秋元康の分析が最近盛んのようで、その議論から次の事柄を検証したい。
検証
「何故AKBはボイストレーニングをしないのか?」
これは、エンタテインメントを定義する必要がある。
様々な考え方があるので、秋元康の発言から定義付する。
定義1「エンタテインメントという考え方は欧米の考え方で、戦闘後、娯楽として観て楽しむものとして発展した。従って完成された芸でしか受け付けないのが欧米」
定義2「日本においては、平和な人格のためアイドルという未完成の芸を一緒に楽しむヲタ芸なるものが出現した」
つまり完成された芸を楽しむというのは欧米の考え方で、それを真似ていては日本的なエンタテインメントは育たないし、海外輸出もあり得ない。
秋元康は「日本のエンタテインメントは、日本独自のもので、タレントとファンが一体となって作り上げるものである」と明確に発言したことがある。
目や耳に蓋をしてしまって、日本のアイドルとファンが作り上げるこの世界観を育てなければ、結局世界には勝てない。という訳である。
多分、完成されたエンタティンメントはAKBには不必要で、ヲタ芸に見られるファンとステージの一体感こそが日本のエンタテインメントと言っているのだろう。
そうなると、ボイストレーニングなど不必要で、昨日まで観客だった人間が翌日舞台立っていて良いという考え方だ。
もちろん最低限の魅せるということは必要であろうが。
こうしてみると、ライブで騒ぐヲタの心理は、この秋元康の分析そのものである。
検証の結論としては、「欧米主義的な完成度の高い芸は日本のエンタテインメントには不必要」が彼の考え方であろう。だから「ボイストレーニングとかは不必要」なのである。
これまで僕は盛んに、AKBのパフォーマンスの低さを批判してきたが、秋元康はパフォーマンスでは無く、「如何に観客を喜ばせたか?」が善し悪しの基準だ。それは素晴らしいものを見せても、観客が歓ばなければ合格点は与えられないという非常にあやふやではあるが、確かな判断材料でもある。結果主義だ。
そしてそこには育てようと意識は無く、ただ観客が喜べば何でも良いという論拠が成りたち、芸の無いタレントは体を張るしかない。
「AKBINGO」や「週刊AKB」の有り様は、自然の成り行きというわけだ。
そして誰一人一流と呼べるほどの歌唱力も持たず、内部レッスンも受けられないという大きなジレンマを抱え、これが「夢へのステップ」と言われても納得は出来ないだろう。たかみなの『努力は必ず報われる』は、単に自分への鼓舞が目的だろう。
秋元康は確かに良い曲を書くが、レコーディングに立ち会うわけでもなく、どのように歌われるかはあまり興味は無いかと思われる。
彼のエンタテインメントの考え方からすれば当然のことだろう。
最後に、反乱を起こしたSDNにまともな曲を書くわけないよなwwww