サンデーモーニングの「朝日新聞の吉田調書」に対するコメントがあまりに酷かったので、指摘しておきます。

寺島「誤報を謝罪するのは当然だが、事故現場での対応に問題がなかったのかどうかも問われている」

寺島さん、朝日の事実とは真逆の記事内容について質問されてこの回答はないでしょう!?

調書から現場に残った所員はまさに命がけで事に当たっていたことが明白なわけで、その中でも至らない部分はもちろんあったでしょうが、その問題はまた別です。

さらに酷いのは萱野氏です。

「今回の朝日の報道がなければ、調書内容自体が明るみに出なかった可能性もあるわけだから、よかったのでは」

バカも休み休み言え、一昨日(おととい)きやがれ、ですね。

朝日が真逆の報道をしたために、世界中から現場の作業員はいわれのない屈辱を受けたわけですよ。

調書内容を世に出すのなら、正確に出さなければ意味がないどころか、かえって害悪ですぞ。

番組内でも大宅さんから逆ねじを食らわされていましたが、こんな教授に教えられる津田塾大学の生徒はかわいそうだなあ。

それにしてもいつまで、こんなコメンテーターを使い続けるのでしょうか?

TBSの良識を疑います。

では、個人的な話題から。

月曜日に自転車がスリップしてできたケガがなかなか治りません。

いろいろと調べていると、こんな療法を発見!

湿潤療法です。

湿潤療法(しつじゅんりょうほう)は、創傷(特に擦過傷)や熱傷、褥瘡などの皮膚潰瘍に対し、従来のガーゼと消毒薬での治療を否定し、「消毒をしない」「乾かさない」「水道水でよく洗う」を3原則として行う治療法。
モイストヒーリング、閉鎖療法、潤い療法(うるおい療法)とも呼ばれる。

20世紀末に湿潤療法の概念が医療現場のみならず一般家庭までに普及したことで、創傷治療のパラダイム・シフトが起きたといわれている。
湿潤療法は、「創傷の治癒と言うものはもとより細胞を培養する様なものであり、従来の様に乾燥させるより湿潤を保った方がよいのは自明である。
しかしながら創傷が治癒するとそれが乾燥することから、乾燥させれば治癒すると言う勘違いや、消毒に対する信仰などでこれまでは誤った治療がなされてきていた」という考え方に立脚する。
消毒薬が容易に傷のタンパク質との反応によって細菌を殺す閾値以下の効力になる一方で、欠損組織を再生しつつある人体の細胞を殺すには充分な効力を保っていること、再生組織は乾燥によって容易に死滅し、傷口の乾燥は再生を著しく遅らせること、軽度の擦過傷においては皮膚のような浅部組織は常在細菌に対する耐性が高く、壊死組織や異物が介在しなければ消毒しなくても感染症に至ることはほとんど無いことなどに注目して考案された。

傷口の内部に消毒薬を入れることを避け、再生組織を殺さないように創部を湿潤状態に保ち、なおかつ感染症の誘因となる壊死組織や異物を十分除去(デブリードマン)し、皮膚常在菌による細菌叢を保持し有害な病原菌の侵入を阻害することで創部の再生を促すものである。

1980年代より湿潤環境を保ち傷を治すという概念はすでに存在していた。
しかし全世界的に普及はしておらず、日本国内でもガーゼを伴う治療法が主流であり続けた。
しかし、ようやく2001年ごろから形成外科医の夏井睦をはじめ、賛同する医師らによって急速に普及が図られている。
また、ほぼ同じ時期より、褥瘡に対して内科医の鳥谷部俊一によっても独自の治療法が提唱された。
その方法には湿潤状態を保持するために食品用ラップフィルムを用いること、また、完全には閉塞環境を保つことが出来ないことから、ラップ療法、開放性ウェットドレッシング療法 (Open Wet-dressing Therapy, OpenWT) と呼ばれている。[

なお、湿潤環境下の方が創傷の治療経過がよいことは欧米においては1960年代後半から臨床報告などで知られており、これを応用した治療法は"Moist Wound Healing"と呼ばれている。

ためしてガッテンで紹介されることによって、一般にも広く知られるようになった(この時に実践していると紹介したのは、元Jリーガーの高橋範夫)。

家庭での治療方法

湿潤治療が適用されるかどうかの診断は必要であり、治療前後の受診は必ず行うようにすることが望ましい。
家庭での治療は、軽度の創傷(軽度の擦過傷、切創)に限って用いられるべきであり、化膿が発生した場合は速やかに医師の診察を受ける必要がある。

また、破傷風予防の観点から、野外での創傷(軽度の擦過傷を除く)、特に木枝や錆びた釘、鉄条網などによる怪我、動物による咬創(狂犬病)などは、これらの傷は比較的深く、湿潤療法を行うにせよ通常の治療を行うにせよ、傷口の奥深くまで異物や細菌が入り込んでいるため、傷口の洗浄の上、時として解放創としてドレナージを行う必要があるため、外科系医師(できれば形成外科医などで創傷外科に通じた医師)の受診が必要である。

1.大量の水道水、あるいは清潔な水で傷口の汚れを完全に洗い落とす。
この時、決して消毒を行ってはいけない。
異物が見られる場合は、これを徹底的に除去する。
程度によっては局部麻酔が必要となるため、必要であれば医療機関を受診すること。
勿論傷が深い場合にも医師の診察を受けるべきである。

2.必要であれば圧迫によって止血を行う。
やはり止血が困難な場合などは、家庭で治療を行うべきではない。

3.出血が止まったら、ラップなどのドレッシング材を傷より大きめに切り、患部に当てる(保湿効果のある白色ワセリンをラップに塗り患部に当てるとなお良い)。

4.貼ったラップを包帯、医療用紙テープなどにより固定する。

5.ラップは1日に一回。
夏などは1日に数回取り替える。
この際、流水などで創傷周囲の周囲を洗うこと。
市販の湿潤療法用絆創膏であっても特に問題は無い。ただしコストは高い。

6.創傷周囲の皮膚は、特に夏場にかぶれなどにより痒みが強くなるが、特に創傷からの体液分泌が多いときに、ラップ表皮下にある皮膚かぶれへの、かゆみどめ等の薬剤の使用は控える。(かぶれを放置すると治癒した後も色素沈着などが長期間残る場合があるため、ラップ療法を中止し、医師の診察を受けるべきである。このため夏期にラップ療法を行うのは非常に困難なことが多い)

7.上皮化が完了すれば治療完了となる。
上皮化のサインとしてキズがピンク色になり新たな皮膚ができ、痛みがなくなる。

8.上皮化してすぐの皮膚はしみになりやすいため、少なくとも一ヶ月は紫外線に注意する(衣服により物理的に日光を遮断するなど)。

適用すべきでない場合

次の場合は、適用してはならず、最初から医師による診断、治療を受けるべきである。

深い創傷。
動物による咬み傷は、狂犬病、破傷風等の危険性がある。組織の一部を噛み千切られた場合なども。 サンフォードガイドなどの成書・ガイドラインによると、動物咬傷では抗生物質の服用をすすめている。

擦過傷の場合、深さと大きさによるが、数cm平方を超える場合は一度でも受診が望ましい。
完治近くなる(ピンク色に表皮が形成され、浸潤液がなくなる)までに1週間以上掛かる場合も、同様である(後述の形成障害・瘢痕拘縮のおそれもある)。

切創の場合、しびれや運動障害が見られる場合は、神経や腱の損傷が疑われる。

出血が多く、絆創膏やガーゼ程度では止血が維持できない場合。
既に創傷は軽度ではなく、ただちに受診すべきである。

汚染がひどく、創感染を発症することが考えられる創、ないしは受傷直後の汚れた外傷は、専門医による創洗浄などを要する。
土壌中には破傷風菌を含む多くの菌がいるため医療機関を受診することが必須と考えられている。

特に受傷初期において、1 - 2日経っても治癒の進行が無いか、遅いように見える場合(悪化する場合も)。
治療開始後数日を経ても痛み・発赤・腫れがある場合。
抵抗力が弱い患者(乳幼児、老人等、糖尿病患者、その他の易感染性患者)。
有害な生物・化学物質による皮膚傷害、または傷が有害な生物・化学物質に暴露した場合。
受傷直後で専門医による深達度診断がなされていない熱傷。

次のような場合は、直ちに家庭療法を中止し、外科医の診断を受ける事が望ましい。
創傷周囲に不自然な発赤、腫れ、むくみなどが見られる場合。
痛みが改善しない場合。
膿や血液、浸出液が出続ける場合。
発熱、悪寒がある場合。
破傷風の前駆症状(肩が強く凝る、口が開きにくい)。
狂犬病の前駆症状では、手遅れとなる。

適用上の注意

創の場所、面積によっては、上皮化させた創は瘢痕拘縮を生じて運動障害、機能障害を併発し、場合によっては手術治療の追加が必要となるおそれもある。
また、一部の皮膚疾患、手荒れやかみそり負け、日焼け程度であれば効果が認められているが、あせもやにきびなどには適用されるべきでなく、原則的には専門医の診察を仰ぐべきである。

医療現場での治療方法

消毒を行った上でガーゼを貼る治療は今なお主流だが、湿潤療法の治療を行う医師も増えている。
医療現場において、ドレッシング材(被覆材)はポリウレタンフィルム、ハイドロコロイド、ハイドロジェル、ハイドロポリマーなどにワセリンやプラスチベース®などを塗布して利用される。
これらは、ラップを使った治療法とは異なり、閉塞環境を保つことから、閉塞性ドレッシング剤と呼ばれる。
2004年に上述のドレッシング材のハイドロコロイドを利用した医療用具がジョンソン・エンド・ジョンソンから一般向けに発売されたのをきっかけに、他社からも類似製品が発売されるようになった。
それらの医療用具を手軽に入手できるようになったことで、一般人にも湿潤療法の普及は拡大してきている。

ガーゼにワセリンを塗った上で患部に当てる方法もあるが、上記のドレッシング材より保湿効果は少ない。

医療現場においても食品用ラップが利用されることがある。
また、近年ではラップの気密性をより高め、浸出液のドレナージを図るために、注射器や病室壁に設置のバキュームなどを使って患部に負圧をかけ、より治癒を早める陰圧閉鎖療法というものも導入されている。
この方法は米国のKCI社によってシステム化され、「V.A.C.ATS治療システム©」として臨床に導入されている。

いわゆるラップ療法(湿潤療法全てをいうものではない)の問題点

いわゆるラップ療法は簡便な湿潤閉鎖療法であるが、それゆえ創傷管理の知識のない看護師や医師、患者自身などが適応を考えずに盲目的に使用してしまうケースが多々ある。
場合によっては重篤な感染症を引き起こしたり創傷治癒の遅延を来たす症例が学会や論文で多く報告されており、感染症では死亡例もある。
そのため日本熱傷学会は熱傷に対して食品用ラップの使用を極力行わず、医療用創傷被覆材の使用を勧めている。
日本熱傷学会ラップ療法対策特別委員会は「いわゆるラップ療法は熱傷に対して最も質の低い創閉鎖療法である」としている。
これは熱傷に対する日本熱傷学会の見解であり、日本皮膚科学会や日本褥瘡学会では、診療ガイドラインで湿潤療法を皮膚疾患や褥創の治療法のひとつとして示しており、その一つとしていわゆるラップ療法の存在を明記している。
ただし存在の事実のみの記述であり特に推奨しているわけではない。
(ウイッキペディア)

「ためしてガッテン」でも扱っていたのですね。

私の傷の場合、すでに消毒し、血が止まらなかったためキズドライスプレーをしてガーゼでカバーしていたため、残念ながらこの治療法はできませんでしたが(途中からでは意味がないそうです)、将来の何かのときのために、「ケアリーヴ」「ハイドロウエット」という商品を買い置きしました。

それにしても、ドラッグストアーなどによく行っている割には、こうした商品の存在さえ知りませんでした。

もし皆さんの周りにも、湿潤療法を知らない人がいれば、是非教えてあげてください。

手軽で確実にキレイに治るようですので。

さて、おめでたニュースです。

歌手の古内東子が第1子妊娠を発表 41歳「幸運なことに」
スポニチアネックス 9月13日(土)

 1996年のヒット曲「誰より好きなのに」などで知られ“恋愛の神様”と呼ばれたシンガー・ソングライターの古内東子(41)が第1子を妊娠した。
13日、自身のブログで明らかにした。

 「この度、幸運なことに子供を授かることができました」と報告。
「今は無事、元気に生まれてきてくれることを願って、日々過ごしております。少しずつ訪れつつある様々な変化を楽しみつつ、毎日心に感じることを大切にしながら、次に皆さまにお会いできる日を心待ちにしています」とママになる心境をつづった。

 2012年10月、一般男性を入籍。
ブログで「ひとつでも多く心に届く曲を書き、そして歌っていけるよう、より一層気持ちを引きしめてまいります」と直筆で発表。
男性の年齢や職業など、詳細は公表していない。

おめでとうございます、今後の音楽活動も一層頑張ってほしいものですね。

そして、悲しいニュースです。

<訃報>ジョー・サンプルさん75歳=クルセイダーズ
毎日新聞 9月13日(土)

 フュージョン音楽の草分けで、1970年代以降のジャズやブラックミュージックの発展に大きく寄与したアメリカのピアニスト、ジョー・サンプルさんが12日(現地時間)、死去した。75歳。
公式フェイスブック上で、家族が明らかにした。

 5歳からピアノを始め、50年代に仲間たちとバンドを結成。
61年、「ジャズ・クルセイダーズ」のメンバーとして本格的な音楽活動を開始した。
72年にバンド名を「クルセイダーズ」と改名。
叙情詩的で透明感のある都会的なサウンドと、パワフルなファンキーサウンドを自在に操る音楽性で、30年以上トップクラスの人気を維持した。

 グループは88年に解散したが、2002年に再結成。
ソロアーティストとしても活躍し、たびたび来日した。
代表アルバムに「渚にて」「虹の楽園」、ヒット曲に「ストリート・ライフ」「メロディーズ・オブ・ラヴ」など。
近年は歌手ランディ・クロフォードさんとの共演も人気を集めた。

 昨年に体調を崩し、今年1月に予定されていた来日公演が中止となった。
その後は公の活動を停止していた。

ジョー・サンプル(Joe Sample、1939年2月1日 - 2014年9月12日、本名:ジョゼフ・レスリー・サンプル、Joseph Leslie Sample)はアメリカ合衆国テキサス州・ヒューストン出身のジャズ・フュージョン界で活躍するピアニスト。リリカルで透明感のあるピアノで、時折ファンキーな音色を見せるのが特徴である。
息子のニクラス・サンプル(Nicklas Sample)もジャズ・ミュージシャンで、ベーシスト。

ジョー・サンプルは5歳よりピアノを始めた。
1952年、高校仲間のウィルトン・フェルダー、ウェイン・ヘンダーソン、スティックス・フーパーとバンドを結成、1960年に『ジャズ・クルセイダーズ』の名でデビューした。
1972年、『クルセイダーズ』と改名、よりポップな路線でアプローチしたアルバムStreet Lifeが大ヒットする。
タイトル曲ではランディ・クロフォードがフィーチャーされている。
このアルバムが元でレーベル側と意見が分かれ、1988年に解散。

ソロ活動としてはクルセイダーズ時代に発表したRainbow Seeker(邦題:『虹の楽園』)(1978)、Carmel(邦題:『渚にて』)(1979) などがある。
1988年以降はワーナー・ブラザーズと契約している。

初来日公演は1966年、パーシー・フェイスのオーケストラのピアニストとしてである。
1980年代初頭の来日公演では、前座でドラマーを務めた『ビジーフォー』のウガンダ・トラに「お前のビートは良い」と声を掛け、スカウトした事もある。

2014年9月13日に公式フェイスブック上で12日に死去したことが家族によって公表された。
(ウイッキペディア)

では、彼の音楽を聴きながらおわかれです。
合掌。
Joe Sample , Melodies Of Love

昨日取り上げた事件の犯人が捕まったようですね。

44歳男を聴取 全盲女生徒負傷事件で 埼玉県警
産経新聞 9月12日(金)

 埼玉県川越市のJR川越駅で8日、全盲の女子生徒が脚を蹴られて負傷した事件で、埼玉県警捜査1課などは12日、目撃情報などから、同県狭山市の作業員の男(44)を容疑者と特定したと発表した。
男は受け答えが困難という。
県警は傷害容疑で刑事責任能力の有無を任意で調べている。

 同課によると、男は8日午前7時50分ごろ、JR川越駅構内で、視覚に障害を持つ児童生徒らが通う同県立特別支援学校「塙保己一(はなわほきいち)学園」(川越市)高等部専攻科1年の全盲の女子生徒が点字ブロックを歩いていた際、生徒の白杖(はくじょう)が自分にぶつかったことに腹を立て、生徒の背後から右膝の裏を蹴り3週間のけがを負わせたとしている。
周辺での複数の目撃情報などから、狭山市内に住む男の関与が浮上した。

 同課によると、被害者の女子生徒は容疑者が特定されたことについて「感謝している」と話しているという。

健常者が弱者に配慮は当たり前ですが、弱者同士にもいたわりと優しさが必要ですね。

しかし・・・

責任能力の問えない人が犯した犯罪はなかったことにする(無罪)という法理は、被害者無視もいいところです。

極端な例を言えば、頭のおかしい人が包丁を振り回して3人以上殺しても無罪(医療観察処分)となってしまいます。

この法理は精神病患者だけではなく、健常者でも犯行時に酩酊や心神喪失の状態であれば適応されます。

脱法ドラッグでラリっていれば、殺人でも無罪となるケースもあるということです。

これを悪用して、心神喪失を偽装したり、殺人をした後でわざと酩酊するなどの小賢しい犯罪者も増えています。

何度も言っていますが、加害者の心身状態や家庭環境などがどうであれ、被害者が存在しているのならその被害者の被害状態によって裁かれるべきです。

加害者のみに優しすぎる法体系は、さっさと見直すべきです。

奇しくも、昨日のブログに取り上げた2つの事件と同じ内容となりましたが、謝罪会見から一夜明けての天声人語と社説を紹介します。

(天声人語)痛恨事からの出直し
2014年9月13日

 まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。
新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。
しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとって痛恨のものとなった。
報道にたずさわる一人として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う
▼当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。
引き継がれてきた1本のろうそくに、毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。
小欄だけではない。
新聞づくりそのものが、社員全員が真摯(しんし)な気持ちで、日々に新たな火をともす仕事である
▼言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘があったことか。
その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった
▼気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。
「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。
古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした
▼「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。
初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたことを、おわびいたします
▼砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。
そして信頼を一から作りなおしていく。
深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい。

なかなか格調高い文章ですね。

数日前まで、誤報やデマを垂れ流し放置していた会社の同じ人が書いていると知らなければ。

我々は、こうした反省したフリに何度騙されてきたのでしょうか?

読者や国民の善意に甘えるのもいい加減にしなさい、とだけ言っておきます。

では、社説はどうでしょうか?

論じることの原点を心に刻んで
2014年9月13日(土)

 朝日新聞は、戦後に例がない大きな試練を自ら招いてしまいました。

 一昨日、木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、福島原発事故での「吉田調書」をめぐる誤報や、慰安婦報道での間違った記事の撤回の遅れなどを謝罪しました。

 「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました。
その中で、誤報だった記事に基づいて「所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に一時退避」や「所長の指示・命令が守られず」という表現を使いました。
社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします。

 また、慰安婦報道検証や、それについて論評した池上彰氏のコラム掲載見合わせも、重い問題だと受け止めています。

 私たち論説委員は、社説などの欄で、あるべき社会の姿について主張をし、ときに人や組織を批判する役割を担っています。

 しかし、その土台を大きく損なってしまいました。
どんな主張をしても「お前にそれを言う資格があるのか」と厳しく問われるからです。

 私たちはその批判と誠実に向き合い、読者の信頼回復に努めなければならないと感じています。
そのうえで、論じるべきことを論じるのは依然として自分たちの責務だと考えます。

■反証と異論に謙虚に

 読者やほかのメディアから、たくさんの批判をいただきました。
一番重く受け止めなければならない指摘の一つは「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないのか」だと思います。

 日々、論じることを仕事としている論説委員も、つねにその危険に近いところにいます。

 論を紡ぐ過程で、主張への反証となる事実への謙虚な姿勢を失えば、それは空論や暴論となります。
また、そこに陥らないようにする上で、あるいは自分たちが陥ってもそれを批判する視点を読者に確保する上で、大切なもう一つのことは、異論に紙面を開く姿勢にほかなりません。

 朝日新聞はそのためにオピニオン面をとりわけ重視し、社説とは異なる論も含めた多様な意見を掲載することに力を入れてきました。
それだけに池上氏のコラムの掲載見合わせは、自分たちが一番大切にしていた価値を損ねる結果になりました。

 慰安婦報道の影響については、今後、第三者機関で検証を進めてもらいます。
ただ、たとえば1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断定し記事を取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないかと自問せずにはいられません。

■議論をゆがめた誤報

 朝日新聞が8月、自身の慰安婦報道の検証を紙面に掲載したのは、慰安婦問題を直視するには、過去の誤った記事が妨げになっていると考えたからです。

 かつての報道を明確に取り消さないかぎり、「朝日の慰安婦報道問題」が前面に出てしまい、本来の「慰安婦問題」が背後に退いてしまう。
朝日報道への批判とともに、議論がナショナリズムの対立に大きく傾く。
日本で嫌韓本がはやり、韓国の団体は慰安婦の像を国内外に建てる。
お互いに挑発する不毛な応酬。
その結果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく――。
そんな状況を打開したいと考えたからです。

 にもかかわらず、原発事故に関する「吉田調書」の誤報で再び議論の核心をゆがめかねない同じ過ちを繰り返してしまいました。
原発問題という大切な議論をしなければいけない言論空間に、「朝日の原発報道問題」というもう一つの問題を作ってしまったからです。

■論じ続ける責務

 私たちは、慰安婦問題の本質とは、戦時下の女性の尊厳や人権であり、取り組まなければならないのは被害者の救済や日韓の和解であると主張してきました。

 また、吉田調書を含め関係者の証言や記録の吟味は、日本の今後の原子力行政に欠かせない作業だとも考えています。

 その意味でも、慰安婦問題や原発問題の議論が、自らの失態で後方に退いたり、ゆがんだりしたままにならないように論じ続けることは、私たちの責務だと思っています。

 もちろん、論じることを読者に説得力を持って受け止めていただくためには、反証となる事実や異論に謙虚になるという原点を改めて心に刻まなければならないと痛感しています。

 その自覚をもって、今の日本にとって重要な数々のほかの課題についても、私たちはこれからも社説などを通して言論人としての使命を果たしていきます。
批判に耳を傾けながら、多様な議論の発展に貢献したいと考えます。

やはり、まだ問題の本質がわかっていないのが、この文章に表れています。

朝日新聞が8月、自身の慰安婦報道の検証を紙面に掲載したのは、慰安婦問題を直視するには、過去の誤った記事が妨げになっていると考えたからです。
 かつての報道を明確に取り消さないかぎり、「朝日の慰安婦報道問題」が前面に出てしまい、本来の「慰安婦問題」が背後に退いてしまう。
朝日報道への批判とともに、議論がナショナリズムの対立に大きく傾く。
日本で嫌韓本がはやり、韓国の団体は慰安婦の像を国内外に建てる。
お互いに挑発する不毛な応酬。
その結果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく――。
そんな状況を打開したいと考えたからです。

まず、あなた達の誤報と放置がなければ、現在のような両国の不毛な応酬もなかったとは少しも考えないのですね?

そしてお得意の論理のすり替えをここでも披露しています。

「朝日の慰安婦問題」とは軍の強制性がないのにあったかのような論陣をはっていた問題であって、普遍的な女性の人権問題などではありませんでした。

その証拠に、現時点でも世界各地で行われている人権蹂躙(じゅうりん)問題を従軍慰安婦ほど熱心に報道していないことからも自明です。

要は、自分たちにとって都合のいい事例を集めて日本を毀損(きそん)したいだけの報道機関なわけです。

ただナショナリズムの対立を煽った自覚はあるようですので、その対立を焚きつけた反省を踏まえ、世界各地に拡散してしまった自分達の誤報の火消しをする決意も述べて再生の許しを乞うのならまだわかります。

そうした実効的実質的な反省をせず、口先だけで「今日から朝日は生まれ変わります」といわれても信じられません。

また、

朝日新聞はそのためにオピニオン面をとりわけ重視し、社説とは異なる論も含めた多様な意見を掲載することに力を入れてきました。

と自画自賛しているようですが、多くの新聞社の中でも赤旗新聞と朝日新聞の読者の投稿内容ほど偏ったものはありません。

赤旗は共産党の機関紙ですから当然ですが、朝日新聞は一応クオリティペーパーを標榜していたのですから、余計問題です。

この期に及んでも、反省よりもこうした言い訳がいたるところに散見され、自己正当化しようとするこの厚かましさはさすが朝日ですが、結局朝日は何も変わっていないのだなということだけはわかりました。

では、朝日新聞にピッタリの言葉を贈りたいと思います。(故事ことわざ辞典より)

巧言令色鮮し仁

【読み】 こうげんれいしょくすくなしじん

【意味】 巧言令色鮮し仁とは、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。

【注釈】 「巧言」とは、口先巧みに言葉をあやつること。
「令色」とは、人にへつらうような愛想のよい顔つきのこと。
「鮮し」は「少なし」と同意だが、原典に沿えば「鮮し」と書く。
「仁」とは、他人を思いやる心を元にして自己を完成させる、最高の徳のこと。
『論語・学而』『論語・陽貨』にみられる言葉。

【対義】 剛毅木訥仁に近し

【英語】 He who gives fair words feeds you with an empty spoon.(巧言を操るのは空匙で食べさせるようなもの)
Full of courtesy, full of craft.(礼儀たっぷり企みたっぷり)
Where there is over mickle courtesy, there is little kindness.(度外れに礼儀正しい人は、仁愛の情に乏しい)

【用例】 「巧言令色鮮し仁だ、あのように人に媚びへつらう男には気をつけたほうがよい」

そして社説はこんな文章で終わっています。

批判に耳を傾けながら、多様な議論の発展に貢献したいと考えます。

謝罪会見、翌日の紙面を見る限り、「もう貢献の必要ありません、ご苦労様でした」、と勝手に返しておきます。

では、音楽は昨日に続き、心が洗われる曲です。
Photo Jaunie Andre Gagnon
本日は、いつも以上にかなりまじめな2題です。

まずは、この問題から。

社会全体が、まわりに気を使ったり、譲り合ったりする余裕がなくなってきたのでしょうか?

全盲女生徒「歩くの怖い」不安な心情 
1人通学始めたばかり
産経新聞 9月11日(木)

 埼玉県川越市のJR川越駅で8日、全盲の女子生徒が何者かに脚を蹴られて負傷した事件で10日、生徒が産経新聞などの取材に応じ「1人で歩くのが怖い」と不安な心情を語った。

 「許せない気持ちでいっぱい」。
こう振り返る生徒は同日、負傷した右膝の痛みが増し、校内で車いすを利用した。
今年4月、マッサージ師を目指し、通勤の練習を兼ねて1人で通学を始めた直後の事件だった。

 生徒は県立特別支援学校「塙保己一(はなわほきいち)学園」(川越市)高等部専攻科1年生で8日朝、登校中に同駅で右膝の裏を蹴られ3週間のけがを負った。
視覚障害者が使う白杖(はくじょう)が前から歩いてきた人物にぶつかり、転倒する感触があった直後、背後から強く蹴られた。
川越署は傷害などの容疑で捜査を始めた。

 白杖を折られ、心ない言葉をかけられた経験はあるが「暴力は初めて。蹴られるとは思わなかった」という生徒。
最初は恐怖で誰にも言えなかったが、同日夕、同級生に相談し同駅近くの交番に被害を伝えた。

 「白杖は目の代わりだが、全ての障害物を感じられるわけではない。点字ブロックや白杖について健常者の方に理解してもらえれば」。
生徒はこう訴えた。

この事件の悪質さについては、いろいろなところで言われていますので、ここでは、違う論点から。

社会的弱者(身障者、妊婦、子供、病人、老人など)を周りの人間が支えあうのは当然必要です。

でも、これは強制されたり押し付けられてやるものではなく、すべて善意からの発意であるべきです。

そして他人からの善意であるなら、善意を受けた人たちは当然だと思うのではなく、感謝の気持ちも必要です。

例えば電車内の風景、朝の通勤ラッシュ時にベビーカートを折りたたまず入り口付近で平気な顔をしている赤ちゃん連れの母親、乗車するため整列して待っている列の横から割り込んで子供に席を取らせる母親、また通路を走り回ったり大声でわめいている子供に注意すらしない母親など、母親中心の例になりましたが、彼女達はおそらく赤ちゃんや子供がいるのだから、周りが配慮すべきだという正義のオーラを全身から発しています。

こうした光景を見て、子供連れの母親にもっと優しくしようと思う人がどれだけいるでしょうか?

社会的弱者に優しくするのは、弱者が弱者ゆえにであって、見るからに弱者でもなさそうな人がふんぞりかえって当然のような態度を示すのはお門違いです。

では、今回のケースで私がなんとなく違和感を持ったのは、被害者のコメントにあります。

「許せない気持ちでいっぱい」

もし、彼女がその言葉の後に「とても怖いですが、これからも歩くの頑張ります」というようなコメントだったら、頑張れと手放しでエールをおくっていたと思います。

少し解説します。

どんな落ち度があろうと一方的な暴力が許せないのは当然です。

ただ、白い杖で歩いていれば周りは気づくべきだという思いも間違っています。

残念ながら白い杖で歩いていても、後ろからでは見えないこともあります。

一刻を争うような急ぎのときに、狭い通路をゆっくり歩いている人がいれば、当然列全体的が遅くなり、後ろからその人を無理に追い越そうと接触して転倒してしまうようなことも起こるでしょう。

もちろん目が見えないのですから、その人には落ち度はありません。

落ち度はありませんが、その人中心に社会が回っているわけでもありません。

少なからず、社会に負担をかけている(弱者とはそういう存在です)という気持ちを持って欲しいと思います。

そうした思いが根底にあれば、前述のような力強いコメントだけではなかった気がします。

もしかしたら、日頃から嫌な思いばかりをしてきた経験しかなかったのかもしれませんね。

または、全盲者を代表して怒りを表明したのかもしれません。

可能性としては低いでしょうが、今回ぶつかってきた相手も全盲者または身障者だった可能性もなくはありません。

許せない相手が、同じような境遇の者同士だったら?

はては、彼女がこの後に語った言葉があったのに、マスコミが省略したのかもしれませんね。

まあ、こうした不毛な仮定や想像はあまり建設的ではありませんね。

私の結論的には、弱者を支えあうのは社会として当然ですが、弱者の方達も周りの善意を当然と思うのではなく、やはり感謝の気持ちや態度の表明も大切だという点をもう一度認識して欲しいと思わせる記事でした。

では、次の話題ですがやはり避けては通れません。

報道機関としての矜持を問われた昨日の朝日謝罪会見の模様を詳しくお伝えします。(記事中の下線は私)

ドキュメント「朝日新聞のいちばん長い日」
東洋経済オンライン 9月12日(金)
山川 清弘

 東日本大震災からちょうど3年半が経過した9月11日、誤報騒動に揺れる朝日新聞が初めて公の場で謝罪会見を行った。
東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、いわゆる「吉田調書」をめぐる報道内容に関する会見だ。

 謝罪はもう一つの「吉田問題」、故・吉田清治氏の証言を基にした日本軍による従軍慰安婦の強制連行を誤報と認めた件にも及んだ。
第三者委員会や社内での徹底検証にも乗り出すが、離れてしまった読者の信頼を取り戻せるかどうかは予断を許さない。

 11日朝から漏れ始めた会見情報に対し、広報部は直前まで箝口令を敷き、19時30分からの会見が行われる朝日新聞東京本社は警察車両とバリケードに囲まれていた。
記者は1人1人がチェックされる物々しい雰囲気で、入場を許されたのは新聞・雑誌は1社当たり記者3人とカメラマン1人、テレビも記者3人とカメラ1クルーに限定された。
それでも集まったマスコミはざっと150人以上。カメラも約20台と多かった。

 会見では、朝日新聞が独自入手した吉田調書を基に報じた5月20日付の1面記事「所長命令に違反 原発撤退」と同2面「葬られた命令違反」をほぼ全面で取り消したうえで、報道部門を束ねる杉浦信之取締役を編集担当から解任。
担当記者やデスクなど関係者も処罰する。
さらに木村伊量社長が「社内の抜本改革後に進退を決断する」と辞任を示唆、今後は社長報酬を全額返納すると発表した。

 池上彰氏の連載コラム「池上彰の新聞ななめ読み」の慰安婦問題に関する回の掲載を一度は中止する判断をしたのが、杉浦氏であることも明らかになった。

 主な質疑応答は以下の通り。

■ なぜここまで発表が遅れたのか

 ――「進退を決断する」とは辞任の表明か。

 木村社長 今の段階で具体的に申し上げるのは避けたい。

 ――記事そのものを否定するのか。

 杉浦取締役 「命令違反で撤退」を取り消す。
これはこの記事の骨格に関わる記述であり、見出しにもなっている。
これを間違いとするのだから、記事そのものを訂正する、と考えている。

 ――8月末の段階で朝日新聞は読売新聞に対し「命令違反だった」と回答している。
それから短期間でなぜ変化したのか。

 杉浦 記事掲載からしばらくして、「この記事は東京電力職員をおとしめるのでは」との批判があった。
そうした意図はないし、吉田調書を入手しているのはわれわれだけだと認識していたので、その時点では「批判は当たらない」と考えていた。

 8月下旬以降、他社も同様の資料を入手して、朝日新聞とは違う報道が出てきたので社内で調査したところ、「(第一原発内の放射)線量の低いところに残るように」と命令したが、その命令が多くの方に伝わっていたのか確認できないまま原稿が書かれていたことが、8月末から9月にかけての取材班以外の調査ではっきりした(従業員の大半は第二原発へ一時退避している)。
これだけ時間がかかったことは誠に遅いと考えている。

――雑誌メディアに抗議書を送り、それを記事にしたことも撤回するのか。

 喜園尚史執行役員(広報担当) 今日の判断で抗議の前提が覆ったので、これまで出した抗議は撤回し、お詫びしたい。
抗議書を出したメディア、ジャーナリストには誠実に対応したい。

 ――それ以外にも、従軍慰安婦問題への批判記事などについて朝日は雑誌メディアに抗議書を濫発しているのでは? 

 喜園 抗議した段階では、「十分取材した結果で事実だ」と考えていた。
それに対して違うと否定されれば、抗議文を出す。
濫発かどうかはコメントしないが、今回は間違いだった。

 ――吉田調書を丁寧に読めば、普通はこうした記事にはならない。
意図的にねじまげられた報道ではないか。

 杉浦 そうではないと判断している。が、そういう印象を与えたことは強く反省している。

 ――勝手に逃げ出したという印象を海外メディアは持っている。

 杉浦 まさにお詫びしなければいけないこと。早急に英文で発信していきたい。

 ――読者から抗議・批判はどれくらいあったか。購読停止の数をどれくらい把握しているか。

 喜園 通常より多い批判は受けているが、数はこの場では言えない。購読への影響も具体的な数は言えない。

■ コラム不掲載に社長は干渉せず? 

 ――慰安婦問題で池上氏のコラムを不掲載にした。木村社長自身はどう考えている? 

 木村 池上さんの「新聞斜め読み」は長い間、朝日新聞の売り物のコラムで、私自身楽しく読んでいた。
池上さんから今回原稿をいただいて、内容が朝日新聞にとって厳しいものであることは編集幹部から聞いていた。(コラムに対する)感想は話したが、対応は編集幹部の判断に委ねた。

 途中のやり取りが流れて、「言論の封殺である」という思いも寄らない批判を頂戴した。
結果的に読者の信頼を損なうような結果になったことには、社長として責任を感じている。

 ――池上記事を見送ったのは誰か。担当の処分は。

 杉浦 判断は私。結果として間違っていたと判断している。社内外の批判を含め最終的に掲載すると判断した。

 木村 (処分は)指摘をいただいたので検討する。

■ 影響に過敏になりすぎた

 ――何を懸念して掲載を見送ったか。

 杉浦 9月6日に紙面で説明したとおり。
当時の朝日を取り巻く環境を考えたときにコラムの影響に過敏になりすぎた。

 ――木村社長の判断があったとも聞くが。

 木村 私の指示はない。「厳しい」と言った覚えはあるが、それを杉浦が忖度した覚えはない。

 杉浦 忖度していない。

 ――池上氏のコラムへの対応について、ツイッターなどで社員の批判があったのをどう受け取っているか。

 木村 非常に残念だが、上層部に向けても厳しい意見があった。
自由な言論空間をきちんと保証するのはわれわれのモットー。
朝日の誇りだ。若い人が多いが、厳しく受け止めた。

 記者のツイッター利用は増えることこそあれ、制限はしない。
自由な言論の輪が保証されるのがトップとしての責任だ。
制約をかけるような暗い社会にしてはならない、が信念。
後任者にも当然のこと(として求める)。

■ 慰安婦の強制性はある

 ――8月の特集で慰安婦を強制連行した証拠文書は見つかっていないが強制性はあった、と表現を変えている。これは論旨替えでは? 

 杉浦 吉田証言は虚偽と判断した。
だが、いわゆる慰安婦が女性の人権を侵害したもので、自らの意思に反して、という強制性はあったと判断している

 ――朝日の慰安婦報道が国連クラマスワニ報告や国際的な日本批判に影響を与えているが、どう思うか。
これから世界にどう働きかけていくのか。

 杉浦 クラマスワニ報告も含めて、報道が国際関係に影響を与えることが当然と考える。
朝日の報道がどう影響を与えたのかは、自身でどう判断するか難しい面もある。
新しい対策委員会に具体的な検討をお願いしたい。

 ――8月28日の記事で、吉田証言が河野談話には含まれてないと(あえて)書いたのに、クラマスワニ報告には採用されたことに触れられていないのはなぜ? 

 杉浦 あの記事には必要ないと思った。

 ――2人の吉田の件で、どちらが進退の原因か。

 木村 言うまでもなく、吉田調書のほう。
慰安婦について、8月5日の検証記事で至らないところがあったことと、遅きに失したことはお詫びしたい。
しかし、検証の内容については、今でもまったく自信を持っている。

 慰安婦問題は今後も大事な問題、女性の人権や尊厳の問題として、これからも明確に主張を続けていくことは変わらない。
私が申し上げたのは、今回の吉田調書報道について、深く反省して、判断したいということだ。

 21時20分に会見終了。
木村社長は三方に頭を下げて、退場した。

率直な第一印象は、偉そうな謝罪会見でしたね。

世間一般で言う謝罪とは平身低頭して涙の一つも見せながら初めて成り立つものですが、謝罪会見に臨んだ朝日新聞の幹部達は未だ自分達の誤報の悪質さと影響力を認識できていません。

簡単に言えば、誤報がなぜ起こったのかという問題もさることながら、もっと早くに訂正できた記事内容をなぜ今まで放置してきたのかという現行執行部の事なかれ主義も厳しく問われているのにもかかわらず、です。

吉田調書といい、吉田証言といい、朝日は吉田姓に祟られていますね。

冗談はさておき、では、彼らの具体的な発言で考察します。

★記者の質問、「吉田調書を丁寧に読めば、普通はこうした記事にはならない。意図的にねじまげられた報道ではないか。」に対する答え。

 杉浦 そうではないと判断している。が、そういう印象を与えたことは強く反省している。

この杉浦氏は、報道部門を束ねる編集責任者であり取締役でもある偉いお方ですが、自分が編集しておいてこの他人事のような発言に全ての朝日の無責任体質が表れています。

編集責任者だから、当然吉田調書は読んでいたはず(もし読んでいなかったとすれば役職として問題です)で、中学生の読解力があれば朝日新聞のような記事内容にはならなかったのは明白です。

調書に自分で目を通しながら、まさに反対の結論を導き出したという当事者責任に全然触れられていません。

★次の質問、「慰安婦問題で池上氏のコラムを不掲載にした。木村社長自身はどう考えている?」に対しての答え。 
 木村 池上さんの「新聞斜め読み」は長い間、朝日新聞の売り物のコラムで、私自身楽しく読んでいた。
池上さんから今回原稿をいただいて、内容が朝日新聞にとって厳しいものであることは編集幹部から聞いていた。(コラムに対する)感想は話したが、対応は編集幹部の判断に委ねた。
途中のやり取りが流れて、「言論の封殺である」という思いも寄らない批判を頂戴した。

社長も楽しく読んでいた人気コラムなら、編集部の独断で勝手に外したことをまず諌(いさ)めるのが普通のリアクションでしょう。

「自由な言論空間をきちんと保証するのはわれわれのモットー。朝日の誇りだ。」というのなら、なおさら池上氏のコラム内容が自社にとって厳しいものであるかどうかに係らず、掲載するのが筋でした。

自由な言論空間を保証すると言っておきながら、実際には封殺していることの矛盾に気づいていない二枚舌も朝日の特異体質が良く表れています。

★慰安婦問題では、「8月の特集で慰安婦を強制連行した証拠文書は見つかっていないが強制性はあった、と表現を変えている。これは論旨替えでは?」という質問に対して、 

 杉浦 吉田証言は虚偽と判断した。
だが、いわゆる慰安婦が女性の人権を侵害したもので、自らの意思に反して、という強制性はあったと判断している。

昔から遊郭やら置屋などの性産業はありました。

多くは親の借金や口減らしのために、否応なくその種の職業を選ばざるを得なかったという意味では、自らの意思に反するものだったでしょう。

身を売る性産業とは、そもそもそういう性質のもので、であれば従軍慰安婦だけの問題でもなく、ましてや日本だけの特異な問題でもなくなります。

女性の人権を侵害することが問題の本質であるのなら、なぜ執拗に日本の従軍慰安婦問題だけをことさら報道し続けたのでしょう?

しかも嘘の証言まで引用しながら。

従軍慰安婦問題は強制性があったかどうかがポイントであり、強制性がないのであれば日本のみならずどこの国もやっていたことです。

テレ朝の「報道ステーション」に出演していた朝日新聞の記者も「しかし、広義の強制性があった」と言っていましたが、世間ではこれを詭弁(道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。)といいます。

★最後の質問、「2人の吉田の件で、どちらが進退の原因か。」という問いに対して、

 木村 言うまでもなく、吉田調書のほう。慰安婦について、8月5日の検証記事で至らないところがあったことと、遅きに失したことはお詫びしたい。
しかし、検証の内容については、今でもまったく自信を持っている。

これ、謝罪になっていません。

漫才師で、「笑いながら怒る」という芸を見たことがありますが、「反省していないのに謝罪したフリをする」のは朝日の得意芸なのでしょうか?

慰安婦問題と吉田調書が引き起こした問題の影響力の大きさでは、断然慰安婦問題の方ですが、物事の重要性の軽重もつかない人物が大手報道機関の社長をしていることが、まず問題かもしれません。

そして、「慰安婦について、8月5日の検証記事で至らないところがあったことと、遅きに失したことはお詫びしたい。しかし、検証の内容については、今でもまったく自信を持っている。」ってどういうロジックなのでしょうか?

最初の文で「検証記事が至らない」といいながら「検証内容には自信を持っている」と言い切ってしまう。

もしかして、朝日新聞社幹部達の国語能力が中学生以下だとすれば、確たる証拠もなく裏付けもとらず信じた「吉田証言」も、文意とはまったく逆に捉えてしまった「吉田調書」も起こるべくして起こったことといえるかもしれません。

この記者会見を見る限り、現執行部の早い総退陣こそが、朝日新聞社が再生できるための必要条件であることは間違いありませんね。

もちろん十分条件は、過去に遡った責任者の処分と、恣意的な報道を組織として防止できる体制づくりです。

そして今後は第三者による監視委員のメンバー構成にも注目していきたいと思います。

では、心安らぐ音楽の時間です。
ご存知、トヨタのCMで使われている曲ですね。
めぐり逢い-アンドレ・ギャニオン