どうもまいどです。

PCの調子がおかしくあれこれといじくってたら・・・・・・

「PC殿、お打ち死に~」 
侍言うてる場合か~

そして・・・・新しいのを買ってしまったのであった・・・・(ローンで)
036今までの撮ったぞ~は何とか外付けHDDで保存されてるのでだいじょぶなのであった。




そして岩村城から下山して城下町編なのである。




重要伝統的建造物郡保存地区に選定されている情緒ある城下町があります。



道路標識はあるが電柱がない。







ほれっ なんかすっきりしてええ感じやないか。城下町の街並みはこうでなくてはならん!



江戸時代中期から末期にかけて栄えた問屋で木村邸とやらが見学できるようになってました。



おじゃましてみました。


木村さんは藩主から特別な存在として認められ、藩主自ら幾度となく木村さんちを訪れたそうで御座います。
藩主さんは何をしに訪れてたのかは分からない。

玄関入ってすぐのとこの銅像は佐藤一斎という人で儒学者らしい。







大きな暖簾に家紋らしきもの。









藩主用の玄関とやらがあるらしい。たぶんここの一番向こうのとこがその玄関。







中庭は蔵に囲まれてます。














南斗!織田信長黒母衣衆筆頭川尻秀隆(通称 与兵衛)

秀隆は織田信忠の岩村城攻めで功労者として岩村城5万石を授かる。
甲州征伐でも活躍し、武田家滅亡後甲斐22万石を与えられた。
しかし!本能寺ノ変が起こると、旧武田臣の国人一揆が勃発し、甲斐から脱出を試みるが殺害されるのであった。哀れ~。






秀隆がこさえた疎水が現代も町に流れる。っていうても秀隆自らこさえたのではない。









離家らしき二階に昭和な部屋。テーブルの台は糸巻きを組み合わせている。













これを以て岩村町を終わるのであった。









2015/9/20