
若い頃から冬鬱に苦しんでいた😂。
高校からの心の友も冬鬱で、洗顔もしたくないほどかったるい症状を抱えていて、お互い愚痴を言い合い気休めになっていた。
友人は管理職になった。
今は都内の芸大に通う娘の学費と生活費を稼がなきゃならないから、鬱なんて言ってられないと話していた。
関西の親友に6年ぶりに会って猫カフェに行った時も、薬学部に通う娘の学費を稼がなきゃいけないと話していた。
保健師学生の頃からきちんとしている人だったので、主婦、母親、パート勤務を必死にこなし生きているのが伝わってきた。
私はとうとう親にはなれなかったが、
息子のような家人には食費等を提供し、仕事を辞めた母を養っている。
職場では中間管理職として時々問題を起こす年上部下達と学生達の担任業務に追われながら臨地実習にもかり出されヘロヘロになっている。
教員という立場にありながら私自身も忘れ物が多く毎日慌てている。
だから職場近くにアパートを借りた。
時々鬱の落ち込みがやってきて何もかも嫌になる。
ドプンと池に落ちたような気持ちになる。
今、心の隙間を埋めてくれているのがyさんなんだと思う。
彼は波乱万丈の人生を歩んできた。
よく生きていてくれたなぁと思う。
裕福な都心の家庭で小学校から電車通学をして育ったyさん。
一方、貧乏な家庭で北関東の野山を駆けずり回って育った私とでは対照的な生育環境だが、一緒にいると心地よくて時間を忘れて話し込むのはお互い激動の昭和の時代を生きたからかな。
生誕40周年のディズニーランドに行った。お互いの青春の想い出がつまっている。実に7〜8年ぶりだ。
20年以上乗っていないジェットコースターに乗った。
yさんが「大丈夫だよ」と言って私の頭をヨシヨシと撫でてくれて幸せ気分にひたった。
何が冬鬱だと突っ込まれそうだけど、
私の病気がジェットコースターみたいなもんだから仕方ない。