熊野速玉大社から徒歩で15分くらい

 

熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に神々が降臨された熊野信仰の発祥地

和歌山県新宮市

神 倉 神 社(かみくらじんじゃ)

 

鉄馬車で駆けました真顔

 

神倉神社は新宮市街地の北西部、神倉山に鎮座する、熊野速玉大社飛地境内摂社であり、境内外縁は直ちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる(熊野年代記)「ゴトビキ岩」を御神体とし、高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)を祭神としています。

 

まずは神橋を渡ります。傍らに立つ下馬標柱県指定史跡

 

お読みください。

 

手水社立看板の注意書・高齢の方、足腰のバランスの悪い方、飲酒してる方、小さい子供連れの方は絶対に上らないこと。わてふたつほど当てはまらんけ? いやいやいやあせるまだまだヤングやし足腰もピンピンやしあせる

 

ピューオエー

 

これより神域である、ご静粛に。

 

そして鳥居を潜ると神さんなのに地獄の538なのであるビックリマーク

 

知ってはおりましたが、実物見たらハンパない激斜径でやんの煽り  

 

けっして石垣ではありません。石の壁やがな~煽り 

 

果てしなく続く石の段。山城より ぐるじい~えーん

 

必殺の山城テクで道幅いっぱい使ってジグザグに歩きますのよあせる

 

しんどいしんどいしんどいあせるあせるあせる  あしおもいあしおもいあじおもいあせるあせるあせる

 

まじでバランス崩したら一巻の終わりです。むやみに背伸びとかしないように無気力

 

適度に振り返る。そこには石の段があった真顔  先に平地が見えますが、別コースの女坂コースと合流するとこです。石段は少ないがしんどさは変わらないとか。

 

おおっ まるで登り石垣! そんなこと思いながら気を紛らわせる。ちなみに、下の方に加工した石が見られる。積み直しもされてるような感じ。そんなこと思う余裕を無理やりかます。

 

しゅ、終点や~  足ケイレンせんでよかった~えーん 

 

左が神倉神社の二の鳥居ですが、まず右へ。

 

右の石段上には満山社(まんざんしゃ)のお社が。こちらは結びの神、八百万の神(やおよろずのかみ)を祀ってます。800万もの神さんを祀ってるてことです。いうてみれば、自然界に存在するもの全部に神さんが宿ってるという古代からの考えで、ぎょうさんの神々を「八百万の神」として崇めてるんですよ。

 

二の鳥居 を潜ります。

 

鳥居を潜ると手水鉢水はどこから引いてる?

新宮第2代城主・水野重良(みずの しげよし)が寛永8年(1631)に寄進したもの。水野重良は、下野国(栃木県)那須城主・大関家にとついだ姉であるしゃむ姫の延命と繁栄を祈願して寄進したと手水鉢の正面に刻まれてます。読みにくいので説明板がありました。

 

そして遂に神倉神社の拝殿に、御神体であるゴトビキ岩が。

ゴトビキとは熊野地方の方言でヒキガエルをあらわし、岩の形がヒキガエルに似てることからそう呼ばれ、このヒキガエル岩が御神体として祀られてます。

 

現在は熊野速玉大社の境内社扱いではあるが、熊野の神が降臨した地とされ、絶壁の上のヒキガエル岩に、古代の人々は神が宿ると信じていました。

 

開運招福!延命長寿! しんどい思いして上ったので、ご利益あると信じています!

 

岩のとこからは新宮市街地が一望。向こうの工場の煙は鵜殿城から見えたとこやね。

 

手前のこんもりした山が矢倉城跡(詳細不明で私有地のため立入禁止)で、そも向こうに新宮城の石垣が見えるが、めっちゃ見えにくい。

 

 

そして恐怖の帰り道。上りより下りの方が激恐怖です😰

 

まともに正面向いて下りるのムリ。横向いて下りな下りられられないあせる

 

途中で振り返ると、おじさんめっちゃ前かがみで上ってます。おばさんかな? 

下りしなに上る人とすれ違いざま、みなさん声かけてきます「ハァハァまだだいぶありますかぁ?」 わしは「もうだいぶです、頑張ってください」としか答えるしかない真顔

みなさんもやっぱヘロヘロでした。

 

無事帰参。

 

 

神倉神社の社務所は無人くんなので、御朱印は熊野速玉神社にて。

 

御朱印にある神紋に用いられる八咫烏の三本足は熊野三党(宇井氏、江本氏、穂積氏(藤白鈴木氏))の威を表したものであるとも云われる。

 

 

神倉神社詣でた

 

 

 

 

23年御朱印に書いてる日