こんな判決が出ました。

大和証券などに賠償命令=「追い出し部屋」で退職迫る―大阪地裁
時事通信 4月24日(金)

 大和証券(東京)からグループ会社の日の出証券(大阪)に転籍の上、退職を迫る「追い出し部屋」で勤務させられたとして、男性社員(42)が両社に200万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決が24日、大阪地裁であった。
中島崇裁判官は「組織的、長期にわたる嫌がらせで悪質」と述べ、両社に150万円を支払うよう命じた。
 中島裁判官は、一人きりの別室勤務や、新規顧客開拓業務への専従について、大和証券から了解を得ていたと認め、「退職に追い込むための嫌がらせ」と指摘した。
転籍の無効確認については、男性が書面で同意しているため、請求を退けた。 

労働者にとっては、「追い出し部屋」の存在はプライドがずたずたにされるという点で十分パワハラですね。

では、経営者側からみるとどうなのでしょうか?

給料に見合うだけのパフォが出来ない社員をずっと勤務させるだけの体力があるうちはまだしも、会社経営が厳しくなってきたとき、やる気や工夫の見られない社員が職場にい続けることで、周囲の労働意欲も減退させるという悪しき雰囲気を発散させている(間接的に「あの人の仕事でこれくらい給料がもらえるなら・・」などと手を抜き始める社員も出てくるという意味でも)社員を定年まで面倒を見なければいけないのでしょうか?

労働者という弱者の立場からみるのと、会社経営の観点からみるのとでは、結論は180度変わってきます。

この辺のせめぎあいは、さらに激しくなっているようです。

今年初めに出た記事です。

「追い出し部屋」はもう古い!
リストラの最新手法
プレジデント 1月26日(月)

 正社員のクビをなかなか切れない日本企業では、あの手この手の退職勧奨が発達した。
時代とともに「進化」したその手法とは。

■ターゲットは「おとなしいタイプ」

 長年労働相談と向き合う東京管理職ユニオン執行委員長の鈴木剛氏は、リストラ手法の変遷をこう振り返る。

 「昔から中高年を窓際に追いやり仕事を与えない例はありました。
バブル崩壊後の1993年には、それまでの仕事を取り上げ、1日中モノを箱に詰めたり、お茶がらを集めて回ることをさせたりした。
当時は窓際に隔離すると同時に降格と賃金ダウンをしていた」

 もっとも、この手法、今は行われていない。
「最重要の労働条件の一つである賃金を本人の同意なしに下げると、裁判になれば違法と判断されて敗訴する可能性が高いからです」(鈴木氏)。

 一方、ここ数年で明らかになったのが、業績不振の電機大手が社内に設けた「追い出し部屋」の存在だ。
指名を受けた人が「事業・人材強化センター」や「キャリアデザイン室」といった部署に集められる。
そこで担う業務はさまざまだ。

 たとえばTOEIC800点超の40代管理職が、書類をPDFに変換する単純作業を続けた例がある。
当初の人事評価ではB2(中の上)だった本人が、それに見合う仕事を与えてほしいと訴えると「CIC(キャリアインキュベーションセンター)」という部署(これが「追い出し部屋」)に配転となり、求められたのは「新たな仕事を会社の内外に探すこと」だった。

 1年が経過すると「成果が出ていない」(再就職先が見つからない)として評価はDランクまで落ち、賃金が年間60万円ほど下がった。

 実態は退職強要だが、建て前上はそうなっていない。
「人事権や配転命令権に基づいて異動させ、『仕事を探す』という業務命令をし、その達成度合いで評価して社内規程や就業規則に基づき賃金ダウンを決めるという、一見合法的な手法をとるからです」(鈴木氏)。

 どんな人が、追い出し部屋へ追いやられたか。
「まずは45~55歳の中高年。
声高に主張する人よりもおとなしいタイプを選び、当人の能力や実績からも、人事部が間違って選んだとしか思えないケースもある」。

 指名された中には、社内外で表彰を受けて社屋に金色プレートで名前を飾られたエース級の人もいた。
この人たちは子会社の物流倉庫に出向し、20~30kgはあるモニターの箱詰めや製品の仕分けなどを命じられた。
「それでも目標は配転前と同じ『市場・顧客の動向・ニーズの把握、革新的な企画立案』(苦笑)。
倉庫内作業では実現できないことばかり」(鈴木氏)。

 結局このケースでは、裁判の末に会社側が出向・配転を撤回し、本人が納得する部署に着任するという形で決着がついた。

■「あなたは選ばれた人です」

 最近はこうした手口がより巧妙化した。
鈴木氏が続ける。
「上司など会社側は退職勧奨につながる言葉を一切口にしない。代わりに人材会社が間に入ります」。

 どういうことか。

 「まず会社は『スキルアップのため』といった業務命令で、社員を人材会社に行かせます。
立場は出向や業務支援などさまざまですが、そこで事実上の退職勧奨が行われます」

 人材会社では「キャリア志向性」や「人生の根っこ探し」などと称した適性診断テストを受けさせられる。
テストでは一問一答式の質問にYES、NOで答えるが、最終的な結論は「会社の外に活躍の場を求めたほうがいい」と決まっている。

 時には「厳しい環境の中では、いろんな能力開発をしなければならない。
あなたは選ばれた人です」とホメ殺しのトークを駆使し、たとえば本人がSEなら「現在の業務に加えて営業力も身につけましょう」と言い、営業職なら「ロジスティクスを知っておく必要もある」とおだて上げる。

 大手電機メーカーの企画部に勤務していた45歳の課長は、人材会社に出向後、週に1日このテストを受けて、残りの日はクレーム処理をさせられた。
適性テストでは毎回「営業に向いています」「これまでの仕事よりもこちらのほうが」などと言われ、結局転職したという。
この転職先も人材会社が斡旋する仕組みになっている。

 ほとんど全社員を診断テストの対象にした会社もある。
かつてマンション販売で名を売った大手不動産会社だ。
実際には短期間でテストを終える人と延々受けさせられる人に分かれるが、これだと名目上は全員が対象だから、会社側は狙い撃ちの退職勧奨ではないと主張できるのだ。

■一番コストがかからないのは

 真偽は不明だが、会社の産業医が介在するケースもあるという。
上司から「最近疲れているんじゃないか。一度診てもらったら? 」と勧められて産業医を受診すると、うつ病や新型うつと診断されて処方薬を出される。
この手の薬は服用すると眠くなり、時には業務にも支障が出る。
これが進行すれば病気休職、そして自主退職に結びつくというのだが……。

 ここまで紹介したのは大企業の事例だが、中小企業もリストラの“闇”を抱えている。

 「中小企業では大手のような追い出し部屋をつくる余裕がないので、更生の姿勢が見られない問題社員には、会社側が自主退職するよう働きかけるのが一般的です」

 こう話すのは、企業側の代理として労働事件を数多く手掛ける向井蘭弁護士だ。
企業が退職を勧める際に決め手となるのが、問題社員に対し指導や懲戒を行ってきた記録である。
解雇規制が厳しいといわれる日本だが、そうした文書記録を積み上げていけば解雇することも可能である。

 むろん訴訟に発展するケースも少なくないが、手間や費用を考えると訴訟は避けたいのが企業の本音。
そこで会社側は、従業員が自主退職に応じてくれるかどうかを次のような条件から見分けるという。

 たとえば、給料以外に家賃収入があれば退職に応じてもらいやすいし、反対に多額のローンがあるとか学齢期の子供がいればこじれやすい。
つまり、本人の能力とは別に、リストラの対象になりやすい人がいるのである。

 向井氏は最近、リストラの相談にやってくる企業に対し「懲戒の書面を連発する前に、できるだけ相手と面談すること」をアドバイスするという。
相手側の労働組合や弁護士との交渉や裁判でも「双方が面談して話し合ったかどうか」が心証を左右することが多いからだ。

 労働者側・会社側と立ち位置が違う鈴木氏と向井氏だが、「きちんと話し合うべき」という視点では一致する。
鈴木氏は「人材会社に丸投げするのではなく、会社側が社員と面談して向き合う。結局これが一番コストも安くすむ」と話し、向井氏は「退職を納得してくれるまで本人と向き合うことが大事です」と指南する。

 現在は勤務先の業績が好調だとしても、先の保障がない時代。
実情を知ったうえで将来に対して備えるのも、転ばぬ先の杖といえそうだ。

激化する労使対立ですが、折衷案はないものでしょうか?

今は使えないダメ社員でも、入社採用試験の時には面接官を納得させるだけの魅力があったはず。

とすれば、経年劣化してしまったその理由をつきとめ、再度輝いてもらおうとする努力も無駄ではないはず。

そうなるともちろん、会社もカウンセリングや再教育に金と時間を使うわけですから、対象者には自腹で社内教育カリキュラム(「ポンコツ再生プロジェクト(仮)」)を受けてもらいます。

内容は、ITや語学やワープロなどアウトソーシング的な専門的技能が必要とされる分野を対象者の適性を見ながら選択できるようにします。

この再生プロジェクトをも拒む社員なら、そもそも「やる気」や「真剣さ」が感じられないのですから、リストラも仕方ないでしょうね。

ただもし、これで世間でも使える社員が増えれば、社員本人にとっても会社にとっても好都合です。

最初からリストラという後ろ向きな金を使うのなら、ラストチャンスとして会社もこうした努力を社員と共にすべきですし、本来「労働組合」がこの辺をもっと頑張るべきなのでしょうが・・

明日は、統一地方選の結果が出ますが、驕る自民党にお灸をすえられるかが見所となります。

では、4-26生まれの有名人です。

1711年デイヴィッド・ヒューム (英:哲学者,思想家)、1798年ウジェーヌ・ドラクロワ (仏:画家)、1925年胡桃沢耕史(推理小説家『黒パン俘虜記』『翔んでる警視』)、1930年加藤秀俊(評論家)、1951年新谷かおる(漫画家『エリア88』)、1959年有栖川有栖(推理小説家)、1963年ジェット・リー (中華人民共和国・米:俳優)。

おめでとう!

確かにスーパーウーマンのそろい踏みです!
Gladys Knight, Dionne Warwick, Patti LaBelle - Superwoman
今日は天気もよかったので恵比寿で行われたニコルのバーゲン会場へと行ったのですが、開場前になんと500人以上の待ち列が・・

今回初めて開場時間前に訪れたのですが、毎回こんな状況だったのか!?

もちろん、私は潔くあきらめて帰りました。


さて、萩原流行さん、事故死の原因が、警察車両!?

萩原流行さん事故死に新展開!
護送車に接触、警部補を事情聴取
サンケイスポーツ 4月24日(金)

 事故の発端は警察車両だった-。
東京都杉並区で俳優、萩原流行(はぎわら・ながれ)さん(享年62)が死亡した交通事故から一夜明けた23日、警視庁は萩原さんの大型バイクが転倒後、高井戸署の護送車に接触していたと発表した。
その直後、萩原さんは後続車にひかれ、心房破裂のため死亡したことが判明。
警視庁は自動車運転処罰法違反の疑いで護送車を運転していた高井戸署の警部補(55)らを事情聴取している。
前日の22日は、警察車両の関わりを報道陣に明言していなかった。

 警視庁交通捜査課の調べと目撃者の情報によると、事故は22日午後6時過ぎに発生。
現場は環状7号線と交わる直前の青梅街道片側(新宿方面)3車線で、一番左側の車線を走っていた護送車が、路上駐車をよけるため中央車線に路線変更した。

 このため、中央車線を走っていた萩原さんのハーレー・ダビッドソンがフラつき、護送車と併走した後に転倒。
護送車の前輪付近と接触した。
その直後、萩原さんは一番右側の追い越し車線に投げ出され、後続の車はとっさに対向車線に出て避けたが、すぐ後に続いた会社役員の男性(59)の乗用車にひかれた。

 護送車を運転していた警部補が現場から119番。
萩原さんは意識がない状態で東京・西新宿の東京医大病院に運ばれたが、22日午後7時26分、心房破裂のため死亡した。
遺体は杉並署に置かれたまま、24日以降も検視される。
護送車は留置中の容疑者の治療のため、高井戸署から病院に向かっていた。

 警視庁交通捜査課は23日、萩原さんが護送車をよけようとして転倒した可能性があるとみて、自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで運転していた警部補らから事情聴取。
交通捜査課は事故管轄の杉並署から捜査を引き継いだ格好で、警部補は「ひいた感覚はなかったが、ドンとバイクが転倒した音が聞こえた」と証言した。

 また、萩原さんをひいた会社役員の男性は「バイクが転ぶ音がして、タイヤで何かをひいた感触があった」と話した。

 警視庁は事故の詳細を発表する前、報道陣の質問に車線変更した車が護送車だったことや運転手の職業を明かさなかった。
この点について当時、「事実確認中」としていたが、批判が高まる可能性もある。

 この日、妻で女優、萩原まゆ美(62)が杉並区の自宅前で会見。
警察車両の関わりが発覚したことについて「護送車のことはネットニュースで知りました。警察からは詳しく聞かされていないので、今は話せません」と話すにとどめた。

 萩原さんは3年前からたびたび交通事故を起こしていた。
22日はハーレーで自宅から東京・四谷の美容室に向かう際、「気をつけてね。最近、事故が多いから」とまゆ美が注意を促すと、笑顔で「安全運転で行くから」。
それが夫婦の最後の会話になった。

 夫婦に子供がいなかったため、30年前に遺言状を書いていたという萩原さん。
葬儀は密葬にする予定だが、遺体が帰らないため時期は未定という。

そして、続報ではこんな内容も。

わたしは見た、萩原流行さんの素の姿 
バイク運転できる状態だったのか
J-CASTニュース 4月23日(木)

 萩原さんは、わずか1か月前に事故を起こしていたばかりだった。
今回、なぜまたバイクで出かけたのか。
近所の住民からは、最近見かけた際に違和感があったという証言も出ている。

■数日前に「姿勢悪くトボトボと歩いていた」と目撃談

 今回2015年4月22日の事故を含めると、萩原さんはこの2年で4度の事故に関係したことになる。
13年1月と14年10月に、それぞれ乗用車で自転車と歩行者に接触しけがを負わせた。
そのうち歩行者との接触事故では、当て逃げ容疑で警視庁に書類送検までされている。
大型バイクでは15年3月、運転中に転倒し右腕を打撲する事故を起こしたばかりだ。

 萩原さんはうつ病であることを公表し、現在も薬を服用している。
しかし、妻のまゆ美さんは4月23日朝、報道陣に「運転前には飲みません。事故とは関係ないと思います」とコメント。
一方、各紙報道によると警視庁は薬物や飲酒について捜査中だという。

 最近の萩原さんは、どんな様子だったのか。
杉並区にある萩原さん宅の近所に住む60代女性によると、先日に見かけた際に違和感があったという。

  「先週末ぐらいに西荻窪駅の近くで見かけました。いつもはシャンとしてかっこよく歩いていたのに、この日は姿勢も悪くトボトボと歩いていて何だか元気がなさそうでした」

 女性によると、萩原さんは普段からトレードマークのテンガロンハットをかぶり、人ごみの中でも目立つ存在だった。
しかし、この日に限ってはいつもと違っていたそうで、「たまたま体調が悪かったのか、何があったのか分からないが、今になって考えると…」と引っかかるものがあったという。

 事故現場は杉並区高円寺南2丁目の青梅街道で、片側3車線の広い直線道路だ。
交通量や路肩に駐車する車両も多く、「もともと事故は多い場所」(周辺住民)だ。
また、当日は雨が降っていた。

 まゆ美さんによると、この日、流行さんは四ツ谷駅周辺の美容院に向かった。
どうしてバイクに乗ったのかは分かっていない。

  「彼は本当に燃え尽きちゃったのかなと思う。1番いい時に亡くなったという感想です」
  「こんなことを言うのはおかしいけど、ここで終止符を打つのは彼にとってよかったと思う」

とコメントしている。

 警視庁によると、萩原さんは中央車線を走行中、何らかの原因で転倒、滑走した。
その後、前方を走る車両に接触し、後続車にはねられ死亡した。
萩原さんが転倒した理由は捜査中だという。
萩原さんの前を走っていた警察の護送車が車線変更し、萩原さんが避けようとして転倒した可能性について報じているマスコミもある。

薬物については、司法解剖すればわかりますので、真相を待ちたいと思います。

それにしても、奥さんの「ここで終止符を打つのは彼にとってよかったと思う」というコメントは彼の症状がかなり深刻だったことを裏付けているのでしょうか、ねえ?


続いて、女子サッカーの話題です。

なでしこW杯予備登録メンバー発表 
昨年5月以来の澤ら35人
スポニチアネックス 4月24日(金)

 日本サッカー協会は24日、2連覇が懸かる6月の女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会に臨む、なでしこジャパンの予備登録メンバーを発表し、昨年5月のアジア杯以来代表から遠ざかっていたMF澤穂希(36=INAC神戸)ら35人が“第一関門”を突破してメンバー入りを果たした。

 澤と同様に初優勝した前回11年のドイツ大会メンバーからはMF宮間あや(30=岡山湯郷)、DF岩清水梓(28=日テレ)ら19人が選出され、ドイツでプレーするFW大儀見優季(27=ボルフスブルク)とMF永里亜紗乃(26=ポツダム)の“永里姉妹”もそろって名を連ねた。
21歳のMF猶本(浦和)は外れた。

 W杯本大会に出場するメンバー23人は5月1日に発表され、6月8日開幕のW杯本大会で1次リーグC組の日本は、9日にスイス、13日にカメルーン、17日にエクアドルと対戦。
決勝は7月5日にバンクーバーで開催される。

 予備登録メンバーは以下の通り。※印は11年女子W杯ドイツ大会メンバー

 【女子W杯カナダ大会予備登録メンバー】

▽GK 福元 美穂(31=岡山湯郷)※

    海堀あゆみ(28=INAC神戸)※

    山根恵里奈(24=千葉)

    武仲 麗依(22=仙台)

    山下杏也加(19=日テレ)

▽DF 近賀ゆかり(30=INAC神戸)※

    上尾野辺めぐみ(29=新潟)※

    岩清水 梓(28=日テレ)※

    鮫島  彩(27=INAC神戸)※

    有吉 佐織(27=日テレ)

    北原 佳奈(26=新潟)

    川村 優理(25=仙台)

    熊谷 紗希(24=リヨン)※

    村松 智子(20=日テレ)

    乗松 瑠華(19=浦和)

▽MF 澤  穂希(36=INAC神戸)※

    安藤  梢(32=フランクフルト)※

    宮間 あや(30=岡山湯郷)※

    川澄奈穂美(29=INAC神戸)※

    阪口 夢穂(27=日テレ)※

    上辻 佑実(27=日テレ)

    田中明日菜(26=INAC神戸)※

    宇津木瑠美(26=モンペリエ)※

    永里亜紗乃(26=ポツダム)

    杉田 亜未(23=伊賀)

▽FW 丸山桂里奈(32=大阪高槻)※

    大野  忍(31=INAC神戸)※

    大儀見優季(27=ボルフスブルク)※

    後藤 三知(24=浦和)

    菅沢優衣香(24=千葉)

    高瀬 愛実(24=INAC神戸)※

    岩渕 真奈(22=バイエルン・ミュンヘン)※

    横山 久美(21=長野)

    京川  舞(21==INAC神戸)

    田中 美南(21=日テレ)

澤選手が36歳ですので、キングカズに比較すればまだまだ若い!

といいながら、選ばれたメンバーを見ると女子チームの若返りは思ったほど順調ではないようですね。

個人的に解せないのは、代表に丸山選手がいつも選ばれていますが、代表戦で活躍したところをあまり見た記憶がありません。

チームのムードメーカー的な存在で選ばれているのか、それとも単に監督のお気に入りだから?

彼女の選抜の理由が私には今ひとつよくわかりません。

最後は、いい話(?)です。

95%が虫歯ゼロ 
中尾小の習慣付け教育とは
カナロコ by 神奈川新聞 4月24日(金)

 全校児童の95%に虫歯が一本もない小学校がある。
昨年度の「全日本学校歯科保健優良校表彰」小学生の部で最優秀賞を受賞し、“歯の健康日本一”に輝いた横浜市立中尾小学校(同市旭区)。
全国平均では児童の半数に虫歯がある中、なぜ劇的な効果を挙げられたのか。
学校を訪ねると、そこには熱心な学校歯科医の存在があった。

 「この奥歯の上が磨けていないよ」「歯並びが悪い場所は、歯ブラシを縦にして磨いてごらん」

 23日に行われた5年生の歯科検診では、学校歯科医の江口康久万(やすくま)さん(55)が、一人一人の磨き残しをチェックしていた。
虫歯が見つかる児童はほとんどいない。

 25年ほど前に、同校の学校歯科医になった江口さんは年14回のペースで来校する。
通常の学校歯科医よりも頻繁に顔を出し、児童の歯のケアに注意を払ってきた。

 江口さんは言う。
「特に子どもの場合は利き腕の反対側の歯が磨きにくく、奥歯を磨くにはこつがいる。自分がうまく磨けない場所を理解することで、正しい磨き方が身に付く」

 磨き残しがあった場所は、組み立てると口の中の模型になるペーパークラフトに書き込み、一人一人に手渡す。
自宅に持ち帰り、磨き方のくせを親子で理解してもらう。

 同校は2007年、同市学校保健会から歯科保健の研究校の指定を受け、全校を挙げて予防に取り組み始めた。
歯磨きを習慣付けるため、給食後に全校一斉の「歯磨きタイム」がある。
教室に歯磨きソングの音声と映像を流し、5分間かけて歯を磨く。

 授業にも虫歯予防を取り入れ、江口さんも教壇に立つ。
児童は虫歯予防の劇を披露し、クイズ大会も開かれる。
毎月8日は使っている歯ブラシを親子で点検するほか、保護者向けの歯科予防教室もあり、家族で虫歯予防に取り組んでもらう。

 こうした取り組みで、昨年度の6年生1人当たりの永久歯虫歯の本数(治療済みの歯を含む)は0・13本で、全国平均の0・7本を大きく下回った。

 高橋宏明校長は「正しい歯磨き習慣は一生の宝物。学校と家庭、学校歯科医の協力で、子どもの歯の健康を守っていきたい」と話している。

毎日の習慣でこれほど変わるものなんですね!

それにしても、素晴らしい先生ですね。

歯の大切さは、虫歯になってからじゃないと実感できませんが、それでは遅すぎる!

歯も健康も、小さい頃からこのような予防医学の観点をもっと取り入れるべきですね。

では、4-25生まれの有名人です。

1599年オリバー・クロムウェル (英:軍人,政治家,清教徒革命の指導者)、1840年ピョートル・チャイコフスキー (露:作曲家)、1917年エラ・フィッツジェラルド (米:ジャズ歌手)、1922年三浦綾子(小説家『氷点』)、1934年宇野鴻一郎(小説家『鯨神』)、1940年アル・パチーノ (米:俳優)、1962年倉知淳(推理小説家)。

おめでとう!

PVも魅力的です!
If I were Your Woman Gladys Knight & The Pip
統一地方選挙の後半戦の投票日が迫ってきましたが、やはり何かおかしいぞ!

特に、選挙カーから連呼される「皆様の手と足となり・・」や「街の御用聞きとして働かせてください」などとても違和感のあるフレーズです。

結局、彼らが主張していることは、狭い支援者の中の特定の人のためだけに働くという宣言をしているわけですが、こんな一部支持者だけの利益誘導型の議員は必要ありません。

声の大きい層のみが優遇される地方政治には、必ず利権という魔物が絡んできます。

陳情ではなく(陳情も時には大事ですが)特定地方に存在する問題点を自ら発信し議会で変更していくという、まさに「発信型政治」こそ地方の代表リーダーとしても求められる資質だと気づかず、「私は住民迎合型政治家だ」と恥ずかしげもなく大声で宣伝しているのですから、困ったものです。

「皆様の手と足となり・・」や「街の御用聞きとして働かせてください」という聞こえのいい文句を使う候補者は、自ら政策を何も考えていないか、当選しても多くの住民のためには働きませんので、どんどん落としましょう!

そして、選挙当日しか行けない人は別ですが、不在者投票は何箇所かの会場で事前投票(朝の8:30から午後8時まで)できますので使わない手はありません。

一応、タテマエとしては、どうしても投票日に行けない人が対象ですが、その理由として「仕事・学業」「レジャー・用事等」「病気・出産等」などユルイ仕分けとなっていますので、細かいことは気にせず堂々と行きましょう!


さて、訃報続きの今日この頃ですが、まずは明るいスポーツの話題からはじめましょう。

試合後に井岡一翔はなぜ涙を流した?
3階級制覇の陰にあった焦りと重圧。
Number Web (「格闘技PRESS」渋谷淳 = 文)4月23日(木)

 サラブレッドと言われ続けた男の目に涙が光った――。
4月22日の大阪府立体育会館。
WBA世界フライ級王者フアン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)に挑んだ井岡一翔(井岡)は、8度防衛中のチャンピオンとクロスゲームを演じ、2-0のマジョリティ・デシジョンで判定勝ち。
苦労して手にした3階級制覇という栄冠だった。

 1ラウンド終了のゴングが鳴ったとき、青コーナーに戻る井岡が右拳で小さくガッツポーズを作った。
この瞬間、リングサイドの筆者は「今日は勝てそうだな」と感じた。
井岡の生命線であるジャブがヒットし、それはすなわち、井岡にとって理想的な距離、157cmと小柄なチャンピオンにとってはわずかにパンチが届かないという絶妙な距離をキープできていることを示していたからだ。

 距離のコントロールは堅実なディフェンスをもたらす。

 レベコはパンチが届かずに、体が泳ぐ場面が目立った。
もちろん距離が詰まるシーンもあるのだが、その場合はしっかりブロックしてチャンピオンのアタックをしのぐ。
強烈なブローがあるわけではない。
アクロバティックな動きを見せるわけでもない。
それでもなお、隅々まで計算し尽くし、リスクを最小限に制御するスキのないボクシングこそ、井岡というボクサーの本来の持ち味だ。
ここ2試合ほど、らしからぬ雑なボクシングを見せていただけに、手ごたえを感じさせる立ち上がりだった。

実力者レベコ相手に、気の抜けないラウンドが続いた。

 井岡が本来の力を出しながらも、試合が競った展開になったのは、レベコが確かな実力者だったからだ。
キャリア36戦で負けはただ一つ。
2007年にシドニー五輪金メダリストのブライム・アスロウム(フランス)にWBAライトフライ級タイトルを奪われて以降、7年間負けなしのキャリアはやはり侮れなかった。
「一瞬たりとも気を抜けなかった」。
勝者のコメントが試合の緊張感を物語った。

 レベコは距離で苦しみながらも、あの手、この手で井岡を攻略しようと試みた。
攻撃の入り方を工夫し、打ち終わりのカウンターを狙い、コンビネーションを駆使し、手持ちの材料を総動員してベルトを守ろうとした。
しかし井岡は崩れない。
逆に8、9回に右クロスをレベコに浴びせ、王者を突き放しにかかる。
ここで父でもあるセコンドの井岡一法会長は、勝利をより確かなものにしようと、息子の動きを引き締めた。

 「9ラウンドに倒しにいこうとしたが、いくなと。レベコには一発があったし、最後まであきらめていなかった」

 井岡は10回から再びディフェンスの意識を高め、距離の調整に細心の注意を払った。
この慎重さに、井岡が現在置かれている状況、この一戦の持つ意味がよく表れていたと思う。

「崖っぷちというか正念場。プレッシャーもかなりあった」

 アマチュアで輝かしい実績を残し、鳴り物入りで'09年にプロデビューすると、順風満帆にキャリアを重ね、当時の国内最速記録となるプロ7戦目で世界タイトルを獲得。
'12年に八重樫東(大橋)を下して国内初となる世界2団体統一王者となり、その年の暮れには2階級制覇まで達成した。
このころの井岡はよく「ボクシング界を引っ張っていきたい」と口にしていた。
振る舞いにも、表情にも、いい意味で自信がみなぎっていた。
名実ともに日本ボクシング界の顔になろうとしていた。

 しかし失速は突然訪れる。
自信を持って挑んだ3階級制覇目となる昨年のタイトルマッチで、IBFフライ級王者アムナット・ルエンロン(タイ)にまさかの敗北。
結果は1-2判定と競っていたが、完敗とも言える内容だった。

 「去年負けて、今まで積み重ねてきたものが音を立てて崩れた。
自分の一番自信のあるボクシングで、これだけみじめな思いをしたのは初めてだった」。
今回の試合を「崖っぷちというか正念場。プレッシャーもかなりあった」と表現した。

「今回負ければ井岡は終わりだ」との声に……。

 「崖っぷち」は決して大げさな表現ではなかった。
凋落の井岡と入れ替わるように、井上尚弥(大橋)が彗星のごとく登場し、井岡の記録を上回るプロ6戦目で世界タイトルを獲得した。
ライバルは世界王者だけではない。
ロンドン五輪金メダリストの村田諒太(帝拳)、5月30日にプロ5戦目で世界挑戦する田中恒成(畑中)ら次世代のスター候補も次々に台頭している。

 国内ボクシングはまさに群雄割拠の時代であり、その分、忘れ去られていくのも早い。
井岡の存在感は徐々に薄くなっていった。
「今回負ければ井岡は終わりだ」。
関係者の間ではそんな声もささやかれた。
26歳の井岡が「選手生命も短くなっていく」とも口にしたことには少し驚かされたが、状況を考えれば、無理もないのかもしれない。
試合後に流した涙の背景には、そんな厳しい現実があったのである。

 やや慎重になって終盤に追い上げを許したとはいえ、この日の井岡のボクシングは久々に彼らしいパフォーマンスだった。

 「自分のボクシングは見せられたと思う。ジャブの差し合い、打ち合いでも負けていなかった」

 レベコ陣営は判定に不満をもらし、レベコ本人は「私が2、3ポイント勝っていたと思う」と語ったが、同時に「井岡はジャブがうまく、スピードがある上に、自分の距離を保つのがうまかった」ともコメント。
少なくとも、思うようなボクシングをさせてもらえなかった、とは感じていたのだろう。

待ち構えるのは、フライ級の“怪物”たち。

 崖っぷちというプレッシャーをはねのけて3階級制覇を達成した井岡とはいえ、今回の勝利はまだ「生き残った」という印象が強い。
世界王者という肩書きの価値が低下し、だれと試合をしたか、どんな試合を見せたかが問われる時代である。
フライ級を見渡せば、昨年敗れたIBF王者のアムナット、WBAにはWBOタイトルも保持する“統一王者”フアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)が君臨する。
さらに、かつて対戦話が持ち上がりながら実現しなかったWBC王者の怪物ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)も控えている。

 「これからも挑戦し続けて、まっすぐに生きていきたい」

 厳しい戦国時代で再びボクシング界の頂点に立つべく、ひと回りたくましくなった井岡が新たなスタートを踏み出した。

まさに薄氷の勝利といった感じでしたね。

もしこの試合が敵地で行われていたら、チャンピオン有利で勝敗がひっくり返っていた可能性もあります。

もっと印象のいいラウンドを作っていかないと、判定での勝利は厳しくなります。

この日はダブルタイトル戦で、4団体制覇の高山選手も年齢(31歳)を感じさせないスタミナと持ち前の攻撃の手数の多さでポイントを稼いで見事防衛を果たしましたが、相手を最後まで倒そうとする闘志あふれた素晴らしい試合でした。

初防衛の高山、太ももも負傷していた 
両まぶたは35針縫う
デイリースポーツ 4月23日(木)

 同級9位・ファーラン・サックリン・ジュニア(タイ)を相手に9回負傷判定勝利。
カットした両まぶたを35針縫って痛々しい姿で会見場に現れた。

 実は目以外にも、右太ももに重傷を負っていた。
1回、ゴングと同時に全速力で相手に襲いかかった時だ。
「開始3秒で足を打撲していました。
“Bダッシュ”した時、ファーランの足が右足に入った。
焦らすことには成功したけど、大変なことになった。
そこからずっと引きずっていた」と明かした。

 会見中に中出博啓トレーナーに右足をつつかれると、「痛い、痛い」と顔をしかめる程。
満身創いながら、終始、手数、スピードで圧倒し、完勝。
「IBFのベルトには誇りを持っている」と胸を張った。

高山選手の攻撃的なファイトスタイル、好きです!


では、昨日なくなった直木賞作家、船戸先生についてです。

船戸与一さん死去、胸腺がん71歳
スポーツ報知 4月23日(木)

 船戸さんは山口県出身で早稲田大在学中は探検部に所属。
卒業後の1979年に「非合法員」で小説家デビュー。
85年に「山猫の夏」で吉川英治文学新人賞、92年にはイラン・イラク国境地帯を描いた「砂のクロニクル」で山本周五郎賞などを受賞。
2000年には小説「虹の谷の五月」で直木賞を受けた。

 今年2月、満州国の興亡をテーマにした大河小説「満州国演義」が全9巻で完結し、日本ミステリー文学大賞を受賞。
別のペンネームでも活躍し、米国のルポのほか、人気コミック「ゴルゴ13」の脚本にも携わった。

 関係者によれば、船戸さんは約6年前にがんが発覚し「余命1年」との宣告を受けていたが、取材・執筆を続けていた。
今年1月ごろまでは大好きなモルトウイスキーをたしなんでいたが、2月から悪化。
3月25日発売の光文社の文芸誌「ジャーロ」に掲載した短編「稲妻の秋」が最後の作品となった。

 約2週間前に見舞いに行ったノンフィクション作家の高野秀行さんは「最後まで『死ぬ気配がないんだ』とおっしゃっていました。
船戸さんご自身は作品に出てくるような人間の欲望、妬みなどが全くない人。
『叙事詩の記録者』として小説を書かれていたのだと思います」としのんだ。

 ◆直木賞作家・西木正明氏
「早大探検部以来50年以上の付き合い。
何年も留年するのが当たり前の探検部員の中で、彼はいい意味で真面目だったと思う。
こんなに早く亡くなると思わなかった」

冒険小説というカテゴリー(?)では、逢坂剛先生と双璧ではないでしょうか。

ということで、私が読んだ船戸与一先生の作品を僭越ながら私なりに評価させて頂きます。(10点満点)

9点 「山猫の夏」、「猛き箱舟」
8点 「龍神町龍神13番地」
7点 「神話の果て」、「伝説なき地」
6点 「虹の谷の五月」、「海燕ホテルブルー」
5点 「蝕みの果実」

直木賞受賞作品が6点とはと、お怒りの言葉が天国から聞こえそうですが・・

さらに残念ながら、名作の誉れ高い「砂のクロニクル」「蝦夷地別件」は本は買っていながらまだ読んでいなかったので、至急読ませていただきます。

では、4-24生まれの有名人です。

1743年エドモンド・カートライト (英:発明家,力織機を発明)、1916年ルー・テーズ (米:プロレス「鉄人」)、1932年桂由美(服飾デザイナー)、1933年服部公一(作曲家)、1934年シャーリー・マクレーン (米:女優)、1942年バーブラ・ストライサンド (米:女優,映画監督)、1952年ジャン=ポール・ゴルチエ (仏:服飾デザイナー)、1962年山咲千里(女優)、1966年田島貴男(ミュージシャン(ORIGINAL LOVE/ヴォーカル))、1968年永田裕志(プロレス)、1977年小林恵(モデル,女優)。

おめでとう!

ここまで情感豊に歌い上げれる歌手はそうそういないでしょう。
You Are The Best Thing That Ever Happened To Me