やがて、携帯が鳴った。矢口さん。
「今帰って来た。もう来ていいよ。玄関の前で待ってる。」
私のわがままにムカついているくせに、相変わらず優しさが口の端に滲み出してしまっている。
やっと眠れるよ‥。のろのろと立ち上がった私はレジで精算をすませ、矢口家までの道のり
を約5分ほど歩いた。
都心を外れた閑静な住宅街に矢口さんの家はあるのだが、立派な屋敷ばかりが、夜のしじまにひっそりと息づくその一角において、一際目立つ和風のいかめしい門の前に、厚底を脱いだ矢口さんがスニーカーでぽつんと佇んでいた。
「コンバンワー。」
電柱のライトに切り取られ、浮かび上がる雨粒。どこか取り澄ましたような表情で、ぼんやりと見上げる矢口さんの横顔。私は声をかけた。夜中だからもちろん声は落として。
「てゆーかホントムカつくよ、オマエー‥」
つれない表情のまま振り返った矢口さんは、私を見て眉をひそめた。
「てゆうか傘は?」
無理もない。雨の中私は、ヤッケだけで歩いて来たのだから。目深に被ったフードの先から滑り落ちた雨の雫が、目の前を2、3粒かすめた。前髪が、けっこう濡れちゃったな‥。
「へへ‥。持って来なかった‥。」
ポケットに入れた両手を出すことなく、私は笑って答えた。矢口さんはスニーカーだから、
いつもよりも視線が低い。
「馬鹿じゃないの?こんな雨の中‥。途中で買えばいいじゃん‥!お金持ってるくせに!」
「ふふ‥。」
「ふふ、じゃないよまったく‥。早く入んな!」
差している傘を頸でささえ、矢口さんは門を開ける。ぼうっと立っている私を振り返り、急かすように手招きする。
「ほんと。すみませんね。」
「ほんとだよ。今日けっこうイイカンジの男子とかいたんだから。」
なにさまだよオマエ、ぶつぶつ言いながらも帰って来てくれた矢口さんの好意が心に沁みた。
「ありがとうございます。」
「も、いーイから!早く入って!」
矢口さんは小さい。
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