晴れ、時々くもり。 または…大雨。


昨日37週入り。
正期産入りである。

健診では子宮口2cmの開き。
かなり柔らかいから
『いつ産まれても不思議はない』と。

昨日はそれに満月。大潮の頃。
健診帰りにお買い物のハシゴをしたせいか
それとも満月の影響か
帰ってからは実にお腹がよく張り痛んだ。

正直なハナシ
ダンナの仕事が年始年末は忙しく
お手当もそれなりにあるため
どんなに早くても1月2日の朝までは持ちこたえて欲しい。
あくまでも親のエゴだけど。

彼はお腹に『あともう少し我慢して』なんて
説得をしていたが
昨日の張りの多さには
ワタクシも自信が持てなかったのだが…

しかし、帰宅してから横になり安静にしていたせいか
彼の説得が功を奏したのか判らないが
夜中には随分落ち着いた!

ここ数日とんでもなく眠い。
その少し前は夜全く寝られずに困っていたのだが
昼も夜もひたすら眠い。
食欲も随分旺盛でここのところの体重増加が激しい。

それとともに膀胱への圧迫が激しく
頻尿や尿の出の悪さが目立つようになってきた。

今は積極的に動かず体力温存の方向。
あともう少し、もう少しなのだ。

数日前に実妹に4人目を授かり
臨月入りしたことを告げた。
さすがに出産後にやっと知らせるのはマズイと思いつつ。
ワタクシの親戚関係とはほとんど連絡をとっていなかったから
いきなり報告というのも躊躇していて結局今までこうなってしまっていた。
実の両親とは全くの音信不通状態だから親戚に知れ渡ることもなかった。

実妹はかなり驚いてはいたが安産のお守りと言って
娘と選んで作ってもらったパワーストーンのストラップを送ってくれた。
考えてみればやれ安静だの
今いるお子のことで毎日が過ぎ
(実際少し前は三女の喘息発作で救急外来に走ったりしていた)
自分の安産祈願なんてその時まで思ってもみなかった。
これでも最初の妊娠の時には
京都のわら天神まで出向き
ご祈祷をしてもらい腹帯を買い…だったのに(爆)

もしかしたら産まれてこない命だったかもしれないのに
今ワタクシはこうしてこの世に送り出そうとしている。

最初産まない選択のつもりで行った病院の先生は
その意思を聞いた途端随分事務的な態度になったとダンナは言う。

しかし、産む方向に話を決めた時から
エコーの度に自分の子を診るように
楽しげに説明をしてくれる。
ワタクシが高齢にもかかわらず
クワトロ検査も羊水検査も何ら勧めることもしなかった。
最もエコーで首の部分の浮腫に異常が見られなかったこともあるのだろうが。

そう言えば、三女の妊娠の時に診てくれていた先生に
長女の障害のことをちょこっと話した事がある。

『支えてくれるきょうだいが多いということはいいこと。
アスペルガーならなんとかやっていけるだろう。』
と言った趣旨の事を返してくれた。

実はその先生のお子さんが自閉症。
奥さまは障害を持つお子さんの音楽療法をされている方。

そういう人からのアドバイスは何だか心強い気がしたのをよく憶えている。

クワトロ検査だって羊水検査だって
そんな発達障害の可能性なんざ判らない。
定型発達で産まれてきたって
その後の疾病やら事故やらで高次脳機能障害になって
発達障害と同じような障害を残すことだってあるし
それより重い障害になることだってある。

ひたすらビビっても仕方がないかとさえ思えてくる。
もうすでにひとり産み出してるんだから
怖い事でもなかろう。
特にアスペと喘息児の域においては。

もちろん、たったひとりだけ産むというプランで
障害の可能性が現実的に怖いというお方もいるだろう。
漠然と障害が怖いというお方もいるだろう。
それはそれでその気持を尊重したいとは思う。

やはり通院や療育、それらでハンディを負うのは確かだから。
障害児を育てるのは綺麗事では済まない。
そのことで崩壊する家庭もあるし
悲しい結末になっている家庭もニュースでは見かける。

たまたまワタクシのところには環境が整って
それなりにワタクシ自身も長い時間をかけながら
長女を受け入れることができたにすぎない。

…というような事を思いながら今までマタニティ生活を送ってきた。

その生活ももう少し。
満月の頃からは少し出産がずれるようだが
ワタクシの中ではこれからが月が満ちてくる頃のように感じる。






晴れ、時々くもり。 または…大雨。


この週末に36週入りした。
とうとう臨月である。

36週目前の検診。
少し前から気になってはいたのだけど
じわりじわりと上がっていた血圧が
この日150台‐90台を叩き出した。

妊娠前から若干血圧は高めだったのだが
妊娠が判って以来アルコール断ちをして
かなり落ち着いていたし指摘されることもなかった。

マズイなぁ~@@@と思っていたら
受付からもう一度血圧を測ってみてくださいと声がかかる。
再度測定…なんとか140台‐80台。
いや…これだって高いよね?
これが高齢出産のリスクってやつかな?

まだ尿検査は引っかからないし
むくみもないのだけど。
体重は6キロ増。

検診ではエコーにもはや顔がはっきり映らないので
2Dであっさり終わり。
推定体重2300グラム弱。
子宮口が相当柔らかくなっていて開きかけているらしい。
検診の直前まで張り止めのリトドリンを飲んでいたが
その数日前から夜から明け方にかけて
痛みを伴う張りが出てきた。
いわゆる前駆陣痛っぽい。
膀胱も違和感が激しく時にはすんなりと排泄できないときがある。
腰やら産道になるところやらお下に痛みを感じてきてる。
食欲はいたって旺盛になっている。

『もういつ産まれてきてもOK。
血圧が高くなってきてるから早めに産んだほうがいい。
これからどんどん動いてね。』
とリトドリンの投与も切られ
動けモードに突入。

予定より1ヶ月近く早くにこう言われて面食らったが
血圧が高くなって母体がアウトになるよりは
37週を待たずに早めに産んだ方がいいということらしい。

自分としてはクリスマスとお正月三が日を済ませてから
出産がベストだな~などと思っていたが
この分だと来週の検診で誘発分娩の指示が出るかも…しれない。

日付変わってもうクリスマスイブ。
おかげで何やら積極的に未だに動けていない。
一応家事くらいはしておくか…なんだが
今夜はダンナが泊まり勤務なので
余計積極的に動けない(-_-;)
一応知人には夜中に産気づいたときの足をお願いはしているのだが
ダンナがいない時っていうのはどうも落ち着かないもので。

これから眠って目を覚ましたら…ちょっと頑張って動いてみるかな…。

お腹のお子はまだグリグリ元気。
ちょっとワタクシの気持を汲んで
ダンナのいる時にゴーサインを出していただけないか?(爆)





晴れ、時々くもり。 または…大雨。


月が満ちて来るに従い
末っ子の時と同じようにお腹が張ることが増えた。
ウテメリンの副作用の激しい動悸と闘いながら
お子たちの送り迎えをしていたあの頃とダブってくる。
しかし、当時ダンナはさほどそれを大したことだと思ってなかったようだ。
そう言えばあの頃検診はひとりで行ってましたっけね?

あの頃からはや7年。
やはり歳をとったせいか
マイナートラブルはさらに増えた。
検診にはかかさず同行してもらってるが
やはり彼はさほど大したことだと思ってなかったらしい。

新車をお世話になったディーラーさんに
マタニティの人が働いていた。
どうやら予定日はワタクシと10日くらいしか変わらないらしい。

そうか~頑張ってるんだなぁ~☆
体調にも恵まれてるのかもねというワタクシにダンナ一言。

『働かないといけないという気があったらいけるもんなんやろ。
そういう気がお前にはないから続けられへんかったんちゃうか?』
と根性論をぶちまけた。

なんかカッチ~ンときた!
それがホンネかいっ?

妊娠が発覚した時の体調の悪さったらなかった。
それまで5時間くらいぶっ通しでレジ仕事ができたが
(同僚たちはそれも凄いと言ってたが)
わずか3時間半に減らしてもらっても
仕事の前後にはきっちり休んでおかないと仕事に入れない状態だった。
当然家事は全くできずご飯は帰りがけに職場でお弁当を買い
半ばフラフラで運転して家路に着く。

時には仕事中に眩暈も起こり
違算のミスが…。
涙を呑みつつそこは冷静に始末書を書いた。
それでもそれなりに気は張っていたらしく
完全に倒れこむことはなかった。
やはりもう続かないとほどなく辞めさせて頂いたのではあるが。

そんな気持がアンタに判るか~(怒)
所詮男にはこの感覚は判らんとなんとか思うことにしたが…

そんな矢先週末の朝、下着がド派手に濡れてた。
失禁した記憶はなかったのだが…。
もしかしたら破水?
少し様子を見ようと下着を替えて様子を見てずっと身体を横にしていた。

普通の破水は全破水と呼び
ザーと流れるようなものだからすぐ判るが
子宮の上の方に小さな穴が開いて
少量ずつ羊水が漏れ出てくるものを高位破水と呼ぶ。
これが少々判りにくい。

この日ダンナは昼頃に帰って来たが
起きてこないワタクシの様子を見ようともせず
階下でずっとのんびりしていたようだ。

一旦仕事に出たら
帰宅するまで連絡のない事がめっきり増えた。
いつ帰るか判らず待っていたら朝で仕事が終わりのハズが
帰って来たのが夕方なんて事も多い。
後で訊いたら仕事が延びたり
会議が入ったりというのだが
それならそうとせめて一言くらいは連絡が欲しい。
先日は明け方に5分おきに痛みを伴う張りがあった時は
末娘が発作を起こしていたことも重なり
不安で不安でならなかった。

階下に降りた時
実は…と最近あった身体の変調のことをいろいろと話してみた。
ワタクシも張りが多いタイプだから破水の可能性は
大いにあるのだと。

少しは気がついたのか
昨日は彼が朝出勤してから昼、夜と連絡が入った。
まぁ、たまたま用事があったこともあるのだが。

幸い、その後下着がド派手に濡れることはなく
どうやら破水ではなかったらしい。
…としたら???(恥)
しかし、ちょっといいお灸にはなったかな(爆)
少しくらいは心配させてもいいやんね?

ちょっと『やったった』というハナシである。



晴れ、時々くもり。 または…大雨。

まず批判を承知で書いてみるが
ワタクシは割とドライな母親と言われる。
何だろう、お子とべったりという感覚になることができない。
だから『溺愛』とか『母性』とか言われるとスゴク背中がかゆくなる。
実際ハグなんかの接触も極端に少ないなと自分で感じる。
…というか、触覚が敏感なのか人に触れたり触れられたりするのが
かなり苦手なのだ。
(結構コレを知っている知人は少ない)
唯一触れられるのが今のダンナだ。
正直、触れられて苦痛にならない、邪魔にならないというのが
意外と結婚した大きな理由だったりする(笑われるが)。

しかし、長女や末娘が酷い喘息発作を起こして
苦しんでる様を見るとやはり胸は傷む。
なんとか症状を早く軽減させてやりたいとは思い
投薬をし、発作の程度を冷静に見て
救急外来に駆け込む。

何だろう、どうしても彼女たちへの感覚が
第三者的なのだ。
長女の障害に関しても何か分析しようとしている自分がいる。

原因ははっきりとは判らない。
もしかしたら自閉の血がワタクシにも流れてて
もともと共感性に欠けるところがあるのか
成長過程の中で愛着障害を持ってしまったのか
今考えてみたらアスペ全開と思われた実母のおかげか
…どれもそうであるようにも感じる。

一時は凄く悩んだ。
なんで自分は他の母親と同じようになれないのだろうと。

ところが長女が小学校2年から学校への行き渋りを始め
3年には不登校になった。
半年強、まだ赤子だった末娘をスリングで抱っこし
適応指導教室と学校と自宅の間を車で何往復もした。
学校に戻ってからは支援学級在籍でも行き渋る長女を
登校刺激して学校に繋いできた。
かれこれ中学3年の初めまでそれが続き
ようやく安定した登校ができるようになってきた。
これができるようになったのも支援学級担任に信頼のおける先生が
いらっしゃったことがあるのだけど。

登校刺激をして学校へ繋ぐ理由はただひとつ。
どんなかたちであれ支援が整っているなら
決まったところへ毎日同じところへ通い続けるというスキルを身につけさせる。
これが就業、自立へと繋がると。

老後まで娘の支援はやはり遠慮したい。
ワタクシのエゴかもしれないが
やはり不安感を残したまま死んでも死にきれない状況は作りたくない。

よく障害を持つ親御さんは言う。
『この子の死んだ次の日に死にたい。』と。
その感覚は痛いほど判るつもりではある。

しかし、ダンナに言わせると
『不登校なら本人が学校に行く気になるまでほっとけばいいんじゃないか』と。
『それよりはもう少し長めに働いて稼いで欲しい』とも。
実際彼の年収が大きく下がった年があった時はモメた。

長女は家にいて自由な時間が多いと鬱状態になったり
荒れたりする。
それに発達障害持ちが家に引きこもると
何年単位の時間が必要となると。
なんで放っておける?

そういう思いを拒否するようなところが彼にはある。

しかし、どうやらこれはうちだけではないらしい。
障害に関する方向性がある程度一致できている夫婦でも
男親というのはこういう考えでいることが多いらしい。

そうか…自分にも少し母親的な見解ができるのかと
少し安心できた気がした。

かつて男脳と女脳に関した本が話題となった。
我が家にもあってチェックしたら
ワタクシ、中間脳であった。
ちなみに地図は読めない(爆)

一応、ダンナ曰く三人の娘達は母親と慕ってくれているらしい。
愛着の少なめなワタクシに育てられた彼女たちは
果たして幸せなのかと自信がしっかり持てないのだが
こういうスタイルの母親がいても悪くないかもと最近は自分勝手に思いつつある。

…で、またこんな母親に育てられる子供がまた増えるが(爆)



晴れ、時々くもり。 または…大雨。

今週初めから食材の宅配サービスが
うちに届くようになった。
留守中にも保管がきくようにと
無償で借りたロッカーを玄関先に置いたら
早速娘たちが『ナニナニ?』と反応。

そして週初めからは長女が中心になり
夕食作りが始まった。
その日届いた食材を冷蔵庫から出してキッチンに並べ
レシピと作り方を書いたカタログと睨めっこ。
どうもレシピと手順を一緒に書いてあり、
見通しが立ちやすいのがいいようだ。
大体これで3品作れる。

結構、この宅配サービス
お野菜が多めのようだ。
連日キャベツの千切りや玉ねぎの薄切りなんかが多いようだ。

長女は少々大雑把らしく
キャベツの千切りがお好み焼向きの幅になっていた。
まぁ~いいかぁ~
タニタ食堂なら咀嚼回数を増やすためにわざと幅を広くするもんね。

カボチャと葛藤する時は絶叫し
玉ねぎの薄切りをさせたら結構大雑把に切られてて
芯は入ってるし火が通りきってない…。

まぁこれは想定内だが(爆)
たっぷり連日1時間半かけて奮闘して作っている。

しかし、一昨日の献立のひとつのポテトサラダ。
次女も参戦してふたりで作っていたのだが
ちょっとコレは…違った。

ポテトサラダではあるのだが
何やら玉ねぎの比率が妙に高い。
随分混ぜ込んだ玉ねぎの薄切り(!?)がお元気である。

作り方を見てみると
玉ねぎの薄切りを塩もみして入れろと書いてある。

『塩もみ…した?』
『うん、した。』と次女。
飛びだした玉ねぎは確かにほんのりと塩味はする。
…が、厚めに切ったのと塩もみが充分でないので
随分と生っぽくて…カライ。

この日のメニューではこのポテトサラダがなかなか減らなかった。

このままでは…と思い、
残ったポテトサラダから一本一本玉ねぎを抜いていった。
多少は玉ねぎが残ってはいたが
抜いてみるとかさが3分の1に(!)

翌日にはサラダに残った玉ねぎも少ししんなりして
食べやすくなってた。
やっと完食。

次女には軽くアドバイスはしておいたのだが
なにぶんにも献立を組んで料理するのは初めて。

飯炊きババたちよ…これからまだまだ修行よのお^m^

ワタクシの事がなければこんな機会はなかっただろうが
これからしばらく夕食は彼女たちにお世話になることになっている。
まだまだあらっ削りなところは多いが
経験がカバーしていくことだろう。

長女は連日の夕食を写真に撮り
DSでネットの日記にアップしているらしい。
そこに寄せられるコメントを励みに
毎日夕食を作ってる。

以前はチャットに思い切り時間を使いがちだったが
夕食の準備と片付けでそれどころではないと言いながらも
張り切っている。

あながち悪い事ではないかとDSも目をつぶっている。