愛知県あま市蜂須賀。

 

蜂須賀城跡(はちすかじょうあと)

 

尾張の土豪・蜂須賀氏が鎌倉時代よりこの地に住んでいたとされますが、史料に乏しく築城年などの詳細は不明です。

戦国時代には豊臣秀吉(羽柴秀吉)を支えた孤高の家臣、蜂須賀小六正勝(通称 小六、彦右衛門)が生まれたとされる城です。

 

 

 

現在城跡は蜂須賀家の菩提寺である蓮華寺があります。

 

 

 

 

蓮華寺入口の説明板。

 

 

 

 

蓮華寺に入って左側。

 

 

 

小六の顕彰碑があります。

 

 

 

 

晴れの日の日陰は黒つぶれするので影の部分がヒジョーに見にくいにゃ

 

 

 

 

 

城址碑。壇上にあるのが顕彰碑

 

撮ったど~ビックリマークビックリマーク

 

 

 

 

読みにくいですが蜂須賀小六正勝公碑と彫られています。

 

城に関する物はこれだけですビックリマーク

 

 

近年の調査により、蜂須賀城は東西・南北共に200mに及ぶ大規模な方形城館であったことが分かっています。城の周りには堀・土塁があったことも報告されています。

 

 

 

一休さん 蓮華寺に参っていきましょう。

 

 

 

 

山門の吽形さん阿形さんは何故かブルーシートを被っており、そのお顔は拝めませんでした。

 

 

 

 

境内。誰もいないお寺のこの静粛な空間が心地よし。

 

 

 

 

本堂前から振り返って撮る。

 

 

 

 

鐘楼の台が石垣ですね。

 

 

 

 

 

弘仁年間(810~824)空海の開山により創建されたと伝えられる。この地から出たとされる阿波徳島藩主となった蜂須賀家の帰依を受け、尾張徳川家からも寺領が安堵されている。蜂須賀小六・家政親子の位牌が安置されているそうです。

 

 

 

蜂須賀家の紋は〇に卍「蜂須賀卍」(はちすかまんじ)。

 

蜂須賀小六は盗賊・野党の親分であったという話は有名ですが、そんなこたぁ嘘っぱちで、このあま群蜂須賀を領する立派な国人であったようです。

 

最初の説明板にも載ってますが、秀吉の出世話では外せない墨俣一夜城の構築に小六などの川並衆が尽力した逸話・・・のんびり もう皆さんご存知ですね。

 

 

 

 

 

小六の本家が江南市(愛知県)に移った際、小六の弟・勝秀はこの地に残りました。

 

後に江南市の本家・蜂須賀家は徳島へ転封し徳島藩主に、尾張に残った勝秀の蜂須賀家が『尾張蜂須賀家』の家祖となり、蓮華寺領を管理しました。

 

 

以上、遺構は何もない蜂須賀城跡で御座いました。

 

 

 

尾張攻めはまだつづく。。。

 

 

 

 

 

18/07/14

 

 

 

 


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