今年の初詣のお願い。

日本国民がみんな長生きで健康でいられますように。

健康でいるだけで、自分だけではなく国も助かります。

「健康寿命」延ばせば最大5兆円節減 
10年間で推計
朝日新聞デジタル 12月29日(月)

 健康状態に問題がなく自立して暮らすことができる期間を示す健康寿命を長くして、介護が必要な人を減らすと、10年間に5兆~2兆円程度の医療・介護費用が節減できる。
こんな推計を厚生労働省研究班(主任研究者=辻一郎・東北大教授)がまとめた。

 研究班は、歩行や食事に何らかの支えが必要な「要介護2」以上に介護が必要な人の合計が2011年時点から20年まで、1年に1%ずつ、10年で計10%減ると仮定。
それによる節減額を厚労省がまとめた介護費や、宮城県大崎市の医療費から推計した。

 この10%が全て介護が不要な状態になると、10年間で5兆2914億円、10%が全て、移動などに部分的な介護が必要な「要介護1」だと、2兆4914億円が低減できるという。
平均して1年間に5291億円、2491億円になる。

長寿国世界一は目出度いのですが、男女の寿命格差、夫婦死別後の余生格差、平均寿命と健康寿命の格差などの問題は無視できません。

長寿世界一の日本 
気になるのは男女差と「健康寿命」との差
THE PAGE 6月14日(土) (文責・武蔵インターナショナル)

 5月15日に発表されたWHO=世界保健機関の2014年版『世界保健統計』によれば、日本の平均寿命は84歳。
世界最長寿である。
50歳を超えたのは、1947年。
それからずいぶん延びたものだ。
日本に住む100歳以上の高齢者は5万4397人(2013年9月15日現在、厚生労働省発表)。
うち女性が4万7606人で87.5%を超える。

 気になるのは、寿命の男女差だ。
日本の女性は87歳で1位。
2位スペインの85.1歳を大きく引き離しているが、男性は80歳で8位。
平均寿命の長い国ほど男女間の寿命差は広がる傾向にあるが、それでも日本の7歳差は韓国と並んでかなり大きい。
日本人男女の寿命差は、2000年以降、ほぼ7歳差で変わらない(2000年は女性84.60歳、男性77.72歳)。

なぜ日本は、男女の寿命差が大きいのか?

 妊娠や出産など生物的なリスクを抱えている女性が長生きするには、栄養状態や保健衛生・医療環境の充実が前提だ。
そのうえで、要因として考えられているのは、感染症や活性酸素に対する耐性の差といった生物学的要因、喫煙や飲酒率の差、危険な業務への就業率、健康に対する意識の違いや自殺率などである。

 では、「社会的な男女格差」の影響は、どうだろうか。

 女性の社会進出を示す指標に、世界経済フォーラムが発表する世界男女格差(ジェンダーギャップ)報告がある。
政治・経済・教育・健康の4分野における男女差を数値化したものだ。
昨年10月発表のデータによると、日本は調査対象136ヵ国中105位と過去最低。
「女性の社会進出は遅れている」と烙印を捺されたわけだ。
 また、OECD調査によれば、2012年度の24歳~54歳日本女性の就業率は69.2%。
それに対しジェンダーギャップ調査で上位を占めた、つまり「男女格差が少ない」とされたアイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン各国の就業率は80%を超えており、その傾向は過去10年以上変わらない。
そのうえで男女の寿命差を見てみると、アイスランドは3歳差(女性84歳、男性81歳)、ノルウェー、スウェーデンが4歳差(いずれも84歳、80歳)。
フィンランドは6歳差(84歳、78歳)。
いずれも日本より小さい。

 この調査から見れば、日本女性の長寿世界一は「先進国の中で、日本女性の社会進出が遅れていたから」と言えなくもない。
 いま、「男性は外で働き、女性は家庭を守る」という日本伝統の(?)規範が転換期を迎えている。
政権も女性の社会進出をその目玉にしようとしている。
現在、非正規雇用の70%は女性が占めている。
また20代、30代女性の喫煙率や飲酒率は増加傾向にある。
女性の社会進出が増え、それにともなう生活スタイルの変化で、平均寿命の男女差は変わっていくかもしれない。

離別男女の余命差と健康寿命はどうか

 寿命に関する男女差でよく話題になるのが、配偶者を失った後の男女の余命差。
「妻に先立たれた夫がしおれてしまうのに対して、夫を失った妻は元気」とはよく耳にする言葉だ。
夫のほうが年上の夫婦が多く、平均寿命も男性の方が短いので当然の結果かもしれないが、女性のほうが芯の部分で強いからという理由もあるかもしれない。

 相続専門の税理士法人による統計では、妻と死別した男性が生きる期間は、10年未満が過半数を占める。
対する未亡人は10年以上20年未満が37%、20年以上も33.7%いる。

 国立社会保障・人口問題研究所の資料で、50歳時点の平均余命を配偶者の有無別に比較すると、男性は有配偶者と比べて死別の場合が3.21歳・離別の場合が8.76歳短い(未婚男性も有配偶者との差が7.81歳ある)。
一方、女性は有配偶者と独身者の差こそ7.56歳あるが、死別・離別ではそれぞれ1.66歳・4.34歳。
男性に比べ差が小さい。
 ちなみに、特に余命が短い離別男性の死因で目立つのが肝硬変と自殺。
飲酒量が増えるなど生活習慣の乱れが原因と思われる。

 もうひとつ近年話題になるのは、日本人の健康寿命だ。
 健康寿命とは「介護を受けたり寝たきりになったりせずに、自立した日常生活を送ることのできる期間」。
2010年に厚生労働省が算出した日本人の健康寿命は、男性が70.42歳、女性が73.62歳。
2014年のWHOの発表では男性が72.3歳、女性が77.7歳。
全体で75.0歳と日本人は健康寿命でも世界一だが、問題は平均寿命との差。
 2010年の平均寿命が男性79.55歳と女性86.30歳だから、その差はそれぞれ9.13歳と12.68歳。
それだけの年数を「不健康な状態」で過ごすということになる。
 とくに女性は骨粗鬆症や認知症を患う割合が男性よりも高いためか、平均寿命と健康寿命の差が男性と比べ3年以上大きい。
 平均寿命と健康寿命との差は広がる傾向にある。
膨張する高齢者医療費や介護負担の増大など、寿命と健康の乖離は21世紀の日本が解消すべき大きな課題のひとつだ。

最後に、生涯現役を全うした「健康寿命」のよきロールモデルの女性たちを紹介しよう。

 たとえば、作家の宇野千代(うの・ちよ1897-1996)。
『生きて行く私』や『おはん』などで知られ、尾崎士郎や東郷青児らと恋愛遍歴を重ねた恋多き女だ。
ファッション誌の創刊編集者、自ら着物をデザインして販売するなど実業家としての顔も持ち、「私、なんだか死なないような気がするんですよ」と晩年まで旺盛に活動を続けた。

 女性運動家の加藤シズエ(かとうしずえ1897-2001)は、夫と渡米した際、貧民街で産児調節を啓蒙する婦人運動家マーガレット・サンガーに共鳴。
日本での産児調節運動に取り組んだ。
1946年の総選挙で衆議院議員に女性として初当選。
74年の引退まで優生保護法や売春防止法の成立に尽力した。
「1日に10回の感動と3合の牛乳」が長寿の秘訣だった。

 そして、昨年1月に世を去った詩人の柴田トヨ(しばた・とよ1911-2013)。
90歳を過ぎてから詩作を始め、98歳で刊行した初詩集『くじけないで』が150万部を超えるベストセラーとなった。
東日本大震災の被災地を応援する作品も発表し、「人生、いつだってこれから。朝はかならずやってくる」などの言葉は、多くの人たちを力づけた。

 人生を力強く生き切った先輩撫子の言葉は、かつてない高齢化社会に直面する私たちを、励ましてくれる。

お年よりは1日30分の散歩習慣だけでも、足腰はしっかりしてぼけるのも防げます!

理想を言えばその30分のうち、10分は早歩きをしたいものです。

さらに運動の後に牛乳を飲めば、骨粗しょう症も防げます。

個人の意識一つで健康な体が手に入りますので、安いものですよね。

では、1つの私見です。

男性71.19歳、女性74.21歳。
「健康寿命」を伸ばすにはどうすればいいか
ダイヤモンド・オンライン 10月8日(水)出口治明

 厚生労働省の発表(10月1日)によると、2013年のわが国の健康寿命は、男性が71.19歳(対2010年比+0.78歳)、女性が74.21歳(同+0.59歳)に伸びたそうだ。

 健康寿命とは、健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指す。
健康寿命と平均寿命の差は、男性で9.02年、女性で12.40年あるが、この期間は介護など人の手助けが必要となる可能性が高いということだ。
わが国は高齢化については世界の先頭を走る課題先進国だが、そのゴールは、人間が自立して人間らしい生活を送れるという意味で、平均寿命ではなく健康寿命の延伸にあると考える。
いくら平均寿命が伸びても、晩年は寝たきりという社会を、私たちは望んでいるのだろうか。

● 健康寿命を伸ばす ベストの方法は「働くこと」

 ところで健康寿命を伸ばすためには何をすればいいのだろうか。
俗に「テクテク・カミカミ・ニコニコ・ドキドキ」などといわれているが、これは適度な運動(テクテク)、3度の規則正しい食事(カミカミ)、心の健康(ニコニコ)、五感を使った感動(ドキドキ・ワクワク)を指す。

 しかし、よく考えてみると、普通に規則正しく働いていればこれらの要件はほぼ満たされるが、仕事を辞めて家にいると、これらの要件を毎日充足することはかなり難易度が高くなることに気がつく。
つまり健康寿命を伸ばそうとすれば、少なくとも70歳ぐらいまでは、働きたい人はすべて働けるような社会環境を整えることが必要なのだ。

 ヨーロッパで聞いた話だが、ヨーロッパの高齢者ホームでは、ヘルパーが朝起こしに来て朝食に連れ出した後、個室には(ヘルパーが)鍵をかけるという。
つまり住人は、医者の指示で横になる必要がある場合を除いて、夕食が終わるまで自分の個室には戻れないのだ。

 個室に自由に入れるようにすると、人はついつい安楽を求めるのでベッドに横になる確率が高くなるという。
すると、すぐに足腰が弱まってしまう。
従って多少つらくても、リハビリルームや図書室、庭や町への散歩などで時間を費やす方が高齢者のためになるというのだ。

確かに一理はある。
そういえばヨーロッパでは、わが国のような寝たきりの高齢者には滅多にお目にかからない。
ちなみに高齢者の寝たきり率を国際比較すると、日本を100とした場合、アメリカは約20、連合王国(イギリス)は30強、デンマークは20弱、スウェーデンは10程度といわれているが、ある程度の緊張感を持って生活した方が、健康寿命が伸びることは間違いないようだ。
つまり定年を廃して健康な間はいつでも仕事を続けることが、健康寿命延伸のためのベストの方策ということになる。

● 高齢者の就業意欲は非常に高い 年金支給年齢は70歳に、雇用契約慣行も改める

 次に、わが国の高齢者の就業意欲はどうか。
働きたくないのに働かされるのは、誰しも御免被りたいと思うであろう。
そこで内閣府の「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査」(2013年、60歳以上の人を対象)を見ると、「働けるうちはいつまでも 29.5%」「70歳くらいまで 23.6%」「75歳くらいまで 10.1%」「76歳以上 2.7%」となっており、実に65.8%の人が長期の就労を望んでいることがうかがえる。

 これに対して「60歳くらいまで」は11.8%、「65歳くらいまで」が21.4%と合わせても3分の1に満たない水準である。
つまり、わが国の高齢者の就業意欲は非常に高いのだ。
そうであれば、健康寿命を伸ばし高齢者が生き生きと活躍できる社会を築いていくための政策のインプリケーションは次のようなもの(大きい方向性)になるだろう。

 まず、年金の支給開始年令を70歳に引き上げる(所得代替率50%も70歳を基準として組み替える)。
もちろんこれに合わせて基礎年金の拠出金の対象年齢(現行20~60歳の40年間)も20~70歳の50年間とする。
ただし、例えば60歳で仕事をやめたいというのも個人の自由であるので、現行通り60歳から一定の減額率(現行は6.0%)を課して繰上げ支給を認めればいいし、また70歳を超えて働く人のためには、逆に年齢上限なし(働いている間はいつまでも。現行は70歳まで)で繰下げ支給を認めればいいと考える。

 そして、繰下げ支給の場合の増額率に思い切った傾斜をかければ(例えば年10~20%)、収入のある高齢者は自ずと繰下げ支給を求めるようになろう。
上手に制度設計すれば、これは高所得者に年金を支給しないのと同じ効果を持つように思われる。
現行の年金制度は65歳を基準として設計されているのでかなり大きな制度改正となるが、高齢化最先進国としては、果敢に挑戦してもいいのではないか。

次に、雇用法制であるが、実は日本の雇用法制は、実定法上の規制が厳格なわけではない。
問題は契約慣行にある。
欧米並みに年齢フリーを原則(メンバーシップ型雇用の帰結としての年功序列型賃金から、ジョブ型雇用の同一労働同一賃金の世界へ移行)として、年令による強制退職は許されないと法定すべきである(年齢差別である定年は廃止)。
こうすれば、本人の意に反して、年齢による解雇ができなくなるので、希望すればいつまでも働けるということになる。

 産業界が長らく望んできた労働の流動化の面でも、年齢フリーでジョブ型雇用の労働社会は有益であり、このような労使ともにメリットのある規制改革を行うべきである。
こうした社会では、著しく能力が低下すれば当然解雇されるので、働き続けたい高齢者は自ずとより健康に気を配るようになり、この面からも健康寿命の延伸に寄与することになるだろう。

 第3に、高齢者になればなるほど働き方の多様性を求める声が高まろう。
若い間は体力勝負(長時間労働)でも何とかなるが、年をとったらそうはいかない。
労働時間ではなく労働の成果こそが問われる社会への移行を実現しなければならない。

 そのための一番良い方法は、被用者保険の適用拡大であると思われる。
今年行われた公的年金の2014年財政検証では、オプション試算がいくつか併せて行われたが、オプションIIでは、被用者保険の更なる適用拡大として、220万人ベースの適用拡大(ケース(1))と、1200万人ベースの適用拡大(ケース(2))の試算結果が公表された。

 その結果、ケース(2)では年金財政が大幅に改善されることが示された。
ちなみにケース(2)は、労働時間にかかわりなく一定の賃金収入(月5.8万円以上)がある全ての被用者へ社会保険(健康保険と厚生年金)を適用しようとするものであり、高齢者や女性の多様な働き方を実現するためには、現時点で考え得るベストの政策であると思われる。
これが実現すれば、非正規雇用の問題や3号被保険者の問題も自ずと収束に向かうことが予測される。

● 健康寿命延伸の政策パッケージは わが国の置かれた状況と整合的

 以上述べてきた高齢者の健康寿命延伸のための政策パッケージは、わが国が現在置かれている状況と整合的だろうか。

 まず、原則70歳まで働くことは、当面の生産年齢人口を増やすことになる。
現在、生産年齢人口は15歳~64歳のゾーンで把えられているが、今後は20歳~70歳のゾーンで考えるべきだろう。
国際競争力を上げること、即ちわが国の労働生産性を上げることについては、多様な働き方を容認することがプラスにならないはずはない。
「時間より成果」はグローバルな潮流とも一致する。
また社会保障と税の一体改革についても、70歳まで年金の支給開始年齢を引き上げ、被用者保険の適用拡大を目指すことは巨視的に見れば有利に働くだろう。

 一見するとこれらの政策パッケージは、企業の負担を増やすように見えるが(定年制の廃止、被用者保険の適用拡大等)、少し長い目で見ると年功序列賃金から同一労働同一賃金への移行は、おそらく企業のコストを引き下げる方向に働くことが予想されるし、また労働の流動化も企業経営の柔軟性を大いに高めるだろう。

 何よりも多様な働き方が実現することは、企業にとっても働く人にとってもプラスとなるのではないか。
私見では、差し引きすればプラスの方がむしろ大きいと思われる。
また、今でも満足に社会保険料が支払えない企業があるという声も聞くが、そもそも論で考えれば、そのような企業にはむしろ退場を促すべきではないのだろうか。

 以上のように考えれば、世界に例を見ない高齢化に直面しているわが国にとって、健康寿命を延伸するという骨太の目標を定めて、それに見合った整合的な政策パッケージを示すことが、課題先進国としての責務であると考えるがどうか。(文中、意見に係る部分は、筆者の個人的見解である)

病気になって初めて健康のありがたさを実感するのが我々凡人の性です。

毎日の健康に感謝しながら、健康でいられるように小さな努力を継続していくことは自分のためであります。

では、今年1年もよろしくお願いいたします。


元旦生まれの有名人です。

BC711年神武天皇(神日本磐余彦尊)(天皇(初代))、574年聖徳太子(厩戸豐耳皇子)(皇族,推古天皇の摂政,用明天皇の子)、1820年清水次郎長(侠客,実業家「海道一の大親分」)、1900年杉原千畝(外交官,在リトアニア日本領事代理「日本のシンドラー」)、1919年J.D.サリンジャー (米:小説家『ライ麦畑でつかまえて』)、1935年倉本聰(脚本家,放送作家『北の国から』)、1936年アブドーラ・ザ・ブッチャー (カナダ:プロレス)、1943年尾崎紀世彦 (歌手)、1951年村上秀一 (ドラム奏者)、1951年夢枕獏(SF作家『魔獣狩り』『陰陽師』)、1956年役所広司(俳優)、1975年尾田栄一郎(漫画家『ONE PIECE』)、1979年堂本光一(歌手,タレント(KinKiKids))、1983年小林恵美(タレント)。

おめでとう!

音楽の時間です。
この曲は彼の最高傑作です!
Jeff Lorber - Kristen
やはり、日本人は素晴らしい!

「赤ひげ先生」に友好勲章=服部医師、無償眼科治療12年―ベトナム
時事通信 12月29日(月)

 【ハノイ時事】ベトナム政府は29日、同国で約12年ボランティアの眼科治療を続け、「赤ひげ先生」と呼ばれる服部匡志医師(50)に、外国人に対する最高位の「友好勲章」を授与した。
 服部氏は2002年からベトナムで活動を始め、これまでに1万人以上の患者を無償で治療。
12年には内閣府が「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」として表彰した。
 服部氏は授与式で「最初は風習の違いに戸惑い、けんかもした。今では多くの若手医師が育ち、自分がいなくてもいいくらいになったのは寂しいが、非常にうれしいことだ」などとあいさつした。 

無償の草の根友好ですが、なぜベトナムで、なのか。

答えはNPOアジア失明予防の会HPにありました。

ベトナム医療の現状

ベトナムの眼科医療の問題は古くからあり、NGO や海外からの協力のもと徐々に改善されてはいますが、貧しさや医療技術の遅れのため、満足な眼科治療を受け られず失明にいたる患者は後を絶ちません。

1950 年代、ベトナムは、他の発展途上国と同様にトラコーマなど角・結膜疾患で多くの人々が失明し、眼科疾病患者のうち失明にいたるケースが81% を占めていました。
しかし、国家政策の一環として角・結膜疾患治療が重点的にとられたこと、同時に海外NGOの支援等により点眼薬が急速に普及したことで、その疾患は徐々に減少しました。

1980 年代後半からは目覚しい経済発展が行われる中、人々の生活環境が著しく改善され、平均寿命も延びたことから、角・結膜疾患による失明に代わり白内障による失明が増えています。
2007 年の統計ではベトナム全土で両眼失明者が約50 万人、片眼失明者が約80 万人といわれており、その原因の60%(両眼失明では66%)が白内障によるとされています。

現在、ベトナムの眼科医療は発展途上にありますが、近年、都市部の病院では超音波白内障手術や網膜剥離や糖尿病網膜症などの網膜硝子体疾患に対する網膜硝子体手術といった近代的な技術移転がなされており、失明予防に貢献してます。
しかし、これらの技術習得には時間を要するために、地方病院では技術を習得している医師がまだまだ足りないのが現状です。
白内障の治療方法は、患部を大きく切開する旧来の方法で行われているのが現状であり、治療日数もかかるため未熟な技術から手術中に合併症を起こし失明にいたる患者も少なくなく、失明率の改善が図れない状況にあります。

ベトナム戦争の後遺症、特に枯葉剤の影響があるのかもしれません。

アメリカ軍は南ベトナム解放民族戦線の浸透作戦を防ぐ目的で枯葉剤を大規模に利用した。
戦後になりベトナム市民やアメリカ軍のベトナム帰還兵の間で枯葉剤への接触を原因とする健康被害や出産異常が発生した。
環境への影響を防ぐことができない枯葉剤を利用することの国際法上の問題と合わせて批判が存在する。
結合双生児のベトちゃんドクちゃんは枯葉剤を原因とするといわれ、日本でも広く知られた。

であれば、真っ先に米国が援助の手を差し伸べるべきなのでしょうが・・

そして、ベトナム戦争で大活躍(!?)した韓国軍は・・

韓国軍による虐殺事件

派兵の際、各地で韓国軍による戦争犯罪があったとされ、韓国軍兵士は少なくともベトナム人住民9000人を虐殺し、強姦事件なども起こした。
また、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている。
生存者の韓国軍の行為に関する証言で共通な点は、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などが挙げられている。
1966年2月、ビンディン省タイビン村では韓国軍猛虎部隊が住民68名を集めて婦女子を含む65名を虐殺している。

ジャーナリストのD・W・W・コンデは1969年の著書『朝鮮』で「これは、たった一都市に起きた "南京大虐殺"どころの話ではないのだ。
これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても語ることのできない、今日の"ベトナム民族大虐殺"なのである」と評している。(ウイッキペディア)

強姦しているわけですから結果的にはこんな問題も。

また韓国人とベトナム人女性との間に多数の韓越混血児が生まれ、「ライダイハン」と呼ばれ、ハンギョレ21や歴史家の韓洪九らによって韓国やベトナムで「ベトナム戦争の混血児問題」として社会問題となった。

この1点のみで韓国がよその「人権問題」で非難できない国であることは、明白なんですが・・・、残念ながら彼らにはそれさえ自覚できないようですね。

そして「人権」重視らしい朝日新聞は、戦争を隠れ蓑にして起こった当時のベトナムの惨状を世界に向けてレポートすべきです。

日本の毀損には捏造記事まで使って一生懸命なのに、世界の人権蹂躙(じゅうりん)問題に無関心なのは、一体どういう編集スタンスなのでしょうか、ねえ?


次の素晴らしい日本人、彼はまさにモンスター級です!

井上尚 世界最速8戦目で2階級制覇!ナルバエスに2回KO勝ち
スポニチアネックス 12月30日(火)

 ◇WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ 同級8位・井上尚弥 VS 王者・オマール・ナルバエス

 プロボクシングのWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチは30日、東京体育館で行われ、世界王座の2階級制覇に挑んだ同級8位・井上尚弥(21=大橋)が王者のオマール・ナルバエス(39=アルゼンチン)に2回3分1秒KO勝ち。
プロ8戦目での2階級制覇はポール・ウェア(英国)の9戦目を抜いて世界最速での達成となった。

 井上は初回に右フックをナルバレスのテンプル(こめかみ)に打ち込み、いきなりダウンを奪った。
さらに左フックでダウンを追加すると、2回にも計2度のダウンを追加。
最後は02年から12年間王座に君臨し続けるナルバエスを左ボディーで沈めた。
プロ8戦目での2階級制覇は今年4月、日本人最速6戦目で世界王座に就いたWBC世界ライトフライ級王座戴冠に続く快挙となった。

 通算戦績はそれぞれ井上の8戦8勝7KO、ナルバエスの47戦43勝23KO2敗2分け。

ナルバエスの面構えはさすが12年間も王座を保持していただけあり風格さえありましたし、戦績が物語るようにとてつもなく強いチャンプでした。

しかし、終わってみれば井上が1Rからダウンを奪う一方的な圧勝!

ナルバエスも最後は親指を立てて井上の強さを称えていましたが、拳を合わせた者だけが知る王者後継者としての資格を認めざるを得なかったことでしょう。

そしてアナウンサーの気の利いたコメント「リングで泣いている9歳のナルバエスの息子さんが、もしかしたら将来、井上のタイトルに挑戦する日が来るかもしれません」

12年後の井上は33歳、そのときにナルバエスJrは21歳ですので、可能性は大いにあります。

親子世代にわたるリベンジ、是非実現して欲しい垂涎(すいぜん)のカードですが、そのためにも井上にはずっと勝ち続けてもらう必要があります。

そして、もう1試合は不屈の闘志を見る前に・・

八重樫、3階級制覇ならず
イーファイト 12月30日(火)

▼WBC世界ライトフライ級王座決定戦 3分12R
○ペドロ・ゲバラ(メキシコ/WBC世界ライトフライ級1位)
KO 7R2分45秒
●八重樫東(大橋ジム/WBC世界ライトフライ級3位)

 元WBA世界ミニマム級&元WBC世界フライ級王者・八重樫が、日本人2人目の3階級制覇に挑戦。
フライ級からライトフライ級に階級を下げ、井上尚弥が返上したWBC世界ライトフライ級王座決定戦を同級1位ゲバラ(メキシコ)と争う。
ゲバラは23勝(15KO)1敗1分。

 1Rからスピードのある攻防を展開する両者。
インファイトでコンビネーションを繰り出す八重樫と、鋭いワンツーを突き刺すゲバラ。
4Rにゲバラがボディを嫌がる素振りを見せたが、ここまでの採点ではゲバラがリード。

 5Rから、さらにスピードを上げるゲバラはジャブを多用し、八重樫はカウンターを狙ってそのまま連打を繰り出す。
しかし6R、ゲバラの右クロスカウンターをもらって八重樫の動きが止まる。

 7R、ゲバラのジャブからの左ボディブローに同じ左ボディを返した八重樫だが、一瞬置いてうずくまるようにダウン。
そのまま立つことが出来ず、八重樫がKO負け。
ゲバラは飛び跳ねて喜んだ。
八重樫の3階級制覇の夢は潰えた。

前回の試合から3ヵ月後でさらに階級を落として10kgの減量って普通はありえません。

減量によるスタミナ不足は明らかで、さらに闘志も折れてしまいました。

彼はインファイトスタイルを好むボクサーなので、相手のパンチをよけずに打ち合おうとします。

相手のパンチが当たればハードパンチャーの場合には即致命傷となり蓄積していきますが、まさしく今回の試合が典型でした。

大橋会長自身も今回のマッチメイクの強引さ(短期間と無理な減量)は十分わかっていたと思いますが、もしかすると31歳の八重樫引退への引導を渡す親心の卒業試合だったのかな?

もし続けるとしても、相手のパンチをうまくかわすボクシングスタイルに変えない限り、パンチドランカーとして短い選手生命になる危険性があります。

それにしても、解説の香川照之は相変わらずうるさい。

「地震の後のような・・」とか興奮しながら意味不明な形容詞を連発。

既にサッカー解説者の松木安太郎のようなウザイ存在となりつつありますね。


では、忙しい大晦日12-31生まれの有名人です。

1869年アンリ・マティス (仏:画家)、1937年アンソニー・ホプキンス (英・米:俳優『羊たちの沈黙』)、1943年ジョン・デンバー (米:シンガーソングライター)、1948年ドナ・サマー (米:歌手)、1949年佐伯啓思(社会経済学者『隠された思考』)、1951年トム・ハミルトン (米:ミュージシャン(エアロスミス/ベース))、1962年俵万智(歌人『サラダ記念日』)、1967年江口洋介(俳優,歌手)、1969年大黒摩季(シンガーソングライター)。

おめでとう!

音楽はFuji rock festivalの初日に出演した実力派バンドです。
Temples - Colours To Life
高橋大輔の引退、浅田真央の休業で日本フィギュア界もしばらく停滞か、と思いきや、羽生ゆずるの突然変異とさらに若い世代の台頭と男女共ににぎやかです!

そこで、まずこの話題。

「氷上の哲学者」だからこの決断もしょうがないかな?

町田樹がリンク上で突然の引退発表 
早大大学院へ進学
デイリースポーツ 12月28日(日)

 日本スケート連盟は28日、全日本選手権終了後にフィギュア委員会などを開き、15年世界選手権(来年3月・中国、上海)に臨む日本代表を発表したが、代表に選出された町田樹(関大)がリンク上で突然、現役引退を発表。
代表辞退を表明した。

 「今大会をはじめ、いつもわたくしのことを応援してくださり、ありがとうございます。今回、世界選手権代表発表の場に立つことができたことを光栄に思うと同時に、感謝の気持ちでいっぱいです」と話し始めた。

 さらに「私事ではありますが、フィギュアスケート選手としての引退を本日、決断しました。つきましては、世界選手権の代表も辞退させていただきます」と続けた。

 今後についても言及。「来年4月より、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士2年制に入学し、研究者を目指したいと思います。自らの力でセカンドキャリアを切り開きたいと思いました。今日、こうして発表できたこと、万感の思いです。新たな道で、ゼロからのスタートで、研究者を目指します。心から、ありがとうございました」と語った。

 町田は前日の演技終了後「本当に、スケートから多くのことを学ぶことができた。全てを込めたつもり。悔いはない」と話していた。

素人目には、来年3月の世界選手権に出場できる権利を行使してからの引退発表でもよかったのでは、と思われましたが、この日の引退発表は本人の中では既に決まったいたようでした。

タイムリーな記事を発見しました。

町田、電撃引退の真相
THE PAGE 12月29日(月)

 2月のソチ五輪で5位に入賞し、3月の世界選手権では銀メダルを獲得した町田樹(関大)が28日、全日本選手権が行われていた長野・ビッグハットで突然の引退表明をした。
 まだ24歳。衰えが見える年齢ではない。
10月に引退を表明した28歳の高橋大輔、昨年の全日本選手権を最後に引退した織田信成(当時26歳)と比べても若いうえに、“フィギュアスケート作品を作り上げる”ということでは抜きんでた力を持つ町田が、突然の引退を決めたのはなぜなのか。

 ファンも報道陣も選手仲間も、そして日本スケート連盟も仰天する引退宣言だった。
連盟は全日本選手権男子シングルで4位となっていた町田を来年3月の世界選手権メンバーの一員として選出。ファンの前で羽生結弦、小塚崇彦とともに名前を読み上げた直後に、リンク上で町田が話し始めた。
「私事ではありますが、フィギュアスケート選手としての引退を本日、決断しました。つきましては、世界選手権の代表も辞退させていただきます」。
ファンは驚きの声をあげていた。

 引退の真相はどういうものか。
リンクでのできごとから約20分後、報道陣の前に現れた町田は、手にA4の紙を数枚持ちながら、「僕の思いをお伝えしたいので、今から読み上げます」と切り出し、約4分間に渡って引退声明文を読み上げた。
 そこで明かされたのは、突然という形に見せながらも自身の中では極めて用意周到な準備を経ての引退宣言だったという事実だ。
 町田はまず、「近年はスポーツ選手のスポーツキャリア問題が社会問題となるに至っており、JOCも問題解決に向け、アスリートセカンドキャリアサポート事業に取り組んでいるほどです。
私も選手引退後のキャリアデザインに苦労した一人です」と以前から引退後の道を模索してきたことを説明。
そのうえで、「自分自身でセカンドキャリアへの一歩を踏み出せるよう、競技を続ける傍らで文武両道を胸にここまで準備をして参りました」と続けた。

 町田によると、10月下旬に行われたGPシリーズ第1戦のスケートアメリカに出場するため、米イリノイ州シカゴに向けて出発する直前に早大大学院の一般入試を受験した。
合格の知らせが届いたのはスケートアメリカのショートプログラム(SP)が行われた10月25日。
「文字通り万感の思いで演技をした」結果、SP、フリーとも1位で見事優勝を飾った。
続いて出場した11月下旬のGPシリーズ第5戦のエリック・ボンパール杯(フランス)では優勝こそ逃したものの2位。
GPファイナル出場を決めた。
 ただ、この頃から調子は下降していった。
日本スケート連盟の小林芳子フィギュア強化部長は「(関大を)今年卒業するということを聞いていたし、スケートアメリカ、フランス杯、(グランプリ)ファイナルはずっと勉強道具を持ってきていた。
卒論を書いたり、すごい量の本を持ってきていたので、フランスから失速したのは否めないなと思った」と振り返った。

 12月中旬のGPファイナル(スペイン)前は卒論制作にも忙殺された。
その結果、6人中6位。
それでも全日本選手権の開幕前日には「GPファイナルまでに質量ともに納得のいく論文が仕上がって、年始に提出する見通しが立った。
GPファイナルからは全日本に全労力を傾注させてここに臨んでいる。
コンディションはそれなりに落ちていたが、人事は尽くした。
後は天命を待つのみ」と安堵感を見せながら、集中力を高めていた。

一方で、密かに引退をにおわせる布石も打ってきた。
今季のフリーの曲は『第九交響曲』。
年末の象徴的な音楽の世界に浸りながら最高のプログラムを練り上げ、シーズン開幕当初からファンに向けて「今年の『第九』は、全日本選手権に見に来てください」と発信していたという。
 全日本開幕前日、「今シーズンのプログラムはこの全日本のために作ってきたと言っても過言ではない。
この全日本は僕の競技人生において最も特別な全日本になるかと思う。
人事を尽くしたので晴れやかな気持ちでこの舞台に立ちたい」と言葉を噛みしめながら話す姿も印象的だった。

 ただ、引退の意志は誰にも悟られていなかった。
突然の引退宣言には小塚も驚きを隠さず、「最後に爆弾を投下して去っていくのも樹らしい」と言って報道陣の笑いを誘うと、「こういう会見でも、いつも“町田語録”で僕たちを笑顔にさせてくれた。
僕にも誰にも思いつかない発想を持った唯一無二の選手」としんみりと語った。
 町田の引退による出場辞退で代わりに世界選手権に出ることになった無良は「町田樹選手は小さい頃から一緒にやってきた良きライバルで、大きな存在。
引退ということで、せっかくいただいたチャンス。
全日本のようなふがいないことのないように、心を決めて練習したい」と力を込める。
 小林強化部長によると、町田はリンク上での引退表明の後、バックステージで無良に「良いライバルでいてくれてありがとう。
崇人がいたから僕もここまで頑張れた。いつかこいつを抜かしてやるぞと思って頑張ったんだ」と言い、2人で泣いていたという。

 人に悟られぬよう、競技と両立させながら一分の隙もない準備をし、劇的に引退を表明した町田。
今後は来年4月1日から早大大学院スポーツ科学研究科修士課程に入り、入学後は博士課程進学を視野に入れ、将来的には研究者を目指す。
 研究テーマとして挙げたのは「フィギュアスケートのスポーツマネージメント領域での考察」。
“氷上の哲学者”は、彼らしいサプライズで周囲を驚かせるという幕引きを演じながらフィギュアスケートシーンを去って行った。
(文責・矢内由美子/スポーツライター)

もしかしたら、競技者としての限界を絶対王者羽生の存在をみて覚悟を決めていたのかもしれません。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」=大きな集団の中で後ろにいるよりも、小さな集団でトップをとったほうがいい、という「史記」の中の言葉。

彼が今自分が本当にやりたいことが見つかったのなら、継続する気のない選手生活をダラダラとおくるより、ライバルだった無良にチャンスを与えるべきという考えもあったに違いありません。

さらにいえば、引退発表の劇的効果の差も歴然です。

仮に3月の世界選手権で負けた後の引退発表では「仕方ないか」という世間の反応となったでしょうが、世界選手権の出場キップを獲得した後での電撃発表なら、今回のような注目を浴びられます。

何よりも面倒くさい関係者への事前説明を省けることもリメリットとしてはありそうです。

そして、プロスポーツ選手のセカンドキャリア問題がクローズアップされたことも大事です。

例えば野球選手なら、大リーグで5年以上出場すれば65歳から毎年1000万円の年金がもらえ、10年以上なら毎年死ぬまで2000万円もらえます。

翻って日本の場合は、解説者か球団コーチが関の山で、多くのOBは引退後苦労しています。

相撲の場合も、名取になれるのは一握りで、引退後はちゃんこやで生計を立てている人が多いと聞きます。

フィギュアも解説者か指導者かプロへの道しかなく、日本のセカンドキャリアの状況はお寒い限りです。

こうした選手達の使い捨てという悲しい現状は、ファンに夢を与えてくれた選手の引退後の生活保障という観点からも早急に改善されるべきですね。

最後は、少し笑える話題です。

<大阪・住之江区長>揶揄(やゆ)するメール、本人に送っちゃった
毎日新聞 12月29日(月)

 大阪市住之江区の区長(53)が、市民団体役員の女性をやゆする内容の報告のメールを上司に送るつもりが、誤って女性本人に送信していたことが分かった。
区長は近く女性に会って直接謝罪するといい、毎日新聞の取材に「女性の気持ちを害し、大変申し訳ない」と話した。

 女性は今月26日午前、地域の課題の相談のため、旧知の市幹部にメールを送信。
市幹部はメールを部下の区長に転送し、対応するよう指示したが、区長は同日午後、市幹部へメールで報告しようとしたところ、誤って女性に送ったという。

 報告は「ご近所さん同士のケンカに、市役所と区役所が巻き込まれているというのが実感」「(女性は)地域で孤立しているとよく聞きます」などと書いていた。

 区長は市職員から登用された公募区長で「伝聞や想像で書いた部分があった」と話している。
女性は「私は地域で浮いていない。こんなことを書くなんて、あきれる」と話した。【山下貴史】

誤送信って会社でも結構あります。

勤務中に飲み会の案内を登録アドレスの全員に送ってしまい、なんと役員にまで案内されたことが話題になったことも。(ちなみに私ではありません

この程度ならまだ笑い話ですみますが、本人の陰口を本人宛に送ってしまってはシャレになりません。

この恥ずかしい失敗は、市幹部からの転送メールをそのまま返信してしまったために生じたケースでしょうが、おそらく区長はIT音痴だったのかもしれませんね。

他山の石としましょう!

では12-30生まれの有名人です。

1930年開高健(小説家『裸の王様』『日本三文オペラ』)、1946年パティ・スミス (米:ミュージシャン)、1962年崎谷健次郎 (シンガーソングライター,音楽プロデューサー)、1973年AIKO (歌手(Sugar Soul))、1975年タイガー・ウッズ (米:ゴルフ)。

おめでとう!

さて、君のヒーローは誰だ?
ウルフルズ『ヒーロー』