- 文明としての教育 (新潮新書)/山崎 正和
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(新潮新書241 2007年発行)
珍しく、書評です。母親に勧められて読みました。
60近いのに、こんな本を読んで日本の教育を憂いている母をちょっと尊敬します。
非常に面白く、刺激的な本で一気に最後まで読んでしまいました。
こういう教育関係の本はどれでもそうなんですけれど「最初の方に書いてあることには賛成できるけれど、最後の方に書いてあることには全面的に賛成とは言えない」という、ちょっと曖昧な態度になりがちです。この本もそうでした。
総論賛成、各論反対というスッキリしない態度になるのは仕方のないことで、なぜなら前半は学問的な研究成果の提示ですから純粋に知的好奇心で読むことができますが、後半は政策、施策に踏み込まざるを得ないので、筆者と立場が違えば意見も異なってきます。
たとえば…。
まず前半部の「現実は経験によっては学べない」というのは全面的に賛成です。著者の主張する「物を投げるという行為一つをとってみても、ほとんどの人が物理法則を理解した上で経験しているから理解できるのであって、物理法則を知らぬまま投げるという経験だけを繰り返しても、投げるという行為を理解することはできない」というのは、よく理解できます。
そして「教育とは元来、国家を指導する有能な人材を育てるための統治行為の一つでしかない」という主張も良くわかります。世界の文明が最終的には統一されて行くだろうという予測も、数百年単位の歴史的な視点で考えるならば理解できます。
しかし後半、以上を踏まえての実際的な政策が「学校週3日制で基礎教育を徹底し、それ以外は教育クーポン(いわゆるバウチャー)を発行するので勝手に学びなさい」となると、それは違うでしょ…と言いたくなります。
「教育クーポンを使えば、子どもが学びたいこと、親が学ばせたいことを重点的に学ばせることができる。地域や貧富の差はクーポンの発行量で調整する。過疎地域でもクーポンを多く発行すれば、市場原理に従って教育機関が自然に増強されて行く」という理論なのだと思うのですが…。
都会から見ているとそれで済むような気がするのかもしれませんが、長崎の離島で幼少期を暮らし、佐賀のだだっぴろい田んぼの中の中学校や、過疎の進む山村の小学校を知っている私から見ると「子育て世代は都会で暮らさなければ、子供の教育機会が失われて行くぞ」と脅しているようにも感じます。また、宗教団体が宗教学校のようなものを設立したとしたら、そのクーポンは使えるのだろうか?…何を学ばせるのかは親と子で決めることができるわけですから、理論的には使えないとおかしいですが、妙な新興宗教のお布施代わりに使われてしまいそうな気もします。
結局「日本人ならば、こういう判断をするハズだ」という希望的観測が根本にある理論ではないかと思います。
予想もつかないようなクーポンの使い方をする人は必ず現われると思うし、それは結局、筆者自身の言う「国家の統治としての教育」も損ねてしまうのではないでしょうか。
国家という大きな視点の中では、私の心配は小さなことなのかもしれませんが…小渕首相が急死しなければ、この政策は実現したのかも知れないと思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。
もっとも、200ページ前後の新書で政策の精緻な計画を述べるのは無理ですから、かなり大雑把な「理念」のようなものを説明しただけなのだろうとは思います。
もう一つ、少し気になったのは、時々「自明のこと」とか「当然ながら」として、結論だけを述べる部分があったことです。
流れで読んでいると気づかないこともありますが、よくよく考えてみると決して「自明」「当然」と言って良いほど自明ではない場合もあったように感じました。
いろいろと批判的なことを並べてしまいましたが、前半部の教育論は非常に楽しいし、示唆に富んでいます。
教育関係者でなくても、子育ての前に、または子育ての最中に、一度読んでみる価値はあると思います。
こういう本こそ「是々非々の態度」で読んで、議論を深めて行くべきです。