天国の書 第6巻(4) | それゆけだんごむし!ーカトリック

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天国の書

神によって創造された、秩序、場所、目的に対する

被造物への呼びかけ

 

第6巻(4)

 

神のはしためルイザ・ピッカレータ

神の意志の小さな娘

 

  

 

 

 

 

ベル 目 次 ベル

 

【 4 】

1904年4月16日

イエスと父なる神は憐れみについて語られる。

 

1904年4月21日

生贄と言う称号を持つ者は、正義と戦うことができる。

 

1904年4月26日

頭巾では修道士はできない

 

1904年4月29日

神のいのちは、言葉を通して、働きを通して、そして苦しみを通して被造物の中に現れる。しかしそれをよりはっきりと現わすのは苦しみである。

 

1904年5月1日

天の事柄だけを喜ぶ目はイエスを見るという特質を持ち、地上の物事を喜ぶ目には地上のものを見る特質がある。

 

1904年5月28日

悔恨はすべてを打ち砕き、すべてを神に捧げる

 

1904年5月30日

受難は人間の衣服となる。高慢は神の姿を悪魔に変える。

 

1904年6月3日

十字架は3つの悪の王国を滅ぼし、魂の中に3つの善い王国を築く。

 

1904年6月6日

私たちの中で作用している神聖に従うには、勇気と忠実さと最大の注意が必要である。

 

1904年6月10日

人間の美しさと、自分自身に対する盲目さ

 

 

 

J.M.J.

父と子と聖霊の御名によりて。

 

 

 

 

1904年4月16日

イエスと父なる神は憐れみについて語られる。

 

いつもの状態でいたとき、気が付くと自分の外にいました。大勢の人々がいて、その中から爆撃や銃声が聞こえてきました。人々は死者や負傷者を次々に生み出し、残った人々は近くの城に逃げ込みました。しかし敵はそこ行き、屋外に残っている者たちよりも確実に彼らを殺すでしょう。そこで私は自分に言い聞かせました。

 

「主に『憐れんでください、この貧しい人々を憐れんでください!』というために、この人たちの中に主がおられるかどうか、確かめられたらどんなにいいでしょう。」

 

そこで周りを巡って、小さな子供のような主を見ました。イエスは申し分のない年齢に達するまで少しずつ成長し続け、私は彼に近づき言いました。

 

「愛すべき主よ、起きている悲劇がお分かりにならないのですか?あなたにはもう憐れみがないのでしょうか?あなたはあなたの受肉された神性を常に誉れ高く讃え、あなたの高貴な頭上に特別な王冠を形作り、あなたに望まれ愛されている第二の王冠、すなわち魂で宝石をちりばめてきたこの属性を、あなたはもしかして役立たずのままにしておきたいのでしょうか?」

 

私がこう言っている間に、主は私にこう言われました。

 

「もういい、もういい、これ以上行かないように。あなたは憐れみについて語りたがりますが、正義についてはどうなのですか。それで何をするつもりなのか?何度も言ったはずです。『正義がその道を歩むことが必要なのです。』」

 

そこで私はこう答えました。

 

「救う方法はない。もはやあなたをなだめることも出来ず、隣人の身代わりになって苦しむことが出来ない。それなのになぜ私をこの地上に残しておくのですか?それなら私を死なせてくださる方がよいのではありませんか。」

 

その瞬間、私は祝福されたイエスの肩の後ろにもう一人の人を見ました。主は目で合図をしながら私に言いました。

 

「私の父に身を捧げなさい。そして、父が何を告げるか確かめなさい。」

 

私は震えながら身を捧げ、御父は私を見るなりこう言われました。

 

「なぜ私のところに来たのか?」

 

私は

「愛すべき善、無限の憐れみよ、あなたが憐れみそのものであることを知って、私はあなたの憐れみを願いに来ました。あなたのお姿に憐れみを、あなたによって創造された作品に憐れみを。あなたの被造物に憐れみをお与えください。」

 

そして御父は私におっしゃいました。

 

「あなたが望んでいるのは憐れみです。しかしもしあなたが真の憐れみを望むのであれば、正義がその身を注いだ後、憐れみの豊かな実をむすぶでしょう。」

 

他に何と言えばいいのか分からず私は言いました。

 

「限りなく聖なる御父よ、しもべや困っている人々が主人や金持ちの前に身を捧げるとき、もし彼らが善良であれば、たとえ彼らに必要な物すべてを与えなくても、必ず何かを与えます。そして絶対的な主人であり、限りなく豊かで、無限の善であるあなたの御前に身を捧げる私に、この哀れな小さな子供があなたに求めたものを何一つ与えようとはなさらないのですか?主人はしもべに必要な物を与えないときよりも、与えるときの方が、より名誉を保ち、満足するのではないでしょうか?」

 

しばらくの沈黙の後、御父はこう付け加えました。

 

「あなたへの愛のために、10回行なう代わりに、5回にしよう。」

 

そう言って彼らは姿を消し、そして地球上でいくつかの場所、特にヨーロッパで戦争、内戦、革命が拡大していくのを見ました。

 

 

 

 

1904年4月21日

生贄と言う称号を持つ者は、正義と戦うことができる。

 

いつもの状態でいると、ベッドの周りで人々が主に祈っているような気配を感じました。しかし私は彼らの望みを聞くことには関心がなく、ただ時間が遅かったことと、祝福されたイエスがまだお姿を現されていないことだけを気にしていました。

ああ、私の心は主が来てくださらないかもしれないと恐れて、どれほど苦しめられたことでしょう!そして私は自分にこう言いました。

 

「祝福された主よ、もう一日が終わろうとしているのに、まだ来てくださらないのですか?ああ、お願いします、この悲しみを私に与えないで、せめてあなたのお姿を見せてください!」

 

私がこう言っていると、主は私の内側から出て来て、私の周りにいる人たちにこう言われました。

 

「私の正義と戦うことは、被造物として許されることではありません。生贄という称号を持つ者だけが、戦うだけでなく正義と戯れることを許されます。なぜなら戦いやふれあいの中で、人は簡単に打撃や敗北、損失を被るからです。生贄は自分の損失や苦しみを気にすることなく、ただ神の栄光と隣人の善のことだけを考えて、自分自身に打撃を受け、敗北や損失の中に身を委ねる用意が出来ています。もし私が自分をなだめたいのなら、私の正義の怒りを一身に受けて戦う準備が出来ている生贄がここにいます。」

 

それは彼らが主をなだめるために祈っていたことを示しています。私は主からこの言葉を聞いて、狼狽し、さらに憤りを感じました。

 

 

 

 

1904年4月26日

頭巾では修道士はできない

 

今朝、自分の外にいた私は、赤ん坊のイエスを腕に抱いて、様々の信仰深い人々や司祭たちに囲まれていることに気が付きました。彼らは古代のことわざを言っているようでした。

 

「頭巾では修道士はできない」

 

祝福されたイエスは私にこう言われました。

 

「愛する者よ、おお、私は被造物が私に捧げるべき栄光を、どれほど詐取されていると感じているでしょう!私はそれをひどく拒まれました。信仰深い信者と言われている人たちでさえも拒んでいるのです!」

 

それを聞いて私は言いました。

 

「親愛なる私の心の幼子よ、被造物が捧げなければならないすべての栄光をあなたの神性に捧げるために、三回の栄唱を唱えましょう。そうすればあなたは少なくとも償いを受け取ることが出来るでしょう。」

 

「それなら、暗唱しましょう。」

 

それで私たちは一緒に暗唱しました。それから私たちは被造物が聖母に捧げるべき栄光を聖母にもお捧げするために、アヴェ・マリアを唱えました。ああ、祝福されたイエスと共に祈ることはなんと美しかったことでしょう!私はとても気が安らいでこう言いました。

 

「愛する方よ、あなたと一緒に信条を唱えて、あなたの御手の中で信仰告白させてください。」

 

「信条は自分で唱えなさい。なぜならそれは私のためではなく、あなたたちのためであり、私にさらなる栄光と誉れを捧げるために、すべての被造物の名においてそれを唱えるのだから。」

 

そこで私は両手を主の御手に置き信条を唱えました。

 

 

この後祝福されたイエスが私にこう言われました。

 

「娘よ、私はより気持ちが楽になり、人間の忘恩、特に信仰深い魂からの忘恩という黒い雲が取り除かれたように感じます。ああ、私の娘よ、外的な行為は魂のための物質的な衣服を形作るほど人間の内面に浸透する力を持っています。魂が泥まみれの衣に包まれているため、神聖な感触が彼らに触れても、彼らはそれを鮮明に感じることが出来ません。そして彼らは生き生きとした恵みを感じないので、恵みは拒絶されるか、実を結ばないままです。ああ、快楽を享受し、外見だけ豪華に着飾り、内面ではそれらを軽んじることはなんと難しいことでしょう!それどころかその逆もあります。つまり人は自分の内面を愛し、外面的に自分を取り巻くものを楽しむのです。娘よ、自分で考えてみなさい。私の慰めはすべての被造物を支援することで、一方、被造物の生命全体は神の助けを必要としています。この時代において、私の恩寵があらゆる人々に拒絶されているのを目にする私の心の悲しみはどれほどでしょうか。しかし被造物は私の援助や助けを受け入れません。あなたは私の悲しみにあずかり、私の苦しみを憐れんでください。」

 

そう言うとイエスは姿を消し、私は愛すべきイエスの痛みのために、ずっと苦しんだままでした。

 

 

 

 

1904年4月29日

神のいのちは、言葉を通して、働きを通して、そして苦しみを通して被造物の中に現れる。しかしそれをよりはっきりと現わすのは苦しみである。

 

いつもの状態でいると、私は3人の処女に取り囲まれ、彼女たちは私を連れて行き、力づくで十字架にはりつけにしようとしました。しかし私は祝福されたイエスを見なかったので、恐れて彼女たちに抵抗しました。私の抵抗を見て彼女たちはこう言いました。

 

「親愛なる姉妹よ、私たちの配偶者がここにいないことを恐れないでください。苦しみの美徳に引き寄せられた主が来られるのですから、私たちがあなたを十字架につけることを許してください。私たちはヨーロッパで起ころうとしている最も重大な災難を見て来たので、少しでも軽くなるようにあなたを苦しめるために天から来たのです。」

 

そうして彼女たちは私の手足を釘で突き刺しましたが、あまりにひどい痛みのために私は死にそうになりました。私が苦しんでいると、祝福されたイエスが来て、厳しい目で私をご覧になりこう言われました。

 

「誰がこのような苦しみの中に身を置くように命じたのですか?では、あなたは私にとって何の役に立つのですか?私が望むことをする自由すら行なうことを出来ないように、私の正義を妨げ続けるためですか?」

 

私は心の中でこう言いました。

 

「神は私に何を望んでおられるのでしょう?私はどちらも望んでいません。私をそそのかしたのは彼女たちなのに、神は私に腹を立てます。」

 

しかしあまりの痛みのために、私は何も話すことが出来ませんでした。主の厳しさを目の当たりにして、あの処女たちは私をいっそう苦しめ、釘を抜いてはまた打ち込みました。そして彼女たちは私の苦しみを彼に示すことで、彼により近づくことができました。私が苦しめば苦しむほど、主はなだめられたように思えました。そして主がさらになだめられ、私の苦しみに心を動かされそうになるのを見ると、彼女たちは私を残して立ち去り、私を主と二人きりにしました。それから主ご自身が私を助け支えてくださいました。そして私が苦しむのをご覧になり、私を励ますためにこう言われました。

 

「娘よ、私のいのちは、言葉を通して、働きを通して、苦しみを通して、被造物の中にその姿を現します。しかし、それをよりはっきりと現わすのは苦しみです。」

 

その間に、聴罪司祭が私を従順に招きに来られましたが、苦しみのせいもあり、また主が私から離れようとされなかったので、私は彼に従うことが出来ませんでした。そこで私はイエスに嘆いて言いました。

 

「主よ、どうしてこんな時間に聴罪司祭がここにいるのですか?なぜ今、彼が来る必要があったのでしょうか?」

 

「娘よ、彼をしばらく私たちのそばにいさせなさい。そして私の恩寵にもあずかりなさい。人がある家に通い続けると、その家の泣き声にも笑い声にも、貧しさにも豊かさにもかかわることになります。聴罪司祭も同じです。彼はあなたの苦痛や犠牲に加わっていないのでしょうか?今も彼は私の前で参加してくれています。」

 

そして神は彼に神の不屈の精神を伝え、こう告げたようです。

 

「魂における神のいのちとは希望であり、あなたが希望を持てば持つほど、自分の中により多くの神の神聖ないのちが宿ります。そして神聖な生命には力、知恵、不屈の精神、愛が含まれているから…魂はあたかも神聖な美徳の数だけ、多くの流れから水を与えられているように感じ、神聖な生命はあなたの中で成長し続けます。しかしもしあなたが希望を抱かないなら、霊的なことにおいても…そして霊的なものを通して、肉体も参加し、神聖な生命が完全に消え去るまで、徐々に消費されていきます。だから希望を持ちなさい。」

 

それから私はかろうじて聖体拝領を受けることができ、その後、自分の外にいることに気が付きました。そして私は3頭の飼いならされていない馬の姿をした3人の男がヨーロッパ全土で猛威をふるい、血みどろの大虐殺を繰り広げているのを見ました。それはまるで網の目のように、ヨーロッパの大部分を激しい戦争に巻き込もうとしているようでした。誰もがその悪魔の化身を見て震え上がり、多くの者が悪魔によって滅ぼされました。

 

 

 

 

1904年5月1日

天の事柄だけを喜ぶ目はイエスを見るという特質を持ち、地上の物事を喜ぶ目には地上のものを見る特質がある。

 

いつもの状態でいたとき、主がカルワリオ山の頂上に着いたとき、主が丸裸にされ、胆汁に苦しめられたことを考えていました。私は主に向かってこう祈りました。

 

「愛しき主よ、私はあなたのうちに、傷で飾られた血の衣しか見えません。味覚と快楽のために、胆汁の苦味を感じ、名誉と栄光のために、混乱と侮辱と十字架が見えます。おお、どうかこれほどあなたがひどく苦しみを受けられた後、私がこの地上のものを塵や泥以外のものとして見、あなただけを喜びとし、私の栄誉を十字架以外の何物でもないものとすることをお許しください。」

 

そして主はご自分をお見せになりながら私に言われました。

 

「娘よ、もしそうしなければあなたは純粋な目を失い、あなたの目の前にベールが出来るように、私を見るという喜びを失ってしまうでしょう。実際、天の事柄だけを喜ぶ目は、私を見るという特質を持っていますが、地上の物事を喜ぶ者は、地上の物事を見ると言う特質があります。なぜなら彼の目は、それらをありのままとは違うものとしてそれらを見、愛するからです。」

 

 

 

1904年5月28日

悔恨はすべてを打ち砕き、すべてを神に捧げる

 

いつもの状態を続けているとき、愛すべきイエスの不在が続いたために、最高の苦しみを味わいました。彼はほんの少しだけご自身を現わし、私に言いました。

 

「娘よ、魂の内部に点火しなければならない最初の爆発は、悔恨です。この爆弾が魂に投げ込まれると、すべてを打ち砕き、すべてを神に捧げます。実際、魂の中には多くの宮殿があるようなもので、高慢、不従順などのすべての悪徳は、他の多くの悪徳と共にあります。そして悔恨の爆弾は、すべてを打ち壊し、他の多くの美徳の宮殿を再建し、悪徳を焼き尽くし、神の栄光のためにすべてを犠牲にします。」

 

そう言うとイエスは姿を消しました。

 

その少し後、悪魔がやってきて、私を虐待しようとしました。私は恐れることなく悪魔に言いました。

 

「なぜ私を虐待したいの?もし自分の威厳を見せつけたいなら、私を棒で血が一滴も出なくなるまで殴りなさい。ただし私が流す血の一滴一滴が、私の神に捧げる愛の証、償いの証、栄光の証となるでしょう。」

 

そして悪魔は

「お前を殴るような棒は持っていないし、私が棒を獲りに行けばお前は私を待たないだろう。」

 

そして私は

「どうぞ、ここで待っているわ。」

 

それで悪魔は去っていき、私は彼を待つつもりで残りました。しかし驚いたことに、私は彼が別の悪魔と出会い、二人がこう言っているのが見えました。

 

「戻るのは無駄だ。もしこれが我々を傷つけ、我々の損失になるのだとしたら、なぜ彼女を殴らなければならないのか。苦しみたくない者を苦しめるのは良いことだ、なぜなら神を怒らせるからな。しかし苦しみたい者を苦しめるなら、自分たちの手で自分たちを傷つけることになる。」

 

それで悪魔は戻って来ず、私は悔しい思いをしました。

 

 

 

1904年5月30日

受難は人間の衣服となる。高慢は神の姿を悪魔に変える。

 

いつもの状態にある自分に気付いた私は、主の受難について考え、特に茨の冠について考え、主が多くの盲目の心に光を与え、ご自身を明らかにして下さるようにと祈っていました。

 

「あなたを知りながら、あなたを愛さないことは不可能だわ。」

 

そう言っていると、愛すべきイエスが私の内面から出て来てこう言われました。

 

「娘よ、高慢さは魂にどれほどの破滅をもたらすことでしょう!それは被造物と神との間に分裂の壁を作り、私の姿から悪魔へと変貌させます。そして被造物があまりにも盲目であるために、彼ら自身が自分たちが陥っている奈落の底を理解することも見ることも出来ないという事実が、あなたを苦しめ、あなたをとても悲しませます。そしてあなたがとても大切に思っているので私は彼らを助けます。私の受難は人間の衣服のようなものです。それは人間の最大の悲惨さを覆い、人間を飾り、人間が罪のために自分自身を奪い、失ったすべての善を人間に返します。ですから私はあなたがそれをあなた自身のために、またあなたの望む人のために使うことが出来るように、あなたへの贈り物としてあなたに与えましょう。」

 

それを聞いたとき、その贈り物の偉大さを目の当たりにして、自分にはこの贈り物を使いこなす能力がないのではないか、贈り主の機嫌を損ねてしまうのではないかという大きな恐れが湧いてきました。そこで私はこう言いました。

 

「主よ、私にはそのような贈り物を受け取る力がないし、そのような恵みを受けるにはあまりにもふさわしくありません。あなたはすべてであり、すべてを知っておられるのですから、あなたが持っていた方がより良いのです。そしてあなたはこの貴重で計り知れない価値をもつこの衣を誰に着せることが必要で適切であるかをご存じです。なのに、哀れな私に何が分かるというのでしょう?もし誰かにそれを適用する必要があるのに、私がそれを行なわないなら、あなたは私にどれほど厳しい説明を求めはしないでしょうか。」

 

そしてイエスはこう言われました。

 

「恐れることはありません。贈り主自身がせっかく与えた贈り物を無用の長物としない恵みを与えるからです。私があなたに危害を加えるために贈り物をするなんて信じられるでしょうか?そんなことは絶対にありません。」

 

私は何と答えたらいいのか分かりませんでしたが、私は怯え立ちすくんだまま、従順婦人がそれについてどう考えているか聞こうとしました。しかしこの衣は私たちの主が行い、獲得し、苦しまれたすべてのこと、つまり、被造物が美徳を奪われた裸を覆う衣服、自らを豊かにする富、自らを飾る美、すべての悪に対する救済を見出す衣服以外の何ものでもないこと理解することが出来ます。そして私が従順にこのことを話すと、彼※は私が受け入れるべきだといいました。

 

※ここでルイーザは聴罪司祭のことを言っています。

 

 

 

1904年6月3日

十字架は3つの悪の王国を滅ぼし、魂の中に3つの善い王国を築く。

 

今朝祝福されたイエスがおいでにならなかったので、私は重苦しさと疲れを感じていました。その後、主が来られたとき私にこう言われました。

 

「娘よ、苦しみの中で疲れてしまわないように。むしろいつでも苦しみ始めたばかりであるかのように振る舞いなさい。実際、もし魂が十字架に支配されるなら、十字架は魂の中にある3つの悪の王国、すなわちこの世、悪魔、肉を滅ぼし、さらに魂に3つの善の王国を築きます。霊的なもの、神聖なもの、そして永遠の王国です。」

 

そして主は姿を消しました。

 

 

 

 

 

 

1904年6月6日

私たちの中で作用している神聖に従うには、勇気と忠実さと最大の注意が必要である。

 

いつもの状態を続けていると、主は私の内側からご自身を少しだけ見せてくださいました。

最初はご自身だけでしたが、それから三位一体となられ、彼らはみな深い沈黙の中にいました。私は彼らの前でいつもの内的な務めを続けましたが、御子は私と一つになり、私は御子に従うことしかできないように感じました。

 

すべてが静寂でした。

 

この静寂の中で、私は神と私を同化する以外は何もせず、私の内面全体、私の愛情、鼓動、望み、呼吸が、最も聖なる神への深い賛美となりました。

そしてこの状態でしばらく過ごした後、三人全員が話しているように見えましたが、一つの声が形成され、彼らは私に言いました。

 

「私たちの最愛の娘よ、勇気、忠実さ、そして最大の注意をもって、神性があなたの中で行なうことに従いなさい。なぜなら、あなたのすることはすべて、それを行なうのはあなたではないからです。

小さなあばら家を持っていた貧しい女性がいたとしましょう。王様が自分の住まいとしてそこを求めたとき、彼女はそれを王様に捧げ、王様が望むことを何でもするでしょう。王様がその小さなあばら家に住んでいるのですから、そこには富、気品、栄光、あらゆる宝が収められています。

しかしそれらは誰のものなのでしょう?

王様のものです。

王様が去ったら貧しい人に何が残るのでしょうか?

彼女はいつもの貧しさに取り残されるでしょう。」

 

 

 

 

1904年6月10日

人間の美しさと、自分自身に対する盲目さ

 

いつもの状態を続けていると、私の愛すべきイエスが悲しみに暮れながらほんの少しだけお出でになり、こう言われました。

 

「ああ、娘よ、もし人間が自分自身を理解していたら、おお!汚れないようにどんなに気を付けることでしょう。実際、人間の美しさ、気高さ、見事さは、創造されたものすべての美しさと多様性を自らの内に包含するほど素晴らしいものです。なぜなら、自然界の他のすべてのものは、人間に仕えるために創造されたもので、人間はそれらすべてに優るものだからです。ですから優れた存在であるためには、他の被造物のすべての性質を自分の中に包含しなければなりませんでした。そればかりではなく、他のものは人間のために創造され、人間は神だけのために、神の喜びのために創造されたので、当然、人間はすべての被造物を自分の中に包含するだけでなく、それを凌駕して、最も聖なる神の似姿を自分の中に宿すことになったのです。しかしこれだけの恩恵があるにもかかわらず、人間はこれらの恩恵に無頓着で、最も醜い汚物で自分の身を汚すことしか知りません。」

 

そして彼は姿を消しました。

 

私は、黄金で織られ、宝石や貴重な真珠で飾られた衣を手にした貧しい女性のようなことが、私たちにも起こるのだと理解しました。しかし彼女はこれらのことをほとんど理解せず、その価値も知らないので、衣服を埃まみれにしたままでいます。彼女はそれを泥で簡単に汚し、粗末で安物のドレスのように扱っています。そのためもしそれが彼女から取り上げられたとしても、彼女はほとんど、あるいはまったく苛立ちを感じません。これが私たちの自分自身に対する盲目さです。

 

 

 

 

 

 

第6巻(5)に続く

 

 

相変わら変な文章で申し訳ありません。

きちんとした翻訳は日本でこの本が出版されるのを待ちましょう!

どこかの出版社で出版してくれないかな~(ToT)/

 

 

「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。

日本では4巻までしか発行されていないので、これはその続きになります。

外国のサイトで全36巻読むことが出来ますので、ヨハナの翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘

 

こちらになります↓

 

 

 

 

キラキラみなさんに神様の祝福がありますようにキラキラ