「AKB48はテレビの外で生まれたもので、テレビが制圧されたとも言える」
評論家 宇野常寛氏(PLANETS編集長)
大変仰々しいタイトルだが、多分古参の方々には当たり前のことだと思う。
内容も最初は聞き応えがあったが、途中で「結局知らねぇじゃん」といった程度のこと。
それでも面白かったので掲載します。
「AKB48人気とテレビの関係」という題材で、新鋭評論家の宇野氏が語るというもの。
宇野氏はアイドルに興味が持てなくて「会いたかった」の頃は、一体何をやっているんだろうとしか思えなかったと告白し、評論家としてデビューして三年間、最大の失敗は2010年1月までAKBの凄さに気付かなかったことだとまで明言し、懺悔するとまでいった。
2010年1月というと、ちょうどマジスカ学園が始まったころで、僕自身がAKBに夢中に成り始めたのと奇しくも一致している。
それだけ、この時期のAKBは鬼気迫るものがあり、宇野氏自身も、既にその時点で何故売れたかの答えは見つかっていたのに気付かなかったそうだ。
だから、今多くのメディア関係者が、AKB人気が分からないというのも頷けると続けている。
この現象を、お笑い芸人に例えて、「松本人志」以降カリスマ芸人は出ていなくて、今の芸人はM-1とかアメトークとか個性的なゲームの中で潜在力が引き出されて魅力的に見えてくる。それと同様に、AKBも80年代やそれ以前の松田聖子や山口百恵といったアイドルに比べて、一人ひとりはカリスマ性は無いのかもしれないが、総選挙とか選抜制とかとてもユニークなルールをもっているゲームのようなもので、そこにプレイヤーとしてのアイドルが参加して一生懸命プレイすることで潜在力が引き出されて凄く面白い。
今や、そういったことはいろいろな分野に当てはまっていて、その中で一番面白く洗練されてやっているのがAKBではないか。
マエアツや大島といった個々にも素晴らしいが、それ以上に彼女らのポテンシャルを引き出すシステムが素晴らしい。
しかも、そのゲームにファンも参加できるというシステムを作り出したのが“秋元康の素晴らしさ”である。
と、一度結んでいる。
その後おにゃん子に話は続く。
おにゃん子も同様の方式でファン参加型であったが、今はそれをさらに進化させている。
劇場とネットを使ってファンがメンバーのキャラを作り出した。
それを『だだ漏れリアルティ』と称している。
つまり、劇場で観たファンがネットでその娘の印象を書き、それがその娘のキャラクターとして定着していくことを指している。
とんねるずが「夕焼けにゃんにゃん」の中で、おニャン子は「cx銀河計画」であると言っている。
当時大型詐欺で世間を騒がした豊田商事になぞらえて、フジテレビの仕掛けた詐欺であるというわけである。
秋元康はそれを受けて「自分は詐欺師である」と名言した。
つまり、詐欺集団の一員としてファンも全て巻きこみ共犯関係を作るというシステムをその時点で作り出した。
ハロプロ(モー娘。)は極めて、ストレートなおにゃん子のアップグレードの姿。
ただし特徴として楽曲にイデオロギーがあり、アンチJ-POPである。?????←意味不明。
きちんとした楽曲を使用しながらも、おにゃん子的な楽屋オチも見せる。
AKBは秋元氏が当時失敗したチェキ子などを反省し、ハロプロの成功を横目で見て逆讐したいという気持ちが、楽屋オチでは無く、ダダ漏れ手法にした。
ネットについては途中で気づいたのでは無いかと思う。
テレビに頼るのではなく、現場主義に戻したのではないか。
これについては、稲増龍夫氏(法政大学社会学部教授メディア文化論専門。著書「アイドル工学」)がうまくフォローしていた。
稲増氏曰く。
おにゃん子は、宝塚のように永遠に続くシステムとして考えていた秋元氏は、結局2年間という短い期間で、解散させるしか無かった。
その理由は、一端下がった人気が下がると格好悪くて、解散せざるを得なかった。
だから、今回は劇場という現場主義にしたのではないか。
続いて話は『これからのテレビとAKBの関係は?』という本題に入る。
ここらから話が怪しくなる。
テレビはブースター(増幅器)としてしか使えなくなった。
ファンとともにシステムを作り上げた後で、テレビで増幅させる。
秋元康氏はアジア的芸能の「宝塚」を目指している。
だから、アジア的な芸能を海外進出することを今後は狙っていくのではないか。
とか、もうこのあたりから、論理がめちゃくちゃで恥ずかしくなる。
日本の宝塚は、おばあちゃんも娘も孫もみんな一緒になってファンでいる。
つまりやっている人もファンも世代を超えている。強固なシステムを作って世代を重ねていく。
少女時代とかの韓流アーティストは西洋的なプロフェッショナルの輸入でしかない。
そのAKBのシステムは、マーケットのつまり金儲けの一つと考えられるが、そうではなくこのシステムは、女の子たちの魅力が引き出される。それは想像力・文化の問題である。←意味不明。
アジア的な芸能文化は、消費者と制作者が近い、民芸として生活の一部であったりする。
欧米ではそれがまったくわかれてしまっている。
ジャズとかプロフェショナルなものと比べて、AKBは程度が低いということでは無くて、全く別次元のエンターテインメントとして扱う必要性がある。
秋元P自身も少なからず語っていることだが、彼自身はアジア的というよりは日本的アイドル像をマスメディアからの発信ではなくて、秋葉原というネット社会に発信地から、まさに“ただ漏れ”によるファン主導のアイドルを作ろうとしたということだ。だからアイドルが芸人化することも、ファンが望んだことだから仕方が無いという論理であろう。
稲増氏はまだこのことを理解しているようだったが、宇野氏は自分が発見したかのように語り、若さからくる自信なのだろうが笑止千万である。
宇野氏は、ときおり意味不明の論理を披露し、結局尻切れトンボで終わる場面が後半は少なからずあった。
「アジア的な芸能文化を海外進出させるために、まずジャカルタ・台北に進出した」とか、
「劇場で公演をやったら人が集まり、自然とネットでファンが増殖し、これは使えると後から考えた」とかである。
アジア的な文化を何故アジアに進出させるのか理解できないし、秋葉原というネット社会の中心で劇場をはじめたのに、途中で気がついたとか。笑い話でもしたかったのだろうか?
最後は『今後のテレビにとってアイドルとはどういうものになっていくか』で締めていた。
テレビは、これがスタンダードと流すのでは無くて、視聴者に(新たな)発見をしてもらうということをアイドルから学ぶといい。
だそうである。
言葉尻の問題で申し訳ないが、AKBという特異なアイドルは長い時間をかけてファンが築きあげたもので、だから冒頭のように「AKB48はテレビの外で生まれたもので、テレビが制圧されたとも言える」のである。
テレビの役割は、世界で起きている事実を視聴者に届けることで、自ら作り上げるものではない。世界で話題となっているエンタテインメントをテレビの画面を通じて流し、その良し悪しを判断するのはあくまでも視聴者である。
テレビはアイドルから学ぶのではなく、テレビ本来の役割を果たすことを真剣に考えるときに来たとということが、この番組の本来の趣旨になるのではないか。
先日某番組で、「どのテレビを見たいか」という質問に田原総一郎は「CNNニュース」と答え、その理由は「世界中のあらゆる事柄を、その事実のまま伝えているから」と言った。芸人から「ボケないで下さい」と突っ込まれていたが、田原は笑顔で「事実だ」と応えた。
しかし、そう僕も真摯に思う。