虎御前山城(とらごぜんやまじょう)のつづきです。

 

虎御前山の南端から矢合神社を経由して攻め登り伝・滝川一益陣地跡まで来ました。

 

 

家帰ってもう一度地図を見直すと・・・

 

 

びっくり 蜂屋頼隆(はちやよりたか)陣地跡行き損ねてるやんけ~ビックリマーク

 

不覚ビックリマーク先を急ぎ過ぎたあせる

 

しゃ~ない はっち~の陣跡はまた今度や。と、言いつつ今度はないと思うあせる

 

 

 

 

長政くんも追い詰められました。頼みの越前の朝倉さんは天正元年(1573)8月に北近江に出陣してきたが、砦を奇襲されて、越前に撤退したのはええものの、信長さんに追撃されて朝倉さん先に滅んじゃいました!?

 

これで長政くん孤立無援になりました。

 

その後は想像にお任せします。

 

 

 

 

 

滝川一益陣地跡から北へ進みます。

 

 

 

 

 

 

堀切のようです。

 

 

 

 

 

反対側から来たご年輩の団体さんがこの場所で休憩タイムに入られたあせる

写真が撮れないので仕方なく進むことに。この画像は帰りしなに撮りました。

 

 

 

 

復元物の説明。

 

 

 

 

 

先程の堀切の先は竪堀となり落ちて行く。(まだ手探り状態なために画質がおかしいにゃ

 

 

 

 

 

名人久太郎秀政(本名・堀秀政砦跡の虎口。

 

堀秀政は信長家臣の大津永昌、木下秀吉に仕え13歳で信長の小姓に取り立てられる。美形好みの信長の目に留まったと云われています。その後は信長のお気に入りの側近となり奉行職や各地で転戦します。

本能寺の変が起ったときは秀吉の軍監として備中にいて、そのまま秀吉の家臣となり戦場を駆け回ることになります。秀吉の九州平定後には越前北ノ庄18万石の大名になるんですが、天正18年(1590)小田原征伐の最中に38歳の若さで陣没しちゃいました。一休さんもったいなきや~

 

奉行職から戦働きまで何でもそつなくこなすことから、名人久太郎という異名を持っていた武将で御座りました。

 

 

織田信長うぬは何でもそつなくこなすえりゃぁやつよのう。これから名人きゅうちゃんと呼ぶでやビックリマーク

 

武士信長さま~ わしはきゅうたろうやなしに、ひさたろうでござりますよ~あせる

 

織田信長であったのかあせる

 

こんな逸話が・・・なかった。(すんません)

 

 

 

久太郎虎口あたりから先程の復元物の方を見たとこ。段曲輪的な感じです。

 

 

 

 

久太郎砦跡。

 

 

 

 

 

 

犬走りが砦を囲んでました。

 

 

 

 

久太郎砦跡を越えて大曲輪から久太郎砦を見たとこ。

 

 

 

 

 

大曲輪の先に見えてきた陣地跡。正面が虎口のように見えるが、柵がしてあり迂回して陣地跡へ上がるようです。

 

 

 

 

 

陣地跡へ。地図によると、いよいよあのあのお方の陣地跡のはず。

 

 

 

 

 

長桝形虎口になっていました。文字通り長い桝形ですが、分かりずらいですね。

長桝形って呼び方も珍しい、っていうか、初めて目にした城用語です。

 

 

 

この陣地跡の推定復元図。

 

 

 

 

陣地跡へ上がりました。

 

 

 

 

ど~んと登場 !!

 

織田信長さん陣地跡ビックリマーク

 

 

虎御前山城信長さん陣地跡撮ったど~~ビックリマーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信長陣地跡から来た方向を見る。階段の上がった所が長桝形。ちょっと窪んでるのがお分かりであろうかはてなマーク

 

 

 

 

先へ進みます。

 

 

 

 

信長陣地跡の北側の一段低い場所。

 

 

 

信長さん馬場です。

 

 

 

 

 

伊吹山頂上付近はずっと雲を冠ったままでした。小谷城はもうちょっと左の方向なんです。

 

 

 

 

 

浅井三姉妹の方向へ進みます。

 

 

 

 

 

いきなり秀吉陣地跡です。

 

 

 

言わずと知れた木下秀吉。(後の羽柴秀吉、豊臣秀吉)この虎御前山城の在番を命じられていました。

 

秀吉くん浅井長政くん滅亡後は長政くんの旧領3群を与えられ小谷城主となりますが、小谷城はすぐに廃城とし、琵琶湖に面した今浜に長浜城を築城しました。

 

 

 

 

秀吉陣地跡の西側に虎口がありましたが、その先は草ボーボー。

 

 

 

 

秀吉陣地跡北側虎口を出ます。

 

 

 

 

虎口を出て直ぐ東側の切岸下にかざし堀。長方形に堀状になって窪んでるでしょ? これもまた初めて目にする城用語です。他でかざし堀なんて見た事ないですわ。陣地の東側(小谷城側)に掘られているので土木工事大好き人間秀吉くんの防御設備には間違いないのですが、横堀状に掘られているんやったら分かるんですが、この一部分だけ空堀状になってます。

 

 

 

かざし堀の表示から奥へ行って反対方向からみたとこ。心持ち凹んで横堀?右側は土塁状になってるが、もしかしてここの部分もあわせてかざし堀と言うのかはてなマーク

 

 

 

 

北側からイカツイ切岸の秀吉陣地跡を見る。

 

 

 

 

 

秀吉陣地跡より北方向にある堀切(浅いです)、土塁(低いです)。(ホワイトバランス変えてます)

 

 

 

 

 

 

こういう角度での土塁もなかなかイケる。

 

 

 

 

 

 

カッコいい堀切も倒木で冴えない泣く

 

 

秀吉くん陣地跡の次は権六勝家さん陣地跡へ・・・・・のはずがぁぁぁ!?

 

何を思ったかここで引き返してしまいました叫び

 

 

だってよ~この地図で見る限り権六(柴田勝家)の陣地跡て秀吉の左のほうでっしゃろはてなマーク

うりょちょろ探したんですわあせる 駄菓子菓子ビックリマークこやって改めて地図を見直すと秀吉から先へと道が伸びてるんちゃうんけ~ビックリマーク もおええわっ退散や泣く

 

 

 

 

 

秀吉くんも伊吹山をのんびり眺めてたりしてたのでしょうかはてなマーク 

信長さんは伊吹山より小谷城を睨み続けてたに違いないギロッ

 

 

 

 

 

 

小谷城が落城するとこの虎御前山城も用無しとなり廃城となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、小谷城の長政くんは、目と鼻の先に信長の脅威を感じてたに違いない虎御前山城で御座いました。

 

 

 

 

 

 

秋の北近江出陣 まだつづきます。

 

 

 

 

 

17/11/25