前の記事で備中と予告しましたが備前です。

 

備中と備前の境目がよぅ分からんが、

岡山市南区と玉野市にまたがる比高305mの常山

 

その常山にあった 備前・常山城(つねやまじょう) 

 

別名「恐怖の心霊スポット」sao☆

 

常山城へ行くには城山の北側から頂上近くまで車道があります。しばらく通行止めが続いてたそうですが、現在は解除になり車で楽ちんちんと上まで行けます・・・子菓子駄菓子!このような1車線でクネクネ道あり、ガードレールもない細々道あり、道に樹木が覆いかぶさってる場所ありで、なかなか恐怖の道である。何よりも対向車来たら、すれ違う事は困難極まりない恐怖の道です。運よく対向車に出くわす事はなく上まで来れました。

 

登り切った駐車場横には〇TTの無線中継所がおっ建っています。

 

電波塔が建つ反対側から常山城跡へ。この駐車場も電波塔が建ってる所も城域ではありますが。

 

登城口に立つ説明板からして恐怖あせる(薄汚れている)

 

常山城は文明年間(1469~1486)備中を支配した戦国大名・三村氏の姻戚である上野氏によって築かれたようで、詳細は不明。以後、上野氏の居城となります。

 

説明文によると上野氏は毛利氏によって攻め滅ぼされた後、毛利氏の家臣が城番となり、宇喜多氏家臣の戸川秀安(もとは宇喜多直家の小姓)が城主となる。現在見られる城の遺構はこの頃整備されたものらしい。

 

縄張図を拡大。本丸を中心に二俣に曲輪があり、合計14もの曲輪で構成されてます。

縄張図によると無線中継所は栂尾丸、駐車場は栂尾二の丸という曲輪になっている。

 

先ずは案内板横の石段を上って行きます。

 

最初の曲輪・青木丸。あまり整備はされてないような感じ。

 

 

段々になって本丸方向に曲輪が連なる。ビックリマークが見えます。石段だった可能性あり。

 

 

天神丸デス。ここの城も石仏がたくさん見られます。ここの石段は明瞭な状態。

 

 

説明文にあった如く堀切や竪堀はないようです。削平地である曲輪は背の高い木は取り除かれてるようですが、斜面側はかなり木が生い茂ってますねにゃ

 

この石段はコンクリです。

 

 

北三の丸。 

見るからにアヤシイ恐怖のトイレがある ゼルエル どうも駐車場からこのトイレまで地元では有名な心霊スポットらしく、女軍の怨念がおんねん出るとか出ないとかsao☆ぎょへ~あせる

 

ヤァ わしゃフツーに用足させてもろたさかいにの~

 

落ち武者 怨念なんぞおらへんねんビックリマーク

 

強がりをいう。

 

北二の丸。天正期の常山合戦説明があります。瀬戸内海・大三島の鶴姫は有名ですが、あくまで伝説上の人物で実在したかどうかは定かではないが、こちらの鶴姫は実在したようですね。

 

城主の上野氏は元々毛利に属していたのが、天正2年織田信長の勧誘を受け毛利を離反することにしたんですね。そこで毛利が備中征伐に乗り出し、この常山城も毛利の軍勢に取り囲まれた訳です。衆寡敵せず城主・上野隆徳は覚悟を決め、一族皆自害する事に決す。高徳の継母、嫡子・源五郎高秀(15歳)、次男・某(8歳)、娘(16歳)が自害して果てる。

 

一族の死を見届けた隆徳の妻・鶴姫は、鎧を着け、上帯を締め、太刀を佩き、長い黒髪を解いてさっと乱し、三枚兜の緒を締め、紅の薄衣を取って着て、裾を引き揚げて腰で結び、白柄の薙刀を小脇に挟んで広庭に躍り出た。

 

ヒメ 姫様!何をなされます。おやめくださいまし!

 

おみくじひいてね 武士の妻や子が最後に敵の一騎も討たず、むざむざと自害するのは返す返すも無念である!敵の一人も討たずして死ぬることができようかビックリマーク

 

待女達は鶴姫の言葉に逆に勇気付けられた。そして女衆三十余名は鶴姫に従い敵勢に向かって討って出た。

 

駄菓子菓子!多勢に無勢、女衆は次々と討ち取られてゆく。

 

おみくじひいてね そなた敵将・乃美 宗勝とお見受けいたした!尋常に勝負いたせ!

 

政宗 おなご討ち取ったやなんて自慢にもならんし。勝負せえへんで。

 

おみくじひいてね くっ・・・・・あせる

 

鶴姫は相手にされず、静かに城に戻り自害したのであった。

 

それを見届けた城主・隆徳も自害。

 

北二の丸には城主・高徳、妻・鶴姫の墓があり、女軍戦士34名の墓がある。

一休さん 南無

 

北二の丸から一段上がれば本丸。ここも整備状態は良くない。

 

 

城主上野隆徳公碑と左に見えるは展望台。そして何よりも高くそびえる電波塔。

 

備前常山城 撮ったど~ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

城主・高徳が切腹した場と伝わる腹切岩がある。

一休さん 南無

 

本丸で縄張図ではとなってるらしき跡。溜池にしてたのでしょう。

 

 

さっきのトイレよりこの展望台の方が恐怖なんやけど、登って見よう。

 

 

階段が落ちないかという恐怖で展望台の上へ。

 

 

微かに見える瀬戸大橋。空模様が恐怖あせる ここへ来るまでに通り雨があったが、この後はなんとか耐えてくれました。

 

展望台から北側の眺望。

 

 

石仏が多くあるのは戦で亡くなった霊を慰めるためのものでしょうか?

 

ここまで曲輪以外に特に遺構は見られませんがぁ・・・

 

恐怖と楽しみは、まだまだこれからの「後編」へつづいてしまいます。

 

 

 

 

19/02/17

 

 

 

 


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