ナウシカとクシャナと山崎さん | おだんご日和

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Dango茶屋・いちのせの徒然記

 ナウシカもクシャナも、同じ穴のムジナだと思う。
(非常に魅力的なムジナであるという点は、とりあえずおいておきます)

 風の谷のナウシカには、
「立派なリーダーが集団を引っ張ってゆくのだ!」という思想が根底に流れていて、
「じゃあ、あなたはナウシカについてゆく? クシャナについてゆく?」という選択でしかない。

 高畑勲監督という天才を見続けてきた、宮崎駿監督という天才が、そんなふうにしか世界を見ることができないのは、仕方ないのかもしれない。
(※「オレ(ナウシカ・宮崎)と、アイツ(高畑・クシャナ)のどっちについて行くんだよ!」という解釈は、あまりに俗っぽいでしょうか)

 でも、私みたいな凡才は、「もーちょっと、アスベルの言い分を聞いてやれよ」とか、「クロトワの意見も聞いてみれば?」と思ってしまう。

 仕事上、いろいろなまちづくりの事例を聞かざるを得ないのですが、カリスマ的なリーダーが引っ張って行くまちづくりは、一時的に成果を上げたように見えても長続きせず、リーダー不在の合議制で進めたまちづくりが長い目で見ると成果を上げているように見えるのです。
 凡才の意見にも、何かしら良いところがあるのか、それとも参加者の意識を育てることが大切なのか、それはわかりませんが・・・。

 もしかして、「ナウシカ」の描いているリーダー像は、もはや古びてきているのではないだろうか・・・山崎亮さんの本なんか読んでいると、そんな気もしてきます。

 ・・・それに、ナウシカはオームの津波を止めたけれど、少女の祈りくらいじゃ本物の津波は止まらないと、私たちは知ってしまいました。
 おばあちゃんの手を引っ張って、高台に避難するおっさん(ミト)の方が、よっぽど役に立つと、私たちは知っています。



 全国の凡才のみなさん! 私たちの時代が近づいていますよ!!(笑)