ジメジメする日が続きます。

 

皆様如何お過ごしでしょうかはてなマーク

 

私としては・・・普通です(少々ダレてるかな。けど城攻めとなれば( ー`дー´)キリッとします)

 

ほな今年のGW最後の城攻め、吉田郡山城(後編)です。

 

 

ちょっとマンガな地図ですが、三の丸、二の丸、本丸と攻略して下山しとうござります。

 

 

三の丸腰郭からの三の丸側面の石垣です。バッコンバッコンに破壊されてますが、特に三の丸南側から二ノ丸、本丸の西面にかけて大量の崩れた石がゴロゴロ状態。

 

 

虎口かどうかも分からない感じですが、スロープが付いてる感じからして虎口であったような感じです。

 

 

三の丸です。

 

 

三の丸説明板

 

 

上の説明にある区画してある石垣跡。

 

 

比高差の部分の石垣。

 

 

上は二の丸

 

 

二の丸側面石垣・・・跡

 

 

 

二の丸から見る三の丸

 

 

二の丸

 

 

 

二の丸説明。高さ3mの石垣が残ってたそうですが、明治に元就さんの墓所改修の際に石を運んだようです。

 

 

二の丸の石列。

 

 

虎口跡らしき場所。

 

 

虎口らしき場所を下から。

 

 

桝形らしき場所ですが、たぶん二の丸の南側の腰郭側にあったと思う。

 

 

二の丸から本丸への虎口らしき場所。カーブを描いてるような感じもします。通称 カーブ虎口としときましょう。

 

 

本丸 城主の館があったと思われます。

 

 

本丸の説明。

 

 

説明板の後方が櫓台。破壊が著しいと書かれていて原型を留めてないようです。

 

 

櫓台の上。

 

 

吉田郡山城 撮った ど~クラッカークラッカークラッカー

 

 

 

櫓台から見た本丸。

 

 

あとは帰るだけ。

 

 

 

腰郭から御蔵屋敷を再び通り、元来た道を下山しました。これは腰郭にあった土塁です。

 

 

以上、吉田郡山城でしたが、本丸を中心に放射状にハンパない数の郭を配す巨大山城でしたが、も一つ盛り上がりに欠ける城でした。切岸の削平感はハンパありましたが、石垣が見事に破壊されていたからでしょうね。

コロがってるハンパない石の多さからして往時は見応えある石垣で郭を覆いつくしていたことを妄想するしかない吉田郡山城でした。

 

 

麓に郡山の鎮守社として毛利氏の祈願所になった、

清神社(すがじんじゃ)があるのでお参りしていきます。

 

主祭神:須佐之男命(スサノオノミコト) 中世に京都祇園社の荘園「吉田荘」の鎮守社として祀られました。鎌倉時代末期から、吉田郡山の鎮守神として安芸毛利氏代々の尊崇を受けました。

 

日本書紀で有名な須佐之男命八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したのが、この地(安芸国可愛之川上)とされ、退治後に須佐之男命が発した「吾が心清清(すがすが)し」という言葉に因み清神社としたと伝わる。

 

 

境内にあった巨杉が台風で倒れた際に年輪を調査したところ、約1200ねんビックリマーク 年輪数えるの大変やねんビックリマーク その切り株が境内に展示されている・・・見てないあせる この画像の杉は樹齢1300年ではないと思うが(300年くらい)、確か3本くらい立ってた←ほんまにどこ見てんだかあせる

 

社殿は元禄7年(1694)の建立。正面に千鳥破風と軒唐破風を構えてますねえ。

 

 

Jリーグのサンフレッチェ広島が毎年必勝祈願に訪れてるそうです。カープは訪れてないようです。知らんけど。カープは訪れんでも強いからええやろ。

 

 

安芸高田市歴史民俗博物館に寄り復習して撤退いたしました。

 

 
歴史民俗博物館にて御城印いただきました。
 
GW10連休の城攻めは打ち止め終了となりました(もう10連休くらいあったら良かったのにな。いや永遠に連休でもええな)
 
 
さて・・・
 
今年は梅雨入りが遅かったので、梅雨入りまでにせっせと城攻めに高じました。
 
5月 越前にて3城。摂津で1城。
6月 丹後にて2城。播磨で1城。
7月 北陸遠征で7城。
 
sao☆ ぎょへ~あせる
 
にゃ 先が思いやられるあせる
 
ヤァ 次回からは越前攻めです。期待しないでお待ちくださらないでください。
 
 

 

 

19/05/03

 

 


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