備中高松城は以前に一度攻めてますが、足守から次の目的地へ向かう途中にあるのでちょいと寄ってみました。
岡山市北区高松
備中高松城 (びっちゅ~たかまつじょー)
備中高松城といえば羽柴秀吉による水攻めの最中に本能寺の変報が入り、秀吉は対峙していた毛利とちゃっちゃと講和し、主君信長の仇である惟任光秀を討つために、全軍でもって京へ大返しした。という作り話は有名。失礼、大方が本当の話です。ただ、めっちゃ大変であったという秀吉の大法螺大返しとはかけ離れて、意外とふつーの大返しであったという話は万人にはあまり知られていない。
詳しく説明しないので、詳しく知りたい方は自分で調べてください。
天正10年(1582)6月4日 城主・清水宗治 小舟の上にて切腹 享年46
宗治 辞世の句
浮き世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して
実は御城印(正式名・登城記念符)だけをかっぱらう 購入するためだけに寄りました
特典映像
いい歌を いい人が歌う。
日本語で歌ってくれて謝謝