恐怖の超大型連休目の前に迫る
じゅうれんきゅう前の激務にて予定も立てられず(そんなことないやろ!)
予定してないけどどっか攻める予定はしておこう(意味不明)
ほな、
前回の遺構は何も残らない雑賀城から移動。
和歌山市雑賀崎へ進軍。
雑賀崎城 (さいがざきじょう)来ました。
雑賀崎城は石山合戦和睦後、信長に徹底抗戦を主張した顕如の長男・教如を囲うために、雑賀孫市が築いたとされています。
教如は崖下にあった上人窟に隠れ住まわし、崖の上に城郭を築き守備したようです。
現在地の雑賀崎灯台があるところが雑賀崎城跡。そこから江戸時代に紀州藩への海上の見張り番所が置かれた番所庭園(ばんどころていえん)、江戸時代後期に紀州藩により異国船に対する海上防御のために築造された雑賀崎台場を巡ります。
雑賀崎灯台。下に人が陣取ってたのでこんな角度でしか撮れなかった
雑賀崎城 撮ったど~(だいぶ控えめ)
というのも、城の遺構は何一つございませんのよ
この崖下に顕如が潜んだ上人窟があるらしいが、通行止めのロープがしてあり、ちょっと行きかけたが道が険しそうなので下りるのやめました。
灯台からの眺めはすんばらしい。
眺めは爽快かんですが、いつまでも景色見とってもしゃーないので、あのベローンと出てる半島、あれが番所庭園ね。あそこへ行きませう。
ベローンとやって来ました。駐車場までの道狭いのでご注意を。駐車場は有料のようですが、この日は管理棟が工事中なために無料でした。
先へ進むと土塁
説明板の古絵図にも土塁らしきもので囲われてる絵がある。
通称は「番所の鼻」と呼ぶらしい。江戸時代に紀州藩が設けたとあるので、ここは雑賀城とは関係ないかもね。孫市の時代はただの半島であったかも
説明は各自お読みください。
土塁の内側に横堀
土塁はおそらく往時の遺構なんやろね。
さきほどの雑賀崎灯台が見えます。
庭園の先端の鼻っ先に虎口 虎口なの 遺構の説明は一切ないが、往時の虎口でないにしても、近年に人が出入りする用に造られていても虎口と呼ぶが、往時の虎口か現代にこさえた虎口かが分からない。
虎口を出て撮る。虎口脇の石組み、敷石、土塁への雁木。おそらく往時の虎口な感じがするな。知らんけど ただ、こちら側は海。
虎口から出た鼻の先から見える、大島(男島)、中之島(女島)、そして船。
よくあるな
南斗庭園の側面に石!積み! 何故にここだけ石垣があるのか番所庭園全体が石垣に覆われていてここだけ残ってるのか?石が新しいとこからすると近年積んだ土留め用の石垣なのか?結局詳細は不明。
続いて雑賀崎台場(砲台跡) 通称・トンガの鼻
参ります。
雑賀崎台場への入口。
入口にあった説明。この地は雑賀崎城ではなくて、江戸時代後期に紀州藩によって築造された砲台です。
説明文を拡大。面白そうな遺構もありそう
細い危なっかしい道を行く。
バーンと算木積石垣が現れます。
反対側から見るとドーン。
鼻先には面白そうな地形が・・・
超絶な土塁に石垣がいい感じ。
緑泥片岩で積まれてます。江戸時代なのに野面積みやね。あらがち土塁に囲われてるとこに大砲が備えてあり、このゴボウ積み石垣上には詰所があったのではないかと。知らんけど。
砲台跡の土塁内側。
雑賀崎台場 撮ったど~
発掘調査でV字状の石積み遺構が見つかったそうです。発掘調査で見つかった遺構て、たいがいが埋め戻しされるんですねえ、なんで
土塁の外側はバシッと石積みされてました。
番所庭園がばーん その向こうに雑賀崎灯台がボーン!と見えます(スカッと晴れてなくてちょっとモヤってます)
今回は登ってません。
以上、灯台しかない孫市が築いた雑賀崎城と紀州藩の番所庭園と和歌山港に睨みを利かせた雑賀崎台場でした。
19/03/02