昨晩、夢のタクトを振る日』という、指揮者の佐渡裕がベルリン・フィルで指揮をする事が決まってから演奏の日までを追っかけた番組が放送された。


エンドロールをみるとNHKの名が見えるので、この模様はNHKで放送されると思う。
(6/11の深夜に放送だそうです)


この佐渡裕という男は、デビュー時「繊細さと大胆さ」と表現された指揮者であるが、どうみても大胆なだけである。当時友人等とそう話した記憶がある。


しかし、この男のすごさは、その感情表現の中に、繊細さが潜む。


本番前日のリハーサルで、オーケストラのメンバーから「演奏を強く演奏してばかりでは、おかしく無いか」と指摘がある。
これは、佐渡を知らないセリフだ。


彼の指揮には、そんな繊細さは無い。


部分的に直すものの、基本そのままという佐渡に対し「あなたがそういうならそうしましょう」と言うシーンがある。
ベルリンオケは気に入らない指揮者の場合、無視して演奏するという伝統あるらしい。
今回はどうだったのだろう。


しかし繰り返すが、彼のスゴイところは、実際の演奏を見れば分かるが、その感情表現にある。


『荒々しいばかりの指揮の中に潜む繊細な狂気』


これが僕のつけた彼のキャチフレーズだ。


彼の指揮は自己流であるが故に独創的である。
そして、ほとばしる感情を抑えることができない。そんな指揮なのである。


だから、荒々しいのだ。


本番で彼は指揮をしながら涙を流す。
その感情は指揮棒から演奏者に流れ、演奏者もまた感情を露にする。


そして我々に感動を与えるのだ。


スタンディングオベーションは長く続き、オケメンバーも涙していた。


これは単に美辞麗句かも知れないが、涙は決してウソではないだろう。



「佐渡裕など見たことがないし、ベルリンで指揮したかといって驚くことでは無い」と全く評価を与えない評論家諸氏が存在するが、音楽にテクニックを持ち込んでも素人には意味がない。


国分太一がパーソナリティを努めていて、途中で「運命」の第一テーマ(あの有名なダダダ・ダーン)の演奏前に存在する最初の8分休符について実際に演奏し、話すシーンがある。

自分は楽器を演奏するので、この休符に重要な意味があることは重々承知しているが、これはテクニック的な問題であり、演者の問題である。聞く方は意識はしていないのだ。

国分は、佐渡の指導でその重要性を直ぐに理解し(彼もまがりなりにもプレイヤーだ)、「今、指揮者と一体となった気がしました」と語っていた。

指揮者と一体となる気分は残念ながら味わったことは無いが、多分それがオーケストラの指揮者と演者の醍醐味なのであろう。

そしてそれを垣間見て観客は歓喜の声を上げるのだろう。


音楽の持つ「人の感情を動かす」という力において、楽器をどんなに旨く弾けても、人が感動するわけではないことを体現してくれているのだ。


カラヤンのような指先の魔術師でも無いし、指揮そのものが魅了するような繊細さがあるわけでもない。

それでも、我々は感動する。



クラッシックなどあまり興味が無い自分だが、佐渡裕だけは大好きだし、これからも応援したい。



ところで、ベルリンオーケストラの第一バイオリンのコンサートマスター(トップということ)が樫村という日本人であった。これは凄いことで、もっと日本において評価されてもよいと思う。


某評論家の言うように、ベルリンを指揮したからと言って指揮者の第一人者になったわけではない。しかし、コンサートマスターというと、それも第一バイオリンということは名実ともにナンバーワンということだ。
これはもっと評価すべきだ。



さらに余談だが、佐渡裕は「シエナ・ウィンド・オーケストラ」という南相馬市の楽団を指導していた時期がある。


この番組の途中で、災害支援のためのコンサートで「第9」が演奏されることに悩むシーンが出てくる。
第9、つまり歓喜の歌だ。


その歌詞に「フライデFreunde」つまり友人という言葉が出てくる。


このことばを彼は重視し、世界中の友人等が日本を支援するという意味で第9を演奏しようとする。


これなどは、彼が如何にテクニックではなくて、感情を大事にしているかを表しているかのようだ。
おそらくTBSのディレクターも、それを言いたかったのだと思う。