梨華と言葉を交さなくなって、かれこれ半年以上経ったある日、私は誰もいない家でぼんやりとテレビを眺めていた。

少しも面白くない番組にうんざりした私は竹でできたカゴからみかんをひとつ手にとって、大きく息を吐き出した。

パチパチと他のチャンネルも回して見たけれど、半端な時間のプログラムはやっぱりどれもつまらない。


-----梨華は、どうしているだろうか‥。


頭に浮かぶのは彼女のことばかりだ。あの時の自分の軽率さがものすごく悔やまれる。

あれ以来梨華は、学校で会っても私を避けるようになってしまった。

何度も話しかけようとしたけれど、梨華は辛そうに目を伏せて、いつでもスッと逃げてしまう。


ぐらぐらする思考を吹き飛ばそうと、再びため息をついた私が2つ目のみかんに手を伸ばそうとしたその時、脇に置いた携帯が着信を知らせた。

液晶を確かめて思わず目を疑ったけれど、改めて確認しても表示はやはり梨華だった。


「も、しも、し‥。りかっち‥?」

呼吸をいったん整えてから出たものの、それでも心臓はばくはつしそうで、声はかすれた。

彼女とこうして話すのは、何ヶ月ぶりだろう。


様子がおかしい。
「もしもし!りかっち!?どうしたの!?‥もしもし!」
梨華は無言だった。ただ、なにやらとても緊迫していることだけは受話器を通しても明確に伝わる。
「りかっち!?もしもし!?」
何度目かの問いかけにようやく口を開いた彼女はひどく怯えていた。
「‥ひとみちゃん。わたし、わたし‥。」
その高い声はいつにも増して細く、はっきりとわかるほど震えている。

たまらなく不安になった私の頭の中を、ひとつの最悪な予感が襲った。まさか‥!

梨華はポツリと理由を話した。私の予感は当たった。
「今からすぐ行くよ。とにかく落ち着いて。すぐ行くから。どこにも行っちゃダメだよ。」


とりみだした様子の梨華に、できるだけ冷静に指示を出した。

電話を切った私は自分の部屋からコートをつかみ、そのまま玄関を出て自転車に飛び乗る。

漕ぎ出してすぐ手袋を忘れたことに気がついたけれど、そんなことを気にしているひまはなかった。


私たちがひとつずつ進級して、
「来年もアンタをうちのクラスにして見せる。」
と、常々宣言していた中澤が予告通り2年連続で私の担任になった頃、梨華と私の関係はいたって良好だった。

毎日ではないけれどたまに一緒に帰ったり、時々電話で話したり。

そういう私たちの様子に、中澤も嬉しそうな顔をしていた。
基本的に梨華は優等生な姿勢を崩さないものの、それでも私に対してちょっとしたわがままやささやかな意地悪を言ったりするようになったし、なんだか以前よりもよく笑うようになった。

ただ、取り繕うことをあまりしなくなった分、例の表情を見かける回数も必然的に増えた。

ある日の休み時間、廊下を歩いていた私は中澤に呼び止められた。

振り返ると中澤は授業の帰りなのか、巨大なコンパスとか三角定規とか、そのほかにも教科書やらチョークやらとにかく両手一杯に物を抱えていた。


「あら、いいとこで会ったね。細腕のうちを手伝ってくれへん?」
私は軽く頷いて、中澤の荷物を半分持ってやった。
「おい、最近どうよ?ずいぶん仲良いみたいやんか、石川と。」
「ええ、まあ。」
わざとこともなげに言ってみせた私に中澤が笑った。
「ええこっちゃ。アンタならあいつと友達になれると思っとったわ。」
そうだ。中澤に相槌を打ちながら、私はふと思いついた。

中澤なら知っているのかもしれない。梨華の影の原因を。


「ねえ、先生。りかっちがたまに暗い表情とかしてるんですけど、あれってなんなのかな。知ってますか?」


私の言葉に、中澤はしばらく何も答えなかった。なにかを考えているようだった。
しばらくして期待を込めて見つめる私と視線をあわせず、中澤は静かに言った。
「よっしー。アンタ、石川のことが好き?」
中澤の問いは唐突で、すぐにはその真意をはかりかねた。
「どういう意味ですか?」
「いや。言葉通りの意味。」


私は少し考えて、やがてゆっくりと頷いた。中澤は相変わらず私の目を見ない。
「じゃ、今日部活終わったら裏門で待っとって。話しておきたい事があんねん。」
職員室はもう側だった。ドアのところで再び私から荷物を受け取った中澤は、私の返事も確認せずに、そのまま中へと消えてしまった。


部活動を終えた私が裏門の駐車場へ向かうと、既に中澤は赤い国産車に乗り込んでいた。

私を見つけた彼女はクラクションを2度程鳴らしたが、本来警笛であるその音は未だ練習が続く野球部の声によって昇華され、どこか牧歌的にさえ響いたのだった。


「おつかれ。まあ、乗り。」
ドアを開けて私が乗り込むと、中澤は荷物を後部座席に置くかと訊ねたが、私はそれを断わって膝の上に荷物を抱えた。
クラス内の出来ごとや私の成績の事など、とりとめもない話をしながら中澤は車を走らせたが、信号につかまってブレーキを踏んだ時ふと遠くを見つめて口をつぐんだ。


「石川の、あの顔なあ」
しばらくして中澤が口を開く。

信号は既に変わっていて車も発進していたけれど、中澤の様子は先程と変わらない。

動作としての運転はしているものの、車線を追うべき視線にはしかし別のものが映っていた。


「遅かれ早かれ、あんたやったらそら気がつくわなあ。」


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