なんやお寺参の記事が連続しましたので 今日はお城(城跡)で御座る。



京都府長岡京市の勝竜寺城ですが
信長の命でこの城の城主であった細川藤孝の息子忠興に明智光秀の娘「お玉」(玉子)(後のガラシア)が輿入れしたお城です・・・




光秀と藤孝は共に足利将軍に使えていた藤孝と将軍になんじゃかんじゃと接触していた光秀とは親友というか親密な仲であったので御座る・・・



  
 


その勝竜寺城はなんべんも攻め倒してるので、
そこから徒歩であっという間の所に神足城跡(こうたりじょう)があるというので、
今日はそちらを攻め込みました。
 


神足神社の敷地になっているようです。

  
 
築城年月は不明 土豪の神足氏の居館やったらしい。

今残る遺構は細川氏の勝竜寺城を拡張したその一部のようで御座る。




神社の境内をグルグル回って何処に遺構があるんかいのう
探し回っておったら・・・・・




\(◎o◎)/!





(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-おお 空堀 土塁・・・・・

 

深い
高い



こっちにも藪に覆われてるけど空堀
 
 





竹だらけやけど土塁~
 







土橋もあるんちゃうん
 





神社の外側のどっかの駐車場側から見ると虎口も確認できました。
 
 

遺構の数は少ないですけど、なかなかやるのう神足城 

思わず浮き足立ったわい





因みにコチラは勝竜寺城の土塁と空堀跡。
  
 
細川親子にも大和の筒井順慶にも味方してもらえず、光秀は孤立無援のまま『山崎の戦い』にて秀吉に敗れ、この勝竜寺城へと引き上げたので御座る。
皮肉にも親友藤孝が改修した勝竜寺城が光秀最後の城と相成り申す。






 
 



アフラックとカメラックは仲よう「水城」で休憩しとるのにのう・・・・・・