蛙岩なるもの出現。

 

蛙の形に似てるからやそうですが、蛙には見えなかった。

 

 

蛙岩から亀山までまだ25分あせる まぁ尾根道なんでぼちぼち行きます・・・

 

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ? 

地獄の這いつくばり道あせる いや、道じゃねえ~😭

 

土橋じゃねえービックリマーク よくある痩せ尾根かと。

 

尾根に出てからもこんな激斜面を行くとは、これはまったくの予想外 えーんぐるじい~

 

登るスベる登る休む休む休む登るスベる休む休む休む登る。

 

 

ド派手な斜面から解放された瞬間。初めての城の遺構 堀切と土橋。これは中世の遺構のようです。

 

ウスウスで分かり難いですが、二重堀切に土橋が架かってます。

 

堀切は東斜面に竪堀となり落ちていく。

 

堀切西方向は横堀となる。右側は土塁

 

堀切手前の土塁に立つ方向板の右方向に石塁3とあるので、そちらへ行きます。

 

土塁上を歩き石塁3方向へ、左に横堀を見ながら進みます。

 

土橋状の土橋。はぁ?ですが、土塁から横堀を渡るように土橋状のモノが。土橋でええと思いますが、ただ渡った方は山の斜面なんです。

 

もう1本土橋状の土橋。土橋と横堀に気を取られながら進んで、頭上の倒木にドタマ打ち付けないように土塁上をまだ進む。

 

ピンクテープが石塁までの道案内と信じ、土塁上をどんどん進む。

 

土塁と横堀の突き当りを右折。右折というても、ごっつ斜面を下りて行くんですよ、これが驚き

 

ごっつ斜面を下りて振り返る。戻るのにまた上ることを考えてうんざりするオエー

 

 

下り切ったとこにコケコケ! よだれぐるじざが少し和らいだ

 

古代山城の得意技である水門であろうかと。

 

積まれてるのがお分かりいただけるかと。

 

水門の上流。

 

 

堀切まで戻りました。

これより山頂である亀山を目指します。また坂道や

 

 

 

 

そして、その2に続いてしまいます。

 

 

 

 

 

24/02/13