紛れもない地震大国、日本の行政は過去の経験から一体何を学んできたのか!?
深刻「食とトイレ」西原村の避難所 3食おにぎり1個
スポニチアネックス 4月18日(月)
地震が続く熊本、大分両県で17日、余震とみられる揺れが相次ぎ、自宅などから避難した人は両県で最大約19万6000人に上った。
地震活動は終息の気配がなく、避難は長期化する恐れが出てきた。
避難所では救援物資の不足が深刻化している。
熊本県南阿蘇村では女性1人が心肺停止状態で見つかり、その後死亡を確認。
震度7を観測した14日以降の地震による死者は計42人となった。
【阪神大震災被災 岩田記者現地ルポ】熊本県益城町の被害の大きさが伝えられているが、東側に位置する西原村も、どこを歩いても崩れた家ばかり。
村内の約2300棟の住宅のうち344棟が全壊し、1087棟が半壊。
6割強が崩れたことになる。
住民の大半は西原中学校に身を寄せていた。
避難生活が3日を過ぎ、「食とトイレ」問題が鮮明になっていた。
西原中で支給される食べ物は、15日から1日3食、おにぎりだけ。
それも1人に1食1個。
近くに住む古庄キヨコさん(67)は「塩も利いてないし、漬物もない。水だけで食べなくてはいけない」と話した。
それでも17日には、給水車1台と炊事車2台とともに自衛隊が到着。
キヨコさんは「おにぎり1個は同じだけど、大きさが2倍くらいになった」と笑顔を見せた。
馬場侑翔くん(11)は「大きくなったのはうれしいけど、おかずも欲しい。唐揚げが食べたい」と話した。
益城町の避難所では、取材した15日の時点で既にペットボトルの水や、箱入りの非常食セットなどが配られていた。
避難所ごとの差に驚いた。
より深刻なのはトイレだ。
西原中には体育館だけで約400人が寝泊まりしているが、校内にあるトイレは2カ所だけ。
男子の大便器は校内に2基しかなかった。
近隣の公共施設のトイレも開放されているが、隣接する村役場の2個を除けば歩くのが面倒な距離にあった。
市の職員によると「役場の外に仮設トイレもあったが、前夜の強風で倒壊した」という。
いずれのトイレも断水しているため、水をバケツに用意して流す必要がある。
当然、手を洗う水はない。
紙は便器に流さずゴミ箱に捨てる。
校内の一角には、花壇に穴を掘り、ブルーシートで前後左右を覆っただけの“青空トイレ”が4個設けられていた。
この日も風が強く、ブルーシートがまくれあがり、中が見えることもあった。
30代の女性は「ここでするのは、ちょっと考えられないですね」と困惑顔だった。
だが使わざるを得ないケースもあるはずだ。
体の不自由な母親と避難している60代女性は「トイレが大変。仕方がないから、裏の畑などでするしかない」と訴えた。
体を休められる場所の確保と簡易トイレの設置と迅速な食料の配給、これが最低限の緊急3点セットです。
震災のたびに被災地対応で右往左往するのではなく、マニュアル化しておくべきです。
そのためにも、日本に配備されるオスプレイは宝の持ち腐れとならない迅速な活用を望みます!
オスプレイ、熊本地震でどう活動?
安全に懸念は? ネパールの前例
乗りものニュース 4月18日(月)
「オスプレイ」である必要性は乏しい?
2016年4月17日(日)、安部首相は在日米軍から申し入れがあった熊本地震における航空輸送支援について、受諾する旨を明らかにしました。
これを受けて、アメリカ海兵隊は普天間基地(沖縄県)よりMV-22B「オスプレイ」垂直離着陸輸送機を4機、岩国基地(山口県)へと派遣。
18日中にもさらに4機、増派される予定です。
日本において発生した災害で、「オスプレイ」が派遣されるのはこれが初の事例となりますが、その特性や性能はどのように活かされることが想定されるでしょうか。
「オスプレイ」は飛行機に準ずる非常に優れたスピードと航続距離を持ち、かつヘリコプターのような垂直離着が可能な「ティルトローター機」です。
こうした性能は、遠方に急遽展開したり、物資や人員を空輸するといった任務において発揮されます。
しかし今回の、本拠地である普天間基地から拠点となる岩国基地までの飛行は、それほど遠いとはいえません。
また、岩国基地から被災地へ支援物資を輸送する際は200km前後の短距離を往復することになりますから、航続距離はあまり関係がなく、高速性能によって短縮できる時間も片道あたり十数分程度でしょう。
負傷者などの急患輸送を担った場合でも、最寄りの医療拠点までせいぜい数十kmですから加速することもできません。
したがって、「オスプレイである必要性」はあまり無いといえます。
なぜ「オスプレイ」が派遣されたのか?
では、なぜアメリカ海兵隊は「オスプレイ」を派遣したのでしょうか?
その答えは、単純に「オスプレイ」がアメリカ海兵隊の主力輸送機であるからという理由にほかなりません。
「オスプレイ」は現在、普天間基地に2個飛行隊およそ24機が常駐しており、在日米軍が運用する航空機のなかで最も数が多い機種のひとつです。
もし仮に「オスプレイ」の前任機であったCH-46「シーナイト」ヘリコプターが現在も海兵隊に配備され続けていたとしたならば、「シーナイト」が派遣されていたに違いありません。
実際、「シーナイト」は東日本大震災における「トモダチ作戦」へ投入されました。
今回の航空輸送支援において、「オスプレイ」特有の性能を最大限活かす状況はほとんどありませんが、ほかのヘリコプターと同じように使える「オスプレイ」は輸送任務に十分貢献できるでしょう。
安全面の懸念は?
一部において、「オスプレイ」は垂直離着陸を行う際に発生する「ダウンウォッシュ(吹き降ろしの風)」の強さから、災害救助には不向きではないのかという懸念の声もあがっています。
「オスプレイ」が比較的ダウンウォッシュの強い機体であることは事実であり、2015年4月のネパール地震に派遣された機体は小屋を吹き飛ばしてしまいました。
しかしこれは「オスプレイ」特有の問題ではなく、自衛隊も保有するCH-47「チヌーク」など大型のヘリコプター全般にいえる弱点です。
「オスプレイ」はある意味で政治的シンボルと化してしまっているため、小屋を吹き飛ばしたことがことさら欠陥のように繰り返し喧伝されていますが、ダウンウォッシュで地上の構造物を吹き飛ばした事例はそれほど珍しいものではなく、過去、自衛隊のヘリコプターにおいても発生しています。
ダウンウォッシュ対策はそれほど難しい問題ではありません。
学校や駐車場、または空き地など、ある程度の面積が確保できる場所へ着陸が可能な場合の輸送は「オスプレイ」を優先的に割り当て、狭い場所への着陸を余儀なくされる場所へはUH-60J「ブラックホーク」など別の機種を用いることで簡単に解決します。
以上のように、「オスプレイ」はほかのヘリコプターとほとんど同じように活動することとなります。
「オスプレイ」が輸送任務にあたることに対して、過度に不安視する必要は全くありません。
四の五の言わずに緊急事態なんだから、使えるものはすべて有効活用すべきです。
今後のためにも、緊急事態における具体的な対応マニュアル(地方自治体を巻き込んだ被害状況による細かな段取り)の作成、公表は早急にすべきです。
閑話休題。
野島伸司脚本の話題作、日曜ドラマ「Our House」が始まりました。
芦田愛菜のブラック娘振りが話題になっていますが、脚本があざと過ぎて・・
まず、娘の悪意は父親の新しい彼女(娘にとっては母親)に向けられていますが、どう考えてもだめ親爺(山本耕史演じる音楽家)に向けられるべき性質のものでしょう。
女は鳴り物(テナーサックス)に弱いもの、って説得力ゼロの舞台設定では、この後の展開もみる気がなくなりました。
フジテレビのドラマ、今クルーは総崩れの予感が・・・
続いて、こちらもテレビの話題です。
先日テレビ放映されていたドキュメンタリー「生きて」をみました。
元奨励会員で30歳の天野貴元の記録です。
詳細は「独女ちゃんねる」から転載させていただきます。
2016年4月3日(日)放送、
フジテレビ系「ザ・ノンフィクション」生きて~天野貴元30歳~
14時00分~14時55分
アマチュア棋士・天野貴元、享年30歳。
口腔がんで余命宣告されながらも、プロ棋士と闘い、勝負にこだわり続けた天野貴元の生涯をドキュメント放送される。
口腔がんで舌のほとんどを除去して、最後まで戦った天野貴元はいったいどんな人物だったのか?
放送に先駆け紹介する。
天野貴元さんは、子供のころから父親の影響で将棋に触れ、6歳で羽生善治名人も所属した八王子将棋クラブに通い始めた。
このころから将棋の才能を発揮し、10歳でプロ棋士養成機関「奨励会」に入会し16歳で三段に昇段した。
いまや前人未踏の将棋の七冠を達成した羽生名人に「天才少年」と呼ばれるようになる。
しかし、自分の才能を過信し、将棋熱が冷め、プロ棋士になれる才能を持ちながらも挫折、自堕落な生活を送るようになり、プロへの道をあきらめることになる。
アマチュアに甘んじ、荒れた生活を送っていたある日、悲劇が襲う。
27歳になった時、舌がはれ上がり、うまく喋れなくなってしまう天野貴元さん。
病院で診てもらうと口腔がんと診断され、舌のほとんどを除去をしないと助からないと告げられる。
口腔がんは、患者自身でも、医師でも直接患部を目で見て触ることができるので早期発見が容易と思われるが、早期発見率は患者全体の20%しかないという。
その理由は、口腔がんの初期症状が口内炎や歯肉炎と似ているため、がんと気付かず、かなり進行してから病院に行く人が多い。
口腔がんを発症する患者数は多くないが、このような早期発見率の低さによって、死亡率が高い結果になっている。
天野貴元さんも同じく、発見できたが、まさか癌とは思わなかったため、病院に行くのが遅れてしまった。
発見された時には、腫瘍の大きさは4cm以上、ステージⅢの危険な状態でこのまま放置すると、ほかに転移する可能性があると告げられる。
天野貴元さんの舌がんはすでに、舌を切除などせずに治癒することが出来なくなっていたことから、除去を決断。
しかし、除去したことで言語障害になってしまう。
その後、体重が30キロ台にまで激ヤセしても、抗がん剤治療を拒否し続けた。
闘病を自身のブログ「あまノート」で公表しながら大会に強行出場。
その理由はプロ棋士へ再挑戦、夢を諦めてしまった自分への戒めだった。
がんと闘いながら大会に出場し続けた天野貴元さん。家族の支え、応援を受けながら天野貴元さんは大会に出場し続けた。
2014年、悪夢が再び襲う。
がんの再発、肺にがんの転移が見つかり、医師から告げられたのは余命1年宣告。
それでも天野貴元さんは諦めなかった。
苦しい闘病生活を送り、プロ棋士になることを夢見ながら闘い続けた。
しかし、2015年10月27日 午前0時2分、都内の病院で天野貴元さんは最後まで、プロ棋士になることを諦めず、がんと闘ってこの世を去った。
ザ・ノンフィクションでは、30歳の若さで亡くなった、天野貴元さんの壮絶な闘いを続けた人生をドキュメントで放送される。
16歳で3段は現在でも異例のスピード昇進です。
彼が、抗がん剤を拒否し続けたのは、思考がクリアでなくなるから、つまり将棋のことが考えられなくなるから。
夭折の天才、村山聖も同様に苦しみました。
しかし、テレビをみていて1つだけ気になる箇所がありました。
それは、横浜の将棋大会のあと、気分が悪くなり、会場からタクシーで帰宅するところ。
1万円を越えたタクシー代(しかもスタッフは同乗)は、てっきりテレビ局が取材費で払うのかと思いきや、母親が支払っていたのです。
何かと医療費などの出費がかさむのに、配慮なさすぎ。
おい、テレビ局、そこは映さないで君らが払えよ!
無駄な経費を湯水のように使うのに、こういうところだけ渋ちんを発揮するんだね!
そして番組では、亡くなる1ヶ月前に広島まで山陽地方予選枠を勝ち取ろうと遠征して指しましたが、3回戦で敗退。
最後に、テレビ局のスタッフ(幸田さん)の何気ない一言がさらに彼を苦しめる。
「取材を1年位してきて、天野さんの体調が悪くて、将棋に負けることが多いじゃあないですか?それでもやり続けるのは、負けるのにも何か意味があるのですか?」
自分の命を削りながら将棋を続け、勝とうとしてなかなか勝てずもがき苦しむ相手に向かって、この質問は酷です!
残された命を奨励会で達成できなかったプロとの対局という夢を実現させるためだけに、生きる気力を傾けているのだが、結果が伴わない苦しみとあせり。
病気の苦しみ以上に彼にとっては向き合いたくなかった現実だったに違いありません。
鈍感な私でも、今回の地震で、改めて命の大切さを、完治しない闘病と向き合う姿で、生きていられるありがたさを学ぶことが出来ました。
では、4-19生まれの有名人です。
1772年デヴィッド・リカード (英:経済学者)、1870年西田幾多郎(哲学者『善の研究』)、1901年岡潔(数学者(多変数関数論))、1912年源氏鶏太(小説家『英語屋さん』『三等重役』)、1935年久世光彦(演出家,脚本家『時間ですよ』)、1937年庄司薫(小説家『赤頭巾ちゃん気をつけて』)、1966年エル・サムライ (プロレス)、1970年ルイス・ミゲル (メキシコ:歌手)、1988年小嶋陽菜(タレント(AKB48))。
このけだるさがたまらない!
TLC - Waterfalls
深刻「食とトイレ」西原村の避難所 3食おにぎり1個
スポニチアネックス 4月18日(月)
地震が続く熊本、大分両県で17日、余震とみられる揺れが相次ぎ、自宅などから避難した人は両県で最大約19万6000人に上った。
地震活動は終息の気配がなく、避難は長期化する恐れが出てきた。
避難所では救援物資の不足が深刻化している。
熊本県南阿蘇村では女性1人が心肺停止状態で見つかり、その後死亡を確認。
震度7を観測した14日以降の地震による死者は計42人となった。
【阪神大震災被災 岩田記者現地ルポ】熊本県益城町の被害の大きさが伝えられているが、東側に位置する西原村も、どこを歩いても崩れた家ばかり。
村内の約2300棟の住宅のうち344棟が全壊し、1087棟が半壊。
6割強が崩れたことになる。
住民の大半は西原中学校に身を寄せていた。
避難生活が3日を過ぎ、「食とトイレ」問題が鮮明になっていた。
西原中で支給される食べ物は、15日から1日3食、おにぎりだけ。
それも1人に1食1個。
近くに住む古庄キヨコさん(67)は「塩も利いてないし、漬物もない。水だけで食べなくてはいけない」と話した。
それでも17日には、給水車1台と炊事車2台とともに自衛隊が到着。
キヨコさんは「おにぎり1個は同じだけど、大きさが2倍くらいになった」と笑顔を見せた。
馬場侑翔くん(11)は「大きくなったのはうれしいけど、おかずも欲しい。唐揚げが食べたい」と話した。
益城町の避難所では、取材した15日の時点で既にペットボトルの水や、箱入りの非常食セットなどが配られていた。
避難所ごとの差に驚いた。
より深刻なのはトイレだ。
西原中には体育館だけで約400人が寝泊まりしているが、校内にあるトイレは2カ所だけ。
男子の大便器は校内に2基しかなかった。
近隣の公共施設のトイレも開放されているが、隣接する村役場の2個を除けば歩くのが面倒な距離にあった。
市の職員によると「役場の外に仮設トイレもあったが、前夜の強風で倒壊した」という。
いずれのトイレも断水しているため、水をバケツに用意して流す必要がある。
当然、手を洗う水はない。
紙は便器に流さずゴミ箱に捨てる。
校内の一角には、花壇に穴を掘り、ブルーシートで前後左右を覆っただけの“青空トイレ”が4個設けられていた。
この日も風が強く、ブルーシートがまくれあがり、中が見えることもあった。
30代の女性は「ここでするのは、ちょっと考えられないですね」と困惑顔だった。
だが使わざるを得ないケースもあるはずだ。
体の不自由な母親と避難している60代女性は「トイレが大変。仕方がないから、裏の畑などでするしかない」と訴えた。
体を休められる場所の確保と簡易トイレの設置と迅速な食料の配給、これが最低限の緊急3点セットです。
震災のたびに被災地対応で右往左往するのではなく、マニュアル化しておくべきです。
そのためにも、日本に配備されるオスプレイは宝の持ち腐れとならない迅速な活用を望みます!
オスプレイ、熊本地震でどう活動?
安全に懸念は? ネパールの前例
乗りものニュース 4月18日(月)
「オスプレイ」である必要性は乏しい?
2016年4月17日(日)、安部首相は在日米軍から申し入れがあった熊本地震における航空輸送支援について、受諾する旨を明らかにしました。
これを受けて、アメリカ海兵隊は普天間基地(沖縄県)よりMV-22B「オスプレイ」垂直離着陸輸送機を4機、岩国基地(山口県)へと派遣。
18日中にもさらに4機、増派される予定です。
日本において発生した災害で、「オスプレイ」が派遣されるのはこれが初の事例となりますが、その特性や性能はどのように活かされることが想定されるでしょうか。
「オスプレイ」は飛行機に準ずる非常に優れたスピードと航続距離を持ち、かつヘリコプターのような垂直離着が可能な「ティルトローター機」です。
こうした性能は、遠方に急遽展開したり、物資や人員を空輸するといった任務において発揮されます。
しかし今回の、本拠地である普天間基地から拠点となる岩国基地までの飛行は、それほど遠いとはいえません。
また、岩国基地から被災地へ支援物資を輸送する際は200km前後の短距離を往復することになりますから、航続距離はあまり関係がなく、高速性能によって短縮できる時間も片道あたり十数分程度でしょう。
負傷者などの急患輸送を担った場合でも、最寄りの医療拠点までせいぜい数十kmですから加速することもできません。
したがって、「オスプレイである必要性」はあまり無いといえます。
なぜ「オスプレイ」が派遣されたのか?
では、なぜアメリカ海兵隊は「オスプレイ」を派遣したのでしょうか?
その答えは、単純に「オスプレイ」がアメリカ海兵隊の主力輸送機であるからという理由にほかなりません。
「オスプレイ」は現在、普天間基地に2個飛行隊およそ24機が常駐しており、在日米軍が運用する航空機のなかで最も数が多い機種のひとつです。
もし仮に「オスプレイ」の前任機であったCH-46「シーナイト」ヘリコプターが現在も海兵隊に配備され続けていたとしたならば、「シーナイト」が派遣されていたに違いありません。
実際、「シーナイト」は東日本大震災における「トモダチ作戦」へ投入されました。
今回の航空輸送支援において、「オスプレイ」特有の性能を最大限活かす状況はほとんどありませんが、ほかのヘリコプターと同じように使える「オスプレイ」は輸送任務に十分貢献できるでしょう。
安全面の懸念は?
一部において、「オスプレイ」は垂直離着陸を行う際に発生する「ダウンウォッシュ(吹き降ろしの風)」の強さから、災害救助には不向きではないのかという懸念の声もあがっています。
「オスプレイ」が比較的ダウンウォッシュの強い機体であることは事実であり、2015年4月のネパール地震に派遣された機体は小屋を吹き飛ばしてしまいました。
しかしこれは「オスプレイ」特有の問題ではなく、自衛隊も保有するCH-47「チヌーク」など大型のヘリコプター全般にいえる弱点です。
「オスプレイ」はある意味で政治的シンボルと化してしまっているため、小屋を吹き飛ばしたことがことさら欠陥のように繰り返し喧伝されていますが、ダウンウォッシュで地上の構造物を吹き飛ばした事例はそれほど珍しいものではなく、過去、自衛隊のヘリコプターにおいても発生しています。
ダウンウォッシュ対策はそれほど難しい問題ではありません。
学校や駐車場、または空き地など、ある程度の面積が確保できる場所へ着陸が可能な場合の輸送は「オスプレイ」を優先的に割り当て、狭い場所への着陸を余儀なくされる場所へはUH-60J「ブラックホーク」など別の機種を用いることで簡単に解決します。
以上のように、「オスプレイ」はほかのヘリコプターとほとんど同じように活動することとなります。
「オスプレイ」が輸送任務にあたることに対して、過度に不安視する必要は全くありません。
四の五の言わずに緊急事態なんだから、使えるものはすべて有効活用すべきです。
今後のためにも、緊急事態における具体的な対応マニュアル(地方自治体を巻き込んだ被害状況による細かな段取り)の作成、公表は早急にすべきです。
閑話休題。
野島伸司脚本の話題作、日曜ドラマ「Our House」が始まりました。
芦田愛菜のブラック娘振りが話題になっていますが、脚本があざと過ぎて・・
まず、娘の悪意は父親の新しい彼女(娘にとっては母親)に向けられていますが、どう考えてもだめ親爺(山本耕史演じる音楽家)に向けられるべき性質のものでしょう。
女は鳴り物(テナーサックス)に弱いもの、って説得力ゼロの舞台設定では、この後の展開もみる気がなくなりました。

フジテレビのドラマ、今クルーは総崩れの予感が・・・
続いて、こちらもテレビの話題です。
先日テレビ放映されていたドキュメンタリー「生きて」をみました。
元奨励会員で30歳の天野貴元の記録です。
詳細は「独女ちゃんねる」から転載させていただきます。
2016年4月3日(日)放送、
フジテレビ系「ザ・ノンフィクション」生きて~天野貴元30歳~
14時00分~14時55分
アマチュア棋士・天野貴元、享年30歳。
口腔がんで余命宣告されながらも、プロ棋士と闘い、勝負にこだわり続けた天野貴元の生涯をドキュメント放送される。
口腔がんで舌のほとんどを除去して、最後まで戦った天野貴元はいったいどんな人物だったのか?
放送に先駆け紹介する。
天野貴元さんは、子供のころから父親の影響で将棋に触れ、6歳で羽生善治名人も所属した八王子将棋クラブに通い始めた。
このころから将棋の才能を発揮し、10歳でプロ棋士養成機関「奨励会」に入会し16歳で三段に昇段した。
いまや前人未踏の将棋の七冠を達成した羽生名人に「天才少年」と呼ばれるようになる。
しかし、自分の才能を過信し、将棋熱が冷め、プロ棋士になれる才能を持ちながらも挫折、自堕落な生活を送るようになり、プロへの道をあきらめることになる。
アマチュアに甘んじ、荒れた生活を送っていたある日、悲劇が襲う。
27歳になった時、舌がはれ上がり、うまく喋れなくなってしまう天野貴元さん。
病院で診てもらうと口腔がんと診断され、舌のほとんどを除去をしないと助からないと告げられる。
口腔がんは、患者自身でも、医師でも直接患部を目で見て触ることができるので早期発見が容易と思われるが、早期発見率は患者全体の20%しかないという。
その理由は、口腔がんの初期症状が口内炎や歯肉炎と似ているため、がんと気付かず、かなり進行してから病院に行く人が多い。
口腔がんを発症する患者数は多くないが、このような早期発見率の低さによって、死亡率が高い結果になっている。
天野貴元さんも同じく、発見できたが、まさか癌とは思わなかったため、病院に行くのが遅れてしまった。
発見された時には、腫瘍の大きさは4cm以上、ステージⅢの危険な状態でこのまま放置すると、ほかに転移する可能性があると告げられる。
天野貴元さんの舌がんはすでに、舌を切除などせずに治癒することが出来なくなっていたことから、除去を決断。
しかし、除去したことで言語障害になってしまう。
その後、体重が30キロ台にまで激ヤセしても、抗がん剤治療を拒否し続けた。
闘病を自身のブログ「あまノート」で公表しながら大会に強行出場。
その理由はプロ棋士へ再挑戦、夢を諦めてしまった自分への戒めだった。
がんと闘いながら大会に出場し続けた天野貴元さん。家族の支え、応援を受けながら天野貴元さんは大会に出場し続けた。
2014年、悪夢が再び襲う。
がんの再発、肺にがんの転移が見つかり、医師から告げられたのは余命1年宣告。
それでも天野貴元さんは諦めなかった。
苦しい闘病生活を送り、プロ棋士になることを夢見ながら闘い続けた。
しかし、2015年10月27日 午前0時2分、都内の病院で天野貴元さんは最後まで、プロ棋士になることを諦めず、がんと闘ってこの世を去った。
ザ・ノンフィクションでは、30歳の若さで亡くなった、天野貴元さんの壮絶な闘いを続けた人生をドキュメントで放送される。
16歳で3段は現在でも異例のスピード昇進です。
彼が、抗がん剤を拒否し続けたのは、思考がクリアでなくなるから、つまり将棋のことが考えられなくなるから。
夭折の天才、村山聖も同様に苦しみました。
しかし、テレビをみていて1つだけ気になる箇所がありました。
それは、横浜の将棋大会のあと、気分が悪くなり、会場からタクシーで帰宅するところ。
1万円を越えたタクシー代(しかもスタッフは同乗)は、てっきりテレビ局が取材費で払うのかと思いきや、母親が支払っていたのです。
何かと医療費などの出費がかさむのに、配慮なさすぎ。
おい、テレビ局、そこは映さないで君らが払えよ!

無駄な経費を湯水のように使うのに、こういうところだけ渋ちんを発揮するんだね!
そして番組では、亡くなる1ヶ月前に広島まで山陽地方予選枠を勝ち取ろうと遠征して指しましたが、3回戦で敗退。
最後に、テレビ局のスタッフ(幸田さん)の何気ない一言がさらに彼を苦しめる。
「取材を1年位してきて、天野さんの体調が悪くて、将棋に負けることが多いじゃあないですか?それでもやり続けるのは、負けるのにも何か意味があるのですか?」
自分の命を削りながら将棋を続け、勝とうとしてなかなか勝てずもがき苦しむ相手に向かって、この質問は酷です!
残された命を奨励会で達成できなかったプロとの対局という夢を実現させるためだけに、生きる気力を傾けているのだが、結果が伴わない苦しみとあせり。
病気の苦しみ以上に彼にとっては向き合いたくなかった現実だったに違いありません。
鈍感な私でも、今回の地震で、改めて命の大切さを、完治しない闘病と向き合う姿で、生きていられるありがたさを学ぶことが出来ました。

では、4-19生まれの有名人です。
1772年デヴィッド・リカード (英:経済学者)、1870年西田幾多郎(哲学者『善の研究』)、1901年岡潔(数学者(多変数関数論))、1912年源氏鶏太(小説家『英語屋さん』『三等重役』)、1935年久世光彦(演出家,脚本家『時間ですよ』)、1937年庄司薫(小説家『赤頭巾ちゃん気をつけて』)、1966年エル・サムライ (プロレス)、1970年ルイス・ミゲル (メキシコ:歌手)、1988年小嶋陽菜(タレント(AKB48))。
このけだるさがたまらない!
TLC - Waterfalls



