前回の甲良町・勝楽寺城から移動しました。
滋賀県東近江市小倉町
近江・小倉城(おぐらじょう)
遠望ではありません、本陣にした墓地駐車場から城跡の向い側の景色です。長閑な風景を撮ったまでです。
現地説明板
小倉景実によって築かれた、小倉氏歴代の居城です。近江と伊勢北部を結ぶ八風街道を抑える要衝にあり、愛知川右岸の河岸段丘上に築かれています。のちに分家である小倉東家の居城となりました。なお小倉宗家は南の佐久良城、小倉西家は東にある山上城を本拠としています。小倉氏は次第に勢力を伸ばし、愛知・神崎・蒲生3郡の東部を領し、21の出城を構え、佐々木・蒲生両氏の隣強と雄を競っていたが、永禄年間(1558~70)に小倉氏で内乱が勃発し、第17代城主・良秀が敗れ、城は焼失し、同族は各地に散逸したと伝わる。
空堀が小規模なこと、平面空間を広く取ることから、居住施設の要素も見てとれるとあります。小倉集落背後の段丘が城域となっています。
図の本丸がある空間ですが、御覧の如し。
移動してみると、本丸らしき土壇が見える。こんなとこ歩きとうないけど、近くまで行ってみる。
本丸らしき土壇の手前には空堀が・・・夏草シゲシゲですが分かる人にはわかる。
土壇下を取り巻くように空堀がL字状にある。この中央の草がちょっと凹んでるとこね。
空堀の先に土塁らしき盛土が見えるが、これ以上進まず。
本丸内へ突入するのも夏草シゲシゲのため諦めました。来る季節を選ばないとこうなる
本丸側の空間は半分が建設会社の敷地で、少しウロウロしてると、虎口状な場所を発見。この左下には民家があり、往時は屋敷区であり、城内との通路であったと勝手に決めつける。
その虎口(?)近くに石っ を見つけては、やっぱり虎口なんやと勝手に納得する。
本丸(右側)と居住区(左側)の間にはズドーンと道路が通ってますが、堀切であったのを改変して道路をこさえたようなんです。
ず~と奥の方へ。石垣がカッコよろしいが、もちろん現代の物です。
反対側から。かなりの大堀切っぷりなんですがねぇ。
堀切道路を下り切った所に城跡碑と説明板があります。こうやって見ても城跡がかなりの段丘であったことが分かります。
近江・小倉城 撮ったったど~
こりゃわからんど~ 右上の山腹にあるのはおそらく永源寺です。
西の角屋跡。城跡の段丘南側は現在集落が建ち並ぶが、屋敷跡であった場所に表示板が立てかけられている。
東角屋跡
国道のバス停のとこに城址の案内板。これは分かりにくい。
近江名物 飛び出し・・・はぁ 裏面にはほんまもんの飛び出し坊や。
この後は小倉氏宗家の城攻めに向かいます。
今日はこれにて。