結局、有権者へのわかりやすいメリットが十分伝えられなかったということでしょうか。

直後のインタヴューで橋下氏の政界引退が発表されました。

橋下氏 政界引退表明 
「政治家はやらない」 敗戦の弁
デイリースポーツ 5月17日(日)

 「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が17日、実施され即日開票の結果、反対多数が確実となった。
この結果を受け都構想案は廃案に。
反対多数の場合は政界引退を表明していた大阪市の橋下徹市長(45)は「任期まで。それ以降政治家はやりません」と12月の任期満了を伴って政界から身を退く意志を示した。

 NHKが「反対多数確実」を報じた午後10時35分から約35分後の午後11時10分、橋下氏が大阪市内の会見場に姿を現した。

 カメラのフラッシュを一斉に浴びながらも視線を前に向け、少し笑みを浮かべながら着席。
「受け入れられなかったということで、間違っていたということになるんでしょうね」と“敗者の弁”を述べた。

 将来、政界に復帰する可能性について「ないですよ」と強く否定。
「自分のような政治家はワンポイントリリーフ」と述べた。

 府知事選に立候補した際に「2万%でない」と発言したことに触れ「あの時はテレビ番組の収録を済ませていたので、あのように発言するしかなかった。今は制約もなく、うそをつく必要はない」と語った。

 08年の政界進出から7年。
二重行政の解消をめざして都構想を提唱してきたが、実現叶わず。
政治生命を賭けて“一発勝負”で意気込んで臨んだ今回の住民投票だったが、民意から返ってきた声は「ノー」だった。

 16日には「納税者をナメた連中を潰す」と威勢良く演説していた橋下氏。
投票当日の街頭活動も認められた今回は、この日も投票所を回ったほか、大阪・難波で最後の支持を訴えていた。

 橋下氏は2008年に大阪府知事に就任、10年に都構想を掲げ、松井一郎氏(現府知事)らとともに政治団体「大阪維新の会」を設立した。
11年の市長・知事の「大阪ダブル選」を経て、12年の旧日本維新の会設立以降、3度にわたり国政選挙にも挑戦。
現在、維新の党は野党第2党として、一定の存在感を発揮するまでに至っている。

過激だがわかりやすいリトル石原慎太郎もどきでしたが、個人的には裏表のない政治家としての橋下をもっと見たかっただけに残念です。

大阪住民が、日本の将来にとって貴重な政治家を潰してしまった罪は大きいですぞ。

では、本題です。

そろそろ、この問題に決着を。

でなければ、同盟国の米国内でもこんな不穏な動きが・・

ということで、今日は「慰安婦問題」を斬る!

「慰安婦」教科書問題で米出版社、記述変更せず
2015.5.16

 【ニューヨーク=黒沢潤】米国の公立高校で使われている米大手教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書に、史実と異なる慰安婦の記述がなされている問題で、同社は14日、産経新聞の取材に対し、記述変更の意思はないとの回答を示した。

 同社はコメントで「日本政府の代表者や他の人々が最近、マグロウヒルに対し、出版物の1つである『伝統と交流』の慰安婦部分の記述変更を求めてきた」と指摘。
「学者たちは慰安婦の歴史的事実をめぐって立場がぶれることはないし、私たちも執筆者の著述や研究、発表を明確に支持する側に立つ」と強調した。

 この教科書には、「約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に徴用した」「慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」などの記述があり、外務省が昨年11月以降、数回にわたり表記是正を申し入れた。
一方、執筆者を含む米国の歴史学者19人は「いかなる修正にも応じない」との声明を発表。
これに対し、現代史家の秦郁彦氏ら日本の有識者19人が3月中旬、明確な事実誤認部分8カ所について、同社に訂正を求める声明を発表した

秦郁彦氏のコメント:

 訂正を申し入れた19人の歴史家を代表する私にはまだ回答がない。
無視するつもりなのか。
マグロウヒル社に送ったのは「正誤訂正表」である。
1+1=3と書いてあっても直す気はないのか。
アメリカの良識ある歴史家たちの見解を聞きたいと考えている。

この内容は韓国の米国におけるロビー活動の成果といえます。

つまり、日本外務省の怠慢の動かぬ証拠でもあります。

ただ次の記事のようにバイアスのかかった「なんちゃって」歴史学者の集団の言うことですので、事実に基づいた論理的な議論に耐えられかどうかはかなり疑問です。

「過去の過ち清算」せよと叱責する「日本研究者」の正体
(古森義久 ワシントン駐在客員特派員)

 米国の日本研究者とは一体なんなのか。
日本の国のあり方や国民の心の持ち方を高所から指示する役割を自任する人たちなのか。
5月上旬に出された米国の日本研究者ら「187人の声明」を読んで感じる疑問である。

 この一文は「日本の歴史家を支持する声明」とされていたが、「日本の歴史家」が誰かは不明、日本政府や国民への一方的な説教めいた内容だった。

 声明は日本の民主主義や政治的寛容など自明の現実をことさら称賛しながらも、慰安婦問題などを取りあげて「過去の過ちの偏見なき清算」をせよ、と叱責する。
安倍晋三首相に対しては「過去に日本が他国に与えた苦痛を直視することを促す」と指示する。

 英語と日本語の両方で出た同声明は原語の「促す(urge)」という言葉を日本語版では「期待する」などと薄めているが、核心は自分たちの思考の日本側への押しつけである。
この点では連合国軍総司令部(GHQ)もどきの思想警察までを連想させる。

だが発信者とされる187人には「米国の日本研究者」とは異なるような人物たちも多い。
安倍政権非難の活動に熱心な日本在住のアイルランド人フリー記者や性転換者の権利主張の運動に専念する在米の日本人活動家、作家、映画監督らも名を連ねる。
中国系、韓国系そして日本と、アジア系の名も40ほどに達する。

 そんな多様性も米国学界の特徴かもしれないが、同声明が米国全体からみれば極端な政治傾向の人物たちの主導で発せられた点も銘記すべきである。

 声明作成の中心となったコネティカット大学教授のアレクシス・ダデン氏は日本の尖閣や竹島の領有権主張を膨張主義と非難し、安倍首相を「軍国主義者」とか「裸の王様」とののしってきた。
マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・ダワー氏は日本の天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険だと断じてきた。
コロンビア大学教授のキャロル・グラック氏は朝日新聞が過ちだと認めた慰安婦問題記事の筆者の植村隆氏の米国での弁解宣伝を全面支援している。

要するにこれら「米国の日本研究者」たちは米国の多数派の対日認識を含む政治傾向や歴代政権の日本への政策や態度よりもはるかに左の端に立つ過激派なのである。

 だが今回の声明の実質部分で最も注視すべきなのは、これら米側研究者たちが慰安婦問題での年来の虚構の主張をほぼ全面的に撤回した点だった。
「日本軍の組織的な強制連行による20万人女性の性的奴隷化」という年来の糾弾用語がみな消えてしまったのだ。

 同声明は日本軍の慰安婦への関与の度合いは諸見解があるとして、「強制連行」という言葉を使っていない。
慰安婦の人数も諸説あるとして、「20万人」という数字も記していない。
「性奴隷」との言葉も出てこないのだ。

 声明は慰安婦問題について具体的な事実よりも女性たちが自己の意思に反する行為をさせられたという「広い文脈」をみろともいう。
このへんは朝日新聞のすり替えと酷似している。
やはり日本側からの事実の指摘がついに効果をあげ始めたといえようか。

良識ある米国の歴史学者の登場が待たれますが、そもそも日本のもっている慰安婦に関する資料の英訳化は出来ているのでしょうか?

外務省の怠慢がここまで影響していないことを祈るばかりです。

それにしても本文にも少し登場していますが、「朝日新聞的ごまかし」はいい加減にして欲しいものです。

何はともあれ朝日は、謝罪内容の詳細をまずは英訳して自ら全世界に発信するべきですよね。

新聞社としてこれほど慰安婦問題をこじれさせた責任をとらない、こんなのでいいのでしょうか!?

ただ、事実関係は外務省と朝日の怠慢にもかかわらず、だんだん明らかになっています。

米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに

 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。
調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。

 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。

 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。
そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。

 日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。
だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。

 報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。
調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。

IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。
論文は慰安婦問題について
(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた
(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。
日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)

 【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 
クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。
国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

外務省、しっかりPRしなさいよ!

そして、ハエのような存在も目障りです。

【慰安婦問題】
元朝日の植村隆氏、NYで安倍首相を批判 櫻井よしこ氏らも
2015.5.5

 【ニューヨーク=黒沢潤】元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏は4日、米ニューヨーク市で講演し、集まった約80人を前に「私は激しいバッシングを受けている。この闘いに負けない」と強調した。

 植村氏は「捏造」と指摘される元慰安婦の証言を取り上げた記事(1991年8月)について「捏造だと攻撃することは、慰安婦問題をなきものにしようということにもつながる」と主張。
日本が戦後70年間守り続けてきた「言論の自由」や民主主義への攻撃でもあるとし、「勇気を持って辛い体験を話した慰安婦のおばあさんたちの尊厳をも傷つける」と訴えた。

 一方、日本で1990年代半ばから「歴史修正主義者の動き」が出てきたとして「教科書から慰安婦問題を除くべきだという運動が始まり、そのリーダーの1人が安倍(晋三)首相だ」と批判した。

 また、植村氏非難を繰り広げる言論人として、ジャーナリストの櫻井よしこさんと東京基督教大学の西岡力教授の名を挙げ、櫻井さんについて「暴力的な言辞を繰り返す側に立ち、あおっている」と述べた。

植村氏は、北星学園大への抗議電話などが相次いでいることも紹介した上で、不快感を表明。
かつて、関西地方の女子大への就職が決まっていたにもかかわらず、抗議メールが殺到したこともあり、大学が翻意したことについて「最初、憤ったが、大学側も被害者である」と語った。娘までもネットで誹謗中傷されているとし、「異常な事態だ」と訴えた。

 英語通訳を通じて講演した植村氏は最後に自ら英語で、「I WILL FIGHT(私は闘い続ける)」と強調した。

 植村氏は先月下旬、米国の大学の招待により、中西部シカゴ一帯で全米講演を開始した。
5日には東部プリンストン、8日にはロサンゼルスでも講演する予定だ。

嘘つきが、どの口で言う?

すごい自己愛ですね。

でも日本にとっては迷惑千万ですが・・

櫻井よしこさん、うるさいハエを一刀両断にやっつけちゃってください!


では、5-18生まれの有名人です。

1872年バートランド・ラッセル (英:哲学者,数学者,評論家『西洋哲学史』)、1897年フランク・キャプラ (米:映画監督『或る夜の出来事』)、1909年フレッド・ペリー (英:テニス)、1914年ピエール・バルマン (仏:服飾デザイナー)、1935年畑山博(小説家『いつか汽笛を鳴らして』)、1949年リック・ウェイクマン (英:ミュージシャン(YES/キーボード))、1969年槇原敬之(シンガーソングライター)、1972年窪田義行(将棋棋士)、1973年カズ・ハヤシ (プロレス)、1983年島本理生(小説家)。

おめでとう!

これぞ、古きよき時代の音楽ですね。
Delfonics - Think It Over
まずは、この気になる話題から。

これって、どうしてますか?

どっちが正解? 
トイレの使用後に便器のふたって閉める? 閉めない?
2015/5/10 - マイナビウーマン

洋式トイレにはふたがありますが、外出先などではそのふたが閉まっているのってあまり見たことがないと思いませんか? 
今回はトイレのふたを閉めるのは正しいマナーなのか、そうでないのか女性たちの意見を聞いてみました。

Q.あなたは、トイレ使用後に便器のふたを閉める? 閉めない?

閉める……70.6%
閉めない……29.4%

トイレのふたは閉めるものだという女性が約7割という結果になりました。
では、それぞれの回答ごとに理由を聞いてみましょう。
まずは「閉める」という女性の意見からです。

■湿気・ニオイ対策

・「家では閉めるようにしている。トイレ内に湿気がたまったら嫌なので」(30歳/金融・証券/秘書・アシスタント職)

・「ふたを閉めないとトイレ中にニオイが充満しそうです」(32歳/ソフトウェア/事務系専門職)

ふたを開けっぱなしにしておくとトイレ内にニオイや湿気がこもりそうなので閉めるという女性たち。
確かに狭い個室内ではすぐにニオイや湿気が充満してしまいそうですね。

■節電のため

・「節電、せっかく便座が温まっているのにもったいな。それ以外はマナーなのかな、と思うから。湿気が気になるから」(32歳/金属・鉄鋼・化学/事務系専門職)

・「電気代節約になると聞いてから癖でやるようになった」(30歳/生保・損保/営業職)

便座を温めるタイプのトイレの場合、ふたを閉めておかないと温度が下がってしまってムダに電気を使うので節電のために閉めるという女性もいるようです。

■風水で閉めたほうがいいと聞いたから

・「トイレのふたを開けたままにすると、運気が逃げると聞いたことがあるから」(29歳/マスコミ・広告/その他)

・「風水で、トイレのふたをあけたままだと金運が下がると聞いたことがあるから」(28歳/生保・損保/販売職・サービス系)

・「家のトイレでは風水的に必ず閉めます。公衆トイレは汚いのでなるべく触らないようにしている」(33歳/警備・メンテナンス/事務系専門職)

風水を気にする人はトイレから運気が逃げたり、金運が下がったりすることを気にしてふたを閉める習慣がついているようです。
ただし、自宅のトイレ以外は触りたくないので閉めないという人もいるみたいですね。

では「閉めない」という女性にも理由を聞いてみましょう。

■使うときに開ける手間をはぶくため

・「開けて使用するから閉める必要性がわからない」(27歳/食品・飲料/技術職)

・「開けるのが嫌いなので、開いたままにしておく」(26歳/アパレル・繊維/事務系専門職)

・「閉める必要性がないから。次にまた開けるのも面倒」(24歳/食品・飲料/専門職)

・「次の人が開けるときにすごい菌がつくと聞いたことがあるので」(25歳/印刷・紙パルプ/クリエイティブ職)

自分が使うときにわざわざ開けるのが面倒なので、使ったあとに閉めないようにしているという人もいます。
外出先のトイレについても次の人がふたを開けるときに触らないといけないことを考えて、あえて開けたままにしておくようですね。

トイレの湿気対策や風水的には閉めたほうがいいようですが、自宅以外のトイレについては触るのが嫌だという女性は多いようです。
閉めるのがマナーだと思う女性も多いようなので友だちの家にお邪魔したときには、最初に閉まっていたのか開いていたのかをチェックしておいて使ったあとはその通りにしておくほうがいいかもしれませんね。

おそらく正解はないのでしょうが、私は家のトイレはそのまま、外のトイレで男女兼用の場合は閉め、男性専用の場合はそのままにしています。

では、本題です。

信長、家康、光秀の「歴史」は、すべて秀吉の捏造だった!
嘘だらけの「本能寺の変」
Business Journal 伊藤歩5月14日(木)

 明智光秀の子孫が書いた『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫)が、発売から1年4カ月が経過してもなお売れ続け、27万部を突破する驚異的な売れ行きを見せている。

 著者は明智憲三郎氏。
もともとは三菱電機のシステムエンジニアで、いわゆるプロの学者ではないが、先祖の名誉回復を願う子孫が感情論で書いた本ではなく、国内のみならず海外も含めた膨大な数の文献に当たり、導き出した結論は、これまでの定説を根底から覆すものとなっている。

 約50年間に及ぶ研究の成果を『本能寺の変四二七年目の真実』(プレジデント社)にしたため、2009年に発刊。
この本も当時かなり話題になったが、その後さらに研究を重ねて加筆・修正したものが本書である。

 紙面の関係上、定説と異なる点をすべて網羅することはできないが、大雑把にいえば「光秀の出自も違えば、謀叛の動機も怨恨ではないし、徳川家康も謀叛と無関係どころか実は共犯で、秀吉も事前に謀叛の計画を知っていたから中国大返しも実は神業でもなんでもなかった」というものだ。

 定説は時の権力者・秀吉が、自分に都合の良いストーリーを組み立て、それに合わせてさまざまな文献の書き換えも行われ、利害が一致した家康もそのストーリーに乗り、後の時代に尾ひれがついて出来上がったものと考えられる。
そして後世の学者も、なぜかそこへ乗ってしまったというのである。

●絶大だったNHK大河ドラマのスリコミ効果

 なにしろ戦国時代から江戸幕府開闢までの時代は人気が高い。
織田信長が天下統一を目前にして本能寺の変で逝き、いったんは天下を取った豊臣秀吉が統一を目前にして逝き、徳川家康が江戸幕府を開くまでのこの時代を扱った時代劇はヒットする確率が高く、NHK大河ドラマのみならず、テレビ東京の正月時代劇などでも繰り返し取り上げられてきた。

 特に現在放送中の『花燃ゆ』で54作目となる大河では、信長、秀吉、家康の3人にスポットを当てた作品が『太閤記』(1965年放送)、『国盗り物語』(73年)、『おんな太閤記』(81年)、『徳川家康』(83年)、『信長KING OF ZIPANGU』(92年)、『秀吉』(96年)と、全部で6作もあるうえ、この3人の天下取りを別の主人公の目で捉えたものや、同時代に生きた他の戦国武将をテーマにしたものなどが12作。
54作中合計18作、全体の3割以上がこの時代だ。
ちなみに次に多いのが幕末~明治維新もので11作、日本人が大好きな「忠臣蔵」関連は4作ある。

最近でこそ視聴率低迷に悩む大河だが、かつては驚異的な高視聴率を誇り、国民の歴史認識へのスリコミ効果は絶大だった。
筆者も子供の頃は大河のストーリーこそが歴史的に正しい事実だと思い込んでいた。
実際、ろくに本も読まなかった筆者の日本史の知識は、中学を卒業するくらいまで、ほぼ大河によって形成され、物語中に登場する架空の人物まで実在の人物だと信じていたくらいだ。

 明智氏も、本能寺の変をめぐる定説を、現代に生きる日本人に徹底的にスリこんだのは『新書太閤記』(吉川英治)と『国盗り物語』(司馬遼太郎)であり、この2作品を原作として制作された大河ドラマだと本書中で指摘している。
なにしろ『太閤記』は平均31%、最高39%、『国盗り物語』は平均22%、最高29%もの高視聴率を獲得していたのだから当然だろう。

 62年生まれの筆者の歴史観もまた、まさにこの2作品によって構築されている。
『太閤記』で秀吉を演じた若き日の緒形拳の姿や、信長を演じた高橋幸治の“棒読みなのに怖いセリフ回し”などを記憶している程度だが、『国盗り物語』放送時は小学校5年生となっており、出演者やストーリーなどの記憶は極めて鮮明だ。

 例えば、光秀謀叛の動機は、定説では怨恨だ。
インテリでナイーブな光秀が、粗暴でキレやすい信長からのモラハラやパワハラに悩まされた挙げ句の行動であり、企ては突発的で無計画、しかも単独犯行だった、というものだ。

 光秀の役は『太閤記』では悪役然とした佐藤慶が演じたが、『国盗り物語』では当時31歳の近藤正臣である。
当時の近藤はイケメン路線のど真ん中。
まさに定説のイメージ通りだった。
松坂慶子が演じた信長の正室濃姫も、光秀のいとこであり淡い初恋相手という描かれ方だ。
また定説では濃姫の口利きで光秀は信長の家臣になったといわれているが、明智氏はそういう事実もないと語る。
信長がキレやすく粗暴だったというのも秀吉の創作だというから驚きだ。

●なかなか覆せない定説

 この2作品に限らず、大河はどれも原作者自体が歴史小説の第一人者である。
時代考証にもそれなりの肩書の人が就いて制作されているので、架空の人物が登場することはあっても、学説上の定説から大きく逸脱することはない。

その点こそが、まさに明智氏が問題視している点で、本能寺の変をめぐる定説の元になっているのは江戸時代になって書かれた「軍記物」であって、その「軍記物」のネタ元は秀吉が書かせたPR誌なのだ。
そのPR誌に書かれている事実が、本能寺の変が起きた前後の時代の文献に書かれている事実や、当時日本に来ていた宣教師が母国で残した記録と符合しないのだという。

 例えば、信長が実は中国制圧を考えていたことが、イエズス会の宣教師が書き残した文献に記されているし、家康が謀叛の共犯者だったということも、イスパニア商人が書き残した文献には記述があるという。

 全般に、複数の文献と定説が符合しない点から事実を類推する手法が取られているので、部分的には妄想だと批判する声もあるようだが、この本を読んだ多くの人にとって「すとんと腹に落ちる」類推だからこそ、長期間にわたって驚異的な売り上げを記録し、著者の元には全国から講演依頼が殺到するのだろう。
だが、それでも世間一般の認識を変えるには至っていない。

 少し前まで放送されていたゲームアプリ『モンスターストライク』(ミクシィ)のテレビCMにおける信長と光秀の関係も、定説通りだ。
明智氏が光秀の末裔であることが、かえって研究成果の評価にバイアスをかけているということはないのだろうかという疑問も湧く。

 明智氏の研究成果を検証する歴史小説家が現れ、明智説を踏襲する小説が生まれ、それが大河で放送されて、ようやく明智説は名実ともに市民権を得るのかもしれない。

当時、天下人として絶大な権力を誇っていた秀吉なら、自分に都合のいい歴史への捏造も可能だったと思われます。

こうした市井の一人(著者は光秀の子孫ではありますが)が、様々な文献に当たって新しい歴史の可能性を明るみに出すこと自体が素晴らしいことですね。

最後は、この話題です。

2014年下半期(7月~12月)の雑誌(週刊誌)販売部数が発表されました。

1.週刊文春 
2.週刊新潮
3.週刊現代
4.週刊ポスト
5.週刊大衆
6.週刊朝日
7.アサヒ芸能
8.AERA
9.サンデー毎日
10.ニューズウィーク日本版

1,2位の順位は不動ですが、その差は約9万部あり(文春は43万8千部)、3位と4位も約5万部(現代が31万9千部)の差がついています。

個人的には、「週刊ポスト」好きなんだけどなあ・・

ただ、同期と比べて10%近く販売数は減っているようですので、やはり紙の媒体の苦戦は当分続きそうですね。

では、5-17生まれの有名人です。

1749年エドワード・ジェンナー (英:医師,博物学者,牛痘種痘法を発明)、1866年エリック・サティ (仏:作曲家)、1904年ジャン・ギャバン (仏:俳優『大いなる幻影』)、1909年横山隆一(漫画家『フクちゃん』)、1916年石沢英太郎(小説家『視線』)、1926年氏家齊一郎(経営者,日本テレビ取締役会議長)、1936年デニス・ホッパー (米:俳優,映画監督)、1940年アラン・ケイ (米:コンピュータ技術者,パソコンの原型ALTOを開発)、1961年エンヤ (アイルランド:シンガーソングライター)。

おめでとう!

よいグルーブ感ですね。
The Temptations - Treat Her Like A Lady
まずは、動物の素晴らしい能力です!

長崎→新潟・山形へ、ハト最速競う 追い風で記録
西日本新聞 5月15日(金)

 新潟県や山形県までハトが飛ぶ速さを競うレースが13日、五島市を出発点に開かれ、両県から約130羽が参加した。
主催した日本鳩レース協会羽越ブロック連盟によると、優勝したハトは10時間47分31秒で約1117キロ離れた新潟県に到着。
天候と南西の追い風に恵まれ、分速約1726メートルの過去最高記録を達成した。

 九州を出発地に30年ほど続くレース。
生後2~7年のハトの足に時間を記録するチップを取り付け、飛行距離と時間から計算した分速を競う。
この日は午前6時、五島市下大津町の道路でかごの扉が開かれるとハトが次々に飛び立ち、晴れ渡る空に瞬く間に消えていった。
到着率は例年1割ほどだが、14日までに半数を超える70羽ほどが無事、ふるさとにたどり着いた。

 小黒良作同連盟長(68)は「多くのハトが戻ってきて飼い主や家族が喜んでいる。鳩舎に戻ってくる感動と感激は言葉にはできません」と声を弾ませていた。

休み無しで飛んで帰ってきたとすれば、時速に直すと、103.56Kmの速さです!

そしてあの小さな体で11時間近く飛び続けられる体力はどこに秘められているのでしょうか?

しかも、なぜわき目も振らずそれほど一生懸命に!??

賢いぞ、伝書鳩。

小、中学生時代に私も実家で鳩を飼っていましたが、何匹かレース中に道に迷ったのか足環(登録ナンバー付き)をつけた伝書鳩がわが鳩小屋にも紛れ込んできました。

数日の滞在でしたが、仲間意識の強い鳩ですので新参者はイジメられて小屋の隅で小さくなっていました。

しかし、賢そうな顔つき(長年飼っているとなんとなくわかります)と無駄のない体型はさすが伝書鳩だなあと、つくづく血統の差を思い知らされもしました。

鳩を飼っている人なら、こうした「緊急避難的おもてなし」は当たり前で、無事帰還したときの飼い主の喜びがわかるだけに、迷い込んだ鳩は手厚く保護します。(怪我をしていれば、ヨーチンをつけて様子を見ます)

では、伝書鳩について、日本伝書鳩協会のHPでもう少し詳しくみてみましょう。

■伝書鳩が起源
 レース鳩 は、飛翔能力と帰巣本能が優れ、1000km以上も上離れた地点から巣に戻ることができるといわれています。
古くは、伝書鳩とも言われ、遠隔地へ伝書鳩 を輸送し、 脚に通信文を入れた小さな筒を付けて放鳩し、飼育されていた鳩舎に戻ってきたところで通信文を受け取るといった方法で通信手段として用いられていました。
 通信文だけでなく、伝書鳩が持てるような小さな荷物を運ぶこともありました。
もっとも、1000km以も上離れた地点からの帰巣では、 伝書鳩が迷って戻れなくなったり、猛禽類などに襲われて命を落とすこともあったため、通常は200km以内での通信・運搬等に使われていました。
 電気などのエネルギーが必要ない、フィルムや薬品等、比較的軽量な物資を運搬できるなど、無線通信などに比べて利点もあるため、 軍事用・報道用(主に新聞社や通信社)の通信手段として1960年代頃まで広く使われていましたが、 近年は通信手段の発達によってその役目を終え、現在では実際に物資の運搬に使われることは殆どありません。
しかし、 この特性を利用して、遠隔地からの帰巣速度を競う「鳩 レース」 が各地で開催されるようになり、呼称も伝書鳩からレース鳩 へ移りました。
今では、人間には無い飛行能力を利用する例として使役動物となっており、脚環の 装着と所有権登録、迷い鳩の引き取り、ワクチンの接種などが義務化されています。

■帰ってくることが最大の醍醐味
 実際の鳩レースとは、複数の愛 鳩家が各自の飼育している鳩を持ち寄って、同一地点から(放鳩地といいます)から同時に放鳩し、 誰の鳩が速く帰ってくるかを競うものです。
条件を公平にするため、放鳩地から各自の鳩を飼育している鳩舎までの距離を正確に測定して、 鳩が帰ってくるのに要した時間で割り、1分間のスピード(分速)を出して比較します。
 この時間を正確に測定するために、レースに参加するのには、 記録機という特殊な時計が必要となります。
鳩は予めそれぞれに割り当てられた番号を控えられた 脚輪を脚につけて放たれます。
鳩舎に帰ってきた時に待ち構えていた飼い主がこの脚輪を外し、記録機に入れて帰還した時間を記録するのです。
また、最近では記録機として自動的に帰還時間を記録する電子入舎システムの使用も認められ、 鳩レースもデ ジタル化に向かいつつあります。 
 なお鳩レースは、全ての鳩が確実に自身の巣に帰れるわけではありません。
途中、道にはぐれるもの、猛禽類などに襲われるもの など、距離が延びていくにつれ、無事には帰れないケースが多くなってきます。
1000Kレースにいたっては、1割程度の帰還率です。
ですから、無事に帰ってきた時の飼い主の喜びは ひとしおであり、またこれこそが鳩レースの醍醐味でもあります。

ちなみに、乃木坂46の西野七瀬は太った鳩を見るのが大好きだそうです。(かわいい!)

では、良い子に関連した次の話題です。

怪奇! PTAの仕事はなぜ減らないのか? 
東洋経済オンライン 大塚 玲子 5月15日(金)

子どもがいる人は、ほぼ誰もがかかわることになるPTA(Parent-Teacher Association)。
学校と保護者、地域との橋渡し役を期待されるこの組織には、さまざまな謎や問題がつきまといます。
いったいPTAとどうかかわるべきか?
 『PTAをけっこうラクにたのしくする本』の著者・大塚玲子が迫ります。

■ 「仕事量を減らしたい!」は親共通の願い

 先の大型連休をまたいで、朝日新聞がPTAについての公開アンケートを行いました(アンケート第1弾:2015年4月23日~5月7日)。
回答数は、なんと2000件超え。
30~50代を中心に、多くの人たちがPTAの問題に関心を寄せていることがわかりました。

アンケート結果はWeb上で誰でも閲覧できます。
これを見ると、「PTAの仕事量は多すぎるので、もっと減らすべきだ」と感じている人が多いことがはっきりとうかがえます。
たとえば、「PTAに改善してほしいことは?」という問いに対し、「活動内容の簡素化」と回答した人は約7割(67.5%)。
同アンケート結果の一部は、5月3、4、10日の同紙にも掲載されました(筆者へのインタビュー記事もあります)。 今は子どもの数が減っていますが、それに伴って保護者の数も減っています。
その分、保護者にかかる活動負担は増しているわけです。
さらに共稼ぎやひとり親など、働く母親も増えており、昔はPTA活動の主な担い手だった専業母がずっと減っています。

 それなのに仕事量は昔のままか、あるいは増えてさえいるのですから、スリム化が望まれるのは当然のことでしょう。

 「具体的に、何がいらない仕事か」ということについては、人によって、あるいはPTAによって意見が異なるでしょうが、たとえば筆者がこれまで取材してきた中でしばしば耳にしたのは、次のような意見です。

・PTAでは啓発や交流を目的として、識者による講演会や、習いごとふうの講習会(例/フラワーアレンジメント)などがよく開かれる。
しかし、企画したものの人気がなく、参加者が集まらないからという理由で、学級委員などが強制的に参加させられる。
このような動員はもちろんのこと、そもそも人が集まらないようなイベント自体、やるべきではない。
・運動会の写真など、学校行事の様子をPTAが発行する新聞に掲載し配布しているが、その作成担当になる広報委員はいつもなり手がいない。
くじ引きなどで無理やり人を選出してまで広報紙を作成する必要はない。
・PTAによっては「ベルマーク委員」というものがある。
ベルマークを切り取って、種類ごとに分けて台紙に貼り付けるのが仕事だが、時間と手間がかかりすぎる。
仕事をしている身にはつらい。
同額をおカネで寄付してもいいから、免除してほしい。

 ほかにもいろいろな意見がありますが、要はPTAのそもそもの目的である「子どものため」とは言いがたい活動、あるいはいくら「子どものため」とはいえ手間がかかりすぎる、あるいはやりたい人がいない活動については、「削ったほうがよい」と感じる人が多いようです。

■ 減らせばいいのに、なぜ減らない? 

 「だったら、とっとと仕事を減らせばいいじゃない」と思われるでしょうが、PTAの仕事というのは、なぜかなかなか減りません。

 なぜPTAの仕事は減らないのでしょうか?  
まずはそこから考えてみましょう。

●理由1 手間暇かけて変えるより、「前年どおり」が無難だから
 ひとつには、「子どものため」というPTAの本来の目的が忘れられ、「前年どおりにやること」が目的化してしまっているから、という原因が考えられます。

 なぜそうなるかというと「前年どおり」が、最も手間もリスクも少なくて済むからです。

 仕事を減らすことを含め、「それまでのやり方を変える」となると、会員みんなの合意形成に時間や労力がかかります。
また責任者(主にPTA会長や本部役員)は、変更に反対する人から苦情を受けるリスクも背負うことになります。

その点、「前年どおり」は“安全な近道”です。
みんなに意見を聞く必要がありませんし(もちろん本当は「前年どおりでよいか」を確認したほうがいいのですが、聞かなくても文句を言われることは少ないので、多くの場合は省かれます)、苦情を受けるリスクも高くはありません。

 もし何年もずっとかかわり続ける組織であれば、「手間やリスクを引き受けてでも、活動を見直そう」という人が出てきやすいのかもしれませんが、PTAの場合、保護者がかかわるのは子どもが学校に在籍する6年(あるいは3年)、または役員を引き受けている間だけのことです。

 「そこまでの手間はかけられない」と判断して、「とりあえず前年どおり」を踏襲し、お役目を終える人が多いのも無理はありません。

 そのため、「これ、誰のため?」と首をひねるような仕事でも継続されやすいのです。

●理由2「子どものため」の範囲が広すぎるから
 もうひとつの理由は、「子どものため」というPTAの目的が、漠然としすぎているからではないでしょうか。

 「子どものため」というと、かなり広範囲な活動が含まれ、削りづらくなってしまうのです。

 たとえば、昔からPTAで行われている「保護者(多くの場合、お母さん限定)のバレーボール活動」。
「不要では?」という声もしばしば聞きますが、「保護者同士が親睦を深めれば、間接的に子どもにいい影響を与える」と考えることもできます。

 ほかにも、花壇の手入れ(学校の手伝い)や広報紙の発行、保護者向けの講演会、ベルマーク活動……等々、ほとんどの活動が「子どものため」ということができてしまいます。

 仕事を増やすのは簡単です。
「子どものために、こういう活動をやりましょう」と言われたら、それは「いいこと」ですから、みんな反対はしづらいものです。

 逆に、仕事をやめるのは困難です。
「子どものためにやってきたことをやめよう」というのは「悪いこと」のように見えがちなので、大きな声を上げにくいからです。

 そのため、PTAの仕事は「減りにくく、増えやすい」ことになります。

 最近は、学校の先生の仕事量が多すぎることもよく問題になっていますが、これも同じ仕組みによるのではないでしょうか。

 学校もつねに「子どものため」を求められますが、その中身が漠然としているため、仕事が肥大化していきやすいのでしょう。

■ 「子どものため」の“どこ”を担うか絞り込む

 では、どうすればこのような状態から脱して、PTAの仕事を減らすことができるのでしょうか? 

 基本はやはり、PTA活動そもそもの目的を思い出し、活動を見直すことでしょう。

 まずは「子どものため」になっていない活動を省くこと。
たとえば「強制的な動員、および動員が必要になるようなつまらない講演会や講習会はやめる」といったことから始めてはいかがでしょう。

 次に、「子どものため」という中身を、もう少しはっきりさせてはどうでしょうか。
「子どものため」という中で、どういった部分を受け持つべきか、それぞれのPTAで話し合って限定するのです。

 たとえば、次のようなポイントで絞り込むのもいいでしょう。

1、保護者が集まって協力したほうが実現しやすい「子どものため」のことかどうか

2、または、保護者と先生がお互いに協力したほうが実現しやすい「子どものため」のことかどうか
  具体的に上記に該当する活動を考えると、たとえば「子どもたちが楽しめるお祭りをやる」「学校近辺(通学路)の危険箇所をチェックして改善要望を出す」などといったものが考えられます。
これらを「PTAで最低限やる仕事」と決めてしまうのです。

 そして、これまでPTAがやってきたそのほかの活動――広報紙の発行や保護者向けの講演会(ただし動員などかけなくてもおのずと人が集まるものに限定)、ベルマーク等々――は「オプション」として、あくまで「やりたい人がいたときに、やる活動」と位置づけておくのです。
そうすれば、やりたくない人がいやいや活動することはなくなります。

 以上は、あくまでも“一例”です。
こんなふうに、それぞれのPTAで「具体的にどんな活動を行うか」を考えていけばよいと思うのです。

■ 具体的には「アンケート」を活用する

 とはいえ、実際にこういったPTAの根本にかかわる問題をみんなで話し合うのは、なかなか難しいことでしょう。
場合によっては結論が出ず、具体的な活動の削減にまでたどり着けないかもしれません。

 そんなときにおすすめしたいのが、「アンケートをとる」という方法です。
すべての会員に質問用紙を配り、PTAがこれからどんな活動をしていくべきか、具体的に意見を聞いてみるのです。

 たとえば、これまでPTAが行ってきたイベントや、各委員会が担ってきた活動をすべてリストアップし、それぞれについて「今後も続ける必要があるかどうか」をひとつずつチェックしてもらうのもいいでしょう。

 集計して「必要性が低い」と判断された活動については、やめること、あるいはやり方を変えることを検討してはどうでしょうか。

 ただし冒頭にも書いたように、仕事を減らすなど、これまでのやり方を変えようとすると、多かれ少なかれ手間やリスクが発生します。

 現在、本部役員をやっている人が提案するのであれば比較的スムーズかもしれませんが(ほかの役員さんから反対を受ける可能性もありますが)、一般会員が提案した場合、却下されることもあるでしょう。

 そういったときは、たとえばアンケートの文案作成や集計作業を引き受けるなど、できるかぎり本部役員の負担が少なくて済むよう、サポートを申し出てみてはどうでしょうか。

 それでも難しいときは、焦らずに1年(あるいは数年)待って、自分が本部役員になったうえで提案し直すのもいいと思います。

 PTA活動の見直しは、慌てると高い確率でつまずきます。
どうか焦らず&あきらめずに、じっくりとトライしてもらえたらと思います。

PTAの数は学校の数だけあるにもかかわらず、その活動内容の実態が全国で共有されたりすることがないようです。

もちろん、地域の特性ややり方みたいなものもあるのでしょうが、成功例(なにを成功と呼ぶのかは定義によって違ってきますが)を発表しあう機関誌のようなものがあってもいいと思います。

2010年の文科省発表のデータでは、小学校は22000校、中学校は10814校、高校は5116校で合計すれば37930校となりますので、このくらいのPTAの数も存在しているわけです。

PTAの活動費から各PTA会から1,000円捻出するだけで、年間3700万円くらいの金額が集まります。

これだけあれば、季刊(年4回)も可能ですね。

よりよいPTA活動を可能にするためにも、運営の無駄を省き、役員が効率よく活動でき、それがよい教育環境づくりに役立つような事例が全国で共有できれば、PTAの会合自体も楽しくやりがいが感じられるようになるかもしれませんので、千円は安いものでしょう。

著者の大塚さんも、言いだしっぺとしての行きがかり上、ここまで面倒を見れば、現状あるPTAの閉鎖的な世界が大きく変わるかもしれませんので、是非もう一踏ん張り頑張ってほしいものです。


最後は訃報ですが、またレジェンドが去りました。

ブルース界の巨匠B・B・キング氏死去 89歳 
自宅でホスピスケア
スポニチアネックス 5月15日(金)

 「ブルースの王様」と呼ばれた米国を代表するブルースギタリストで歌手のB・B・キング氏が亡くなったことが15日、分かった。
89歳。米メディアなどが報じた。
20年以上患っていた糖尿病による脱水症のため4月上旬に緊急入院。
今月2日、米ラスベガスにある自宅でホスピスケアを受けると発表していた。

 1925年、ミシシッピ州生まれ。
50年代から現在まで第一線で活躍してきたブルース界の巨人。
87年、ロックの殿堂入りを果たす。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」で2003年3位、11年(改訂版)6位。

 69年に「Thrill Is Gone」のリメークを発表し、翌年にグラミー賞を受賞するなど、ヒット曲は数知れず。
「ザ・ビートルズ」ら多くのミュージシャンに影響を与えた。

合掌。

では、5-16生まれの有名人です。

1898年溝口健二(映画監督『雨月物語』)、1905年ヘンリー・フォンダ (米:俳優)、1923年池宮彰一郎(池上金男)(小説家『四十七人の刺客』,脚本家)、1946年ロバート・フリップ (英:ミュージシャン(キング・クリムゾン/ギター))、1953年ピアース・ブロスナン (アイルランド:俳優)、1966年ジャネット・ジャクソン (米:歌手)、1973年藤田晋(経営者,サイバーエージェント社長)。

おめでとう!

ロッド・スチュアートのカバーで有名ですがこちらが原曲です。
そして、彼ももちろんBBキングの影響を受けていた一人です。
Curtis Mayfield - People Get Ready