天国への階段ちゅうてもツェッペリンではない。




伏見城にて死の床にあった太閤殿下五大老を呼び寄せこう言った。
「ひでいえ、てるもと、かけかつ、としいえ・・・いへやすとの・・・五人の衆頼み申し候・・くれぐれも秀頼の事をお頼み申す~」

五大老筆頭の家康は秀吉の手を取りこう答える
「殿下ご安心召され、我々にお任せあれば豊臣家は安泰で御座いますぞ・・・うっひひひひひ・・・・


慶長3年9月18日(1598年)巨星永眠。(享年62)

秀吉辞世の句
露と落ち 露と消えゆしわが身かな 浪華のことも 夢のまた夢









東山の阿弥陀峯に埋葬され豊国神社があり、豊国廟がありましたが、大坂の陣で豊臣家が滅びると、家康の命でめたんくたんに破壊される。





拝殿



明治31年に豊国廟は再建。





拝殿横の廟はだれかと思うたら、大きいのが秀吉側室一番のお気に入り「松の丸殿」じゃぁないですか
その横の小さいのは秀吉の孫「国松君」ではないすか

国松くんは秀吉の子秀頼が側室に産ませた子で、大阪落城後は逃げ出したが徳川方の捜索により見つけ出され、市中引き回しの後、六条河原にて斬首される(享年8)
国松の遺骸を松の丸が引き取ったことから同じ場所に墓があるんでしょう。
















秋に来てよかった







偉い人の墓はなんでこんな高いとこにあんのや、熊本の清正の「本妙寺」を思い出す




もうちょっとじゃ ハァハッハッファッ 膝が笑い出す寸前

外人(白人)の夫婦がニコニコと「コンニィチワー」ちゅうてすれ違う。。。
今のニコニコ顔は挨拶の為かそれともわしが悶え苦しむ顔しとるからか?


外人さん秀吉のこと知ってるんやろか





なんとか登りつめたど~

あ~しんどかった


中門 

門の向こうになんや見えとるやないかぇ


やな予感・・・・・








ぐげっ~




ひでよし~なんぼほど高いとこで寝とるんじゃ!
こげなとこいっぺん墓参りしたら2度目来てもらわれへんやろが~!












合掌









もし秀吉が五大老ではなく子飼いの将を枕元に呼び集め「とらのすけ、いちまつ、まごろく、へいま、さきち、他・・・お前達が頼りじゃ、秀頼を・・・秀頼を頼む~」
と云ってたら豊臣家はもう少し長く続いたかもしれない。










天国はもうちょい先のようじゃ。











14/10/10