鳥居坂46改め欅坂46のその後。
教師とのいちいちゃ写真が流出して、脱退した彼女のTVでの扱いがひどかった!
日曜日の夜中に「欅って、書けない?」という欅坂46紹介の番組があるのですが、今回の脱退が突然だったため、既に集合撮影された素材で使いまわしせざるを得ず、当然彼女も映り込んでいるシーンがあるのですが、その姿がすべてモザイクに。
しかも、番組内での説明がテロップでも口頭でもナシで、まるで「最初からこの子はいなかったことにしよう」という体で編集されるという酷さ。
まあ、芸能界ってこんな感じですので、辞めて正解だったかも、ですよ!
では、こんな話題です。
私も好きなうなぎですが、この方法は、回転寿司に先例があります。
ウナギ味のナマズで新会社設立
毎日放送 11月13日(金)
「おいしいナマズを日本のマーケットに出すことができるようになってきた。
より多くの人に味わっていただける仕組みを作った」(日本なまず生産有路昌彦取締役)
ウナギの代替品として近畿大学が開発した「ウナギ味のナマズ」を本格的に売っていこうと新会社が設立されました。
「もっとこってりと思ったけど、あっさり」
「ナマズといわれなかったら、わからないくらいおいしいです」(近畿大学水産研究所大阪店に来店の客)
この夏の試食会で高い評価を得たことでパートナーの鹿児島の養殖会社と商業化に踏み切り、今後は養殖業者への技術指導にもあたりたいとしています。
そして近い将来、丼一杯500円、ワンコインで提供したいと意気込んでいます。
回転寿司で出されるネタの多くは、本物ではなく、似た味の魚を使って提供しています。
消費者が納得し、かつ味がそれほど変わらなければ、いいんじゃない。
では、次の話題です。
今日は、昭和プロレスの闘魂プロレスの伝道者の筆頭である柴田選手の誕生日でもあります。
【プロレス】天龍、52年間の格闘家人生に幕
オカダ必殺技でフォール負け
スポーツ報知 11月15日(日)
◆天龍源一郎引退試合
○オカダ・カズチカ(17分27秒 レインメーカー→片エビ固め)天龍源一郎●(15日・両国国技館)
プロレスラーの天龍源一郎(65)が52年の格闘家人生に終止符を打った。
引退試合で新日本プロレスのIWGPヘビー級王者・オカダ・カズチカ(28)と対戦。
オカダのレインメーカー(ショートレンジ式ラリアート)で敗れた。
大相撲の名門、二所ノ関部屋からジャイアント馬場率いる全日本プロレスなどで活躍。
昭和のプロレスを象徴する男がまた1人、リングから去った。
天龍が最後の力を振り絞った。
全盛期と同じ黒のショートタイツでオカダとにらみ合う。
37歳も年下のIWGP王者の猛攻に耐えながら、チョップ、グーパンチ、顔面キックと必殺技を繰り出した。
両ひざ、両ひじにはサポーター。
腰にはベルトを巻く傷だらけの肉体を奮い立たせながら、ラリアット、ダインビングエルボーを受けても立ち上がった。
DDTでカウント2に追い込むも決定打にならない。
必殺のパワーボムは返される。
逆にドロップキックを顔面に受け、レインメーカーに持ち込まれるところをグーパンチで切り返し延髄斬りで苦境を脱した。
続けて放り投げる形のパワーボムでカウント2まで追い込んだ。
なおもグーパンチで追い込むがドロップキックの連発でグロッキー。
それでもチョップ連発、グーパンチの連打で抵抗するがドロップキックで倒された。
最後はレインメーカーでフォール負け。
引退試合を壮絶な最後で幕を閉じた。
福井県勝山市の農村部に嶋田家の長男として生まれた。
実家は、葉たばこの栽培で生計を立てていた。
「勉強は苦手だったけど、体は大きかった」という源一郎少年は友人たちと相撲を取っては投げ飛ばす怪力だった。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
スカウトされた源一郎少年は、中学2年の夏休みに横綱・大鵬がいる二所ノ関部屋に体験入門した。
才能を見いだされ、その年の冬には、たった1人で上京した。
64年に13歳で初土俵を踏むと、幕下優勝など頭角を現し、74年1月場所では西前頭筆頭に昇進した。
「13歳でデビューした場所(当時は蔵前国技館)。感無量です」。
76年にジャイアント馬場と会い、プロレス転向を決断。
王道・全日本プロレスで中心選手となった。
1960年代から90年代まで、新日と全日の二大団体がマット界をけんいんした。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場という2人の背中を追いかけてきた天龍はファンの声援に背中を押され、年間200試合以上をこなしてきた。
馬場、猪木からもピンフォール勝ち。
3冠、IWGPヘビーという両団体のベルトを巻いたこともある。
団体の垣根を越え、「自由な闘争」を求めた。
全日本離脱後は、次々と異色対決を実現。
FMWの大仁田厚とは、電流爆破マッチを行い「女子プロレス界最強の男」と言われた神取忍とも戦った。
エンタメ色の強い「ハッスル」にも参戦。
「ミスタープロレス」は最後まで、プロレスの魅力を追求した。
90年代から2000年代は、K―1やPRIDEなどの総合格闘技が勃興する中、プロレスラーが総合格闘技に参戦し、次々と敗れた。
プロレス界は急速に輝きを失った。
超満員5万人の前で試合をしてきた天龍だが、数十人の前で試合をしたこともある。
人気低迷を理由に、プロレスを辞めようとは思わなかった。
「天龍源一郎の戦いができない」。
65歳で限界を感じた天龍だが、最後の相手は、世代も全く違う新日本のトップレスラー。
時代を支えた男の意地もあった。
力士として13年、プロレスラーとして39年。
走り続けた格闘家人生が今、終わった。
65歳で現役、しかも引退試合の相手が、新日のエース、オカダですからねえ。
素晴らしいです!
では、11-17生まれの有名人です。
1790年アウグスト・フェルディナント・メビウス (独:天文学者,数学者(トポロジー,整数論))、1906年本田宗一郎(経営者,本田技研工業創業)、1925年ロック・ハドソン (米:俳優)、1934年井上ひさし(劇作家,小説家)、1942年マーティン・スコセッシ (米:映画監督『タクシー・ドライバー』)、1979年柴田勝頼(プロレス,総合挌鬪家)。
これもいいですねえ。
America- Tin Man
教師とのいちいちゃ写真が流出して、脱退した彼女のTVでの扱いがひどかった!
日曜日の夜中に「欅って、書けない?」という欅坂46紹介の番組があるのですが、今回の脱退が突然だったため、既に集合撮影された素材で使いまわしせざるを得ず、当然彼女も映り込んでいるシーンがあるのですが、その姿がすべてモザイクに。
しかも、番組内での説明がテロップでも口頭でもナシで、まるで「最初からこの子はいなかったことにしよう」という体で編集されるという酷さ。
まあ、芸能界ってこんな感じですので、辞めて正解だったかも、ですよ!
では、こんな話題です。
私も好きなうなぎですが、この方法は、回転寿司に先例があります。
ウナギ味のナマズで新会社設立
毎日放送 11月13日(金)
「おいしいナマズを日本のマーケットに出すことができるようになってきた。
より多くの人に味わっていただける仕組みを作った」(日本なまず生産有路昌彦取締役)
ウナギの代替品として近畿大学が開発した「ウナギ味のナマズ」を本格的に売っていこうと新会社が設立されました。
「もっとこってりと思ったけど、あっさり」
「ナマズといわれなかったら、わからないくらいおいしいです」(近畿大学水産研究所大阪店に来店の客)
この夏の試食会で高い評価を得たことでパートナーの鹿児島の養殖会社と商業化に踏み切り、今後は養殖業者への技術指導にもあたりたいとしています。
そして近い将来、丼一杯500円、ワンコインで提供したいと意気込んでいます。
回転寿司で出されるネタの多くは、本物ではなく、似た味の魚を使って提供しています。
消費者が納得し、かつ味がそれほど変わらなければ、いいんじゃない。
では、次の話題です。
今日は、昭和プロレスの闘魂プロレスの伝道者の筆頭である柴田選手の誕生日でもあります。
【プロレス】天龍、52年間の格闘家人生に幕
オカダ必殺技でフォール負け
スポーツ報知 11月15日(日)
◆天龍源一郎引退試合
○オカダ・カズチカ(17分27秒 レインメーカー→片エビ固め)天龍源一郎●(15日・両国国技館)
プロレスラーの天龍源一郎(65)が52年の格闘家人生に終止符を打った。
引退試合で新日本プロレスのIWGPヘビー級王者・オカダ・カズチカ(28)と対戦。
オカダのレインメーカー(ショートレンジ式ラリアート)で敗れた。
大相撲の名門、二所ノ関部屋からジャイアント馬場率いる全日本プロレスなどで活躍。
昭和のプロレスを象徴する男がまた1人、リングから去った。
天龍が最後の力を振り絞った。
全盛期と同じ黒のショートタイツでオカダとにらみ合う。
37歳も年下のIWGP王者の猛攻に耐えながら、チョップ、グーパンチ、顔面キックと必殺技を繰り出した。
両ひざ、両ひじにはサポーター。
腰にはベルトを巻く傷だらけの肉体を奮い立たせながら、ラリアット、ダインビングエルボーを受けても立ち上がった。
DDTでカウント2に追い込むも決定打にならない。
必殺のパワーボムは返される。
逆にドロップキックを顔面に受け、レインメーカーに持ち込まれるところをグーパンチで切り返し延髄斬りで苦境を脱した。
続けて放り投げる形のパワーボムでカウント2まで追い込んだ。
なおもグーパンチで追い込むがドロップキックの連発でグロッキー。
それでもチョップ連発、グーパンチの連打で抵抗するがドロップキックで倒された。
最後はレインメーカーでフォール負け。
引退試合を壮絶な最後で幕を閉じた。
福井県勝山市の農村部に嶋田家の長男として生まれた。
実家は、葉たばこの栽培で生計を立てていた。
「勉強は苦手だったけど、体は大きかった」という源一郎少年は友人たちと相撲を取っては投げ飛ばす怪力だった。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
スカウトされた源一郎少年は、中学2年の夏休みに横綱・大鵬がいる二所ノ関部屋に体験入門した。
才能を見いだされ、その年の冬には、たった1人で上京した。
64年に13歳で初土俵を踏むと、幕下優勝など頭角を現し、74年1月場所では西前頭筆頭に昇進した。
「13歳でデビューした場所(当時は蔵前国技館)。感無量です」。
76年にジャイアント馬場と会い、プロレス転向を決断。
王道・全日本プロレスで中心選手となった。
1960年代から90年代まで、新日と全日の二大団体がマット界をけんいんした。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場という2人の背中を追いかけてきた天龍はファンの声援に背中を押され、年間200試合以上をこなしてきた。
馬場、猪木からもピンフォール勝ち。
3冠、IWGPヘビーという両団体のベルトを巻いたこともある。
団体の垣根を越え、「自由な闘争」を求めた。
全日本離脱後は、次々と異色対決を実現。
FMWの大仁田厚とは、電流爆破マッチを行い「女子プロレス界最強の男」と言われた神取忍とも戦った。
エンタメ色の強い「ハッスル」にも参戦。
「ミスタープロレス」は最後まで、プロレスの魅力を追求した。
90年代から2000年代は、K―1やPRIDEなどの総合格闘技が勃興する中、プロレスラーが総合格闘技に参戦し、次々と敗れた。
プロレス界は急速に輝きを失った。
超満員5万人の前で試合をしてきた天龍だが、数十人の前で試合をしたこともある。
人気低迷を理由に、プロレスを辞めようとは思わなかった。
「天龍源一郎の戦いができない」。
65歳で限界を感じた天龍だが、最後の相手は、世代も全く違う新日本のトップレスラー。
時代を支えた男の意地もあった。
力士として13年、プロレスラーとして39年。
走り続けた格闘家人生が今、終わった。
65歳で現役、しかも引退試合の相手が、新日のエース、オカダですからねえ。
素晴らしいです!

では、11-17生まれの有名人です。
1790年アウグスト・フェルディナント・メビウス (独:天文学者,数学者(トポロジー,整数論))、1906年本田宗一郎(経営者,本田技研工業創業)、1925年ロック・ハドソン (米:俳優)、1934年井上ひさし(劇作家,小説家)、1942年マーティン・スコセッシ (米:映画監督『タクシー・ドライバー』)、1979年柴田勝頼(プロレス,総合挌鬪家)。
これもいいですねえ。
America- Tin Man


