まずは、飲み過ぎ注意!から。

クリスマスや忘年会で飲む機会も多いと思いますが、アルコールは適度に楽しみましょうね。

そして、アルコールだけではなくこちらも。

20代男性がカフェイン中毒死
眠気覚ましに清涼飲料水を常用 
2015年12月21日

 九州地方で今年、眠気覚ましをうたうカフェイン入り清涼飲料水を頻繁に飲んでいた20代男性がカフェイン中毒で死亡していたことが、福岡大法医学教室の分析で21日までに分かった。
胃の内容物にはカフェイン錠剤の可能性がある破片も混じっており、錠剤がどの程度死亡に関与したかは不明だが、同教室は飲料の大量摂取が原因とみている。
状況から自殺目的で一時的に大量服用したのではないという。

 厚生労働省食品安全部は「国内でのカフェイン中毒死は聞いたことがない」としており、常用での中毒による死亡は国内初の報告例とみられる。

こうした記事がでると、カフェイン入り飲料の売上が減る傾向にありますが、要は「過剰摂取」が問題なのであって、アルコール同様普通の量なら問題はありません。

例えば、醤油をがぶ飲みすれば死んでしまうくらい危険ですが、誰もそんなことしませんよね。

記事でも自殺目的ではと書かれていますので、非常識な摂取量だったに違いありません。

そして、思わず過剰摂取した場合は、すぐに吐いて出せば安心です。

「安心してください、吐いてますよ!」


続いての話題です。

年末の紅白歌合戦の曲目が発表されたようです。

<紅白歌合戦>曲目発表 
聖子は「赤いスイートピー」 幸子は「千本桜」
まんたんウェブ 12月21日(月)

 大みそかに放送される「第66回NHK紅白歌合戦」の曲目が21日、発表された。
松田聖子さんが「赤いスイートピー」、近藤真彦さんが「ギンギラギンにさりげなく」を歌うほか、初出場の「乃木坂46」が「君の名は希望」、「ラブライブ!」の声優陣によるユニット「μ’s」が「それは僕たちの奇跡」、レベッカは「フレンズ」を歌唱。
特別企画枠で出演する小林幸子さんは「千本桜」、MISIAさんは「オルフェンズの涙」を披露する。

 「第66回NHK紅白歌合戦」のテーマは「ザッツ、日本! ザッツ、紅白!」で、白組司会を「V6」の井ノ原快彦さん、紅組司会を女優の綾瀬はるかさん、総合司会を黒柳徹子さんとNHKの有働由美子アナウンサーが務める。
昨年に引き続き、歴代最長タイの午後7時15分~同11時45分(途中、5分間ニュースで中断)で放送される。

 ◇第66回NHK紅白歌合戦 曲目(敬称略)

【紅組】
E-girls「Dance Dance Dance」
▽いきものがかり「ありがとう」
▽石川さゆり「津軽海峡・冬景色」
▽今井美樹「PIECE OF MY WISH」
▽AKB48「AKB48 紅白 2015 SP~10周年記念メドレー~」
▽NMB48「365日の紙飛行機」
▽大原櫻子「瞳」
▽伍代夏子「東京五輪音頭」
▽坂本冬美「祝い酒」
▽椎名林檎「長く短い祭~ここは地獄か天国か篇」
▽島津亜矢「帰らんちゃよか」
▽Superfly「Beautiful」
▽高橋真梨子「五番街のマリーへ2015」
▽天童よしみ「人生一路」
▽AAA「恋音と雨空」
▽西野カナ「トリセツ」
▽乃木坂46「君の名は希望」
▽Perfume「Pick Me Up」
▽藤あや子「曼珠沙華」
▽松田聖子「赤いスイートピー」
▽水森かおり「大和路の恋」
▽μ’s「それは僕たちの奇跡」
▽miwa「fighting -Φ- girls」
▽レベッカ「フレンズ」
▽和田アキ子「笑って許して」

白組】
嵐「New Year’s Eve Medley 2015」
▽五木ひろし「千曲川」
▽EXILE「EXILE 紅白スペシャル 2015」
▽X JAPAN「紅白スペシャルメドレー ~We are X!~」
▽関ジャニ∞「前向きスクリーム!」
▽ゲスの極み乙女。「私以外私じゃないの」
▽郷ひろみ「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」
▽ゴールデンボンバー「女々しくて」
▽近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
▽三代目 J Soul Brothers「Summer Madness」
▽SMAP「This is SMAPメドレー」
▽SEKAI NO OWARI「プレゼント」
▽Sexy Zone「ニッポン Cha-Cha-Cha チャンピオン」
▽TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」
▽徳永英明「時代」
▽BUMP OF CHICKEN「ray」
▽氷川きよし「男花」
▽V6「ザッツ!V6メドレー」
▽福山雅治「デビュー25周年スペシャルメドレー」
▽星野源「SUN」
▽細川たかし「心のこり」
▽三山ひろし「お岩木山」
▽美輪明宏「ヨイトマケの唄」
▽森進一「おふくろさん」
▽山内惠介「スポットライト」
▽ゆず「かける」

 <特別企画>小林幸子「千本桜」
▽MISIA「オルフェンズの涙」

NHKさん、酷すぎます!

これでは2015年の紅白歌合戦になっていません。

例えば、この放送を5年前のものだといってみせても、多くの人はわからないのではないでしょうか?

出場者の選考にも問題ありですが、選曲はもっと問題です。

最近のヒット曲がない歌手は、昔の持ち歌でも仕方ないでしょうが、ゴールデンボンバーズは4年も同じ曲を歌わされているし、多くの歌手もナツメロ大会の状況です。

少なくとも乃木坂46は絶対「今、話したい誰かがいる」でしょうに!

まあ、今年もどうせみませんが・・


こちらも、気になる話題です。

反町“相棒” 視聴率伸び悩み「次の相手探し早まる」の声も
東スポWeb 12月21日(月)

 早めの交代となるか。
スタートこそ良かったものの、以後はイマイチ伸び悩んでいるのが新相棒に反町隆史(41)を迎えたドラマ「相棒 season14」(テレビ朝日系、水曜午後9時)。
さすがに最悪の事態こそなかったが、「次の相手探しが早まるのでは?」との声も聞こえてきた。

 法務省キャリア官僚という過去にない設定で登場した反町。
期待感の高まりもあって10月14日の初回は18・4%とまずまずの滑り出しだったものの、その後は15%前後を推移している。

「このクールは完全に話題を『下町ロケット』(TBS系、日曜午後9時)に持っていかれてしまった。
12月9日オンエアの8話では12・9%とかなり危険水域に近づいていました。
翌週の16日放送分は15・0%に持ち直しましたが」(制作会社関係者)

 もともと今回の新キャストは少々いわくつきとみられていた。
「テレ朝も主演の水谷豊さんも納得のキャストではなかった。
だから、スタートでコケれば1クールでの交代案(相棒は2クールが通例)もあったほど。
そのため法務省からの出向という“異動”させやすい役柄設定にしたとも言われています。
今回、1クールで降板という最悪のケースこそ免れましたが、局内ではこのままジリジリ落ちていくようなら、途中交代もあるのでは?って言われ始めましたよ」(同)。

 仮に水谷が心地よく演技ができても、数字が伸び悩めば“英断”が下されるのが「相棒」の世界。

「伸びない理由はいろいろあるでしょう。
それこそ『相棒』というコンテンツに限界がきたという声もあるくらいです。
ですが、数字が悪ければ結局“反町さんが”ってな話にはなりますよね。
さすがにまだ具体的にどうこうとまでは動き出してませんけども」(同)

 次回シーズンが始まるとみられる来年10月まで反町は出向していられるのか。
2クール目の挽回が期待される。
(視聴率は関東地区、ビデオリサーチ調べ)

どう考えても脚本の問題ですよ!

最近の内容は、発生事件自体に無理ヤリ感があります。

その無理さを強引に辻褄合わせするものだから、余計不自然になってしまう。

シリーズ10くらいにはよくあった、み終わった後の「なるほど」感は皆無です。

それから、有名ゲストをもっと活用すべきです。

最近は、仲間由紀恵も出てこないし、制作費をケチらないでもっと有名な俳優陣をキャスティングし、話題づくりすべきです。

お笑いタレントや最近ご無沙汰な俳優さんでもOKですので、話題性第一のキャスティングでいきましょう!

それから、今回相棒として、せっかく法務省出向というインテリ枠を設けたのだから、杉下右京をぎゃふんと言わせるくらいの知恵比べをして欲しいものです。

最初に流れるタイトルバックの二人のチェスシーン、そうした知的な推理合戦を期待していましたが、残念ながら反町の女好きでちゃらけたキャラのみ出てくるのでは誇大広告もいいところです。

こんな脚本では、たとえ相棒役が福山雅治やキムタクを使ってもだめでしょうねえ。

しかし、配役の悪口はよくききますが、脚本についてはあまり悪し様に批判する人がいないのは、何か業界の不文律でもあるのでしょうか?

ためしに、相棒現行シリーズとシリーズ6,7,10あたりを見比べれば、脚本の劣化は一目瞭然のはずなんだが・・

水谷氏も相手役の問題ではなくて、脚本の問題であることに、早く気づいて欲しいものです。

「ちっちゃいことが気になる性格」だけど大きなことには気づかないのかなあ!?



では、12-22生まれの有名人です。

1858年ジャコモ・プッチーニ (伊:作曲家『蝶々夫人』『トスカ』)。

さすが、ヘンリー・マンシーニ先生です!
Henry Mancini 映画「酒とバラの日々」 Days Of Wine And Roses
まずは、この問題から。

毎度のこととはいえ、公共工事の見積もりのように杜撰ですね。

ここまでくると、意図したものというより、もともと計算できない連中だった可能性のほうが高そうです。

東京五輪費用1.8兆円 組織委試算 
当初の6倍、公的資金投入は必至
産経新聞 12月19日(土)

 2020年東京五輪・パラリンピックに必要な会場整備や大会運営費が約1兆8千億円に上ることが18日、大会組織委員会の試算で分かった。
大会への立候補段階では約3千億円と見込んでおり、費用は当初の6倍に膨らむことになる。

 組織委では費用削減に向けて東京都や国との協議を急ぐが、最終的に大幅な公的資金の投入は避けられない見通し。
組織委は今後、都民や国民が納得する説明を求められる。

 関係者によると、組織委がスポンサーやチケット収入などで集められる資金は約4500億円と想定。
しかし、仮設競技会場の整備費や施設の賃借料、テロ対策の強化といった警備費などが当初の見込みを大幅に上回ることが判明した。

 費用の大幅な増加は人件費や資材の高騰などを要因とするが、選手らを輸送する首都高速道路に専用レーンを設置するための補償費や、会場周辺の土地賃貸料など当初は見込んでいなかった負担によるものもある。
これに国や都の会場整備費を加えると運営費は2兆円以上に上る。

 東京五輪の開催計画を記した「立候補ファイル」では、組織委の運営費は3013億円、東京都が会場の新設などで支出する額は1538億円の予定だった。

 五輪の経費をめぐっては、組織委の森喜朗会長が7月、日本記者クラブでの記者会見で「(大会経費が)2兆円を超すことになるかもしれない」と述べていた。

 12年ロンドン大会でも大会運営費が当初見込みを大幅に上回る約2兆1千億円となり、多額の公的資金が投入されている。

見込み違いが、何割の幅ではなく、6倍ですか!?

これで誰もお咎め無し?

人件費や建材費の値上がりだとしても、2倍にまではならないでしょうに。

結局、誤差分は国民の税金から支出すればいいという無責任でいい加減なやり方がずっと続いてきていますが、こうした問題を真摯に反省し、改善しようとする機運さえ、国会議員にみられないのは、どういうわけでしょう?

国民を食い物することしか考えていない議員なんて、存在価値ゼロ、いやむしろ有害です!


そして、補正予算案も発表されましたが・・

補正予算案“ばらまき”懸念拭えず 
「1億総活躍社会」実現へ緊急対策
SankeiBiz 12月19日(土)

 2015年度補正予算案は、安倍晋三政権の目玉政策「1億総活躍社会」の実現に向けた緊急対策が柱となる。
総額の約3割を重点配分し、介護施設の整備や保育所の整備前倒しなどによる早期の効果を期待している。
だが、来年夏に参院選を控えて緊急性や効果に疑問符がつく施策も含まれており、選挙対策の“ばらまき”との懸念は拭えない。

 「1億総活躍」の施策には、特別養護老人ホームなどの介護施設整備や、「3世代同居」を促すための建設費補助などを計上。
親らの介護を理由に仕事をやめる介護離職者(年間約10万人)を減らす環境整備に着手した。
特養入所待機者は約52万人に上っており、不安解消の観点からも効果が見込まれる。
来年5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)のテロ対策や、今年9月の東日本豪雨で鬼怒川の堤防が決壊したことを踏まえた河川整備など、緊急性の高い施策は国民生活の安全・安心につながるといえる。

 しかし、「1億総活躍」関連には、選挙対策と受け取られても仕方がない施策も含まれた。
その象徴は、低所得の高齢者に1人当たり3万円を配る給付金だ。
景気回復に伴う賃上げの恩恵が及ばない高齢者世帯の消費支出が低迷していることを踏まえ、政府はピンポイントでの消費刺激を狙う。
だが、その規模は09年の定額給付金(1万2000円)と比べても異例で、支給開始時期は参院選直前。
これには自民党内からも「高齢者の票目当てのばらまきと受け取られる」との批判は少なくない。

 消費拡大策としては14年度補正予算を活用し、自治体が発行した「プレミアム商品券」の方が、貯蓄に回る可能性のある給付金よりも効果的との指摘は強い。
国債費を2年連続で減額し、財政健全化への取り組みは示した形だが、17年4月の消費税再増税と同時導入する軽減税率の必要財源は1兆円に上り、財源確保のめども立っていない。
24日には来年度予算案が決定されるが、厳しい財政状況の中、「1億総活躍」の名の下に選挙対策の色合いが強い施策が盛り込まれていけば、国民の反応は冷ややかになる可能性もある。

「(政府の)ばらまき」っていうけど、原資は国民の金ですよね。

しかも、余裕のある財政状態ならまだしも、プライマリーバランスの黒字化は平成32年(5年後!)計画(あくまでも計算の出来ない省庁の作成した計画です!)まで先送りという状況下での自民党の選挙対策という側面が強いというのは、いくらなんでも酷すぎます。

今回の政策の目玉である「1億総活躍社会への実現」というカテゴリーでの予算規模が1兆1646億円ですが、その中の3624億円(全体の3割以上)が今回の選挙対策給付金ともいわれる低所得者で高齢者への一律3万円が占めています。

どうせ使うのなら、企業内保育所の補助や、24時間保育施設の拡充や、いわゆる「少子化対策」向けに子育て世代が現実の問題として直面している課題にてこ入れしたほうが効果的でしょう。

さらに、「国民生活の安全・安心の確保」というカテゴリーの中に、「マイナンバーカード関連」として283億円の支出が見込まれていますが、そもそも制度として導入しなければ発生しなかった費用です。

本当に、バカとしかいいようがない金の使い方です。

一般家庭にたとえるなら、かつては羽振りのよかった事業(バブル最盛期の日本経済)も既に下火となるも近所への見栄から現在の庭付き一戸建てを手離せず、さらに新車(マイナンバー制度)まで購入する、というような自己破産まっしぐらな無計画さです。

そして、与党内からこうした愚策への厳しい批判が聞こえてこないのも問題です。

自民党議員の中では、小泉進次郎のみが目立った反対をしているようですが・・

「バラマキ」財源は、「自民党が自由に使えるお金」ではなく「国民のお金」という意識がないために実行されることを考えれば、次の選挙では自民党にはきっちりお灸をすえる必要がありそうです。

勝たせればすき放題してしまう、驕れる自民党の歴史の繰り返しですが、いつまでこんなことを繰り返すのでしょうか?

小泉内閣の「塩ジイ」のようなご意見番が安倍政権にはいないのが致命的欠陥です。


そして、東京五輪のつまづきの始まりとなったこの問題の真相が明らかになりましたが・・

2015.12.19 産経新聞
【五輪エンブレム見直し】
密室の裏工作、審査映像にくっきり 
「嘆かわしい」「応募の労作に不誠実」

 「密室」の審査に隠されていた不正が暴かれた。
2020年東京五輪・パラリンピックの旧エンブレムをめぐり、大会組織委員会の外部調査チームが18日に公表した調査報告書。
佐野研二郎氏ら一部のデザイナーを優遇する“裏工作”が行われていたことが明らかになった。
不正はマーケティング局のトップが関与しており、調査チームは「誠に嘆かわしい事態」と批判した。

何かをささやく姿

 104点のエンブレム案が机上に並ぶ。
審査委員に与えられた20票のチップのうち、10票を投じただけで椅子に座り、談笑していた永井一正審査委員代表に、組織委の槙英俊・元マーケティング局長と高崎卓馬・元クリエイティブ・ディレクターが近づき、何かをささやく。
その後、高崎氏が1票しか獲得していない2点の作品を指さすと、永井氏はそこに自らのチップを置いた。
こうした状況は1次審査を記録したDVD映像に残されており、不正を見破る“動かぬ証拠”となった。

 調査チームによると、公募開始前に参加要請文を送った8人は国内を代表するトップデザイナーで、永井氏が佐野氏を含む6人、高崎氏が2人を指名。
「最高レベルのコンペを実現する」という永井氏の希望に配慮し、槙氏と高崎氏が8作品が全て2次審査に残るよう画策したという。

投票は応募者名を伏せて行われたが、審査委員で組織委スタッフでもある高崎氏は事前にリストを入手し、8人の作品がどれかを把握。
高崎氏がまず各作品に1票を置き、有利になるよう工作したが、終盤になっても2作品が通過ラインの2票に届かなかったため、永井氏に働きかけたという。

「結果主義」を批判

 「最高のエンブレムを送り出すため、小さな不公正を隠れて実行した」。
調査チームが行った延べ27人計32時間に及ぶ聞き取りでは、こうした声が聞かれたといい、調査チームは「『結果第一主義』にどっぷり浸かった仕事の進め方があり、現代の組織委に全くそぐわない」と批判した。

 また、佐野氏の提出した原案に類似した商標が見つかった際、組織委は2度にわたりデザインを修正したが、手続きは槙氏らが審査委に報告しないまま実施しており、調査チームは「審査委の責任と権限を明確にしておらず、不適切」と指摘した。
さらに応募時には入賞作品を8点選び、賞金10万円を贈るとしていたが、審査委では1位の作品を選ぶことに終始し、入選作を決める手続きすら全く行っていなかったといい、調査委は「応募者の労力に対する配慮を著しく欠き、不誠実というほかない」と批判した。

調査チームの報告内容、「小さな不公正を隠れて実行した」という認識にも問題ありです。

これは「談合」という大きな不正です。

この調査で電通メンバーが中心的な役割を演じたというのがはっきりしたわけですから、今回の東京五輪に電通は参画させないくらいのペナルティを出してしかるべきだと思いますがねえ。

この点でも、大甘な対処ありきの出来レースだった感が漂います。

そしてまた、このオヤジは・・

【五輪エンブレム見直し】産経新聞
森会長「反省」 「全部開示しなければいけないのか」と疑問も

 「今は昔と違って、物事を決めるときは情報を開示して、見えるようにしていかなければならない。
時代の流れ。
その点については失敗したと思っている」。
調査チームの報告書公表に先立ち、記者会見した大会組織委の森喜朗会長は「反省している」と述べた。

 ただ、「担当から『長野(五輪)でも札幌でもこうやっている』と言われれば、『ああそうですか』となる。
何もかも会長と事務総長が決めるわけではない」とも反論。
「本当に全部を開示しなければいけないのか」と疑問を呈す一幕もあった。

 調査チームの会見は、元東京地検検事で弁護士の和田衛氏が中心に説明。
和田氏は報道陣のほぼ全ての質問に答えたが、「全ての審査委員から聞き取り調査ができたのか」との質問には、2人から協力を得られなかったとした上で、「名前と拒否の理由は控えさせていただく」と述べた。

やはり、なーんにもわかっていない人なんですね。

あなたのように裏でこそこそ画策する人がいて、都合の悪い部分だけを意図的に隠そうとするから、全面開示が必要なのです。

そもそも不正を正し、国民の信頼を取り戻す責任のある立場の人の発言がこれですからねえ。

ホント、先が思いやられます。


では、12-20生まれの有名人です。

1852年北里柴三郎(細菌学者「日本細菌学の父」)、1880年山川均(社会主義思想家)、1921年五味康祐(小説家『喪神』『柳生武芸帳』)、1922年ジョージ・ロイ・ヒル (米:映画監督『明日に向かって撃て!』)、1940年野口悠紀雄(経済学者『バブルの経済学』『「超」整理法』)、1946年ユリ・ゲラー (イスラエル:超能力者)、1951年鈴木茂(ギタリスト,音楽プロデューサー)、1955年野田秀樹(劇作家,演出家)、1972年力皇猛(力櫻猛)(プロレス,相撲)。

今日が誕生日のジョージ・ロイ・ヒル監督の代表作「明日に向かって撃て」の挿入歌ですね。
雨に濡れても B.J.トーマス
悲しい顛末でしたが、こうした取り組みにつながったことは評価できます。

東北大病院を変えた ある女子高生の死
読売新聞(ヨミドクター) 12月18日(金)

 東北大病院の正門前にそびえる高さ約3メートルの救命救急の碑。
元病院長の山田章吾(67)は碑を建てるきっかけになった16年前の事故を一日たりとも忘れたことはない。

 1999年6月23日午後6時35分頃、病院正門前の歩道で自転車に乗っていた宮城一女高(現・宮城一高)2年の女子生徒(当時16歳)がバランスを崩して車道に倒れ、後ろからきた市バスにひかれた。
「痛いよ」。苦渋の表情を浮かべていた。

 居合わせた誰もが、目の前にある東北最大の医療機関に搬送されると思った。
ところが、女子生徒を乗せた救急車が向かったのは、約3キロ離れた別の病院だった。
当時、東北大病院に救急部はあったが、現在の高度救命救急センターのように常時患者を受け入れていなかった。診療は夜間や休日に限られていた。

 研究第一主義を掲げ、不測の患者に対応する救急医療は研究の妨げになる――。
そんな意識が大学側にあったのかもしれない。
女子生徒は約3時間後、息を引き取った。

          ◎

 「行ってきます」。
朝、いつものように元気に家を出た娘がベッドで人工呼吸を受けていた。
女子生徒の母(59)は搬送先の病院に駆けつけた瞬間、腰から崩れ落ちた。
娘の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 新体操部の練習が終わり帰宅すると、リビングで片方の足を持ち上げて、クルクルと回った。
「見て見て」。愛くるしい姿を父(61)は今も忘れられない。

 「目の前の大病院に運んでくれれば、娘は助かったのではないか」。
そんな思いが、母の頭を行ったり来たりした。
夫とともに精神科に通い、安定剤をのんだ。

 どん底にあった家族を救ってくれたのは、事故現場に供えられた花だった。

          ◎

 事故から4年後の2003年、両親は東北大病院に呼ばれた。
病院長室で「助けてあげられず、申し訳ありませんでした」と頭を下げたのは、その前年に病院長に就任していた山田だった。
山田を含めた3人の目から涙があふれ出た。

 山田が病院長になって最優先課題としたのは救急医療の充実だった。
専門はがんの放射線治療で門外漢だったが、事故現場に絶えることなく手向けられる花を見て、碑を建てることに決めた。

 04年4月の除幕式で、山田は「救急医療に対する東北大病院の決意を示すものだ」と述べた。
「目の前で倒れた人に手を差し伸べることができなかった。ここで医療に携わる者は、その反省をずっと胸にとどめてほしい」と願いを込めた。

 06年、院内に開設された高度救命救急センターには、東日本大震災の際、80人を超える患者がヘリで搬送されるなど、多くの命を救った。
女子生徒が生きた年月と同じ16年が過ぎ、母は言う。
「そのきっかけを作ったのは娘だった。今はこう自らを納得させているんです。娘は、このために生まれてくれたんだなって」

◇高度救命救急センター:
 救急患者を24時間体制で診療する。通常の救急救命センターでは治療が難しい、広範囲のやけどや指の切断、急性薬物中毒など重症患者にも対応する。
専任医師は約30人。専用ベッドが20床以上あり、屋上にヘリポートを備える。

小さな命が、病院の経営姿勢を変えたわけですが、多くの病院は相変わらず金勘定ばかりなのではないでしょうか。

こうした素晴らしい病院をもっとマスコミが取り上げることで、後に続く病院が出てくるようきちんと頑張りたいものですね。

このささやかなブログもその一助になればと願っています。


続いての話題です。

そして、こちらの女性もたった一人で大きく世の中を変えました。

マザー・テレサの二番目の奇跡、法王が認定 列聖に弾み
AFP=時事 12月18日(金)

【AFP=時事】ローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王が、故マザー・テレサ(Mother Teresa)による二番目の奇跡を承認したと、カトリック系日刊紙「アべニーレ(Avvenire)」が18日に報じた。
来年の「聖人」認定へ向けた地ならしだとしている。

マザー・テレサ「上司だったら怖かった」、法王が冗談

 バチカン情勢に詳しい同紙のステファニア・ファラスカ(Stefania Falasca)氏によると、フランシスコ法王は来年9月4日、「聖年(Jubilee Year)」の慈悲の一環として、人々から愛された修道女マザー・テレサを列聖する見通しだという。

 これに先立ち、列聖省(Congregation for the Causes of Saints)が3日前に専門家の委員会を招集し、複数の脳腫瘍に苦しむブラジル人男性が回復した事例についてマザー・テレサの奇跡によるものと認定したと、同紙は伝えている。

 アルバニア人の両親のもと現在のマケドニアの首都スコピエ(Skopje)で生まれたマザー・テレサは、インド東部コルカタ(Kolkata)のスラムで病気や死にひんした貧しい人々のために働くことに生涯をささげ、「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」を創立したことで世界的に知られる。
1979年にノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞。
1997年に87歳で死去した。【翻訳編集】 AFPBB News

ということで、マザー・テレサについてです。

マザー・テレサ(Mother Teresa、本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ (Agnesë Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。

「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。
カトリック教会の福者。
コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。

生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

カルカッタの修道女:
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアのスコピエ)に生まれた。
翌27日は彼女が洗礼を受けたキリスト教徒としての誕生日である。
母のドラナ (Drana) はアルバニア人であったが、父のニコル(Nikollë) は少数民族の(ルーマニア人と同系の)アルーマニア人の出身であった。

父は実業家でアルバニア独立運動の闘士であったが急死(暗殺説もある)、彼女は3人の子供たちの末っ子であった。
両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かったことを考えると珍しい家族であった。

アグネスの幼少時代についての記録はほとんどないが小さいころから聡明な子で12歳の時には将来、インドで修道女として働きたいという望みを持っていたといわれる。
18歳のとき、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入った。
ロレト修道女会は女子教育に力を入れている修道会であった。
アグネスはダブリンで基礎教育を受けると修練女として1931年にインドのダージリンに赴いた。
初誓願のときに選んだ修道名がテレサであった。
この名前はリジューのテレーズからとっている。
1937年に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになった。

1929年から1947年までテレサはカルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で地理を教えていた。
彼女は子供の頃から地理が好きで、また、ユーモラスな彼女の授業は、学院の女学生達の間で大変人気が有ったらしい。
1944年には校長に任命されている。
上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていた。
彼女自身の言葉によると1946年、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めたがバチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えなかった。
それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していた。

1948年、ようやく教皇・ピウス12世からの修道院外居住の特別許可が得られた。
テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街の中へ入っていった。
彼女はインド女性の着る質素なサリーを身にまとい、手始めに学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うようになった。
やがて彼女のもとに聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになる。

神の愛の宣教者会の創立:
1950年から修道会設立の許可を得た。
これが「神の愛の宣教者会」である。
テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。
テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。

インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院をゆずりうけたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。
以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。

活動の初期の頃は、地元住民たちは、キリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。
しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対しては、その者の宗教で看取っていた。

ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。
1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動は全インドに及ぶようになった。
さらに1965年以降、教皇・パウロ6世の許可によってインド国外での活動が可能になった。
インド以外で初めて宣教女が派遣されたのは南米・ベネズエラであった。
以後、修道会は全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになる。

世界のマザー・テレサ:
テレサの活動はカトリック教会全体に刺激を与え、「神の愛の宣教者修道士会」(1963年)や「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。
1969年、アメリカ人のマルコム・マッグリッジが撮ったドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために』(Something Beautiful for God) および同名の書籍によってテレサの活動はアメリカのみならず、全世界で知られるようになった。
この作品の取材をする中でマゲッリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、後にカトリック教徒になっている。

1971年、教皇・パウロ6世は自らが制定した勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」の最初の受章者としてテレサを選んだ。
これを皮切りに多くの賞がテレサに与えられることになる。
ケネディー賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞(1975年)、アメリカ合衆国大統領自由勲章(1985年)、アメリカ合衆国名誉市民(1996年)、議会名誉黄金勲章(1997年)、これらにくわえて数多くの大学の名誉学位を受けた。
アメリカ合衆国名誉市民としては5人目(存命中はチャーチルに次いで2人目)、またアメリカやその同盟国の政治家・軍人以外としては初めての授与である。

こういった賞の中で最も有名なものは、もちろん1979年に受けたノーベル平和賞であろう。
テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと皮製のサンダルという粗末な身なりで出席した。
賞金19万2000ドルは全てカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては、「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
賞金を受け取った時、「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」。

1982年にはテレサはイスラエルとパレスティナの高官にかけあって武力衝突を一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていたベイルートの病院の患者たちを救出している。

晩年と死:
1983年、高齢のテレサはヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われた。
1991年にはペースメーカーをつけた。
この年、優れない健康状態を押して故郷・アルバニアに最初の支部を設立している。
これはテレサの念願であった。
また同年、テレサは健康状態を理由に総長の辞任を願い出たため全会員による無記名投票が行われた。
結局賛成票を投じたのはテレサ本人だけであとはすべて反対であったため、彼女は総長に留任することを同意した。。

1997年4月、テレサは転倒して首の骨にひびが入り8月にはマラリアに罹患した。
すでに心臓の状態が悪化していたため、総長職は1997年3月に退いていた。
1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタにて87年の生涯を終えた。

テレサが亡くなったとき「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610箇所で活動を行っていた。
活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである。

宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀はインド政府によって国葬として盛大に行われた。インドの大統領や首相以外で国葬されたのは彼女と2011年4月に死去したサティヤ・サイ・ババのみである。
彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。
その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなった。

列福までの道のり:
1997年、テレサの死後すみやかに列福・列聖調査がはじめられた。
通常は死後5年を経ないと始めることはできない規定なのだが、テレサの場合は生前から聖女の誉れが高かったことと、彼女の業績を極めて高く評価していたヨハネ・パウロ2世が前倒しを強く求めたため、例外的に5年を待たずに始められたのである(この例外は、2005年4月に帰天した当の教皇ヨハネ・パウロ2世自身にも適用された)。

マザーの列福のために報告され、後日、奇跡として認められた事例に、非カトリックのインド人女性モニカ・ベスラの治癒がある。

1998年、彼女は34歳の時、腹部の腫瘍を患い病んでいた。
「胃に腫瘍ができ、日に日にそれは大きくなっていきました。人々は私が妊娠していると思っていました」とモニカ自身が述懐する。

シリグリ( 西ベンガル州) のR.N .Bhattacharya 医師は、腫瘍は7ヶ月の胎児と同じ大きさだったと証言する。

「すぐに手術しなければ、ベッドの上で死んでしまうと思いました。」
しかし、患者はひどい貧血症も煩っていたために、手術は不可能であった。

医学的治療では治る希望がなくなった時、彼女は神の愛の宣教者会が経営する「死に行く人のための家」に赴いた。
マザー・テレサの帰天一周年の次の日に、彼女はその家の礼拝堂に連れて行ってくれと頼んだ。
そこで治癒を願おうと思ったのである。

「礼拝堂に入ると、マザー・テレサの写真が目に入りました。
そのとき、あたかも一条の光が私に向って飛び出たように感じ、私は体が麻痺したように感じました。
その後、シスターたちは私のためにお祈りしてくれて、私は眠りにつきました。
朝の一時に目が覚めると、腫瘍がなくなっていたのです。」

その突然の完全な治癒は医者たちを驚かせ、その後にその医師たちは自分たちの診断が間違っていなかったと強調して、あらゆる必要な証拠を提出した。

治癒の後で、腫瘍を検査するためにした小さな外科手術の跡をも見つからなかった。
立ち会った医師は、「これは私の医師としての人生で出会った最もすばらしい経験の一つです」と言う。

列福のための正式な手続きは、2001年の8月にカルカッタ(現:コルカタ)司教区の特別委員会が報告書を取りまとめ、ローマ法王庁列聖省に提出している。

この報告書は重病や貧困に苦しむ人々に対するマザーの献身的活動や、列福に値することを示すため、マザーに対する執り成しの祈りによる奇跡的行為なども盛り込まれており、ページ数は35000ページにも及ぶ。

列福・列聖には通常、対象者の死後数十年かかるが、マザーの献身的活動が生前から世界中の尊敬を集めてきたこと等により、1999年、ヨハネ・パウロ2世は手続きを早める特例を認めた。

2003年10月19日、ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言した。

通常は本人の死後、福者の認定を受けるまで少なくとも数十年の審査が必要とされている現状を考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さである(さらに列聖には、場合によっては数百年の時間をかけて審査が行われることもある。福者は聖人の前段階)。(ウイッキペディア)

そして、最初の記事が2回目の奇跡だったわけですね。

常識でははかり知れない出来事が、世の中にはあるということです。

そして本来、宗教の力の根源は「争いや憎しみ」ではなく「アガペ(無償の愛)」だということを紛争にうつつを抜かしている世界の宗教指導者たちは再認識して欲しいものです。


最後は、寒い季節にはやはり、コレ!

10年連続で「もう一度行ってみたい温泉地ランキング」
1位に選ばれたのは?
@DIME 12月16日(水)

 株式会社リクルートライフスタイルに設置された観光に関する調査・研究、地域振興機関「じゃらんリサーチセンター」は、旅行サイト『じゃらんnet』会員および『じゃらんnet』を利用した人を対象に、温泉地利用に関するアンケートを実施した。
本調査は本年度で10回目の実施となる。

■全国人気温泉地ランキング(もう一度行ってみたい温泉地)

「箱根温泉」は調査開始から10年連続で1位。
「草津温泉」が「由布院温泉」から2位を奪還。
4位の「別府温泉郷」、5位の「登別温泉」はそれぞれ3年連続。
トップ5の顔ぶれは5年連続で同じとなった。

 10位には「乳頭温泉郷・水沢温泉郷・田沢湖高原温泉」が入り、前年より3ランクアップで、初の東北勢ベスト10入りを達成。
他、28位「秋保温泉」(+10ランク)、37位「十和田湖温泉郷・十和田湖畔温泉」(+6ランク)、46位の「銀山温泉」(+7ランク)など、東北には順位を上げている温泉地が多い。

 また、北陸新幹線が開業した北陸エリアでも、16位「和倉温泉」(+3ランク)、45位「宇奈月温泉」(+5ランク)などが順位を上げている。

■全国人気温泉地、上位温泉地の選択理由

●2014年以降、「草津温泉」と「由布院温泉」が毎年入れ替わる激しい2位争い

「もう一度行ってみたい」温泉地の上位5温泉地について、これまでの順位変動をみたものが以下である。
1位は10年連続「箱根温泉」で変わらないが、2位については、2014年以降、「草津温泉」「由布院温泉」が毎年入れ替わる形で推移しており、激しい2位争いをしている。

■「もう一度行ってみたい」上位5温泉地の順位変動(2007~2016)

●1位「箱根温泉」が選ばれた理由としては「交通」、「街の雰囲気」、「自然」が上位に挙がる。「手頃な料金」も評価が高い

●2位の「草津温泉」は、「街の雰囲気」で選ばれる割合が上昇、「効能や泉質」を上回る

「もう一度行ってみたい」温泉地上位3温泉地の選択理由および2012年からの時系列変化を以下に示した。

 1位の「箱根温泉」は「交通の便が良いから」(60%)、 「街の雰囲気が好きだから」(50%)、「自然に囲まれているから」 (45%)、「手頃な料金で行けるから」(34%)の4項目がバランスよく高いのが特徴。
また今年は「温泉の効能や泉質が好きだから」で選ばれる割合が対前年比で上昇している。

 2位の「草津温泉」はこれまでは「効能や泉質」がトップだったが、「街の雰囲気」が最も多い理由となった。
3位の「由布院温泉」は「街の雰囲気」と「自然」、「効能や泉質」の3項目が高く、前年と比べて「効能や泉質」「交通の便が良いから」の2項目が上昇している。

【調査概要】
調査時期:2015年8月18日(火)~ 2015年8月26日(水)
調査対象:『じゃらんnet』会員または『じゃらんnet』予約者
調査方法:インターネット上でアンケートを実施
回収数:1万2062人

寒くても、暖かい湯船に体を浸かるだけで生き返ります。

温泉最高ですね!


では、12-19生まれの有名人です。

1909年埴谷雄高(小説家『死霊』『闇のなかの黒い馬』)、1910年ジャン・ジュネ (仏:小説家『泥棒日記』)、1915年エディット・ピアフ (仏:シャンソン歌手)、1935年一峰大二(漫画家)。

アラン・ドロンと名曲の組み合わせ、最強です。
映画「太陽がいっぱい」 フィナーレ