梨華が唇をあてた部分に空気が触れ、ひんやりと冷たい。それはそのまま私の熱さえ冷ましてゆく様だ。
ゆっくりでいいんだ。私は手をあて、自分の勇み足を理解した。
自分は中澤と、ましてやあの父親とも違う。
ゆっくり行く方向で。
同時に、はっきりと認識した。
梨華が彼等から受けていたもの、それと同じ物を与えてやる力量が、今の私にはまだない。不幸にも歪んだ形をとってしまったが父親の梨華に対する溺愛は疑う余地がなく、そして、中澤の献身的な愛は、梨華に替えがたいやすらぎを与えた。
その2人を、いつか私は超えるだろう。
なぜなら。
梨華に咲くひまわりを最期まで守るのは、私。
他でもないこの私であるから。
以後、気負いのなくなった私の変化に伴い、私達の間には平穏な空気が流れるようになった。一時に比べ、とても自然な時を過ごす梨華と私。気が向けばキスなど交わすし、手を繋いだりなんかもする。随分と甘酸っぱいようだが、急ぐことをやめた私に今、それ以上進む気はなかった。
しばらくたったある午後、保田さんは再び現れた。梨華と私が、バーへ観葉植物を運んだ日だ。
前日、近所のゴミ置き場に捨てられていたその樹を、偶然通りかかった私達は見つけた。
味気ないいくつかのゴミ袋の中にあって、ますます枝葉は観賞用であるその本来の性質に特化し、不自然なまでに目をひいたのだった。白いプラスチックの鉢を覗いてみると、中の土はまだ養分を辛うじて含んでいるようで、いくらか黒く湿っている。樹本体も水分の不足から多少しなびてはいるものの、決して生命を終えているというわけではない。むしろ健康と言って良かった。
普段から店内の空気の悪さにへきえきしていた私達は、ほんの気休めにしかならなくても、少しでも改善試みようと、それを拾って来たのだった。
「こんなカンジでいいよね。」
「うん。」
だいぶ傾いた太陽の、窓から差し込む西日が数本、店内に光の筋を伸ばしていた。
いろいろと悩んだ末、結局カウンターの脇に鉢を置いた私達が、しばらくその姿を眺め、悦に入っていた最中だった。
「ごきげんよう!!来たわよ!」
日光のせいで普段より更に埃っぽく、白くかすむ店内に、こんなふうに形容するのはとても失礼けれどまるで、カラスを絞め殺したような、無駄に陽気な声が響いた。
突然の再会はさらに半信半疑でもあったので、入り口を誇らし気に塞ぐ保田さんに私と梨華は目を見張った。が、それに臆する様子など微塵も見せず、保田さんはガタガタと板張りの床を進んでくる。
「御げんこ!」
見守るばかりの私達の前で、保田さんはずいぶん機嫌が良いのか、片手を上げてそう言った。この間とは対照的で、今回の保田さんは髪をツンツンに立てている。
装いもどことなくアナーキー。なんとなくだけれど、片手に提げたジュラルミンケースを除けば、グレイあたりにこういう人がいそうだと、私は思った。
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