夜明け前の大きな揺れでびっくらこいだ4月13日(土)

大阪と京都の境目にある天王山へ城攻め登山です
「本能寺の変」後羽柴筑前守秀吉が中国方面から取って返し、惟任日向守と「天王山の戦い」又は「山崎の戦い」を繰り広げた所です。
大坂城築城まで秀吉はこの城を本拠にしてたので御座います。


別名 鳥取尾山城、天王山城、天王山宝寺城、宝寺城、山崎宝寺城、宝積寺城






JR山崎駅からぐいぃぃぃんと坂道を登ってこの「宝積寺」本堂横に登山口があります。
駐車場があったのでここで下馬・・・やなくて下車し徒歩にて攻める。
 

宝積寺にある三重塔。
(桃山時代)ってなってるけど、安土桃山時代やろね。
 


この桜の木『縁結びの桜』 ・・・あかんもうヤツレテおるぞ・・・ε=┌(;・∀・)┘
 



中腹にある石碑。   

  
合戦の折秀吉軍が旗を立てた「籏立松」じゃ。
羽筑め天王山を占拠し戦を有利に進めおったな~


戦いの激戦地が望めます。
 
光秀の本陣が・・・ほれっあの辺じゃ


少し登ると禁門の変で敗れた「真木和泉」『十七烈士の墓』がありました。
何週か前に「大河」でやっておったやつじゃのう、この場所で自刃したのか~
その先に自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)がある。のはええけどなんでこんな長ったらしい神社名?

 
 

 
ここまでは勾配がキツかった~んですが、この辺りから緩やかになってきたぞ。
ちったぁ攻めやすうなってきおったわい。
 
 

遺構らしいものが現れてきおった。
堀切があるんですが画像では藪に覆われ解りにくいで御座る。
 
草木を取り除けばくっきりと堀切が確認出来ると思います。
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土橋もあったど~ しかしこれはかなり下の方にあったので城の遺構かどうかはワシには分からん
本丸周りには転用石が有り申した。
先ほどの なんちゅう長ったらしい社の灯篭の台座に同じ物があったど~
もしや秀吉ここのを拝借しおったか~

 これね



本丸への虎口跡。
おりゃ~あと一息じゃ~
 


上から見た虎口じゃ
櫓があったのか石垣が残っておるぞ

 

 

 

本丸到達
宝積寺からは約30分の登山ですた 

登ったど~

石垣の残骸なのでしょうか、あちこちに石が転がっとるでわないか。


ここに天主があったのかも~
 
この石山(ケルン?)はそこら辺に散らばってた石垣を掻き集めたものと推測致します。


井戸跡



本丸周りは崩落した石垣があちこちに見受けられます

角石かも~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これも転用石なのかぁぁぁぁ~



 
  
  
ちゃいますよ






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下書き保存したら特におかしい~ なんでやねん