「!」
梨華が驚いて振り向く。
私は私で反射的に掴んだものの、それに続く言葉が出ない。
どうしたものか思案にくれていると、梨華が消えそうな声で呟いた。
「ひとみちゃんは私のこと、好き‥?」
もちろん。そう言おうとしたけれども、梨華と目が合ったら、声が出なかった。
視線を逸らした私を見て、梨華は少し笑う。
「不安‥。」
笑っている梨華は泣いていた。涙なんて出ていないけれど、明らかに泣いていたのだ。
私は梨華を抱き寄せた。心臓がばくはつしそうだ。
「聞こえる‥?し、しんぞうの音?はれつしそう。好きすぎて、手が出せない。
こわい‥。」
しばらくそのままでいた。心音が次第に遅くなるのがわかった。きつく抱き締めていた腕から少しだけ力を抜くと、梨華が、静かに言った。
「私が2人の人と寝ているから‥?」
「‥うん。」
「私に笑われそうと思う‥?」
「‥うん。」
私の返事にしばらく黙っていた梨華は、やがて柔らかな声で言った。
「いくじなし、だね‥。」
梨華を抱き締めたままで私は、離すこともできずにいた。普段はまったく優等生な梨華。
耳もとをくすぐったのは、甘い甘い囁き。
「キス、してよ‥。」
「うん‥。」
顔を上げた瞬間、ぶつかった視線がどこまでも深く、吸い込まれてしまうと思った。
結局まだ、コドモだったという事だ私は。じっと覗き込む瞳に、さながら魂のひとつも吸い取られる勢いで梨華と唇を重ねた私は、暖かで、とろけるような感触と、その全身を駆け抜けた甘いシビレに、へなへなと腰砕け、その場に座り込んでしまったのだった。
なにこれ‥、強烈‥。
あの時は暴走していた。とはいえよく平気でできたもんだ。などと、ショートした回路でかすかに思っていた。改めていたしてみると、キスってすっごい‥、等。
壁に凭れて放心著しい私の視界に、梨華の優しく微笑んだ笑顔が、ゆっくりと入って来た。私の正面に立っていた彼女もまた、その場にしゃがみ込んだのだ。
自失し、しばらく言葉など発せない私。目を、そしておそらく口も、ポカンと開いていたことだろう。まるでアホの子みたいに。焦点の定まらないままで、私はゆっくりと瞳を巡らせる。目と目が合った瞬間、少しだけ梨華はクスッ。と、声を出して笑った。
「安心、した。」
彼女はそう言ったのだけれど、実際その時の私には、いまひとつ伝わっていなかった。
馬耳東風かつ猫に小判。その時の状況を今の私はこう判断するのだけれど、どうですか。
注がれる梨華の慈愛に満ちた視線に反応し、私はともかく一度だけ頷き、頬の筋肉に力を込めた、つまり笑ったのだが、妙な私の笑顔に梨華は相好を更に崩して、
「やだ、しっかりしてよ。」
なんて言う。天井のライト、その黄色い色を反射し、光をふんだんに湛えた彼女の瞳に、私は、大地に太陽を浴びて咲く、大輪のひまわりを見た。きらきらと痛い位光って、それは思わず目を細めてしまう程、全くの陽なるもの。殺人を犯した彼女の裡に、これ程の正を見る私。私達はどうなるんだろう。
遊離して行く思考をどこまでも追って行くうち、そっと梨華が耳許へ囁いた。
「焦っているなら、やめて。ゆっくりでいいよ。」
そして一瞬口籠る。接近した距離を感じ、私の頬は熱い。
「私べつに‥、ヤ、ヤリマンッテワケジャ‥、ナイもん‥。」
消え入るように言った梨華は直後、私の頬に素早くキスし、そのまま立ち上がってバスルームへと消えてしまった。
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