今日は、
○ビスケットの日
全国ビスケット協会が1980(昭和55)年に制定し、翌年から実施。
1855(安政2)年のこの日、パンの製法を学ぶ為に長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵が、同藩の萩信之助に、パン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送った。
これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされている。
また、ビスケットの語原がラテン語で「二度焼かれた物」という意味の「ビス・コクトゥス(bis coctus)」であることから、「に(2)どや(8)く」の語呂合せの意味も持たせている。

私が好きなのは、マクビティとグリコです。

最初の話題です。

権力を持った政治家の頭が悪いと国民が迷惑です。

<森元首相>東京五輪の週刊文春報道で700万円賠償提訴
毎日新聞 2/27(月)
 ◇発行元の文芸春秋相手取り 謝罪広告掲載も求めて東京地裁に

 東京五輪を巡る週刊文春の報道で名誉を傷つけられたとして、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が発行元の文芸春秋を相手取り、700万円の損害賠償と謝罪広告掲載を求めて東京地裁に提訴した。
文春側は27日の第1回口頭弁論で請求棄却を求めた。

 訴状によると、森元首相に近い企業が五輪案件を受注したなどと報じた昨年9月15日号と同10月13日号の記事で名誉を傷つけられたと主張している。
森元首相の弁護士は「名誉毀損(きそん)の記事に法的措置を取った。本人は非常に悔しがっていた」、文芸春秋は「記事は五輪予算と組織委会長との関係を検証したもので十分自信を持っている」とコメントした。【伊藤直孝】

彼が組織委員会のトップにいる間に、競技会場の見直し、エンブレム盗作問題、異常に膨らんだ建築費と、大切な時間と税金、そして国民からの信用をなくしたわけですが、その責任すら感じていないのではshame on you!(恥を知れ!)です。

その人が、名誉毀損で訴える、ですか!?

まさにブラックジョークのようです。

国会でもブラックジョークのきれいな技がきまったようです。

衆院予算委員会 森友学園問題でも民進党ブーメランが炸裂 
大西健介議員の追及が…
産経新聞 2/27(月)

 民進党の大西健介氏は27日の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」の問題を取り上げ、安倍晋三首相や閣僚をただした。
しかし、勢い余って、きれいなブーメランが大西氏に炸裂。
旧民主党時代からの民進党の“得意技”に、いささかの衰えもみられないようだ。

 大西氏は、文部科学省が同学園運営の塚本幼稚園(大阪市淀川区)の教諭に優秀教職員表彰をしたとして松野博一文科相に経緯を尋ねた。

 大西氏「表彰の対象になったのは何回か」

 松野氏「2回表彰している。表彰者の決定は1回目は平成20年12月、2度目は24年12月7日だ」

 この答弁を受け、大西氏は「政権ぐるみで偏った教育方針を推進している幼稚園を後押ししたり、便宜を図ったりしているのではないか!」と攻め立てた。

 しかし、安倍晋三首相は「少なくとも一つは民主党政権時代じゃないですか?」と反論。
確かに、1度目は自民党の麻生太郎政権時代だが、2度目は旧民主党の野田佳彦政権時代…。
これ以上ない、お手本のようなブーメランが決まった瞬間だった。

さすが、切れ味抜群な匠の技です。

続いての話題です。

ガッテン、ピンチ!?

「睡眠薬を糖尿病治療に使えると誤解与えた」
NHKガッテン! 番組HPで謝罪
楊井人文 | 日本報道検証機構代表・弁護士 2/27(月)

NHKは2月22日放送の生活情報番組「ガッテン!」で、「睡眠薬で糖尿病の治療や予防ができる」などの行き過ぎた表現で誤解を与えたとして、26日夜、番組のホームページに「深くお詫び申し上げます」との謝罪記事を掲載した。
NHKには放送直後から「睡眠薬の不適切な使用を助長しかねない」と批判が寄せられていたといい、インターネット上でも医療現場から問題を指摘する声が出ていると報じられていた。

問題の放送は「最新報告!血糖値を下げるデルタパワーの謎」と題して、熟睡で血糖値が改善することや必要な睡眠時間などについて医療研究の成果を交えて解説する内容。
だが、番組内では「睡眠薬で糖尿病が治療できる」というテロップなどがあり、糖尿病治療のために睡眠薬を推奨するような場面があった。
この点について、NHKは「行き過ぎた表現や短絡的な表記があり、あたかも睡眠薬を糖尿病の治療や予防に、直接使えるかのような誤解を与えてしまいました」と問題を認めた。

また、番組では睡眠薬の名前が特定できる映像や「副作用の心配がなくなっている」といった説明もあった。
こうした点についても「あたかも番組や病院が、この薬だけを推奨しているかのような印象となってしまい、配慮に欠けていました」「運動障害の副作用は少ないとはいえ、悪夢や頭痛などの別の副作用は報告されており、大変不適切でした」と記した。

そのうえで、「睡眠障害の治療には、生活習慣の改善など様々な選択があり、睡眠薬を使用するかどうか、どの種類の睡眠薬を選ぶかなどは、かかりつけの医師や睡眠専門の医師の判断に従ってください」と呼びかけ、「この混乱を招いてしまった原因は、ご出演して頂いた専門家ではなく番組にあります。お詫び申し上げます」と書かれていた。
批判の高まりを受け、3月1日の次回放送前を待たずに謝罪した。

「ガッテン!」は前身の「ためしてガッテン!」を含めると約22年続く長寿番組。
現在は毎週水曜の夜(NHK総合)に放送されている。

楊井人文 :
日本報道検証機構代表・弁護士
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、平成20年、弁護士登録。
弁護士法人ベリーベスト法律事務所所属。
平成24年4月、マスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GoHoo」を立ち上げ、同年11月、一般社団法人日本報道検証機構を設立。

最近の「ガッテン」は、医学会でも最新の情報を取り扱っており、まだ学会で完全に認知されていない内容も積極的に放送しているため、今回のような一部の見解にもかかわらずテレビの演出的に「断定的」な言い方をしてしまったのでは、と分析します。

今回は、残念ながら勇み足でしたが、毎回面白い視点を提供してくれるので、番組スタッフはめげずに頑張ってほしいものです。

が、それよりも、番組のすすめかたが回りくどく、いっそ15分番組くらいの方が、必要なポイントを絞り込めてすっきり頭に入ってくると思います。

番組取材過程でのスタッフの試行錯誤や苦労はわかるのですが、それをあえて放送する必要などはなく、逆に番組を冗長にしかえって内容を混乱させていることに気づいて欲しいものです。

そこに、「ガッテン」して欲しいのが、私の切なる願いです。

では、2-28死去の有名人です。

1591年千利休(茶人,千家流茶道の開祖) <数え70歳>秀吉の命により切腹、1638年天草四郎(島原の乱指導者) <数え18歳>討死、1892年ルイ・ヴィトン (仏:鞄職人) <70歳>、2000年田中小実昌(小説家『浪曲朝日丸の話』『ミミのこと』『ポロポロ』) <74歳>。

America- Tin Man
ジムで運動中、軽いぎっくり腰をやってしまいました。

「ぎっくり腰」について大阪市大正区 「 ひろ整骨院 」のHPから拝借します。

外国ではぎっくり腰の事をなんていうかご存知ですか?
欧米では「魔女の一撃」と呼ばれてるそうです。(>_<)

ぎっくり腰より怖く痛そうですよね。
ぎっくり腰の本当の病名は「急性腰痛症」といいます。
地方によっては「びっくり腰」と言うところあるそうです。

分解すると 急性・・・症状が急に起こったこと 腰椎症・・・腰椎の捻挫

つまり、ぎっくり腰とは「急に腰を捻って痛めた状態」のことを言います。
ぎっくり腰で急性の症状を出した時に温める人がいますがとても危険です!!

急な痛みが出た時は氷やアイスノンなどでしっかり冷やしてください。

立てないなど状態がひどい時は病院などで痛みどめを打った方が良い場合もありますが、痛いけど歩ける程度なら整体で体のゆがみを整えることで腰を痛めた筋肉の傷が治りやすい状態には持っていくことが可能です。

ゆがんで固まっている体だと血液の循環も悪く、栄養も細胞に行きとどかないので体の治りが遅くなります。

ゆがみが無い状態でしっかりと患部を冷やして睡眠がしっかりとれれば必ず症状は良くなっていきます。

ってことで、早速家に帰って、湿布を貼りサポーターで固定しました。

初めてのぎっくり腰なので、不安ですが比較的軽い症状でまだよかった!

そして今日は、

○女性雑誌の日
1693年のこの日、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊された。

この頃、日本では江戸時代、綱吉が生類憐みの令を発布した頃でした。

ぎっくり腰でパソコンはよくないそうですので、今日の内容はシンプルに。

まずは、マラソンの結果ですが、世界は早い!

キプサング、国内初の2時間3分台で優勝!
井上が日本勢トップ8位
スポニチアネックス 2/26(日)

 東京マラソンは26日、都庁前~東京駅前の新コースで行われ、男子は前世界記録保持者のウィルソン・キプサング(34=ケニア)が初優勝。
世界新記録には届かなかったが、日本国内のレースで初の2時間3分台となる2時間3分58秒の快記録をマークした。
今夏の世界選手権(ロンドン)選考会を兼ねる日本勢では、井上大仁(24=MHPS)が日本勢最高の8位に入った。

 今大会からより平たんなコースに変わったことから、デニス・キメット(33=ケニア)が14年ベルリンで記録した2時間2分57秒の世界記録を超える「2時間2分50秒」を狙うと宣言していたキプサング。
その言葉通りに序盤から引っ張り、世界記録を上回るハイペースでレースを展開。
東洋大時代に箱根駅伝で活躍したマラソン初挑戦の設楽悠太(25=ホンダ)が日本人トップを快走し、こちらは日本記録を大きく上回るペースで折り返し地点を通過した。

 終始先頭集団を快走するキプサングは、ペースメーカーが外れた30キロ過ぎには14年の大会覇者ディクソン・チュンバ(30=ケニア)とトップを並走。
35キロ付近でチュンバを引き離すと、その後はややペースは落としたものの、そのまま独走で東京駅のゴールテープを切った。
優勝タイムの2時間3分58秒は、09年の福岡国際でツェガエ・ケベデ(30=エチオピア)がマークした2時間5分18秒を超える日本国内での最高記録となった。

 設楽は30キロ過ぎからペースを落とし、徐々に追い上げた井上が38キロで逆転。
井上はアフリカ勢には及ばなかったものの、2時間8分22秒で日本勢トップの8位に入った。
山本浩之(30=コニカミノルタ)が2時間9分12秒で10位、設楽は2時間9分27秒で全体11位、日本勢3位と健闘した。

責任者はこんなコメントを。

瀬古氏、日本勢の快走も中山竹通氏にいわせたら「『大したレースじゃないね。こんなレース』といいそう」/マラソン
サンケイスポーツ 2/26(日)

 東京マラソン(26日、新宿・東京都庁前~東京駅前) 日本男子の世界選手権(8月・ロンドン)代表選考会を兼ねて行われ、井上大仁(24)=MHPS=が2時間8分22秒で日本勢最高の8位に入った。
前世界記録保持者ウィルソン・キプサング(34)=ケニア=が2時間3分58秒で初優勝。
2009年の福岡国際でツェガエ・ケベデ(エチオピア)がマークした2時間5分18秒を超える日本国内での最高記録となった。

 日本陸連の瀬古利彦長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(60)はレース後、「これが世界の走りと見せつけられた」とキプサングを賞賛。
日本勢最高の井上には「後半、よく粘ってまとめて自己記録を出してくれた。まだ24歳という若さもある。3年後の(東京)五輪に近づいた選手かな」と評価した。
初マラソンで日本新記録ペースで飛ばし、後半に失速した設楽悠太(25)=ホンダ=については、「前半積極的にいって、どうなるんだろうとびくびくしていた。マラソンの能力が高いと感じさせた」と今後に期待を寄せた。

 昨年12月の福岡国際で日本勢トップの3位に入った“公務員ランナー”川内優輝(29)=埼玉県庁=は2時間9分11秒、今月5日の別府大分毎日で優勝した中本健太郎(34)=安川電機=は2時間9分32秒だった。
今大会の日本勢は2時間8分台の井上を筆頭に、10位の山本浩之(コニカミノルタ)、11位の設楽悠太、13位の服部勇馬(トヨタ自動車)と3人が9分台をマークした。
瀬古氏はその点を踏まえ、「井上選手は(2時間)8分台で走っているので高い評価をしたい。9分台が3人でている。タイムだけみると、われわれも困ったなという状況になる。中身が他の大会と違って結構(前半から)飛ばしたレースをしているので、同じタイム(9分台)としても価値が高い」と評価した。

 また設楽悠太が前半の折り返しで日本記録(2時間6分16秒)を狙えるタイムをマークしたことには、「中山くんにいわせたら、『瀬古さん、大したレースじゃないね。こんなレース、僕もやってましたよね』といいそう」と現役時代のライバルだった中山竹通氏の甲高い声でものまねし、笑いを誘っていた。

瀬古さん、悩むことはありません。

タイム順は以下のとおりですので、この順番で決めてください!

井上大仁(24)2時間8分22秒
川内優輝(29)2時間9分11秒
山本浩之(30)2時間9分12秒
設楽悠太(25)2時間9分27秒
中本健太郎(34)2時間9分32秒

これでいいのだ!

そして、こちらの競技では、日本新記録連発です。

小平、2種目で日本新 スピードスケート世界スプリント
朝日新聞デジタル 2/26(日)

 スピードスケートの世界スプリント選手権は25日、カナダ・カルガリーで開幕。
500メートル、1000メートルの1回目があり、小平奈緒(相沢病院)が女子500メートルで36秒75をマークし、自身が持つ日本記録を0秒38更新し1位となった。
続く同1000メートルでも1分12秒51の日本新記録で1位。
初日総合首位に立った。

 大会は500メートルと1000メートルを2日間にわたって2レースずつ滑り、総合得点を競う。

おめでとう!

では、2-27死去の有名人です。

1936年イワン・パブロフ (ソ連:生理学者,条件反射の理論を確立) <86歳>、1977年ジョン・ディクスン・カー (米:推理作家) <70歳>、1989年コンラート・ローレンツ (墺:動物学者,動物行動学を創始) <85歳>、2004年伴野朗(小説家『五十万年の死角』『傷ついた野獣』) <67歳>。

Jane Birkin - Di doo dah
今日は、
○月光仮面登場の日
1958(昭和33)年のこの日、ラジオ東京(現在のTBS)で国産初のテレビ映画『月光仮面』のテレビ放送が始った。

正義の味方、第1号です!

では、最初の話題です。

義務教育期間だけでも小中高で12年、私立でなければざっと10人前後の担任の先生を迎えているはず。

私の場合その中で「わが師」とよべたのは中三の担任だけでした。

まだ一人いればラッキーな方なのかもしれません。

もしかして、宝くじにあたるくらい「いい先生」にめぐり合えるのは至難の業なのか!?

その理由は?

いい先生とは、「生徒や父兄の気持ちに寄り添うことが出来る人」と定義するなら、一番最初に押しつぶされてしまうのは、そんなやさしい先生なのかもしれません。

新人女性教員自殺、高裁も「公務に起因」認定 
死後10年超、遺族「長く苦しい」戦い
弁護士ドットコム 2/23(木)

西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教諭(当時25歳)の自殺をめぐり、原因は公務にあるとした一審・東京地裁判決(2016年2月)を不服として、地方公務員災害補償基金が控訴していた裁判の判決が2月22日、東京高裁であった。
後藤博裁判長は、一審同様、自殺は公務に起因するとして、基金の請求を棄却した。

判決が確定すれば、手続きをへて、遺族に対する公務災害の補償がスタートする。
女性が亡くなったのは2006年。
遺族は2008年に基金に労災を申請したが、何度請求しても認めらず、裁判で争っている。
女性の父親は「10年は長く苦しかった。控訴を知ったときの、落胆と失望は筆舌に尽くし難かった。これ以上の苦しみを与えることがないようにお願いしたい」と、基金側に上告しないよう求めた。

一方、基金側は「上告するかどうかは時間をかけ、中身を確認してから判断する」としている。

●万引き、上靴隠し、保護者からのクレーム…新人教諭を襲った相次ぐトラブル

判決などによると、女性は2006年4月に採用され、2年生のクラス担任になった。
クラスでは、児童による万引き事件や上靴隠しなどのトラブルが相次ぎ、保護者からのクレームも重なったという。

さらに初任研修の課題などによるプレッシャーや、自宅作業なども増え、女性は採用2カ月でうつ病を発症。
休職からの復帰後も学級トラブルが続き、同年10月に自殺を図った。
意識不明の重体となり、12月に亡くなった。

高裁では、勤務や一連のトラブルの負荷などが争われたが、「学校等において十分な支援が行われず、かえってその負荷を強めるような発言もあった」などとして、業務と自殺の関係を改めて認めた。

●労務管理のひどさ、浮き彫りに

女性の死後10年以上たっても決着がついていない理由の1つに、学校の労務管理のずさんさが挙げられる。

労災・公災では、過労死ラインと呼ばれる80時間超の時間外労働などが証明できれば、認められやすい傾向がある。
しかし、代理人の平本紋子弁護士によると、今回の事件では、タイムカードなど客観的な時間を示す証拠がなかったという。

「自宅での仕事もかなりあったはずで、私たちは少なくとも100時間以上の時間外労働があったと考えていますが、客観的な証拠が乏しかった。長時間労働が認められれば、早く決着がついたと思いますが、トラブルなどの負荷の部分で争わざるを得ませんでした」(平本弁護士)

それでも裁判では、最大で月75時間程度の時間外労働が認められた。

こうした状況は、女性がいた学校に限らない。
連合総研の2016年の調査によると、教員の勤怠をタイムカードやPCなどで管理している学校は1割程度。
アナログの出勤簿がおよそ3割で、把握していない・把握しているかわからないという回答が、全体の約半数を占めている。
教員の労働環境の悪化が叫ばれる一方で、労務管理はなかなか進んでいないのが実情だ。

もう一人の代理人・山下敏雅弁護士は、「激務が認められても、死んでしまったら意味がない。現場の先生は生の声をあげ続けてほしい」と話していた。

自殺してしまった彼女も、「教育」というものに魅力と熱意をもって臨んでいたのに違いありません。

「二十四の瞳」のような生徒たちとの心の通った交流を期待して現場に入ってみれば、生徒は言う事を聞かない問題児、父兄はモンスターペアレント、味方のはずの先生たちもみてみぬフリ、と四面楚歌に追い込まれてしまったようです。

もし彼女の初任校が先生同士の団結力や協調性がある学校であったのなら、まったく違った教師生活が待っていたことでしょう。

本来、子供と教師は敵対関係ではないはずですが、クラスの風紀を乱す問題児に対して、その対応を間違えてしまうとクラス自体がますます険悪な雰囲気になってしまいます。

そうなると、何かとイチャモンをつけたがるモンスターペアレントの介入を許してしまいます。

子供からは信頼されず、親からもバッシングでは特に新任教師はつらいはずです。

本来、初任研修や教職員組合での研修内容は、こうした最も基本的な問題への対処の仕方や成功事例を学ばせるべきですが、実態はどうなのでしょうか?

少なくとも、教師同士がスクラムを組んで、問題児や問題親への対応を担任の先生一人に任せるのではなく、学校全体で対処できるような仕組みにしておかないと、こうした不幸な出来事は根絶できません。

「わが師」とよぶに相応しい先生が少なくなっているのではという私の思い込みは、残念ながら新任の先生が追い詰められているのに同僚の先生たちが何の助けにもならなかったという状況をみても、証明されているようです。

次の話題です。

ヤマト運輸が荷受けの抑制を検討 
ネット通販拡大で、労組が春闘で要求
産経新聞 2/23(木)

 宅配便最大手のヤマト運輸が、荷受量を抑制する検討に入ったことが23日、わかった。
労働組合が今年の春闘の労使交渉で会社側に要求した。
インターネット通販の拡大などを背景に宅配個数が増える半面、トラックドライバーなどの人手不足で慢性化している長時間労働の軽減を図る。

 人手不足は業界共通の課題で、最大手の動きに他社が追随する可能性がある。
労組はまた、終業から次の始業まで最低10時間空ける「勤務間インターバル」の導入も要求。
働き方改革を求める一方、賃上げ要求は定期昇給とベースアップの合計で平均1万1千円と前年水準(前年妥結額は5024円)に据え置いた。

 ヤマト運輸の平成28年3月期の宅配便取り扱い個数は、過去最多の17億3千万個。
今期はこれを超える見通しで、労組は、次期の宅配個数を今期以下の水準に抑えるよう求めている。

 会社側はネット通販などの大口顧客に値上げを求めていく方向。
交渉次第で荷受け停止の可能性もある。
ドライバーの負担が重い夜間の時間帯指定配達も、見直しの対象となり得る。
親会社のヤマトホールディングスは1月、人手不足による人件費高騰などを背景に、今期の連結純利益予想を従来の390億円から340億円に引き下げた。

先日の「ガイアの夜明け」でもドライバーの労働環境の酷さについて取り上げられていましたね。

午前中の配達希望でも、10時を過ぎると多くのひとが不在になるという事実。

番組では、フリーのドライバーの実態について放送されていましたが、彼の場合、1個の配達で150円が取り分だそうです。

つまり、不在が理由で何度足を運んでも、配達完了ではじめて150円というわけですから大変です。

しかし、これだけネット社会になっているのに、どうしてこの業界はもっとネット活用しようとしないのだろう?

この点は、「お客様サイドに不便をかけてはいけない」という顧客第一主義が異様に幅を利かせすぎているからではないでしょうか?

利用者の方は、いつでも配達してもらえるという安易さから、不在や配達時間の変更などを当然の権利のように平気でします。

ここは利用者にも、午前中配達希望としたのなら、午前中に自己都合で不在で荷物を受け取れなかった場合、再配送料150円が発生するという決まりを作ってもいいのでは?

ただし、例えば事前に変更連絡した場合は、1回は無料で再配送してもらえる。

そして、ネット通販注文時には、必ず連絡が取れる連絡先の記載を義務づけ、配送30分前にドライバーから不在の有無を再確認させるという手順を踏むだけでも、かなり効率的に動けます。

運送業界の慢性的な人手不足という問題も、案外こうした地道な取り組みをすれば、改善されるのではないでしょうか?

では、最後の話題です。

「恩師」はいます。

将棋で不幸になってほしくない――「さえん」師匠が人を育てる
2/23(木)

襖に映画「聖(さとし)の青春」の大きなポスターが貼られている。
難病と闘いながら将棋に打ち込み、29歳で亡くなったプロ棋士・村山聖九段の物語だ。
村山の師匠・森信雄は、この映画を見るために6回、7回と映画館に足を運ぶ。
村山が亡くなって19年、森が育てたプロ棋士は11人、現役棋士で最多となった。
一方で10年かけて夢破れる者もいる。
「森先生が師匠で良かった」。そう言われる森の人の育て方とは。
(ノンフィクションライター・神田憲行/Yahoo!ニュース編集部)

「隆文も一緒に今も将棋を指している気がします」

2017年1月17日午前10時のちょっと前。
阪急宝塚線清荒神駅にほど近い空き地に、スーツ姿の男たち十数人が集まった。
彼らは空き地の真ん中あたりまで歩み進むと伸び放題になっている雑草を靴で踏み倒して、1枚の大きな遺影を置いた。
遺影の主は笑顔の少年だ。
22年前の阪神・淡路大震災で、命を落とした船越隆文(当時17歳)である。
船越は福岡から単身出てきて、ここでプロ棋士になるため修業に励んでいた。

「よっしゃ、これでええな。ほな始めようか」

遺影が地面にしっかり立っていることを手で確認すると、用意していた花束を置き、森信雄七段(65)は静かに手を合わせた。
船越の将棋の師匠である。
そのあと船越の母・明美、森の家族、森の弟子らが順に手を合わせていく。
スーツのズボンが汚れるのも構わず、地面に膝をつく者もいた。

震災で船越を失って以来、毎年の1月17日はここに森一門が集まり、その霊を供養する行事を行っている。
散会する前に明美が挨拶した。

「みなさんといると、この街にまだあの子がいるような気がします。隆文は本当に将棋の盤と駒しかない部屋で棋士になる夢と希望で生きていました。その夢は折られましたが、みなさんのご活躍に、隆文も一緒に今も将棋を指している気がします」

明美の言葉にふと、もし船越が生きていれば一門の隆盛をどう思っただろうかと考えた。

もっとも多くのプロ棋士を育てた師匠の「さえん」人生

プロ棋士になるためには養成機関である日本将棋連盟の奨励会に入会し、原則として26歳までに四段にならないといけない。
奨励会に入会するためにはプロ棋士の師匠を持つことが条件になっている。

森がこれまでプロ棋士に育て上げた弟子は、物故者やこの4月から昇段する者を含めて合計11人に上る。
これは師弟関係が正確に記録されるようになった戦後では、故・佐瀬勇次門下と並ぶタイ記録である。
現役のプロ棋士ではもっとも多い。

将棋界では、師弟関係といっても師匠が弟子に将棋を教えるということはほとんどない。
なにかあったときの相談相手のような、半ば形式化した制度である。

だが、森の場合はそのような師弟関係ではない。

森が30歳四段で初めて取った弟子は故・村山聖(むらやま・さとし)八段(後に追贈九段)である。
村山は5歳のときに腎ネフローゼという重い腎機能障害を患いながらも羽生善治の好敵手として活躍し、1998年に29歳でこの世を去った。
その軌跡は作家・大崎善生の著作『聖の青春』で広く紹介された。
師匠であるにもかかわらず病で動けなくなった村山の下着まで洗うなど、森は献身的に村山を支え続けた。
『聖の青春』は松山ケンイチ主演で映画化され、森の役をリリー・フランキーが演じている。

プロになったのは24歳と棋界ではかなり遅く、目立った戦績は1980年の新人王戦の優勝のみ。

森は弟子が負けたりするとき、よく「さえん(さえない)」とつぶやく。
その「さえん」人生だった森がもっとも多くのプロ棋士を作り上げたというのは、痛快である。
しかしなぜ森が自分より強い多くのプロ棋士を作り上げることができるのか。

「いくら将棋が強くても人として意味がない」

山崎隆之八段(36)は村山と同じ広島の将棋道場出身で、11歳のとき森に弟子入りした。
奨励会の入会試験の前日、新入りの弟子たちを集めた中華料理屋の円卓で、森が
「師匠の言うことは絶対」
「師匠が白と言えば黒いものでも白」
と宣言していたのを覚えている。

山崎隆之八段。
山崎は七段の昇格が森より早く、「弟子が師匠を追い抜いた」と話題になった。

「師匠はそういう高圧的なタイプではないので、あえてオーバーに言ってたんだろうと思います。師匠は基本的に人に優しくて人が切れない。だから今も弟子が多い。で、将棋というのはどこかで人を切るものですから、そういう優しい人は、これは師匠も自分でおっしゃっているので申し上げますが、勝負事に向いていない」

そう言って山崎は爆笑した。
弟子が師匠を捕まえて「勝負事に向いていない」と言ってはばからないところが、森一門の雰囲気を伝えているだろう。

広島から出てきた11歳の山崎少年は、今では珍しい内弟子となった。
師匠の自宅に同居し、身の回りの世話をしながら修業する立場である。

しかし山崎は珍しく、人を切れない森から破門を一度言い渡されている。
きっかけは阪神・淡路大震災だった。
中学生だった山崎は森の自宅マンションで一緒に被災した。
ドアに身体をぶつけて開けて外に出て、慌てて船越のアパートに駆けつけた。
倒壊したアパートでガス警報装置が鳴り響くなか、船越の安否を確認するため捜索した。
そこでふと口にした「奨励会はどうなるんだろう」という不安を、森が聞きとがめた。

「いまこんな大変なときにそんな心配をするとは何事だ。いくら将棋が強くても人として意味がない。俺はもうお前の面倒など見られないから、他の師匠でも探せ」

泣きじゃくりながらその場で許しを乞うたが、森の怒りは収まらず、内弟子を解かれた。

山崎はあのときの激しい森の怒りを振り返って、そこに森の人柄をみる。

「あれだけ人に怒れるということは、他人に対して熱を込められるということです。僕はそこまで他人に熱を込められない。奨励会時代、師匠の周囲にいつも人のぬくもりを感じることができました。師匠の弟子でなかったら今の僕は全然変わっていたんだろうなと思う」

「勝負師はひとりでいることに耐えなければならない

森門下で故・村山聖がもっとも手間のかかった弟子とすれば、糸谷哲郎八段(28)はもっとも手間の掛からなかった弟子のひとりだろう。
弟子入りの経緯は山崎と同じで小学4年生のとき。
高校3年生に上がる春にプロ昇段。
棋界でも早いペースだ。
その翌年に大阪大学文学部に入学し、現在は同大学大学院に籍を置いて哲学を研究している。
さらに2014年に名人と並ぶビッグタイトルの竜王を獲得した。
まだ20代、スター棋士への途をばく進中である。

「そうですね、僕は師匠の手間はかかってないと思います」

と糸谷は笑いながら頷く。糸谷に森の感想を求めると、山崎と同じく森の「人が切れない」ことを挙げた。

奨励会に年齢制限があることは先に述べた。
だが師匠によっては奨励会のルールよりも厳しい年齢制限を独自に設けて、昇段が遅い弟子に退会を促す者もいる。

「師匠はそういうことはされない。奨励会に入る時点で弱くても、なんとかなると思っていらっしゃるようで、実際、そういう子たちの方がうちには多いと思います」

糸谷も山崎も、奨励会時代に森に厳しく言われたのが「つるむな」ということだった。
奨励会には10代からはたち前後の遊び盛りの若者が多い。
研究会という名前の将棋の勉強会のあとに一緒にカラオケに行ったり、酒を飲んだりすることはよくある。
森はその緩い雰囲気を嫌った。
糸谷はその意図をこう思う。

「奨励会は負け続けるところなので、上を見続けることが辛(つら)いんです。それができなくなって、ここまで来たら良いじゃないかと自分を慰めることを始めてしまう。だから奨励会に入れて満足、プロ棋士になれて満足という人もいますよ」

前出の山崎はこう言う。

「研究会で切磋琢磨するのはいいけれど、勝負師は基本はひとりでいることに耐えなければならない。それが強くなっていく土台になります。師匠自体は人なつこい方なんですが、おそらく村山先生の生き方を基準にされていると思います」

森は村山について「将棋に対する覚悟は僕より上回っていた」と語る。

「僕も村山君も人なつこい。でも村山君は勝負に関しては辛(から)いところがあった。僕は将棋が好きでもその辛さがなくてダメだった。僕は弟子に自分を上回ってほしいので、自分にないものを弟子に伝えたいんです」

いわゆる師匠とは自分が持つ姿勢、技術を弟子に伝えるものだろう。
だが森は村山と出会ったことで、大成する棋士にあって自分にないものを悟り、それを伝えようとしている。
だからこそ、「ロクでもない」と自称する森があれだけ多くのプロ棋士を生み出せたのである。

「10年かけて自分の夢が叶わないことを確認した」

ではプロになれなかった弟子はどうするのか。
森の弟子だった藤原結樹(27)はプロ目前の三段まで昇りながら、「26歳までに四段になること」という年齢制限に引っかかり、2015年に奨励会を退会した。

「中学生のときに徳島から出てきて、10年かけて自分の夢が叶わないことを確認したのは辛いことですよ」

と、朗らかに笑う。
奨励会の出だしは順調だったが、最初の壁が初段だった。
一級から初段に階段をひとつ上るのに3年かかり、さらに初段でも負け込んで一時は降級したこともある。

20歳の夏の暑い日、藤原は森から激しい叱責を受けた。

「なんのためお前が将棋やってるのかわからん。こんな成績だと意味がない。今すぐ徳島に帰れ!」

他の弟子たちの手前、藤原は森の自宅からそっと出て、ふがいない自分に号泣した。
部屋に戻る前に腫れたまぶたに冷たいお茶のペットボトルを当てた。

三段になったのは22歳だが、勝てずに26歳になった。
この歳で四段にならなければ退会だが、延命措置として勝ち越せばもう1年在籍することができる。
最後の年、藤原の星取りは一進一退の状況だった。
対局は18戦するから、9敗した段階で退会が決定する。
6勝8敗で迎えた15局目の対戦相手は奨励会でいちばん仲の良い友だちだった。
相手の得意な戦法、思考様式もわかっている。
だが相手は奇襲戦法を取ってきた。
戸惑った序盤から押され、中盤でも大きく損を重ねた。
この対局で敗れれば9敗となり、退会が決定する。
終盤に入り「これはもうダメだな」とわかった瞬間、

「グラッと地面が揺れた気がしました」

プロ棋士の対局では、ダメとわかった瞬間に投げること(投了)がある。

「それは奨励会の将棋ではありません。奨励会では最後まで(相手の攻撃を)受けきれなくなるまで指します。ダメとわかってから投了するまで長かった」

藤原は最後まで奨励会の将棋を全うした。

森に電話で敗戦を伝えると、「うん、そうか。全ての対局が終わったら家においで」と誘われた。
自宅では次の進路を話し合った。
藤原が知人の紹介で病院事務の仕事を見つけると、「そうか、それは良かったなあ」と我がことのように喜んでくれた。

藤原は、森の自宅には今も遊びに行く。

「ギリギリの子をプロに育てるのが師匠の腕の見せどころ」

現在は趣味としての将棋を楽しんでいる。
アマチュアの大会に出場して全国ベスト8まで進出したことがある。
将棋をすることは辛くないのだろうか。

「ないですね。辛い大きな挫折でしたが、三段までやりきった感があります。もし20歳のころに辞めていたら、もっと心に深い傷を負って将棋を見るのも嫌になっていたでしょう。森先生が師匠でなければ、続けて行くことができなかったと思います。将棋の師匠は形だけのものと言われます。私も最初はそう思っていました。だがプロ棋士の夢を断念した今、森先生が師匠で良かったと思っています」

「僕はプロになった子より途中で辞めた子の方が気になりますね。辞めた子の方に大きな責任を感じますから。曲がった道に進まないか、3年は目を離さないようにしています。だから毎年必ず自宅に呼ぶ。将棋と出会って不幸になってほしくない」(森)

とある晴れた土曜の朝。
森の自宅で小学生の集団が渦巻いていた。
足の踏み場もない。毎週、森が自宅で開いている子ども将棋教室である。
森は部屋の窓際中央あたりにとっかりと腰を落ち着け、同時に3人の子どもを相手にする「多面指し」をしながら、「そこ、暴れたらあかーん」などとときどき注意を与えていく。

弟子が増え一門が隆盛を迎える今、森にはさらにチャレンジしたい夢がある。
それは「普通の子」をプロ棋士にすることだ。

「今の奨励会は僕がいたころよりかなりレベルが上がっています。真面目に取り組む優等生ぐらいでは勝てない。天才しか勝てない。それが悔しい。山崎君とか糸谷君とか、僕がいなくても強くなっているんですよ。それよりギリギリの子をプロに育てるのが師匠の腕の見せどころ。そうやって将棋の世界の魅力を増していきたい、というのが一貫した僕の想いです」

アナクロニズムな「師匠と弟子」の世界が新しい魅力を生み出していく。

神田憲行(かんだ・のりゆき):
1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。
大学卒業後、ジャーナリストの故・黒田清氏の事務所に所属。
独立後、ノンフィクションライターとして現在に至る。
主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』、『「謎」の進学校 麻布の教え』など。

間違いなく森先生のような人こそ、恩師とよぶに相応しい!

では、2-24死去の有名人です。

1815年ロバート・フルトン (米:技術者,実用蒸気船開発) <49歳>、1934年直木三十五(直木三十一,三十二,三十三)(小説家『南国太平記』) <43歳>、1945年河口慧海(仏教学者,チべット探検家) <79歳>。

Serge Gainsbourg & Jane Birkin - Je t'aime... moi non plus/Original videoclip (Fontana 1969)