プロ野球が開幕した。
(メ -`ω-)
ストレス溜まる
美濃・白鷹城(明知城)のつづきです。
堀切から上がって行き、残る曲輪を片っ端から攻め撮って行きとうございます。
三の丸です。正面のドーンは本丸。
南斗本丸へ上がれられない。
三の丸から見る南の畝状竪堀群。横堀から竪堀が落ちて行く様が良くわかる。ひときわデカいコブ土塁は櫓台であったか?
三の丸からの腰曲輪で本丸の向うへ回り込めます。
左に回り込めば二の丸へ。右には土橋が架けられてあり、その向こうは出丸でおまる。
先に土橋を渡って出丸に行きまる。
出丸。手前は絵図にも記載の巨石群の一部。写すのを失敗 巨石群は出丸の入口にあるので城門の基礎であったかも。
柱石。陣旗を立てる基礎か茶室に付属する手水鉢か、諸説あり。とあります。しかしいつの時代の物やろか
出丸から見下ろす畝状竪堀群、畝状空堀群、畝状阻塁、畝状阻塞。コブが付いてるので呼び名に困るが、 とりあえず絶景
土橋を渡って戻ります。階段の上が二の丸。その左奥が本丸。
二ノ丸
いよいよ余すは本丸のみと相成り候。
本丸虎口へ。
枡形虎口 ビミョーな感じ
本丸到達 (≧▽≦)
美濃・白鷹城(明知城) 撮ったど~
三の丸側からの虎口
三の丸と休憩所があった堀切とその向こうの曲輪。本丸からの眺望はこれが最強。
本丸を奥から見たとこで完全制覇というほどでもありませんが・・・
下山します。
曲輪自体の大きさはそれほどでもないが、規模が大きな横堀と竪掘・土塁。そしてハンパない切岸で防御した技巧的な城郭でしたね。保存状態も良く凸っ凹っのメリハリ度がバツグン。大河効果で整備もバッチシで見応えたっぷりな山城でした。
天正2年(1574)には美濃に侵攻してきた武田四朗勝頼が明智城に襲来! 城主遠山一行、叔父・利景らは兵500で籠城。明智城は諸街道に通じる拠点であるため、これを失うわけには行かず、織田信長・信忠父子は、自ら出陣し明知城西八丁の鶴岡山に布陣。両軍の対峙が続いた。
駄菓子菓子 城内では飯羽間右衛門という者が武田方に寝返ったためについに城は落城してしまった。
駄菓子菓子武田氏が滅亡すると再び遠山氏の居城となった。
本陣とした駐車場横の遠山家菩提寺である龍護寺へ参ってみました。
十兵衛出生地としては土岐・明智城に一歩リードされてますが、出生地をアピール。
遠山氏累代の墓所。
十兵衛の御廟所もありました。
恵那市明知町から撤収