世間では、女性は感情的で、男性は理性的だと流布されていますが、このケースではまったく逆の様相を呈しています。
2016.4.23 産経新聞
【慰安婦をめぐる損賠訴訟】
植村氏記者会見詳報
「産経新聞の櫻井さんのコラム…許されない」
「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などの指摘で名誉を傷つけられたなどとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と新潮社などを相手に名誉毀損(めいよきそん)などを訴えた元新聞記者の植村隆氏(57)と原告弁護団は22日、裁判後に札幌市内で記者会見を開いた。
会見の詳報は次の通り。
◇
いくつか報告させていただきたい。
本日午後、私はジャーナリストの櫻井よしこ氏、および櫻井氏が執筆した記事を掲載した各雑誌を出版する出版社の名誉毀損訴訟の意見陳述を行いました。
(櫻井氏は私が)25年前に書いた記事を捏造と決めつけ、言葉による攻撃を繰り返しました。
根拠なく、私の記者人生を否定し、結果として暴力的な一部世論をあおるような、人権を破壊するような言説をストップさせなければならないと思って起こしたのが、今回の訴訟であります。
意見陳述を10分間で読みました。
これに関連して、櫻井よしこ氏の3つの問題点のレジュメをつくりました。
レジュメにのっとって、説明したい。
3つの問題点があります。
その1つ。
櫻井さんは、さまざまな媒体で批判しているのでありますが、たとえば、産経新聞、この1面に、櫻井さんのコラムがあります。
(新聞のコピーを指し示しながら)2014年3月3日の1面ですね。
「真実ゆがめる朝日報道」ということで、こういう記事を書かれています。
(植村氏の書いた記事の)抜粋(1991年8月11日付朝日新聞)を読んでみましょうか。
「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」「【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に買収行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が体験を語り始めた…」
ストレートの一報記事です。
この時には私は慰安婦のおばあさんに会えずに、支援をする団体、調査をする団体の取材をして記事を書いたんです。
この記事が20数年たって、激しいバッシングのもとになっているわけです。
櫻井さんは、私を批判する記事の中で、これは産経新聞の一面ですよ。
私を名指しで攻撃…とりあげた中で、「この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。
しかし、植村はそれを無視していると、いうそういう論調でありますが、40円の話も、継父に再び売られたという話も(訴状には)出ていません。
つまり、櫻井さんは、訴状にないことを、あたかもあるかのようにして、産経新聞の1面に書いて私を批判しているということが判明した。
こういうふうなことを、私は(今日の裁判で)指摘しました。
つまり、これはジャーナリストとしてはあってはならないことですね。
事実からでていないのに、あたかも事実のように書いて記事を書く。
司法記者の皆さんがここにいらっしゃるかと思いますが、訴状によると、と書いてあると信じますよね。
読者は訴状をいちいち読まない。
だから、櫻井さんは訴状では、と書いてありますが、実際は、訴状と違うことを書いておられる。
こういうふうなことを許せるんでしょうか。
つまり信頼性の問題ですね。
これが1点です。
次に、「WiLL」という雑誌の、2014年4月号にも似たような間違いがでています。
第2に、女子挺身隊が慰安婦をさす言葉として、日本のメディアでも広く使われていたことは当時の記事を調べればよくわかるのに、私の記事だけを標的にして、捏造の根拠にしている。
(新聞記事の抜粋の資料を示し)1987年の読売新聞東京本社の記事ですが、「特に昭和17年以降『女子挺身隊』の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送りこまれた」…。
こんなふうに書いていますね。
毎日新聞は1991年7月に、やはり「『女子挺身(ていしん)隊』の名目で挑発された朝鮮人女性たちは自由を奪われ、各地の慰安所で兵士たちの相手をさせられた」、そういうふうにでています。
つまり、こういうふうに当時は、女子挺身隊の名でという書き方が一般的だった。
私もそういう風な書き方をしています。
私の3日後に、北海道新聞の方が…金学順さんにインタビューされた方ですが、「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む女性が単独インタビューに応じた」とありますね。
これは読売新聞の1987年8月も同じです。
産経新聞も同じようにありますね。
1991年9月3日。「第二次世界大戦中『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集い」。
つまり、当時の記事は、みんなそういうふうに書いておったんです。
女子挺身隊は慰安婦の意味で当時使われておった。
こういうことは、当時の記事をみればわかると思うけれど、櫻井さんは読者が当時の新聞、他の新聞を見ないことをいいことに、私を標的にしてこういうふうなことを書いておられる。
肝心の櫻井さんが当時勤めていた、日本テレビっていう会社があります。
番組表のコピーもあります。
1982年3月1日読売新聞の番組表のコピーです。
日本テレビの11時の「11PM」はかなり社会的な問題にも関心がありまして、「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」という題名の番組もあります。
ドキュメンタリーです。
紹介しましたように、女子挺身隊という方式の報道であります。
11時からのニュースですが、「きょうの出来事」で、櫻井さんの名前があります。
当時、ニュースキャスターをやっていた日本テレビでもそういう報道があったという証拠であります。
今日(の裁判では)はこういうふうなことを指摘しました。
3点めですが、私は櫻井さんに一度も会ったこともないし、取材されたこともない。
私は、誰かを激しく批判するときは、その人に会って取材します。
それが礼儀であります。
まず、疑問をぶつけて、やっぱり許せんということになりますが、櫻井さんにお会いしたことはありません。
今日初めて法廷でお会いました。
ちょうど原告と被告の席で(櫻井さんは)私をじっと見つめておられましたが、私も見つめましたが、視線と視線が激しく火花が散ったわけですが、初めて視線を交わしました。
私に1度も取材をせずに、教員としての適格性を否定して、雇い主の北星学園大を批判されています。
週刊新潮(2014年10月23日号)にはこうあります。
「23年、捏造報道の訂正も説明もせずに頬かぶりを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが一体、大学教育のあるべき姿なのか」
14年10月といったら、激しく北星がバッシングされて大きく揺れている時期です。
同じ時期の週刊文春には、櫻井さんは西岡力さんと対談されて、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」。
これは、あおり行為だと思います。
本来なら、そういうことすべきではないというべきにもかかわらず、植村や朝日の姿勢があるから、こんな問題が起きるんだと…。
こういうことが非常に許せないし、こういうことが暴力的な言質を誘発しているのではないかと、私は思いました。
(本日は)そういうことを説明しました。
今回の裁判は、いわれなき汚名を晴らし、個人の表現の自由、学問の自由を守るための法的な戦いであります。
私は捏造記者ではないということを法廷で、きちんと説明していきたいと思う。
ひとつ強調したいことがある。
『植村バッシング』は、私だけの問題ではない。
リベラルなジャーナリズムに対する不当な攻撃であり、それはいつ、皆さんに襲いかかるかわからないのです。
植村バッシングが一昨年激しかったとき、多くのメディアが萎縮しました。
北星学園脅迫事件も、新聞で表面化するときに数カ月ぐらいかかりました。
慰安婦問題のような加害の歴史を報じることが大変なリスクだということが若い記者たちの頭に刻みこまれてしまった。
これは非常に危険なことだ。
歴史の暗部を見つめようとする行為に対して、それをさせないでおこうという勢力が日本でがうごめいている。
そういう人との闘いでもあります。
この裁判は私1人の問題ではありません。
現在、そして未来の記者たちが記事を書いたということで、いわれのない攻撃をうけない戦いです。
昨年の東京での提訴の会見の際、新聞労連の新崎盛吾さんが、こう訴えてくれました。
「植村さんの訴訟を新聞労連として支援するということでないか。
組織の中で書いた記事が辞めた後に問題にされる危険性は今後ますます強くなっていくと思う。
みなさん一人一人の問題にもなると思う。
表現の自由をしっかりと守る立場から、このような人権侵害の攻撃は絶対に認められない」
私はこの言葉をかみしめながら裁判に臨んでいます。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。(了)
さて、植村氏の発言をみなさんはどう思いましたか?
少なくとも「11PM」と「きょうの出来事」は同じ日本テレビだというだけで、まったく関係のない話ですよね。
こうした坊主憎けりゃ的な引用や結論ありきの我田引水をするから、誤報も生まれたに違いありません。
そして「当時、マスコミみんながそういう認識だったから」という理由にもならない理由の酷さは、学校のいじめ問題に置き換えてみればよくわかります。
「みんなもいじめに加担してたんだから」という理由でいじめを正当化できないし、いけないことだと気づいた時点でやめて謝罪するのが世間の一般常識です。
確かに当時の女子挺身隊と慰安婦の混同は植村氏だけではなかったかもしれませんが、少なくとも植村氏自身が混同したのは紛れもない事実であり、ずっと訂正してこなかったという経緯はあったわけです。
まず、そこを潔く認めて謝罪しないから、つっこまれるのです!
当然、櫻井さんの反論はここをついてきます。
2016.4.22 産経新聞
【慰安婦をめぐる損賠訴訟】
「植村氏の記事への評価、変えない」
櫻井氏の意見陳述の主な内容
「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などの指摘で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と新潮社などを相手に損害賠償などを求めた22日の第1回口頭弁論で、櫻井氏が行った意見陳述の主な内容は以下の通り(記者会見で櫻井氏が配布した資料に基づく)。
裁判の冒頭にあたって意見を述べる機会を与えて下さりありがとうございます。
日本は今、旧日本軍が戦時中に朝鮮半島から女性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にし、その揚げ句、約75%の女性たちを殺害したといういわれなき非難を浴びています。
朝鮮半島から20万人、中国から20万人、合わせて40万人もの女性をそのような悲惨な運命に突き落としたというぬれぎぬが、主にアメリカを舞台として韓国系および中国系団体によって流布されています。
その原因をつくったのは朝日新聞です。
植村隆氏もその中で重要な役割を担いました。
世に言う「従軍慰安婦問題」と、悲惨で非人道的な強制連行の話は、朝日新聞が社を挙げて作り出したものであります。
朝日新聞は1982年9月2日の記事で、吉田清治氏を取り上げました。
吉田氏は軍命で済州島に出向き200人の女性たちを強制連行したという許し難い嘘をつき続けた人物です。
その嘘を朝日新聞は複数回にわたり報道し続けました。
確かに朝日新聞は吉田氏の証言は虚偽であったと認めて、関連記事を取り消しました。
しかし、それは最初の吉田清治氏の紹介記事から、実に32年も後のことでした。
この間、吉田氏の証言は、韓国済州島の現地新聞によって、あるいは現代日本史の権威である秦郁彦氏によって、事実無根であると証明され、その内容も報道されました。
それらの指摘と報道は、朝日にとって、吉田証言を虚偽であると認め、取り消し、訂正する機会であったにもかかわらず、朝日はそうしませんでした。
自らの間違いに目をつぶり続けることは言論機関として許されないだけでなく、日本と日本国民の名誉を傷つけた点で重い責任を負うものです。
吉田氏は虚構の強制連行を具体的に語ってみせ、日本政府および日本軍を加害者と位置づけました。
加害者としての日本軍のイメージが広がる中で、今度は植村隆氏が91年8月11日、金学順さんという女性についての記事を書きました。
この記事には彼女の名前は出てきませんが、植村氏は、金学順さんが「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たと書きました。
一方、母親によってキーセンに売られたという事実には触れませんでした。
朝日新聞が加害者としての日本軍による強制連行説を確立し、次に、植村氏が被害者として、「戦場に連行された」女性の存在を報じたのです。
ここに加害者としての日本軍、被害者としての朝鮮の女性という形が実例をもって整えられたことになります。
ちなみに初めて名乗り出た慰安婦を報じた植村氏の記事は世紀のスクープでした。
しかし、それからわずか3日後、彼女はソウルで記者会見に臨み、実名を公表し、貧しさ故に親によってキーセンの検番に売られた事実、検番の義父によって中国に連れて行かれた事実を語っています。
同年8月15日付で韓国の「ハンギョレ新聞」も金さんの発言を伝えています。
しかし植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たという事実は報じていません。
植村氏が聞いたというテープの中で、彼女は果たしてキーセンの検番に売られたと言っていなかったのか。
女子挺身隊の名で戦場に連行されたと本当に語っていたのか。
金学順さんはその後も複数の発言を重ねています。
8月14日の記者会見をはじめ、その同じ年に起こした日本政府への訴えでも、彼女は植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という発言はしていません。
裁判では訴状に一番有利な事柄を書くのが当然です。
日本軍による強制連行が事実であれば、彼女が日本政府を糾弾するのにこれ以上強力な攻めの材料はないはずです。
しかし、訴状にはそんなことは書かれていません。
書かなかった理由は強制連行ではなかったからです。
植村氏は91年12月に再び金学順さんの記事を、今度は、実名を出して書いています。
その中でもこの間違いを訂正していません。
むしろ、キーセンの検番のあった平壌から中国に連れて行かれたときのことを、植村氏は「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました」と金さんが語ったと報じました。
「地区の仕事をしている人」とは一体誰か。
それは彼女が語っています。
検番の主人のことです。
しかし植村氏は「地区の仕事をしている人」という曖昧な表現を用い、彼女がキーセンに売られたことを報じませんでした。
植村氏はキーセン学校に通っていたことは必ず慰安婦になることではないと考えたから書かなかったと、朝日の第三者委員会に説明しています。
しかし、真の理由はキーセンに売られた経歴を書けば、植村氏が8月に書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行」されたという記述と矛盾し、記事が間違いであることが判明するから書かなかったのではないでしょうか。
植村氏は自分は捏造記者ではないと弁明しています。
なお、私はこの記事について論評したのであって捏造記者と評したわけではありません。
仮に百歩譲って、91年8月11日の記事が捏造と評されるものではなく、単なる誤報であったと仮定します。
では12月の記事はどうでしょうか。
すでに述べたようにこの時点ではすでに金学順さんのソウルでの記者会見も日本政府を訴えた訴状も明らかにされ、植村氏の報道内容が間違いであることが判明しています。
にもかかわらず、訂正はされていません。
取材対象が語らなかったことを書き、語ったことを省いた。
それが誤りであることが判明したにもかかわらず、訂正しなかった。
そこには当然、意図があると思うのは当然です。
事実とは異なることを書き、意図を持って訂正しなかったとすれば、それを捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか。
植村氏は捏造と書かれて名誉が毀損(きそん)されたと訴えています。
しかし植村氏は、自身の記事がどれだけ多くの先人たち、私たちの父や祖父、今歴史のぬれぎぬを着せられている無数の日本人、アメリカをはじめ海外で暮らす日本人、学校でいじめにあっている在外日本人の子どもたち、そうした人々がどれほどの不名誉に苦しんでいるか、未来の日本人たちがどれほどの不名誉に苦しみ続けなければならないのか、こうしたことを考えたことがあるのでしょうか。
植村氏の記事は、32年間も慰安婦報道の誤りを正さなかった朝日新聞の罪とともに、多くの日本人の心の中で許し難い報道として記憶されることでしょう。
植村氏は私の記事によって、ご家族が被害を被った、お嬢さんがひどい言葉を投げつけられたと、私を論難しています。
言論に携わる者として、新聞、雑誌、テレビ、ネット、全てのメディアを含めて、本人以外の家族に対する暴言を弄することは絶対に許されません。
その点では私は植村氏のご家族に対する同情の念を禁じ得ません。
同時に、それらが私の記事ゆえであるとする植村氏の主張は受け入れられません。
むしろ、私はこれまで植村氏の家族に対する暴言は許されないと言い続けてきました。
今日、この法廷に立って、感慨深いものがあります。
私はかつて「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。
20年ほど前の私の発言は、今になってみれば真実であると多くの人々が納得しています。
しかし、当時はすさまじい攻撃の嵐にさらされました。
仕事場には無数のファクスが、紙がなくなるまで送りつけられました。
抗議のはがきも、仕事ができなくなるほどの抗議の電話もありました。
当時ネットはありませんでしたが、ネットがあれば、炎上していたかもしれません。
その無数の抗議の中でひと際目立っていたのが北海道発のものでした。
主として北海道教職員組合の方々から、ほぼ同じ文言の抗議が、多数届いたのです。
そのようなことがあったこの北海道の札幌の地で、植村氏を相手に同じ慰安婦問題で法廷で闘うのには、何か特別の意味があると、この頃、思うようになりました。
私は断固として、植村氏の記事に対する評価を変えません。
それを言われるのが嫌であるならば、植村氏には正しい事実を報道せよと助言するのみです。
最後に強調したいことがあります。
私は植村氏の訴え自体を極めて遺憾だととらえています。
氏が、言論人であるならば自らの書いた記事を批判されたとき、なぜ言論で応じないのか。
言論人が署名入りの記事を書くとき、もしくは実名で論評するとき、その覚悟は、いかなる批判にも自分の責任で対応するということでしょう。
言論においてはそれが当たり前のことです。
しかし、植村氏はそうはせずに、裁判に訴えました。
内外で少なからず私の名誉を傷つける講演を重ね、まるで運動家であるかのように司法闘争に持ち込んだ植村氏の手法は、むしろ、言論・報道の自由を害するものであり、言論人の名にもとる行為ではないでしょうか。
民主主義の根本は、自由なる言論の闘いによって、より強化されます。
発言の場を有する記者がこのような訴訟を起こすことを、私は心から残念に思うものであります。
当裁判所におかれましては、公正なる判断を下していただけるものと期待し、私の意見陳述を終わります。(了)
両者の意見陳述の内容を比べると、植村氏はまるで高校生の作文のような情緒的で自己中心的な書き方をしているのがわかります。
「自分は被害者だ」「当時はマスコミも似たような意見だった」
元新聞記者とは思えないほど短絡的な思考の持ち主のようです。
ここまでの流れを時系列で整理しましょう。
「誤報」⇒「訂正せず」⇒「バッシング」⇒「裁判」(植村氏自身が訴えた)
もちろん家族へのバッシングは許されるものではありませんが、もともとは自身の誤報の垂れ流しで始まったことだという認識と反省が完全に欠落しています。
そこは無視して開き直り、バッシングしてくる勢力、その勢力の火付け役となった櫻井氏の記事は許せない、というご都合主義なロジックのようです。
植村氏の「11PM」の引用話もそうですが、「私は批判するときには、相手にあって話をする」というのも、別に会わなくても誌上でお互い反論し会えばいいだけの話で、櫻井氏が指摘するように、なぜ突然裁判なのかという疑問は氷解されません。
そして彼が高らかに語る、「この裁判は私1人の問題ではありません。現在、そして未来の記者たちが記事を書いたということで、いわれのない攻撃をうけない戦いです。」というのもピンときませんね。
植村氏が起こしたこの裁判は、誤報を垂れ流し訂正しなかった植村氏の記者としての未熟さに対するものであり、未来の記者も誤報を垂れ流さないようにするための教訓とすべきものであります。
勝負はみえていますが、彼が人権弁護士たちへの情緒に訴える作戦が成功するかどうかという点は、見ものではあります。
続いては、震災関連です。
熊本地震 生放送中に「見せ物でない」と怒号、TBSが中継を断念
産経新聞 4月22日(金)
熊本地震をめぐる過熱報道で、またネットが炎上した。
21日放送のTBS系ニュース番組「Nスタ」で、熊本県益城町の避難所を中継していたリポーターが、背後から現れた被災者と思われる男性から「見せ物ではない」「車(中継車)邪魔。どかせよ!」などと大声で怒鳴られ、生中継を急きょ打ち切った。
現場の様子をスタジオで見ていた堀尾正明アナウンサーは慌てた様子で、「中継を引き取ります。ご迷惑になっているようで、すみません」と謝罪した。
この騒動についてツイッター上では「報道各社は被災地に迷惑かけすぎ」「被災者からしたら、報道を建前にしたネタあさりと思われても仕方ない」といった非難の声が上がった。
TBS広報部は「避難所について役場の担当者に許可を取り、ボランティアの受け入れについて放送を行っていました。今後も被災者の方々のお気持ちに十分配慮しながら取材を続けてまいります」とコメントした。
知る権利は被災者の迷惑より優先されるものだろうか?という問題提起でもあります。
まず、被災地の悲惨な実情を細かく伝えることは、報道の重要な役割ではあります。
避難民の方は、今までそうした面を考慮しながらも、取材を受けたりカメラの前に立ったりしていたと思われます。
ただ、度を越した無礼な取材や、取材自体がまるで当たり前の権利のような驕(おご)りはやはり報道各社がもっと考えるべき問題です。
例えば、民放は1社づつ地区ごとに当番制にして持ち回りにすることで、取材陣の数を抑える工夫などなぜやらないのでしょうか?
そうすれば取材合戦みたく過熱することもなく、混雑している現地に何台も中継車を置くこともなくなるでしょうに。
建前ではなく「避難民に寄り添う報道」を名実共に目指して欲しいものです。
最後は、名実共に、いや正真正銘の「火事場泥棒」です。
<熊本地震>避難中で不在の家から泥棒 51歳会社員逮捕
毎日新聞 4月23日(土)
◇被害申告18件の一つ 熊本県警が窃盗容疑で
熊本県警は23日、熊本地震で被災し、家人が避難中で不在だった同県益城(ましき)町の民家からタブレット端末などを盗んだとして福岡県糸島市加布里(かふり)、会社員、石橋勝也(かつや)容疑者(51)を窃盗容疑で逮捕した。
14日の熊本地震発生後、空き巣が相次いでいたが、容疑者逮捕の発表は初めて。
県警によると「盗んだのは間違いない」と容疑を認めている。
逮捕容疑は15日午後10時ごろ、益城町の女性(63)宅に侵入し、タブレット端末やDVDなど4点(時価計約8000円相当)を盗んだとしている。
佐賀県から益城町役場に支援物資を届けに来た男性が、不審な動きをする石橋容疑者の軽自動車を見つけ、警察に通報した。
県警が把握しているだけで地震後、益城町や熊本市で盗難や建造物侵入などの被害申告が18件あり、今回はそのうちの1件だという。【野呂賢治】
日本人でもこうした人間は何%かは生息しています。
本当に恥さらしな人間ですね。
では、4-24生まれの有名人です。
1743年エドモンド・カートライト (英:発明家,力織機を発明)、1862年牧野富太郎(植物学者『日本植物志図篇』)、1909年松本清(実業家,マツモトキヨシ創業,松戸市長)、1916年ルー・テーズ (米:プロレス「鉄人」)、1932年桂由美(服飾デザイナー)、1934年シャーリー・マクレーン (米:女優)、1942年バーブラ・ストライサンド (米:女優,映画監督)、1948年つかこうへい(劇作家,演出家,小説家『蒲田行進曲』)、1952年ジャン=ポール・ゴルチエ (仏:服飾デザイナー)、1966年田島貴男(ミュージシャン(ORIGINAL LOVE/ヴォーカル))、1968年永田裕志(プロレス)。
ドラマ「オンリーユー、愛されて」の主題歌でもありました。
プライマル/オリジナル・ラブ
2016.4.23 産経新聞
【慰安婦をめぐる損賠訴訟】
植村氏記者会見詳報
「産経新聞の櫻井さんのコラム…許されない」
「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などの指摘で名誉を傷つけられたなどとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と新潮社などを相手に名誉毀損(めいよきそん)などを訴えた元新聞記者の植村隆氏(57)と原告弁護団は22日、裁判後に札幌市内で記者会見を開いた。
会見の詳報は次の通り。
◇
いくつか報告させていただきたい。
本日午後、私はジャーナリストの櫻井よしこ氏、および櫻井氏が執筆した記事を掲載した各雑誌を出版する出版社の名誉毀損訴訟の意見陳述を行いました。
(櫻井氏は私が)25年前に書いた記事を捏造と決めつけ、言葉による攻撃を繰り返しました。
根拠なく、私の記者人生を否定し、結果として暴力的な一部世論をあおるような、人権を破壊するような言説をストップさせなければならないと思って起こしたのが、今回の訴訟であります。
意見陳述を10分間で読みました。
これに関連して、櫻井よしこ氏の3つの問題点のレジュメをつくりました。
レジュメにのっとって、説明したい。
3つの問題点があります。
その1つ。
櫻井さんは、さまざまな媒体で批判しているのでありますが、たとえば、産経新聞、この1面に、櫻井さんのコラムがあります。
(新聞のコピーを指し示しながら)2014年3月3日の1面ですね。
「真実ゆがめる朝日報道」ということで、こういう記事を書かれています。
(植村氏の書いた記事の)抜粋(1991年8月11日付朝日新聞)を読んでみましょうか。
「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」「【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に買収行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が体験を語り始めた…」
ストレートの一報記事です。
この時には私は慰安婦のおばあさんに会えずに、支援をする団体、調査をする団体の取材をして記事を書いたんです。
この記事が20数年たって、激しいバッシングのもとになっているわけです。
櫻井さんは、私を批判する記事の中で、これは産経新聞の一面ですよ。
私を名指しで攻撃…とりあげた中で、「この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。
しかし、植村はそれを無視していると、いうそういう論調でありますが、40円の話も、継父に再び売られたという話も(訴状には)出ていません。
つまり、櫻井さんは、訴状にないことを、あたかもあるかのようにして、産経新聞の1面に書いて私を批判しているということが判明した。
こういうふうなことを、私は(今日の裁判で)指摘しました。
つまり、これはジャーナリストとしてはあってはならないことですね。
事実からでていないのに、あたかも事実のように書いて記事を書く。
司法記者の皆さんがここにいらっしゃるかと思いますが、訴状によると、と書いてあると信じますよね。
読者は訴状をいちいち読まない。
だから、櫻井さんは訴状では、と書いてありますが、実際は、訴状と違うことを書いておられる。
こういうふうなことを許せるんでしょうか。
つまり信頼性の問題ですね。
これが1点です。
次に、「WiLL」という雑誌の、2014年4月号にも似たような間違いがでています。
第2に、女子挺身隊が慰安婦をさす言葉として、日本のメディアでも広く使われていたことは当時の記事を調べればよくわかるのに、私の記事だけを標的にして、捏造の根拠にしている。
(新聞記事の抜粋の資料を示し)1987年の読売新聞東京本社の記事ですが、「特に昭和17年以降『女子挺身隊』の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送りこまれた」…。
こんなふうに書いていますね。
毎日新聞は1991年7月に、やはり「『女子挺身(ていしん)隊』の名目で挑発された朝鮮人女性たちは自由を奪われ、各地の慰安所で兵士たちの相手をさせられた」、そういうふうにでています。
つまり、こういうふうに当時は、女子挺身隊の名でという書き方が一般的だった。
私もそういう風な書き方をしています。
私の3日後に、北海道新聞の方が…金学順さんにインタビューされた方ですが、「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む女性が単独インタビューに応じた」とありますね。
これは読売新聞の1987年8月も同じです。
産経新聞も同じようにありますね。
1991年9月3日。「第二次世界大戦中『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集い」。
つまり、当時の記事は、みんなそういうふうに書いておったんです。
女子挺身隊は慰安婦の意味で当時使われておった。
こういうことは、当時の記事をみればわかると思うけれど、櫻井さんは読者が当時の新聞、他の新聞を見ないことをいいことに、私を標的にしてこういうふうなことを書いておられる。
肝心の櫻井さんが当時勤めていた、日本テレビっていう会社があります。
番組表のコピーもあります。
1982年3月1日読売新聞の番組表のコピーです。
日本テレビの11時の「11PM」はかなり社会的な問題にも関心がありまして、「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」という題名の番組もあります。
ドキュメンタリーです。
紹介しましたように、女子挺身隊という方式の報道であります。
11時からのニュースですが、「きょうの出来事」で、櫻井さんの名前があります。
当時、ニュースキャスターをやっていた日本テレビでもそういう報道があったという証拠であります。
今日(の裁判では)はこういうふうなことを指摘しました。
3点めですが、私は櫻井さんに一度も会ったこともないし、取材されたこともない。
私は、誰かを激しく批判するときは、その人に会って取材します。
それが礼儀であります。
まず、疑問をぶつけて、やっぱり許せんということになりますが、櫻井さんにお会いしたことはありません。
今日初めて法廷でお会いました。
ちょうど原告と被告の席で(櫻井さんは)私をじっと見つめておられましたが、私も見つめましたが、視線と視線が激しく火花が散ったわけですが、初めて視線を交わしました。
私に1度も取材をせずに、教員としての適格性を否定して、雇い主の北星学園大を批判されています。
週刊新潮(2014年10月23日号)にはこうあります。
「23年、捏造報道の訂正も説明もせずに頬かぶりを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが一体、大学教育のあるべき姿なのか」
14年10月といったら、激しく北星がバッシングされて大きく揺れている時期です。
同じ時期の週刊文春には、櫻井さんは西岡力さんと対談されて、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」。
これは、あおり行為だと思います。
本来なら、そういうことすべきではないというべきにもかかわらず、植村や朝日の姿勢があるから、こんな問題が起きるんだと…。
こういうことが非常に許せないし、こういうことが暴力的な言質を誘発しているのではないかと、私は思いました。
(本日は)そういうことを説明しました。
今回の裁判は、いわれなき汚名を晴らし、個人の表現の自由、学問の自由を守るための法的な戦いであります。
私は捏造記者ではないということを法廷で、きちんと説明していきたいと思う。
ひとつ強調したいことがある。
『植村バッシング』は、私だけの問題ではない。
リベラルなジャーナリズムに対する不当な攻撃であり、それはいつ、皆さんに襲いかかるかわからないのです。
植村バッシングが一昨年激しかったとき、多くのメディアが萎縮しました。
北星学園脅迫事件も、新聞で表面化するときに数カ月ぐらいかかりました。
慰安婦問題のような加害の歴史を報じることが大変なリスクだということが若い記者たちの頭に刻みこまれてしまった。
これは非常に危険なことだ。
歴史の暗部を見つめようとする行為に対して、それをさせないでおこうという勢力が日本でがうごめいている。
そういう人との闘いでもあります。
この裁判は私1人の問題ではありません。
現在、そして未来の記者たちが記事を書いたということで、いわれのない攻撃をうけない戦いです。
昨年の東京での提訴の会見の際、新聞労連の新崎盛吾さんが、こう訴えてくれました。
「植村さんの訴訟を新聞労連として支援するということでないか。
組織の中で書いた記事が辞めた後に問題にされる危険性は今後ますます強くなっていくと思う。
みなさん一人一人の問題にもなると思う。
表現の自由をしっかりと守る立場から、このような人権侵害の攻撃は絶対に認められない」
私はこの言葉をかみしめながら裁判に臨んでいます。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。(了)
さて、植村氏の発言をみなさんはどう思いましたか?
少なくとも「11PM」と「きょうの出来事」は同じ日本テレビだというだけで、まったく関係のない話ですよね。
こうした坊主憎けりゃ的な引用や結論ありきの我田引水をするから、誤報も生まれたに違いありません。
そして「当時、マスコミみんながそういう認識だったから」という理由にもならない理由の酷さは、学校のいじめ問題に置き換えてみればよくわかります。
「みんなもいじめに加担してたんだから」という理由でいじめを正当化できないし、いけないことだと気づいた時点でやめて謝罪するのが世間の一般常識です。
確かに当時の女子挺身隊と慰安婦の混同は植村氏だけではなかったかもしれませんが、少なくとも植村氏自身が混同したのは紛れもない事実であり、ずっと訂正してこなかったという経緯はあったわけです。
まず、そこを潔く認めて謝罪しないから、つっこまれるのです!
当然、櫻井さんの反論はここをついてきます。
2016.4.22 産経新聞
【慰安婦をめぐる損賠訴訟】
「植村氏の記事への評価、変えない」
櫻井氏の意見陳述の主な内容
「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などの指摘で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と新潮社などを相手に損害賠償などを求めた22日の第1回口頭弁論で、櫻井氏が行った意見陳述の主な内容は以下の通り(記者会見で櫻井氏が配布した資料に基づく)。
裁判の冒頭にあたって意見を述べる機会を与えて下さりありがとうございます。
日本は今、旧日本軍が戦時中に朝鮮半島から女性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にし、その揚げ句、約75%の女性たちを殺害したといういわれなき非難を浴びています。
朝鮮半島から20万人、中国から20万人、合わせて40万人もの女性をそのような悲惨な運命に突き落としたというぬれぎぬが、主にアメリカを舞台として韓国系および中国系団体によって流布されています。
その原因をつくったのは朝日新聞です。
植村隆氏もその中で重要な役割を担いました。
世に言う「従軍慰安婦問題」と、悲惨で非人道的な強制連行の話は、朝日新聞が社を挙げて作り出したものであります。
朝日新聞は1982年9月2日の記事で、吉田清治氏を取り上げました。
吉田氏は軍命で済州島に出向き200人の女性たちを強制連行したという許し難い嘘をつき続けた人物です。
その嘘を朝日新聞は複数回にわたり報道し続けました。
確かに朝日新聞は吉田氏の証言は虚偽であったと認めて、関連記事を取り消しました。
しかし、それは最初の吉田清治氏の紹介記事から、実に32年も後のことでした。
この間、吉田氏の証言は、韓国済州島の現地新聞によって、あるいは現代日本史の権威である秦郁彦氏によって、事実無根であると証明され、その内容も報道されました。
それらの指摘と報道は、朝日にとって、吉田証言を虚偽であると認め、取り消し、訂正する機会であったにもかかわらず、朝日はそうしませんでした。
自らの間違いに目をつぶり続けることは言論機関として許されないだけでなく、日本と日本国民の名誉を傷つけた点で重い責任を負うものです。
吉田氏は虚構の強制連行を具体的に語ってみせ、日本政府および日本軍を加害者と位置づけました。
加害者としての日本軍のイメージが広がる中で、今度は植村隆氏が91年8月11日、金学順さんという女性についての記事を書きました。
この記事には彼女の名前は出てきませんが、植村氏は、金学順さんが「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たと書きました。
一方、母親によってキーセンに売られたという事実には触れませんでした。
朝日新聞が加害者としての日本軍による強制連行説を確立し、次に、植村氏が被害者として、「戦場に連行された」女性の存在を報じたのです。
ここに加害者としての日本軍、被害者としての朝鮮の女性という形が実例をもって整えられたことになります。
ちなみに初めて名乗り出た慰安婦を報じた植村氏の記事は世紀のスクープでした。
しかし、それからわずか3日後、彼女はソウルで記者会見に臨み、実名を公表し、貧しさ故に親によってキーセンの検番に売られた事実、検番の義父によって中国に連れて行かれた事実を語っています。
同年8月15日付で韓国の「ハンギョレ新聞」も金さんの発言を伝えています。
しかし植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たという事実は報じていません。
植村氏が聞いたというテープの中で、彼女は果たしてキーセンの検番に売られたと言っていなかったのか。
女子挺身隊の名で戦場に連行されたと本当に語っていたのか。
金学順さんはその後も複数の発言を重ねています。
8月14日の記者会見をはじめ、その同じ年に起こした日本政府への訴えでも、彼女は植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という発言はしていません。
裁判では訴状に一番有利な事柄を書くのが当然です。
日本軍による強制連行が事実であれば、彼女が日本政府を糾弾するのにこれ以上強力な攻めの材料はないはずです。
しかし、訴状にはそんなことは書かれていません。
書かなかった理由は強制連行ではなかったからです。
植村氏は91年12月に再び金学順さんの記事を、今度は、実名を出して書いています。
その中でもこの間違いを訂正していません。
むしろ、キーセンの検番のあった平壌から中国に連れて行かれたときのことを、植村氏は「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました」と金さんが語ったと報じました。
「地区の仕事をしている人」とは一体誰か。
それは彼女が語っています。
検番の主人のことです。
しかし植村氏は「地区の仕事をしている人」という曖昧な表現を用い、彼女がキーセンに売られたことを報じませんでした。
植村氏はキーセン学校に通っていたことは必ず慰安婦になることではないと考えたから書かなかったと、朝日の第三者委員会に説明しています。
しかし、真の理由はキーセンに売られた経歴を書けば、植村氏が8月に書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行」されたという記述と矛盾し、記事が間違いであることが判明するから書かなかったのではないでしょうか。
植村氏は自分は捏造記者ではないと弁明しています。
なお、私はこの記事について論評したのであって捏造記者と評したわけではありません。
仮に百歩譲って、91年8月11日の記事が捏造と評されるものではなく、単なる誤報であったと仮定します。
では12月の記事はどうでしょうか。
すでに述べたようにこの時点ではすでに金学順さんのソウルでの記者会見も日本政府を訴えた訴状も明らかにされ、植村氏の報道内容が間違いであることが判明しています。
にもかかわらず、訂正はされていません。
取材対象が語らなかったことを書き、語ったことを省いた。
それが誤りであることが判明したにもかかわらず、訂正しなかった。
そこには当然、意図があると思うのは当然です。
事実とは異なることを書き、意図を持って訂正しなかったとすれば、それを捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか。
植村氏は捏造と書かれて名誉が毀損(きそん)されたと訴えています。
しかし植村氏は、自身の記事がどれだけ多くの先人たち、私たちの父や祖父、今歴史のぬれぎぬを着せられている無数の日本人、アメリカをはじめ海外で暮らす日本人、学校でいじめにあっている在外日本人の子どもたち、そうした人々がどれほどの不名誉に苦しんでいるか、未来の日本人たちがどれほどの不名誉に苦しみ続けなければならないのか、こうしたことを考えたことがあるのでしょうか。
植村氏の記事は、32年間も慰安婦報道の誤りを正さなかった朝日新聞の罪とともに、多くの日本人の心の中で許し難い報道として記憶されることでしょう。
植村氏は私の記事によって、ご家族が被害を被った、お嬢さんがひどい言葉を投げつけられたと、私を論難しています。
言論に携わる者として、新聞、雑誌、テレビ、ネット、全てのメディアを含めて、本人以外の家族に対する暴言を弄することは絶対に許されません。
その点では私は植村氏のご家族に対する同情の念を禁じ得ません。
同時に、それらが私の記事ゆえであるとする植村氏の主張は受け入れられません。
むしろ、私はこれまで植村氏の家族に対する暴言は許されないと言い続けてきました。
今日、この法廷に立って、感慨深いものがあります。
私はかつて「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。
20年ほど前の私の発言は、今になってみれば真実であると多くの人々が納得しています。
しかし、当時はすさまじい攻撃の嵐にさらされました。
仕事場には無数のファクスが、紙がなくなるまで送りつけられました。
抗議のはがきも、仕事ができなくなるほどの抗議の電話もありました。
当時ネットはありませんでしたが、ネットがあれば、炎上していたかもしれません。
その無数の抗議の中でひと際目立っていたのが北海道発のものでした。
主として北海道教職員組合の方々から、ほぼ同じ文言の抗議が、多数届いたのです。
そのようなことがあったこの北海道の札幌の地で、植村氏を相手に同じ慰安婦問題で法廷で闘うのには、何か特別の意味があると、この頃、思うようになりました。
私は断固として、植村氏の記事に対する評価を変えません。
それを言われるのが嫌であるならば、植村氏には正しい事実を報道せよと助言するのみです。
最後に強調したいことがあります。
私は植村氏の訴え自体を極めて遺憾だととらえています。
氏が、言論人であるならば自らの書いた記事を批判されたとき、なぜ言論で応じないのか。
言論人が署名入りの記事を書くとき、もしくは実名で論評するとき、その覚悟は、いかなる批判にも自分の責任で対応するということでしょう。
言論においてはそれが当たり前のことです。
しかし、植村氏はそうはせずに、裁判に訴えました。
内外で少なからず私の名誉を傷つける講演を重ね、まるで運動家であるかのように司法闘争に持ち込んだ植村氏の手法は、むしろ、言論・報道の自由を害するものであり、言論人の名にもとる行為ではないでしょうか。
民主主義の根本は、自由なる言論の闘いによって、より強化されます。
発言の場を有する記者がこのような訴訟を起こすことを、私は心から残念に思うものであります。
当裁判所におかれましては、公正なる判断を下していただけるものと期待し、私の意見陳述を終わります。(了)
両者の意見陳述の内容を比べると、植村氏はまるで高校生の作文のような情緒的で自己中心的な書き方をしているのがわかります。
「自分は被害者だ」「当時はマスコミも似たような意見だった」
元新聞記者とは思えないほど短絡的な思考の持ち主のようです。
ここまでの流れを時系列で整理しましょう。
「誤報」⇒「訂正せず」⇒「バッシング」⇒「裁判」(植村氏自身が訴えた)
もちろん家族へのバッシングは許されるものではありませんが、もともとは自身の誤報の垂れ流しで始まったことだという認識と反省が完全に欠落しています。
そこは無視して開き直り、バッシングしてくる勢力、その勢力の火付け役となった櫻井氏の記事は許せない、というご都合主義なロジックのようです。
植村氏の「11PM」の引用話もそうですが、「私は批判するときには、相手にあって話をする」というのも、別に会わなくても誌上でお互い反論し会えばいいだけの話で、櫻井氏が指摘するように、なぜ突然裁判なのかという疑問は氷解されません。
そして彼が高らかに語る、「この裁判は私1人の問題ではありません。現在、そして未来の記者たちが記事を書いたということで、いわれのない攻撃をうけない戦いです。」というのもピンときませんね。
植村氏が起こしたこの裁判は、誤報を垂れ流し訂正しなかった植村氏の記者としての未熟さに対するものであり、未来の記者も誤報を垂れ流さないようにするための教訓とすべきものであります。
勝負はみえていますが、彼が人権弁護士たちへの情緒に訴える作戦が成功するかどうかという点は、見ものではあります。
続いては、震災関連です。
熊本地震 生放送中に「見せ物でない」と怒号、TBSが中継を断念
産経新聞 4月22日(金)
熊本地震をめぐる過熱報道で、またネットが炎上した。
21日放送のTBS系ニュース番組「Nスタ」で、熊本県益城町の避難所を中継していたリポーターが、背後から現れた被災者と思われる男性から「見せ物ではない」「車(中継車)邪魔。どかせよ!」などと大声で怒鳴られ、生中継を急きょ打ち切った。
現場の様子をスタジオで見ていた堀尾正明アナウンサーは慌てた様子で、「中継を引き取ります。ご迷惑になっているようで、すみません」と謝罪した。
この騒動についてツイッター上では「報道各社は被災地に迷惑かけすぎ」「被災者からしたら、報道を建前にしたネタあさりと思われても仕方ない」といった非難の声が上がった。
TBS広報部は「避難所について役場の担当者に許可を取り、ボランティアの受け入れについて放送を行っていました。今後も被災者の方々のお気持ちに十分配慮しながら取材を続けてまいります」とコメントした。
知る権利は被災者の迷惑より優先されるものだろうか?という問題提起でもあります。
まず、被災地の悲惨な実情を細かく伝えることは、報道の重要な役割ではあります。
避難民の方は、今までそうした面を考慮しながらも、取材を受けたりカメラの前に立ったりしていたと思われます。
ただ、度を越した無礼な取材や、取材自体がまるで当たり前の権利のような驕(おご)りはやはり報道各社がもっと考えるべき問題です。
例えば、民放は1社づつ地区ごとに当番制にして持ち回りにすることで、取材陣の数を抑える工夫などなぜやらないのでしょうか?
そうすれば取材合戦みたく過熱することもなく、混雑している現地に何台も中継車を置くこともなくなるでしょうに。
建前ではなく「避難民に寄り添う報道」を名実共に目指して欲しいものです。

最後は、名実共に、いや正真正銘の「火事場泥棒」です。
<熊本地震>避難中で不在の家から泥棒 51歳会社員逮捕
毎日新聞 4月23日(土)
◇被害申告18件の一つ 熊本県警が窃盗容疑で
熊本県警は23日、熊本地震で被災し、家人が避難中で不在だった同県益城(ましき)町の民家からタブレット端末などを盗んだとして福岡県糸島市加布里(かふり)、会社員、石橋勝也(かつや)容疑者(51)を窃盗容疑で逮捕した。
14日の熊本地震発生後、空き巣が相次いでいたが、容疑者逮捕の発表は初めて。
県警によると「盗んだのは間違いない」と容疑を認めている。
逮捕容疑は15日午後10時ごろ、益城町の女性(63)宅に侵入し、タブレット端末やDVDなど4点(時価計約8000円相当)を盗んだとしている。
佐賀県から益城町役場に支援物資を届けに来た男性が、不審な動きをする石橋容疑者の軽自動車を見つけ、警察に通報した。
県警が把握しているだけで地震後、益城町や熊本市で盗難や建造物侵入などの被害申告が18件あり、今回はそのうちの1件だという。【野呂賢治】
日本人でもこうした人間は何%かは生息しています。
本当に恥さらしな人間ですね。

では、4-24生まれの有名人です。
1743年エドモンド・カートライト (英:発明家,力織機を発明)、1862年牧野富太郎(植物学者『日本植物志図篇』)、1909年松本清(実業家,マツモトキヨシ創業,松戸市長)、1916年ルー・テーズ (米:プロレス「鉄人」)、1932年桂由美(服飾デザイナー)、1934年シャーリー・マクレーン (米:女優)、1942年バーブラ・ストライサンド (米:女優,映画監督)、1948年つかこうへい(劇作家,演出家,小説家『蒲田行進曲』)、1952年ジャン=ポール・ゴルチエ (仏:服飾デザイナー)、1966年田島貴男(ミュージシャン(ORIGINAL LOVE/ヴォーカル))、1968年永田裕志(プロレス)。
ドラマ「オンリーユー、愛されて」の主題歌でもありました。
プライマル/オリジナル・ラブ
