亡くなったR 先生のご主人から返信がきた。
前回と同じ封筒に、綺麗な小さい文字で名前が書かれていた。
ポストに入っているのを見つけて、嬉しかった。R先生について対話がしたかったのだ。
2枚の写真が入っていた。
1枚は先生が若い頃、転勤で関西に住んだ写真、もう一枚は遺影の写真だった。
お嬢さんの高校の卒業式で「ちょうどいい、遺影の写真を撮って」と言ったのだと。
「あの時は、何言ってんだかと思ったが、今思うと少しずつ準備をしていたのだと思う」というご主人の言葉にまた泣けてきた。
R先生、私にも、卒業式の話をしてくれていた。お嬢さんは、有名大学の付属高校だったが、保護者会の付き合いが面倒だから最後までラインを持たなかったと話していた。
可憐なお顔だちに似合わず、男っぽいサバっとした面もお持ちだった(空手有段者だった)。
それから、お嬢さんの高校の送辞だか答辞が変わっていると話していたような。
詳細の記憶が曖昧だが、「へぇ~驚きですね❗」と応えて笑いあった。
でも、遺影のことは話していなかったな。
身近な人の死から、何を学べばいいだろう。
もう二度と会えない、1日に起きた出来事を報告しあうことは出来ない。
一方的に、私が心の中でR 先生に報告をする。
しばらく、担当の授業が続く。
終末期医療の事を話さなくてはならない。
がんの話になった時には、どうしてもR先生を思い出す、授業中に泣かないようにしよう。
授業資料だけでなく、学会抄録も、今まで作成したものの多くが、R先生との合作だった。
想像力を働かせてみる、R先生なら何て言うかな。
授業がお上手だったな。
私は早口で、学生からの評判は今ひとつだったからな。
手紙の最後に、「○先生、博士取得お祈りしています」と書かれていた。
R 先生が言ってくれたような気がして嬉しかった。