母が2月4日から3月2日まで滞在していた。

車で北関東の自宅に連れて帰る。今、アパートに戻ってきた。

母の携帯電話には、妹や母のお気に入りの従妹、仲良くしている80代の友人から何件も着信や留守電が入っていた。

皆が気にかけていることを思えば母は幸せだと思う。

しかし、若い頃大変な苦労をした母の夜の叫び声やら独語を聞くと色々考えてしまい(夜間覚醒が辛い)、

コロナにかかってしまった後の1週間は一番辛かった。

母も発熱や咳嗽がひどかったから機嫌が悪くて、本当に性格の悪い人だと思って、早く帰らせたいと思った日も2日間くらいあった。

 

でも今は、ひと月も母と猫と過ごせたことがなんて幸せだったのかと思った。

生まれて初めての経験だからだ。

私は覚悟を決めた。

自営業の両親は社会保障の基盤である年金の未払い期間があったので(ほんの数年?)、

結論からいうと年金をもらうことができない。

母は私と同様に発達障害がある。

診断を受けてはいないがADHDの私とそっくりだからおそらくそうだろう。

社会保障最後セーフティネット生活保護の申請をこばみ仕事を継続していた。

私と一緒にアパートに住むのは今回無理だと理解した。

住み慣れた土地、友人と離れて暮らすのは精神の崩壊を促進させてしまう。

 

私は若いころ病院勤務をしていて、見るからに豊かな生活をしているであろう家族の高齢のお母さまやお父様が保護を利用しているのをみているし、母の知人でも昔自営業をしていて、昔の制度で年金受給できないため制度を利用している。

しかし発達障害があろうがなかろうが私も母もプライドの高さが生きづらくしている。

プライドというよりスティグマだろう。

 

でも、考えた。

母の夜驚症の原因はわからないが、

毎日毎日、誰かを呼び、鳴き声をあげたり、怒りながら叫び声をあげたり、はたまた、落語のように喋りだしたり、

仕事を辞めた後、悩んで悩んで生活ストレスが多くて症状が悪化しているのだろう。

間違いなく、母は早くに両親を亡くし、夫も二人亡くし、兄も亡くし、

心身の負荷を抱えたままずっと貧乏なのだ。

それでも母の実家は代々、農家と公務員の家系で、

母いわく名家?だったが、婿養子に財産を乗っ取られ、

今もあばら家に住んで末っ子の母は何ももらえず、遺産をめぐる甥っ子たちの骨肉の争いをただただ傍観している。

 

私が最後まで養おう。

関わりを避ける家人とのことを解消するほどの勇気はまだないが、働いているうちは母を助けられる。