ダンデリオン・フラッフです。
人の目が怖いというクライアントさまのお話しです。
幼少時代に酷い虐めにあっていて、いつも誰かに危害を与えられる気がしてならないとのことです。
とにかく自分を消してしか生きる術がないと感じてます。
人の心に深い傷を付けたら、それは何年にも渡り様々な行動と思考に制約をかけ、ある意味生きた屍のようにしてしまいまいます。
傷つけた側はそれと知らずに生きている事も稀ではありません。
まずはその事を充分心に刻んで欲しいものです。
しかし、傷付けた側にも実は心に傷がある場合も多いのです。
だからこそ、弱いと思う相手をターゲットにしてしまう。また、それは自分にないものを持っている妬みであることも多いのです。
さて、虐める側の話は別の機会として、虐められた側の心の回復について書きましょう。
このクライアントさまは、もしも好意的に近づいた人にも恐怖を感じるケースです。
この恐怖の為に、何人もの友人や恋人を失いました。そして傷つけました。
失って初めて自分に好意的に近付いてくれたことを知ったので、もう、戻ることは難しいところまで行ってました。
何をしたか?
それは、" 試す行為" です。
相手がどれだけ自分の嫌な面を見ても逃げない、包んでくれるか無意識に試すのです。
仲良くなり始め、相手も共感し多少のことは許してくれるでしょう。
しかし、人の好意に慣れない、また、常に酷いことをされた幼少時代で自分に自信をも失ってしまっている為に、これが真実なのか?また、この先に酷く落とされるようにに感じてしまうのです。
試す行為は意識的でも、無意識的にもあります。
我が儘を言ったり、距離を離すために冷たくしたり、理解し難い行為をしてしまいます。
そして、堪えられなくなった相手は去ります。その事で更に自分の醜さを呪い、後退していくのです。
そう、ネガティヴの連鎖を重ねて、今度は誰かに傷つけられるのではなくて、自分で自分を傷つけられてるのです。
では、どうしたらいいのでしょう。
簡単ではないと思います。
長い間の深い深い傷ですから、はい!完治!とはいきません。
幾つか療法はあります。
過去に遡り、自ら癒やしを施すこと。
現在を見つめ、本当に今でも攻撃対象になっているのか見極めて、一つ一つ殻を取り去る方法。
初回なので、先ずは呼吸法と感情を入れない分析のコツをお教え致しました。
呼吸法は、一歩その場を立ち去り、深い深呼吸を繰り返し、自分を落ち着けること。
そして、その感情を取り出し、横に置いて眺めて見るコツ。
そして、それを他者的感覚で分析してみるコツ。
先ずはそれを繰り返す事で、現状を少しずつ受け入れる準備を始めることにしました。
深い傷は人には分かりません。
何故なら見えないから。
心は見えません。
ですが、それは確かに有るのです。
どうにも出来ないほど苦しければ、どうぞ声をかけてください。
一緒に考えてみましょう。