何度も更生のチャンスを与えられながら、更生しようとしない会社は、市場から消すべき!

違法測定、ほぼ全車種 三菱自の燃費データ
朝日新聞デジタル 5月11日(水)

 三菱自動車の燃費偽装問題に絡み、同社が1991年以降に国内で発売したほぼ全ての車種で、違法な燃費データ測定をしていたことがわかった。
販売が終了した車種を含めて数十車種にのぼり、軽自動車だけでなく普通車や大型四輪駆動車にも広がる見通しだ。

 三菱自関係者によると、法定通りの測定をしたと判明したのは「デリカD:5」「アウトランダーPHEV」「ミラージュ」の3車種だけだった。
違法な方法が取られた車種には、人気車種「パジェロ」のほか「ランサー」「コルト」「ギャラン」「RVR」などが含まれる。

 三菱自のホームページによると、91年以降にフルモデルチェンジも合わせて新たに発売された車種は50ほどある。
そのうち、他社から車体の提供を受けていない大半の車種で違法な測定がされていたことになる。

しかし、これだけ広範囲な不正が行われていたなら、トップが知らなかったわけがない。

もしトップが知らず担当部門のみで行われた不正だというのなら、トップはすぐに担当役員を背任罪で訴訟すべきです。

それにしても、この会社は過去にも度々の不正のたびに更生の機会を与えられてきました。

もう甘やかすのも、これくらいでいいでしょう。

日本の自動車メーカーが1社くらい消えても、この際仕方ありませんし、むしろ残すだけの大義名分がありません。

「安易な不正は会社をつぶす」、こうした厳しさでしか業界が他山の石とできないのは残念ですが・・


続いては、波紋が広がるパナマ文書の話題です。

孫正義氏、節税対策を否定--パナマ文書に「たまたま2社入っていた」
CNET Japan 5月10日(火)

 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICJ)は5月10日、タックスヘイブン(租税回避地)を利用していた、約21万社の企業の情報を記録した「パナマ文書」を公開した。
その中には、ソフトバンクのグループ会社の名前も含まれていた。

 同日の決算会見で登壇したソフトバンクグループ代表取締役社長の孫正義氏は、「僕も今朝、テレビを見て驚いた」と語りながらも、2社のグループ会社がタックスヘイブンに関連する企業に投資していたことを認めた。
ただし、節税対策については否定した。

 「子会社や孫会社、ファンドなどによって、2000社近い会社を設立・投資しており、その中でたまたま2社、金額にして2件で2億6000万円(1社目が6000万円、2社目が2億円)ほどの投資が行われた。
僕自身もそんなに細かいところまでみていなかったので管理責任はあるが、悪いことをしたわけではない。
あくまでも(投資先が)そこに登録していただけ」(孫氏)。

 また、孫氏自身の資産についても、「個人の資産にはあまり興味がないし、ソフトバンクの株しかほとんど持っていない。いまは節税よりも仕事の方が忙しい」と否定した。

「悪いことをしたわけではない」

彼の租税回避に対する考え方が凝縮された言葉です。

日本で稼いだ収益は当然日本に税金を納めることが求められています。

世界の悪賢い連中が考えたのは、実体のないペーパーカンパンーをタックスヘブン地域につくり、利益をその会社に営業活動費として移転するだけで、本来収めるべき国の利益を縮小させて納税額を抑えることが可能となる仕組みです。(本社の利益を移転して、赤字にする会社さえあります!)

生き馬の目を抜くといわれる競争社会での企業の存続という点からは、「利益確保」は一概に責めることが出来ないのかもしれません。

しかし、これは本来払うべき税金を払わないで済まそうとする(仕組み上できてしまう)甘い蜜に引っかかる経営者の倫理観の問題です。

普段偉そうなことを言っても、裏でこうした(庶民にはまねの出来ない姑息な抜け穴を使って)利益操作(捻出)をしていたのなら、監督責任以外でもやはり問題です。

孫氏の言葉の最後に「やはり疑わしき行為でもあるので、即刻資金を引き上げます」という潔い言葉が聞かれなかったのも残念でなりません。

では、普段から忙しすぎる彼に贈る言葉。

「孫氏(君子)、危うきに近寄らず!」


続いての話題は、15歳少年のお手柄です。

カナダの少年、「マヤ文明の古代都市」を星座の星の配置から大発見
sorae.jp 5月11日(水)

まさに発想の勝利とでも言うべき、素晴らしい発見がカナダの15歳の少年によって達成されました。
同国に住むウィリアム・ガドリー君は星座の星の配置を地図に当てはめることで、ジャングルに被われたマヤの古代都市を発見することに成功したのです!
 
以前より中央アメリカの古代文明に興味を惹かれていたガドリー君は、星座の星の並びとマヤの古代都市の配置を観察していました。
そしてある時、その星座の星とマヤの古代都市の位置に関連性があることを発見するのです!
 
22の星座の星が117のマヤの都市に一致していることを確認したガドリー君は、23番目の星座の星の一つに一致する都市がないことに気づきます。
その場所は、メキシコのユカタン半島。
ガドリー君はカナダの宇宙局に事情を説明し、当該箇所の衛星写真を撮影。
そして、ピラミッドと思われる古代都市の一部の発見につながったのでした。

「星座に存在する明るい恒星の位置がマヤの古代都市の場所と一致していると発見したときは、本当に驚いたよ」とガドリー君は語っています。
さらに今回発見された古代都市は、マヤの古代都市の中でも最大のものである可能性があるそうです。
 
ガドリー君はこの新たな都市を「K’aak Chi」と命名。
これは「火口」を意味しています。
それにしても、他の科学者達が数百年かけてもわからなかった事実を発見したガドリー君に拍手を送りたいですね!
 
なお、この場所はメキシコの都市部からかなり離れた場所にあり、遺跡の探索は容易ではないとのことです。

この発見もすごいのですが、逆に言えば古代マヤ文明は星座という座標を使って都市を作っていたことになりますが、なぜ夜しか場所がわからない星座を使ったのか、不思議といえば不思議ですよね。

それとも、当時不時着した異星人が都市建設の指揮を執り、帰れなくなった故郷を恋しく星空を眺めていたためのものだったのかな!?

やはり、宇宙の話はロマンあふれます!


最後は、こんな話題です。

有名俳優が「役を降りたい」と言った映画9選
ギズモード・ジャパン 5月9日(月)

もったいない! と思うのはその苦労を知らないからか......。

俳優にとって映画の役を得ることは喜ばしいことですが、映画作りは私たちの想像を超える努力と涙と汗と、時に本当に血の流れる作業の連続。
時には俳優がせっかく手に入れた役を「もうやめてやる!」とすら考えることもあるようです。

そこで今回はlooperがまとめた、有名俳優が役を降りることを考えた映画をお届けします。

・ミシェル・ロドリゲス/「ワイルド・スピード」

ミシェル・ロドリゲスは「ワイルド・スピード」シリーズに欠かせない女優ですが、オリジナルの「ワイルド・スピード」の撮影中に役を降りようとしたそうです。
というのもロドリゲスは、レティという人物が最愛の男であるドミニクを裏切り、潜入捜査官のブライアンになびくという展開に納得ができなかったとのこと。
彼女が思い描いていたレティ像からは想像できない行動だったため、そんな演技をしなくてはならないのなら降りると掛け合ったそうです。

・ローレン・コーハン/「ウォーキング・デッド」

「ウォーキング・デッド」のマギー役で人気のローレン・コーハンは、シーズン3の第4話で産気づいてしまったカールに頼まれ、帝王切開を行います。
この台本を読んだコーハンは、あまりにも強烈すぎるシーンのため、今後のキャリアにも影響するのではないかと懸念し、共演のスティーヴン・ユァンに相談したそうです。
しかし、「ウォーキング・デッド」は人々の極限状態を描いた作品なのだからと考え、演じ続けることにしたのだとか。

・ジム・キャリー/「グリンチ」

本作でジム・キャリーは、長時間の準備が必要な手の込んだメイクをしていますが、中でもコンタクトレンズはひどい痛みを与えたため、非常に苦労したそうです。
激痛が走るため演技どころの話ではなく、軍の拷問アドバイザーに助言を求めたほどだったとか。
そのおかげもあってか、どうにか演技をするまで耐えられるようになりましたが、それでも全てのシーンを撮影できるほどではなく、最終的にポストプロダクションで手を加えなくてはならなかったそうです。

・イアン・マッケラン/「ホビット 思いがけない冒険」

イアン・マッケラン以外のガンダルフは考えられない「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビット」シリーズですが、彼は他の俳優らと絡むことなく、ひたすらグリーンスクリーンを相手に演技し続けることに耐えられず、ピーター・ジャクソン監督は危うく他の俳優を起用しなくてはならない事態に陥るところだったそうです。

・ジェシカ・アルバ/「ファンタスティック・フォー:銀河の危機」

酷評されている「ファンタスティック・フォー」シリーズには、ビッグスターですら役を降りたいと思わせるマイナスパワーがあったようです。
インヴィジブル・ウーマンを演じたジェシカ・アルバは「ファンタスティック・フォー」のティム・ストーリー監督から、泣きのシーンでなるべく表情を変化させず、美しさを維持してほしいといった注文を受け、演技に対する熱意を損なったとのこと。
そして2007年の「銀河の危機」の後、自分は映画産業に興味がないことを悟ったのだとか……。

・ブラッド・ピット/「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」

トム・クルーズとブラット・ピットの絶妙なセクシーコンビが人気の「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」ですが、ピットは撮影の間ずっと惨めな思いでいたため、映画公開から数年後、プロデューサーのデヴィッド・ゲフィンに契約の買い取りを申し出たそうです。
しかし、その金額が4000万ドルだと知り、考え直したとのこと。

・ラッセル・クロウ/「ロビン・フッド」

本作はもともと「ノッティンガム」というタイトルで、内容は英国の伝説的なならず者がヴィランとして書かれた脚本になっていました。
それを読んだラッセル・クロウは、失望と怒りのあまりに役を断ろうと思ったそうです。
幸い、タイトルは「ロビン・フッド」に変更され、ストーリーも大きく書き換えられたため、残って演じることを決意したとのこと。

・エマ・ワトソン/「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」

ハーマイオニー役でおなじみのエマ・ワトソンですが、スタジオ側の過密スケジュールに嫌気がさし、5作目にあたる「不死鳥の騎士団」で役を降りるだけでなく、女優を引退することまで考えていたそうです。

・アル・パチーノ/「ゴッドファーザー」

「ゴッドファーザー」で助演男優賞を受賞したアル・パチーノですが、スタジオの幹部は彼をクビにしたがっていたというから驚きます。
というのもキャスティング当時、スタジオはロバート・レッドフォードをマイケル役に押していたのですが、フランシス・フォード・コッポラ監督は当時無名のアル・パチーノを猛プッシュしました。
どうにか配役に成功したものの、撮影開始時のスタジオ側からの風当たりは相当強いものがあり、コッポラ監督がかばい続けてくれていなければ現場を離れようとパチーノは考えていたそうです。

皆さん、有名な俳優だからこそいえる「わがまま」なのでしょうね。

多くの役者は役がもらえるだけでうらやましいはずです。

では、5-12生まれの有名人です。

1534年織田信長(戦国武将)、1698年青木昆陽(儒学者,蘭学者「甘藷先生」)、1820年フローレンス・ナイチンゲール (英:看護婦「クリミアの天使」)、1885年武者小路實篤(小説家,劇作家,随想家,詩人,画家)、1928年バート・バカラック (米:作曲家,音楽プロデューサー)、1949年萩尾望都(漫画家『ポーの一族』)、1960年EPO[エポ] (シンガーソングライター)。

1983年春資生堂のキャンペーンソングでした。
う、ふ、ふ、ふ、- EPO
今日のお題は、私の思い入れのみで書き込みますので、そのつもりで。

その記事内容は是非とも聴きなおしてほしい「ロック音楽」についての主張です。

その主張とは・・

1970年代中心で最も創造力のあったロックグループは、レッド・ツエッペリンではなく、シカゴだと思います。(きっぱり)

確かにツエッペリンは、ボリュームを大きくしてもちゃんとかっこよく聴けるハードロックの確立という意味において先駆者であり功労者でもあることは間違いありません。

しかし、平均したアルバムの質の高さとユニークさという点において、私的にはシカゴに軍配を上げてしまいます。

では、その理由を。

簡単に言えば、その音楽性と志の高さと言ってしまいましょうか。

具体的に音楽性とは作曲能力、アレンジ(ブラス)能力、ハーモニーやコーラスの妙で、志とはその場に安住しないチャレンジ精神です。

ただし、7枚目までのシカゴ限定です!

まず簡単に振り返りますと、彼らのデビューアルバムは1969年「CTA」というグループ名で、邦題は「シカゴの軌跡」でしたが、その完成度の高さと音質の素晴らしさは、現時点でさえ、シカゴのアルバム全ての中でも最高の出来栄えですらあります。

当時は、ニューロックとかブラスロックとか呼ばれていたようですが、新人グループにもかかわらず、2枚組みでの登場は画期的でした!

そして1970年発表の2枚目からはグループ名を「シカゴ」とし、また2枚組みという意欲作で邦題は「シカゴと23の誓い」という本当に素晴らしいタイトルで日本のロック少年のハートをがっつりつかみました。(というのも、オリジナルジャケットでは単純に「シカゴ」という名称しかプリントされていませんでした・・当時のCBSソニーのPR担当者に敬意を表します!)

ここでの彼らの志の高さは、デビューアルバムの成功に慢心せず、ロックバンドとしては当時珍しい組曲形式を取り入れるという斬新なアプローチを見せてくれました。

もちろん、「長い夜」や「ぼくらの世界をバラ色に」という名曲はこのアルバム収録でしたね。

続く1971年に発売された3枚目も2枚組みということで、彼らがいかに創作意欲のかたまりだったかがよくわかります。

このアルバムでは、新たにカントリー色を打ち出し、さらに組曲形式でメッセージ性を強めるという想像力あふれるアプローチにチャレンジしていますが、きちんと「シカゴ色」を出している点は立派です。

続く4枚目はロックバンドとしては初めて使われたカーネギーホール(クラシック音楽の殿堂)でのライブアルバムでしたが、なんと4枚組みというボリュームで発売!

ただ、個人的には、シカゴはライブバンドではないと思っています。

その理由は、ライブでのリズム(ドラミング)や音の外し方(特にトランペット)など粗さが目立ちすぎる点にあります。

当時ブラスロックで売り出していたBS&Tなどと比べれば、ライブパフォーマンスの素人さ加減は明白です。

もちろん「荒削りさがシカゴライブの魅力だ」と強弁する評論家もいましたが・・

さて、ここまで2枚組みと4枚組みというとんでもないボリュームで発売されていましたが、実は米国マーケット中心での価格設定が基準となっており(当たり前ですが)、他国(特に日本)でのLPの高さ(日本では2枚組で3500円前後ですが米国では12~16ドルで発売されていました、もちろん当時の為替相場の違いは大きかった)をメンバーたちは知らなかったからだといわれています。(従って、2枚組みでは日本のロック少年のおこづかいでは買いづらい価格!)

そして、1972年の5枚目でようやくアルバム1枚という通常ボリュームに落ち着きました。

この作品で初めて全米1位を獲得しています。

この辺から「サタデイ・イン・ザ・パーク」に代表される明るいポップス路線への萌芽がみられます。

1973年の6枚目では、さらにカントリー・ブルーステイストを加えています。

1974年の7枚目はまた2枚組みとなり、ジャズ・ラテンテイストにチャレンジしています。

これだけの短期間で、ロックの幅を1つのグループがこれほどうまく咀嚼し昇華させた例はありません。

そしてこの7枚目までは駄作が1枚もないという点も特筆すべきです。

私がシカゴを追いかけ始めたのは、実はこの7枚目からでしたので、彼らの作品を過去に遡って聴くたびに音楽性の高さへの驚きと感動に満たされました。

そして、8枚目以降のアルバムも決して悪くはないのですが、彼らのロックへの果敢なチャレンジ精神が、売れ線へとあからさまにシフトしてしまった時期でもあり、私が7枚目までを「最強ロックグループ」と呼ぶわけがここにあります。

まだ現役で活躍しているおじさんグループは、2014年に36作目を発表し、念願のロックの殿堂入りも果たしました。

今のバラードが得意のポップなイメージのシカゴは知っていても、昔の硬派なロックグループの彼らを知らない人には、とりあえず彼らの7枚目までを聴いてみてください。

ロック音楽の楽しさと奥深さが堪能できるはずです。

では、彼らの概略をこちらでまとめておきます。

シカゴ(Chicago)は、アメリカのロックバンド。
ロックにブラスを取り入れた形式のバンドとして先駆的な存在であり、同じ ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデュースしたバンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやバッキンガムズ(英語版)などと共に“ブラス・ロック”と呼ばれた。

シカゴで結成されたが、プロ・デビュー後の活動拠点はロサンゼルスである。

来歴:
1967年にデ・ポール大学の学生たちが中心になり、前身バンドである"ビッグ・シング"を結成。

1969年にジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースによりコロムビア・レコードからデビュー。
その後、"シカゴ・トランジット・オーソリティ(シカゴ交通局)"から"シカゴ"とバンド名を変えたが、これはシカゴ交通局からの苦情がきっかけであった。
バンドはデビュー・アルバムから3作連続で2枚組アルバムを発表。
1970年にはシングル「25 Or 6 To 4(邦題: 長い夜)」が世界的に大ヒットした。

その後も「ぼくらに微笑みを」「ビギニングス」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「愛のきずな」「君とふたりで」などを発表し、シカゴは人気ロック・バンドとなる。
初期には政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜め、1976年にはラブ・バラードである「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」が全米ナンバーワンになった。

その後、ギタリストのテリー・キャスの拳銃暴発事故(自動式拳銃の薬室に残った弾丸の誤発射)による死亡、プロデューサーであったガルシオの解雇などによりグループの方向性は変化し、トム・ダウドプロデュースのアルバム「14」は商業的に失敗する。

しかし1980年代に入ってフル・ムーン (WEA系) に移籍し、デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えて復活。
以後は1982年の「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」(1982年年間10位)、1989年の「Look Away(ルック・アウェイ)」(1989年年間1位、作曲はダイアン・ウォーレン)など、ラブ・バラード路線のヒットを連発した。

だがアルバム「TWENTY 1」の売り上げが低迷したことから、バンドとレコード会社の関係が悪化し始め、アルバム「22」として製作された次作「STONE OF SISYPHUS」がレコード会社の希望する路線と異なっていたことからアルバム発売が中止されてしまう(2008年5月6日放送「ベストヒットUSA」での、ロックネインとパンコウの発言より)。
これがきっかけとなり、バンドはジャイアント・レコードへ移籍。
ビッグバンド・ジャズのカヴァー集であるアルバム「Night & Day: Big Band」をリリースした。

2008年4月には、日本でヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとジョイントコンサートを行った。

2008年6月(日本国内盤は7月)には、かねてからお蔵入りとなっていた「22」 (STONE OF SISYPHUS)が「XXXII:STONE OF SISYPHUS」としてリマスターされ発売された。

これまでに全世界売上げは1億2200万枚を超えている。

2016年4月、ロックの殿堂入りを果たした。

メンバー:
前身となったバンド「ビッグ・シング」は、ロバート・ラム(Vo,Key)、テリー・キャス(Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ(Tb)、ウォルター・パラゼイダー(Woodwinds)、リー・ロックネイン(Tp)、ダニー・セラフィン(Drums)、ピーター・セテラ(Vo,Bass)の7人編成であった。

その後、元セルジオ・メンデスのメンバー、ラウヂール・ヂ・オリヴェイラ(Perc)が加入(アルバムへの参加はVIIから14まで)。
アルバム「XI」のリリース後には、テリー・キャスが死亡している。
またアルバム「Hot Streets」で元スティーヴン・スティルスのバンドメンバー、ドニー・デイカス(Vo,G)が参加するが、アルバム「13」のリリース後、ほどなく解雇される。

アルバム「16」より、元サンズ・オブ・チャンプリンのビル・チャンプリン(Vo,Key,G)が参加する。
「17」ではクレジットのみ、クリス・ピニック(G)がメンバーとして表記される(ちなみに、アルバム内ジャケットにあるメンバーの集合写真にはクリスを含まない7人のみが写る)。

「17」を最後に、当時のシカゴのヒット曲でヴォーカルを担当していたピーター・セテラ(Vo,b)がソロ活動に専念するため、脱退。
代わって「18」より元キーンのジェイソン・シェフ(Vo,b)が加入。

「19」を最後に、オリジナル・メンバーであるダニー・セラフィン(Drums)が解雇される。
「19」でセッション参加していたドウェイン・ベイリー(G)は、「TWENTY 1」より正式メンバーとなる。

アルバム「ナイト・アンド・デイ」製作中にはドウェイン・ベイリーが解雇され、代わってキース・ハウランド(G)がメンバーとして迎えられる。
なお、このアルバムのレコーディングにはブルース・ガイチ(G)が参加。

2006年3月には「XXX」が「TWENTY 1」以来15年ぶりとなる全曲新作のオリジナル・アルバムとしてリリースされるが、健康問題により、リー・ロックネイン(Tp)はレコーディングには参加していない。

2009年8月、ビル・チャンプリン(Vo,Key,G)が脱退。
ルー・パーディニ(Vo,Key)がメンバーに加入し、チャンプリンが担当していたボーカル(I'm a manの3番手など)も引き継いでいる。
2009年、トリス・インボーデンが病気療養の間、ドリュー・ヘスターが代役でドラムを担当した。
インボーデンの復帰後、ヘスターは、パーカッションとしてライブに参加しており、正式メンバーに近い活動をしていた。

2012年、ドリュー・ヘスターが離れ、ウォルフレッド・レイエス Jr.がパーカッション担当の正式メンバーとして加入した。

映画・TV番組・CMなどでの楽曲の使用:
「25 or 6 to 4」
・コスモ石油・コスモ・ザ・カードCMソング(1993年)

「Saturday In The Park」
・TBS系列「みのもんたのサタデーずばッと」のテーマ曲
・NHK「土曜スタジオパーク」のテーマ曲
・アール・エフ・ラジオ日本「山本さゆりのミュージックパーク」のテーマ曲
・トヨタ・ブレビスCMソング
・スバル・ジャスティCMソング(1988年)
・三菱地所・パークハウスCMソング - ボビー・コールドウェルによるカヴァーのもの。

「素直になれなくて」
・映画「青い恋人たち」主題歌(1982年)
・三菱自動車・トレディアCMソング(1982年)
・ブリヂストン・アレフCMソング
・オートラマ・フォード・テルスターCMソング(1991年)
・トヨタ・マークIIクオリスCMソング(1997年)
・コーセー・雪肌精CMソング
・東京電力の環境PRCMに起用(2006-)。TEPCO:企業情報|TVCMライブラリー

「Prima Donna」
・映画「セカンド・チャンス」(1983年)

「Hearts In Trouble」
・映画「デイズ・オブ・サンダー」(1990年)

「Moonlight Serenade」
・フジテレビ系列「シングルス」主題歌(1997年)

「Tell Me」
・映画「グライド・イン・ブルー」(1973年)

「If You Leave Me Now」
・映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」(2004年)
・ゲーム「グランド・セフト・オートV」(2013年)

「Wake Up Sunshine」
・ゲーム「ウォッチドッグス」(2014年)

日本公演:
1971年
6月13日,14日 フェスティバルホール、16日 日本武道館
1972年
6月7日,8日 日本武道館、10日,11日 フェスティバルホール、12日 愛知県体育館、13日 京都会館、14日 フェスティバルホール
1973年
4月6日,7日 北海道厚生年金会館、9日,10日 日本武道館、12日 広島郵便貯金会館、13日 福岡市九電記念体育館、16日 京都会館、17日 愛知県体育館、18日-20日 大阪厚生年金会館
1984年
1月8日 NHKホール、9日,10日 日本武道館、14日 福岡国際センター、17日 横浜文化体育館、18日 愛知県体育館
1987年
4月26日,27日 日本武道館、30日 大阪城ホール、5月1日,2日 名古屋市公会堂、3日 神奈川県民ホール、6日 静岡市民文化会館
1989年
9月12日 名古屋レインボーホール、13日 神戸国際会館、14日 大阪厚生年金会館、15日 香川県県民ホール、17日 福岡サンパレス、20日,21日 日本武道館
1993年
2月12日 日本武道館
1995年
12月15日 日本武道館、16日 愛知県芸術劇場、17日 神戸国際会館、19日 北海道厚生年金会館、21日 金沢市観光会館、22日 大宮ソニックシティ
2000年
10月30日 愛知県芸術劇場、11月1日 フェスティバルホール、4日 静岡市民文化会館、6日,7日 東京国際フォーラム
2003年
1月27日 愛知県芸術劇場、28日 静岡市民文化会館、29日 フェスティバルホール、31日,2月1日 東京国際フォーラム
2008年
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとジョイントコンサート
4月14日 広島厚生年金会館、15日 大阪厚生年金会館、17日 中京大学文化市民会館、19,20日 東京国際フォーラム、22日 パシフィコ横浜
2010年
2月19,20日 東京国際フォーラム、21日 神戸国際会館こくさいホール
2012年
10月20日 東京国際フォーラム、22日 オリックス劇場(大阪)、24日 新潟県民会館
2016年
1月9日 大阪国際会議場、12日 刈谷市総合文化センター、15日 パシフィコ横浜、16日 仙台イズミティ21
(ウイッキペディア)

デビューから既に47年目を迎えているわけですから、オリジナルメンバーがまだ達者でいるうちに(ギターのテリーは死去)シカゴの音楽性の高さを今こそ再評価してあげるのも、一ファンとしての義務だと勝手に思いましたので、文章にしてみました。

ご静聴ありがとうございました。(マツコ&有吉の怒り新党の中の3大○○風な感じで)

では、5-7生まれの有名人です。

1730年本居宣長(国学者,国学四大人の一人『古事記伝』)、1833年ヨハネス・ブラームス (独:作曲家)、1901年ゲイリー・クーパー (米:俳優)、1946年新井満(小説家『尋ね人の時間』,シンガーソングライター)、1960年野沢尚(脚本家,小説家『破線のマリス』『その男、凶暴につき』)、1987年紺野あさ美(アナウンサー(テレビ東京),歌手[元](モーニング娘。[脱退]))。

シカゴ、1969年ファーストアルバムの最初の曲ですが、ライブではないバージョンで。
挨拶代わりの「イントロダクション」ですが、絶妙なアンサンブル、楽器パートのソロの見せ方、ロックでいながらドラマチックな構成、今聴いても新人バンドとは思えない仕上がりですよね。
Introduction - Chicago Transit Authority




まずは、こんな話題から。

こちらは健全なる株主総会のようです!

ゴーン氏報酬見直しを=法規制導入も示唆―仏経済相
時事通信 5月4日(水)

 【パリ時事】フランスのマクロン経済相は3日の議会で、仏自動車大手ルノーの株主総会でカルロス・ゴーン最高経営責任者(CEO)の報酬が高額だとして反対票が過半数に達した問題について「ルノー取締役は再び集まって対応を話し合うべきだ」と述べ、報酬水準の見直しを要求した。
 
 その上で、数週間以内に改善が見られない場合は「何らかの立法措置を検討しなければならない」とも語り、高額報酬に対する法規制の導入も辞さない意向を強調した。 

トップのみが異常に優遇されすぎるのは、やはり異常です。

自分で自分の報酬を勝手に決められるわけですから、節度というものが働きません。

ルノーCEOの高額報酬、株主54%が反対票 取締役会は承認 
ロイター 5月2日(月)

[パリ 29日 ロイター] - 29日に開かれたフランス自動車大手ルノー<RENA.PA>の株主総会で、株主の54%(議決権ベース)が、カルロス・ゴーン最高経営責任者(CEO)に2015年の報酬として720万ユーロ(約8億8000万円)を支払う案に反対した。

企業トップの高額報酬への批判は強まっており、大株主の仏政府も反対票を投じた。
この投票結果には拘束力がなく、ルノーは総会後に開いた取締役会で予定通りの額を支払うことを決めたものの、16年以降の報酬体系見直しに着手したことを表明した。

ゴーン氏は日産自動車<7201.T>の社長を兼務しており、別途報酬を受け取っている。
昨年度の日産の報酬額は6月に公表される。

しかも、彼の場合は日仏で2重取りというガメツサを発揮しています。

ここにメスを入れたフランスでの株主は健全です!


ところで、みなさん「みどりの日」ってどんな由来か知ってました?

少し遅れた話題となりますが、早速調べてみました。

みどりの日は、日本の国民の祝日の一つである。
日付は5月4日。
1989年(平成元年)から2006年(平成18年)までは4月29日であった。
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。
ゴールデンウィークを構成する休日の一つである。

概要:
1948年(昭和23年)の祝日法施行以来、昭和天皇の誕生日である4月29日は、国民の祝日である「天皇誕生日」とされていた。
その後1989年(昭和64年)1月7日の今上天皇即位により、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日に改められることとなったが、ゴールデンウィークの一角を構成する祝日を廃止することによる国民生活への影響が懸念されたことから、4月29日を「みどりの日」と改めた上で祝日として存続させることとなった。

その後、2005年(平成17年)の祝日法改正により、2007年(平成19年)以降は「みどりの日」を従来「国民の休日」であった5月4日に上書き的に移動し、4月29日を「昭和の日」とすることとなった。

名前の由来:
「みどりの日」の名前の由来は、各界識者をメンバーとする小渕恵三官房長官(当時)の私的諮問機関(皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会)において、「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなんだ名がふさわしい」という主旨の意見が多数を占めたからであるとされている。
他の意見には「科学の日」などがあったとされ、いずれにしても4月29日が休日となるゆえんとなった昭和天皇の、博識であった面にちなんだ名前となっている。

その他:
2007年以降、「みどりの日」には国公立公園の無料開放を行うほか、国民が自然に親しむための各種行事等を各地で実施することになっている。
また、この日には普段は青色で印刷される毎日新聞の題字が緑色になる。
ただし夕刊は休む。
1991年から「みどりの日」(現・昭和の日)にちなんで名称グリーンレガッタ、伝統のボート四大学対抗戦(中央大学・法政大学・日本体育大学・東京経済大学-定期戦)が戸田漕艇場で実施される。
早慶レガッタほどではないが、各大学の応援合戦もあり華やかである。
(ウイッキペディア)

昭和天皇の誕生日である4月29日を1989年から「みどりの日」と呼んでいたのですが、2007年から4月29日は「昭和の日」と改名し、5月4日を「みどりの日」へと上書きされた、というややこしい話なんです。

ところで、奇しくも5月4日生まれで全国民から祝福されるみどりちゃんは、全国で何人くらいいるのだろう?

では、5-6生まれの有名人です。

1758年マクシミリアン・ロベスピエール (仏:フランス革命指導者,恐怖政治の中心人物)、1856年ジークムント・フロイト (墺:精神医学者,精神分析学の創始者)、1868年ガストン・ルルー (仏:小説家『オペラ座の怪人』)、1885年野上彌生子(小説家,翻訳家『迷路』『秀吉と利休』)、1896年ロルフ・マキシミリアン・シーベルト (スウェーデン:物理学者,放射線防護に関する研究,線量当量の単位Sv(シーベルト)の名の由来)、1897年木々高太郎(推理小説家『人生の阿呆』)、1907年井上靖(小説家『闘牛』『敦煌』)、1915年オーソン・ウェルズ (米:俳優,演出家,映画監督『市民ケーン』)、1941年イビチャ・オシム (墺:サッカー(FW・監督))、1961年ジョージ・クルーニー (米:俳優)、1965年吉田美和(ミュージシャン(DREAMS COME TRUE/ヴォーカル))、1972年高橋尚子(陸上競技(マラソン))。

サンキュ!
ドリカム サンキュ