天正7年(1579年)信長に使えていた津田信澄に
「信澄!近江高島郡はおんしに任せたでや! きんか光秀!縄張りしたれや!」
明智光秀の縄張りで大溝城が築かれる。
琵琶湖の湖水を引き入れた水城です。
前記事の白髭神社より車でちょこっと行ったとこです。
高島駅前のコンビニで一服してると「ガリバー君」が目に入る。
どうやら高島市ではガリバー推しのようだ。
ガリバー旅行記をモチーフにしたキャンプ場やらがあるのは知ってるが、なんでガリバーかは知らない。
看板を発見
駐車場がなかたので、この手前の「分部神社」(わけべじんじゃ)の境内にスペースがあったので無断で停める。
(お許しあれ~)
しかしなんで横向いとんや?普通正面向けるんちゃうん
正面側には「大溝城」の説明書き。
津田信澄とはご存知織田信長の弟で二度の謀反を企て、「仏の顔も三度まで」ではなく「信長の顔は二度まで」と信長に謀殺された弟織田信行(信勝、達成、信成)の長男である。
謀反人の子供でありながらも、信長、信行の母土田御前の助命嘆願もあって、信澄に目をかけ家臣にしていたのです。
看板のとこから住宅と病院の間を行くと間もなくそれらしきものが目に入る。
木々が生い茂ってるとこが城跡らしい、石垣らしきもんが見えるぞ。
草むらの湿地帯は水城であったその名残りか?
湿地帯を回り込むように城跡の正面へ向かう。
竹伸び放題の木生え放題で、しかしなんか早くも哀愁漂う。
説明板読んでね
この石垣のとこが本丸ちゅうか天守台になるようですな。
天守への頑丈な石段が残ってる。
石段横には近年建てたであろう看板がある、名門京極氏が信澄の後に城主となり浅井三姉妹の次女「お初」が京極高次と共にこの大溝城で新婚生活を送ったとする説明。
大河ドラマ「浅井三姉妹」の頃に建てられた看板でしょうか。
まず外側から石垣を見る
崩落したまんまで角がなくなってるし。
石垣がかなり埋もれてる感じがするんやけど、往時はもっと石垣が高かったのか?
天守台へ登ってみる。
天守台には神社でもあったのか、それらしき加工した石が見られるがいつのものか分からん。
山城ならともかく平地の水城である、もうちょっとなんとかならんのかと草と木々に埋もれた石垣に哀愁を感じるのであった。
因みに津田信澄は「本能寺の変」の際、織田信孝と丹羽長秀、蜂屋頼隆と共に四国の長宗我部征伐の為、今まさに四国へと渡航寸前で本能寺の報が入り、信長を討った明智光秀の娘婿であった信澄を信孝と長秀に
「光秀の婿じゃ!あやつもきっと光秀に加担してるに違いないど!」と、
疑われたうえに襲撃され、信澄の家来も四散し成すすべもなく自害して果てたのであった。
信澄にしてみれば「わいは何も知らんのに!そんな殺生な~!」
さぞ無念であったやろう。
信長に目をかけられ将来有望視されていた津田信澄。 享年30
14/11/03