先日ピンクレディが「解散やめ」の記者発表した。
ちょうど最近ABBAが気になっていたところなので、タイムリーな話題と思い取り上げさせて頂く。
若い方にはABBAとPink Ladyが結びつかないかも知れないが、Pink Ladyは和製ABBAとして企画されてデビューしたのである。
残念ながら、ウィキペディアにもこのことが記されていない。しかし、昔NHKBSでABBAの特集をする際にプロデューサーがゲストで悩んでいたので、僕は「Pink Lady」を推薦した。最初戸惑ったプロデューサーは、それでも「ペッパー警部」の振付がABBAのものと類似していることに気が付き、僕の提案を受け入れた。もちろん既に解散していたPink Ladyではあったが、即答で出演のOKがでた。
佐野元春・山下達郎・井上陽水・荒井由実等を育てたと自負する彼の大物プロデューサーでさえ知らなかったことに驚いたが、Pink Ladyは当時ヨーロッパから帰国したばかりの都倉俊一に、阿久悠が「スター誕生」で見出した二人のプロデュース方針を相談したのがきっかけだ。
フォーク系のスタイルで合格した二人を、歌って踊れるスターにし上げるか否か。結局、新鋭の都倉俊一のABBA路線でデビューが決まった。事務所側が主張するフォーク系の曲がB面になり、B面予定であった「ペッパー警部」はあの新鮮な振付とともに急遽A面として発表された。後は皆さんの記憶にあるところであろう。
また、ABBAは当時すでにそこそこのヒットメイカーであった男性二人が、やはり人気歌手であった其々の奥方をボーカルに、取敢えずレコーディングしたのがきっかけだ。男性二人は大ヒットした「木枯らしの二人」で、既に日本でも有名であった。ただ、この曲はポルノ映画の主題歌であったが、日本では未公開で内密にされていた。
解散後も女性陣は其々がソロでヒットを飛ばしている。このソロワークスがとてもよく、機会があればまた書かせて頂く。
最後に自慢話を・・
このABBAの特集番組は、1980年代の人気アーティストを取り上げた不定期番組であったが、あるとき生で電話リクエストで聴きたい見たいPVの順位を付けるという番組を企画した。
その際、司会を誰にするかが問題となった。このとき学生時代のバンド仲間が「子供バンド」のライブ仲間ということで、デビュー当時から注目していた「うじきつよし」を推薦した。深夜のテレビでの彼は頭の回転も良いし、曲間のMCもとても面白かったので、プロデューサーもテレビを見て一発でOK、そして彼に司会は決まった。相手はまだ結婚前の「大塚寧々」。これはプロデューサーの好みであろう。
うじきは、何度も事務所に打合せに来ていたが、一度も挨拶がなかった。まぁプロデューサーが僕のことなど本人に話などしていないだろうけど。
その後、うじきはTVショーの司会業で多忙になる。
放送当日、僕も顔も出していた。スタジオに通じる通路でソファーに座っていると、大塚寧々がやってきて挨拶をした。本場前のひととき、彼女は僕の目の前にお尻を向け、静かに待っていた。とても可憐で思わずみとれたものだ。
しかし、その数日後、彼女は妊娠結婚を発表した。
あのとき既に妊娠していたんだと、感慨深かった。
このとき彼女が僕に挨拶をしたのは、僕を知っている数少ないNHKのプロデューサーなど、現場の人間には雲の上の方々が、僕にわざわざ足をとめ挨拶をするからだ。このとき以来、僕は現場に足を運ぶのを止めている。松田聖子親子やYMOとも、結局会わず仕舞いだ。今では、そのまま足を運んでいればAKB劇場にも違和感なく行けたのにと悔いているが、当時若造の僕が単に金を握っていたという理由で祭り上げられるのは、逆にプライドが許せなかった。実力ではないからだ。
あまり書くと素性が知れてしまうので、この辺で失礼する。