岐阜県関市モネの池から郡上市へ。

 

途中の山道意外と道狭かった。

 

郡上市いうたらここですね。

 

 

城下町を通り抜け案養寺横の登城口へ。

 

郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)攻めますビックリマーク

別名 積翠城、郡城、虞城。

 

 

ひとまず一豊と妻の像がある城山公園駐車場へ。

 

 

 

 

 

 

城山公園にある山内一豊と妻。真ん中に天主が見える。

有名な一豊の妻がへそくり「この金で名馬を買いなはれ」と言う逸話の場面。

 

そもそもなんで一豊と妻なのかというと、(名は千代とかまつとか云われているが、実のところその名も定かではない)が郡上八幡城初代城主遠藤盛数の娘とされ郡上八幡が出身と云う説からこういった像が建てられたという。

 

 

 

郡上八幡城の沿革(天守近くにあった)

手抜きする為、良く読んどいてください。

 

因みに因幡右京亮貞通とは美濃三人衆の1人稲葉一鉄の次男(長男は庶子の為に二男貞通が家督を継いだ)。

金森氏は金森長近の関係のよう。

 

 

 

公園の像の正面に井戸跡がありましたが、何故かご覧の如く木に囲まれてます。

 

 

 

 

稲葉氏の代に山上に本丸は要らぬという事で、大改修し山麓に本丸を移し井戸を掘ったということ。現在はその本丸は公園になってます。

 

 

 

余談①

ここまでの道中モヨウしてきまして、ここまで来るのに我慢しておりまして、ちょうど限界が来た訳ですわガクブルヤバい! 公園駐車場脇に公衆トイレがあったので駆け込んだんですわ。男子トイレの大の方は1つしかなかったもんで扉開けたんですよ。

南斗ビックリマークちょうどおっさんしゃがみ込むとこやんけぇぇぇ~ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

ノックせえへんかったわしも悪うござまいたけどあせるあせるあせる

 

鍵閉めてせえや~ビックリマーク

 

ここだけの話。しばらく待ってもおっさん出てけぇへんかったので・・・・女子トイレ借りましたーーーーービックリマークごめんなさいドコモ

 

 

 

 

 

スッキリしたとこであせる 

 

猛暑日の中歩いて登られてる方も幾人かいましたが、わしは車でグネグネの登城道を通って頂上の駐車場へ。平山城とはいえこの時期しんどい思いして城攻めしとうはないので、あまり歩かなくて済む前々から攻めてみたかった此処を選んだので御座います。

 

 

 

 

 

余談②

山頂の駐車場で係の人に前向き駐車させられまして、わしの横の車前方にある石のベンチに食い込んでましたビックリマークそのままの状態やったので気付かぬまま城に向かったようですあせる

 

では苔っていい感じの高石垣ビックリマークの横から参ります。

 

 

 

 

案内図。

 

 

 

 

 

山頂の駐車場脇にあった首洗い井戸跡落ち武者

慶長の合戦の際に討ち取った首をこの井戸で浄められ首実験に供されたとある。

もっぱら首を浄める役目は女性の仕事だったんですね

 

 

 

 

打込み接ぎの石垣に櫓台だったのか高石垣も見える。古絵図がないので実際に櫓が建ってたのかどうか分からない。それにこの石垣の形状も往時のままかどうかも。

 

 

 

 

 

 

石段上に桝形があり、ここからも天守へ行けそうやけど復路のようなので後ほど。

 

 

 

 

 

 

仮面ライダー出たな隅櫓ビックリマーク 窓が大きいぞビックリマーク

 

 

 

 

 

見上げれば天守も顔を覗かせる。

 

 

 

 

 

 

本丸の一段下の通って来たところは二の丸になるのか?帯曲輪になるのか?の石垣。

悪くはないね。

 

 

 

 

 

本丸へ上がる前の武将コスでの撮影が出来る展望が効く場所にあった力石なる石。

重さ350㌔のこの石を作兵衛はんが城下の河原から背負ってここまで運んだビックリマーク

びっくりほんまかいな~

 

 

 

 

その展望が効く場所からの天主ビックリマーク 美しいビックリマーク

 

 

 

 

天守と隅櫓。このアングルええのに木が邪魔やね。因みにどちらも模擬です。

 

 

 

 

 

本丸方面へ上がる。隅櫓は石落としも破風もなく飾り気はないですね。鯱は乗ってましたね。

 

 

 

 

 

 

天守はそこそこええが、やっぱ隅櫓が味気なくないはてなマーク

 

 

 

 

 

本丸入口の料金所へ。石垣は苔ってるとこを見ると現存なんですかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

料金所手前の休憩所・お土産売場の場所から見える向うの山は東殿山城という城があり、石垣などの遺構が残ってるらしい。いつの日か攻めて・・・みたい。

 

 

 

 

入城料を支払い両側の土塀に開いてる狭間から狙い撃ちされながら、なかなか立派な櫓門(復元)を潜り天守のある本丸へ。

 

 

 

 

 

櫓門を越えてさして広くもない本丸へ入ると正面にど~んビックリマーク天守のお目見えである。

 

 

郡上八幡城撮ったど~ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

天守が傾いてるように見えるが、手前の土塀が傾いている為に天主が傾いてると錯覚してしまうが、良く見ると天守も傾いてるように見えるが土塀のせいで天守も傾いてみえるのか、わしの撮り方の水平が傾いたのかはてなマーク

 

元々天主は存在していなかったらしく、現在の天守は昭和8年に当時はまだ健在してた大垣城をモデルにして木造建築された日本最古の木造模擬天守である。(現存の大垣城天守は空襲で落城)

 

 

この郡上八幡城は司馬遼太郎氏『街道をゆく』「日本で最も美しい山城であり・・・」と言わしめた城でもある。

 

 

 

 

 

 

本丸から見た隅櫓。その前には一豊夫妻の顔出しパネルがあるが1人なので顔を出して撮れない。どうしても一豊・千代推しビックリマークのよう。

 

 

 

 

 

 

 

人柱となった「およし」の祠。

 

 

 

 

ほんまに十七の美しい乙女「およし」は自ら進んで人柱になったのでしょうかはてなマーク 事実とすれば勿体ない話で御座りますねえ。

わしがその場に居たら「人柱になるのはおよし!」と止めていたでしょう・・・すんませんあせる

 

 

 

 

 

 

土塀下に石垣を突き破って木の切株がぁビックリマーク いつから生えていたのかはてなマーク

それにしてもやっぱし土塀が斜めってる。

 

 

 

 

ほな天守内へ入りますが「後編」へと続きます。

 

 

 

 

 

 

 

17/07/08