女の戦い、始まりました!
日本 リオ五輪へ快勝発進!
初戦アルゼンチンにストレート勝ち
スポニチアネックス 8月22日(土)
リオデジャネイロ五輪出場権を懸けたバレーボールのワールドカップ(W杯)女子大会は22日、東京・国立代々木競技場などで開幕。
12年ロンドン五輪銅メダルで世界ランキング4位の日本は東京・国立代々木競技場で、同14位のアルゼンチンと対戦し、25―16、25―19、25―12で快勝、好スタートを切った。
第1セットは途中9―10とリードを許す場面もあったが、木村の連続サービスエースなどでリードを広げ、最後も木村のスパイクでこのセットを物にした。
第2セットも中盤16―16ともつれたが、終盤一気に突き放した。
セッターの宮下ら控えを起用した第3セットは序盤からリードを広げそのまま逃げ切った。
大会は12チームの総当たりで争われ、2位までが出場権を獲得する。
日本は23日は、世界ランキング7位のロシアと対戦する。
今回の日本女子チームはかなり本気です。
なぜそう思うのか!?
ビジュアル重視で選手選考しなくなっているからです。(まだ完全ではありませんが・・)
最近、勝利という結果を残せなくなっている日本としては、今大会は開催国だしなりふり構っていられない状況なのではと勝手に推測します。
そして・・
北京で世界陸上も始まりました。
PM2.5は大丈夫なのか!?
【世界陸上】男子マラソン藤原は21位、前田40位と惨敗
リオ切符ならず
スポーツ報知 8月22日(土)◆世界陸上第1日(22日、中国・北京)
開幕して男子マラソンが行われ、藤原正和(34)=Honda=は2時間21分5秒で21位に終わった。
藤原は先頭集団から21キロ付近で後れ、8位入賞した日本選手トップに与えられる来年のリオデジャネイロ五輪切符獲得はならなかった。
前田和浩(34)=九電工=は2時間32分48秒で40位と惨敗した。
1999年セビリア大会から8大会連続で入賞を続けている日本勢は、9大会ぶりに入賞を逃した。
19歳の新星、ギルメイ・ゲブレスラシエ(エリトリア)が35キロ過ぎにトップに立ち、2時間12分27秒で同国勢初の金メダルを獲得した。(記録は速報タイム)
ギルメイ・ゲブレスラシエ「スローペースの展開でチャンスがあると思った。金メダルは本当にうれしい。大きな大会で強い選手に競り勝てて自信になる」
前田和浩「残念な結果。19キロすぎから両脚にけいれんがきた。力不足。練習は今までで一番やってきていたので悔しい。一からやり直したい」
藤原正和「先頭集団につきたかったけれど、脚が動かなかった。スローペースの中でも上げ下げがあって、前半で力を使ってしまった」
宗猛コーチ「30~35キロまで先頭にいないと勝負にならない。現実を突きつけられた。世界との差は相当ある。その差をどう埋めていくか。若手に期待していくしかない」
桐生選手の欠場している大会なので、あまり期待しないで見守りましょう。
ただ、この競技だけは興味あります!
日本史上初の入賞可能性を持つ男。
十種競技の「キング」、右代啓祐。
Number Web 8月22日(土)
過去、世界陸上選手権で日本勢の注目種目と言えば、マラソン、400mリレー、そして室伏広治のいたハンマー投、さらには世界水準の選手が相次いでいたやり投だった。
しかし今年の大会(8月22日開幕、中国・北京)に向けては、桐生祥秀が脚の故障で戦列離脱、室伏は休養中と、注目選手が出場しない。
それだけに、一般的な注目度は、あまり上がっていないかも知れない。
だがその一方で、陸上競技ファンの間では、新たな注目種目が出てきている。
十種競技だ。
昨年、第一人者の右代啓祐(29=スズキ浜松AC)が8308点というワールドクラスの点数で日本記録を樹立、仁川アジア大会では、この種目で24年ぶりの金メダルを日本にもたらした。
十種競技は、欧州では人気の高い種目。
走る、跳ぶ、投げるの総合力が問われるため、勝者は「キング・オブ・アスリート」の称号を得る。
1人の選手が複数の種目を行う混成競技は古代オリンピックでも実施されており、当時も、こうした総合力で優れているアスリートが、尊敬を受けていた。
近代オリンピックが始まって以降も、混成競技といえば欧米勢がリードしてきた。
1904年の第3回セントルイス五輪から行われてきた混成競技において、欧州、北中米以外の地域から出たメダリストは、1960年のローマ五輪の十種競技で銀メダルを獲得した楊伝広(台湾)だけだ。
日本人は五輪史上12位が過去最高。
日本勢は五輪史上、1920年と1928年に記録した12位が最高の順位となっている。
短距離の100mなどと同様に欧米がリードしてきた種目において、右代は今年の世界選手権、そして来年のリオデジャネイロ五輪で、日本勢初の8位入賞を狙えるレベルまで成長してきたのである。
前回の世界陸上2013年モスクワ大会で、十種競技のレベルは高かった。
8位の記録は8370点。
今年の北京大会でも、やはり8300点が入賞のラインになると予想できる。
今年の右代は、スタートでやや調子が上がらなかった。
4月の日本選抜陸上和歌山大会では7739点で2位。
中でも、得意なはずの棒高跳が4m60(自己ベスト4m90)、やり投が61m75(自己ベスト73m82)に終わっていた。
5月にはオーストリアで開催された混成競技の大会、ゲーチス大会で7927点、ここで、やり投は64m68と記録を伸ばしたものの、棒高跳は再び4m60に終わって、8000点オーバーはならなかった。
棒高跳の難しさを示すブブカの言葉。
棒高跳でうまくいかなかった理由は、2大会とも同じだった。
踏み切ったあと、ポールを十分に曲げることができず、バーに向かって上昇していく際の、足の振り上げ動作がうまくいかなかったのだ。
この結果を受けて右代は、棒高跳に集中した練習をするため、オーストリアから帰国すると、ナショナルトレーニングセンターで体操競技の練習場を借りて、空中動作の改善に取り組んだ。
「僕は腕の力があるので、つい力でごまかしちゃう。
腕の力で上がるのではなくて、下半身のスイングを使って、逆さまになる(倒立する)動作を、平行棒やつり輪で、徹底的にやりました」
実際、棒高跳の世界記録保持者(屋外)であるセルゲイ・ブブカ(ウクライナ)も「棒高跳は、踏み切るまでは陸上競技だが、踏み切ったあとは体操競技」と語っている。
集中練習により、硬くより高く跳べるポールを習得。
棒高跳の記録は、使用するポールの長さと硬度によってある程度決まってくる。
短いポールでは高く跳べない。
また同じ長さでも、硬度の高いポールのほうが、踏み切って曲がったあと、伸びていく時により勢いがつくため、高く跳べる傾向にある。
6月の集中的な棒高跳強化によって、右代は昨年まで使用していたポールより、硬度の高いものを使いこなせるようになった。
その成果は、7月4日、5日の日本選手権で見ることができた。
4m60から跳び始めて、4m70、そして4m80も1回目でクリア。
ポールを使いこなせていない時は、踏み切ったあと上昇しながら足でバーを落としてしまうことが多い。
しかしこの大会ではそのような失敗はなく、ポールを十分に曲げてから上昇していくという、いい形のジャンプばかりだった。
右代は196㎝、95㎏という巨体。
棒高跳の選手にはこれほどの体格の選手はいないため、この体が宙を舞う右代の棒高跳は、迫力がある。
日本選手権では1日目、100m11秒35、走幅跳7m01、砲丸投15m65(自己記録)、走高跳2m03、400m50秒52。
2日目は110m障害15秒00、円盤投49m33、棒高跳4m80と、ここまでは8200点も狙えるペースだったが、73m82の自己記録を持つ得意種目のやり投が61m72に終わった。
投てきの際、得意にしている向かい風にも恵まれて「(向かい風が)きた、狙うぞ、みたいになっちゃって。
落ち着いて、試合運びができなかった」と悔やんだ。
最終種目の1500mは4分38秒97で、8058点で6連覇となった。
もう1人日本人がいることも右代にとって追い風。
課題になっていた棒高跳は安定してきており、あとは得意のやり投で、本来の投てきができるかどうか。
これができれば世界選手権の8位入賞も狙えるだろう。
2013年の世界選手権では、7751点で22位だった。
2014年のアジア大会は8088点で金メダル。
国際大会での成績もステップ・バイ・ステップで上がってきている。
また今年の世界選手権には、スズキ浜松ACの後輩でもある中村明彦も出場する。
自己記録8043点、日本人選手として2人目の8000点オーバーをマークした中村は、右代とは対照的な、トラック種目を得意にしているスピード系の選手。
日本人選手が2人、十種競技で世界選手権に出場するのは22年ぶりのこと。
競技は2日間にわたるだけに、励まし合える選手がいる中で競技ができるのは、右代にとっても心強いはずだ。
得意種目の跳躍と投てきでは、十分、世界のトップレベルとも競り合えるはず。
日本の「キング・オブ・アスリート」右代に、北京で躍動してほしい。
(「世界陸上PRESS」小川勝 = 文)
右代 啓祐(うしろ けいすけ、1986年7月24日 - )は、日本の陸上競技選手。
専門は十種競技で現在の日本記録保持者。
北海道江別市出身。
国士舘大学体育学部卒業、国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科博士課程在学中。
スズキ浜松アスリートクラブ所属。
身長196cm。体重95kg。血液型A型。
競技経歴:
大麻東中学校で陸上部に属し、1年生でハードル走、2年生で100m、砲丸投、走高跳の三種競技Aに取り組んだ。
1年で168cmだった身長が2年で183cm、3年で188cmと急激に伸び、膝の痛みを誘発するオスグッド病によって思い切り練習ができなかったという。
中学では通信陸上北海道大会での走高跳3位が最高位。
札幌第一高等学校の大町和敏監督に推薦入学の打診を受け同校へ入学。
成績は1年生でインターハイ北海道地区大会・走高跳9位。
秋の新人戦では、出場枠の問題でやり投に出場。
走高跳の練習中に骨盤を剥離骨折し、ウエイトトレーニングしか練習できない冬を過ごしたという。
2年生の春にはオスグッド病も完治し、走高跳とやり投でインターハイへ進んだ。
高校2年の冬、大町監督から八種競技への転向の打診を受け、初戦の札幌支部大会で5606点の北海道新記録をマーク、3試合目でインターハイ2位となった。
大学は監督の母校国士舘大学へ進学した。
1年で日本ジュニア選手権優勝、2年次に7055点、3年次に7166点を記録。
4年生次に全日本インカレと日本選抜和歌山で優勝している。
大学での自己ベストは7512点であった。
2009年に卒業し大学院へ進学。
この年の日本選抜和歌山大会で日本歴代2位の7930点をマーク。
2011年、スズキに入社する。
同年6月の日本選手権混成競技で日本人初となる8000点超えの8073点をマーク、日本記録を塗り替えた。
同時に世界選手権参加B標準(8000点)を突破した。
同年8月27日、韓国・大邱(テグ)で開催された世界陸上競技選手権大会では7639点の20位であった。
2012年6月、日本選手権で自身2度目の8000点オーバーとなる8037点を記録して3連覇を達成し、この種目で1964年東京オリンピックに出場した鈴木章介以来、日本選手48年ぶりとなるロンドンオリンピック出場が決まった。
8月、ロンドンオリンピックに出場して7842点で20位に終わった。
2013年11月 大阪高槻市にあるスポーツクラブトライにて中川隆が提唱するトライ体幹理論を3日間18時間に及ぶパーソナル合宿で直接学んだ。
右代は2014年の日本記録更新時の取材にて、この時に体の正しい使い方を学べた事で自分の意思で記録を更新出来たと語っている。
2014年4月27日、日本選抜陸上和歌山大会で8143点を記録し日本記録を更新、さらに6月1日の日本選手権混成競技では自身の掲げる目標(8300点)を越える8308点を記録し、日本新で5連覇を達成した。
同年の9月30日から10月1日にかけて行われた2014年アジア競技大会(韓国・仁川)では8088点を記録し金メダルを獲得した。
同年12月22日に東京で開かれた日本陸上競技連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」では年間最優秀選手に選ばれた。
2015年7月5日の第99回日本選手権では8058点で同大会6連覇を達成、世界陸上北京大会の日本代表に内定した。
十種競技記録:
順に種目、記録、ポイント、(自己最高記録)
・100m 11秒24 808 (11秒14)
・走幅跳 7m15 850 (7m45)
・砲丸投 15m19 801 (15m65)
・走高跳 2m03 831 (2m06)
・400m 49秒66 830 (49秒66)
・110mH 14秒90 862 (14秒90)
・円盤投 50m17 874 (50m17)
・棒高跳 4m80 849 (4m90)
・やり投 69m11 876 (73m82)
・1500m 4分32秒62 727 (4分26秒68)
十種競技 8308pts.
全ての自己記録を更新できれば優勝も見えてきます。
ただ、彼の身長が196cmで、高飛び記録206cmということは、10cmしか飛び上がってないということですよね。
普通に考えればこの記録が一番更新しやすいのではないかと思いますが、是非とも頑張ってほしいものです。
結果はこのブログで!
では、8-23生まれの有名人です。
1852年アーノルド・トインビー (英:経済学者)、1912年ジーン・ケリー (米:舞踊家,俳優,振附師)、1946年キース・ムーン (英:ミュージシャン(The Who/ドラムス))。
おめでとう!
クリスタルボイスで清涼感を!
Sam - Olivia Newton John
日本 リオ五輪へ快勝発進!
初戦アルゼンチンにストレート勝ち
スポニチアネックス 8月22日(土)
リオデジャネイロ五輪出場権を懸けたバレーボールのワールドカップ(W杯)女子大会は22日、東京・国立代々木競技場などで開幕。
12年ロンドン五輪銅メダルで世界ランキング4位の日本は東京・国立代々木競技場で、同14位のアルゼンチンと対戦し、25―16、25―19、25―12で快勝、好スタートを切った。
第1セットは途中9―10とリードを許す場面もあったが、木村の連続サービスエースなどでリードを広げ、最後も木村のスパイクでこのセットを物にした。
第2セットも中盤16―16ともつれたが、終盤一気に突き放した。
セッターの宮下ら控えを起用した第3セットは序盤からリードを広げそのまま逃げ切った。
大会は12チームの総当たりで争われ、2位までが出場権を獲得する。
日本は23日は、世界ランキング7位のロシアと対戦する。
今回の日本女子チームはかなり本気です。
なぜそう思うのか!?
ビジュアル重視で選手選考しなくなっているからです。(まだ完全ではありませんが・・)
最近、勝利という結果を残せなくなっている日本としては、今大会は開催国だしなりふり構っていられない状況なのではと勝手に推測します。
そして・・
北京で世界陸上も始まりました。
PM2.5は大丈夫なのか!?
【世界陸上】男子マラソン藤原は21位、前田40位と惨敗
リオ切符ならず
スポーツ報知 8月22日(土)◆世界陸上第1日(22日、中国・北京)
開幕して男子マラソンが行われ、藤原正和(34)=Honda=は2時間21分5秒で21位に終わった。
藤原は先頭集団から21キロ付近で後れ、8位入賞した日本選手トップに与えられる来年のリオデジャネイロ五輪切符獲得はならなかった。
前田和浩(34)=九電工=は2時間32分48秒で40位と惨敗した。
1999年セビリア大会から8大会連続で入賞を続けている日本勢は、9大会ぶりに入賞を逃した。
19歳の新星、ギルメイ・ゲブレスラシエ(エリトリア)が35キロ過ぎにトップに立ち、2時間12分27秒で同国勢初の金メダルを獲得した。(記録は速報タイム)
ギルメイ・ゲブレスラシエ「スローペースの展開でチャンスがあると思った。金メダルは本当にうれしい。大きな大会で強い選手に競り勝てて自信になる」
前田和浩「残念な結果。19キロすぎから両脚にけいれんがきた。力不足。練習は今までで一番やってきていたので悔しい。一からやり直したい」
藤原正和「先頭集団につきたかったけれど、脚が動かなかった。スローペースの中でも上げ下げがあって、前半で力を使ってしまった」
宗猛コーチ「30~35キロまで先頭にいないと勝負にならない。現実を突きつけられた。世界との差は相当ある。その差をどう埋めていくか。若手に期待していくしかない」
桐生選手の欠場している大会なので、あまり期待しないで見守りましょう。
ただ、この競技だけは興味あります!
日本史上初の入賞可能性を持つ男。
十種競技の「キング」、右代啓祐。
Number Web 8月22日(土)
過去、世界陸上選手権で日本勢の注目種目と言えば、マラソン、400mリレー、そして室伏広治のいたハンマー投、さらには世界水準の選手が相次いでいたやり投だった。
しかし今年の大会(8月22日開幕、中国・北京)に向けては、桐生祥秀が脚の故障で戦列離脱、室伏は休養中と、注目選手が出場しない。
それだけに、一般的な注目度は、あまり上がっていないかも知れない。
だがその一方で、陸上競技ファンの間では、新たな注目種目が出てきている。
十種競技だ。
昨年、第一人者の右代啓祐(29=スズキ浜松AC)が8308点というワールドクラスの点数で日本記録を樹立、仁川アジア大会では、この種目で24年ぶりの金メダルを日本にもたらした。
十種競技は、欧州では人気の高い種目。
走る、跳ぶ、投げるの総合力が問われるため、勝者は「キング・オブ・アスリート」の称号を得る。
1人の選手が複数の種目を行う混成競技は古代オリンピックでも実施されており、当時も、こうした総合力で優れているアスリートが、尊敬を受けていた。
近代オリンピックが始まって以降も、混成競技といえば欧米勢がリードしてきた。
1904年の第3回セントルイス五輪から行われてきた混成競技において、欧州、北中米以外の地域から出たメダリストは、1960年のローマ五輪の十種競技で銀メダルを獲得した楊伝広(台湾)だけだ。
日本人は五輪史上12位が過去最高。
日本勢は五輪史上、1920年と1928年に記録した12位が最高の順位となっている。
短距離の100mなどと同様に欧米がリードしてきた種目において、右代は今年の世界選手権、そして来年のリオデジャネイロ五輪で、日本勢初の8位入賞を狙えるレベルまで成長してきたのである。
前回の世界陸上2013年モスクワ大会で、十種競技のレベルは高かった。
8位の記録は8370点。
今年の北京大会でも、やはり8300点が入賞のラインになると予想できる。
今年の右代は、スタートでやや調子が上がらなかった。
4月の日本選抜陸上和歌山大会では7739点で2位。
中でも、得意なはずの棒高跳が4m60(自己ベスト4m90)、やり投が61m75(自己ベスト73m82)に終わっていた。
5月にはオーストリアで開催された混成競技の大会、ゲーチス大会で7927点、ここで、やり投は64m68と記録を伸ばしたものの、棒高跳は再び4m60に終わって、8000点オーバーはならなかった。
棒高跳の難しさを示すブブカの言葉。
棒高跳でうまくいかなかった理由は、2大会とも同じだった。
踏み切ったあと、ポールを十分に曲げることができず、バーに向かって上昇していく際の、足の振り上げ動作がうまくいかなかったのだ。
この結果を受けて右代は、棒高跳に集中した練習をするため、オーストリアから帰国すると、ナショナルトレーニングセンターで体操競技の練習場を借りて、空中動作の改善に取り組んだ。
「僕は腕の力があるので、つい力でごまかしちゃう。
腕の力で上がるのではなくて、下半身のスイングを使って、逆さまになる(倒立する)動作を、平行棒やつり輪で、徹底的にやりました」
実際、棒高跳の世界記録保持者(屋外)であるセルゲイ・ブブカ(ウクライナ)も「棒高跳は、踏み切るまでは陸上競技だが、踏み切ったあとは体操競技」と語っている。
集中練習により、硬くより高く跳べるポールを習得。
棒高跳の記録は、使用するポールの長さと硬度によってある程度決まってくる。
短いポールでは高く跳べない。
また同じ長さでも、硬度の高いポールのほうが、踏み切って曲がったあと、伸びていく時により勢いがつくため、高く跳べる傾向にある。
6月の集中的な棒高跳強化によって、右代は昨年まで使用していたポールより、硬度の高いものを使いこなせるようになった。
その成果は、7月4日、5日の日本選手権で見ることができた。
4m60から跳び始めて、4m70、そして4m80も1回目でクリア。
ポールを使いこなせていない時は、踏み切ったあと上昇しながら足でバーを落としてしまうことが多い。
しかしこの大会ではそのような失敗はなく、ポールを十分に曲げてから上昇していくという、いい形のジャンプばかりだった。
右代は196㎝、95㎏という巨体。
棒高跳の選手にはこれほどの体格の選手はいないため、この体が宙を舞う右代の棒高跳は、迫力がある。
日本選手権では1日目、100m11秒35、走幅跳7m01、砲丸投15m65(自己記録)、走高跳2m03、400m50秒52。
2日目は110m障害15秒00、円盤投49m33、棒高跳4m80と、ここまでは8200点も狙えるペースだったが、73m82の自己記録を持つ得意種目のやり投が61m72に終わった。
投てきの際、得意にしている向かい風にも恵まれて「(向かい風が)きた、狙うぞ、みたいになっちゃって。
落ち着いて、試合運びができなかった」と悔やんだ。
最終種目の1500mは4分38秒97で、8058点で6連覇となった。
もう1人日本人がいることも右代にとって追い風。
課題になっていた棒高跳は安定してきており、あとは得意のやり投で、本来の投てきができるかどうか。
これができれば世界選手権の8位入賞も狙えるだろう。
2013年の世界選手権では、7751点で22位だった。
2014年のアジア大会は8088点で金メダル。
国際大会での成績もステップ・バイ・ステップで上がってきている。
また今年の世界選手権には、スズキ浜松ACの後輩でもある中村明彦も出場する。
自己記録8043点、日本人選手として2人目の8000点オーバーをマークした中村は、右代とは対照的な、トラック種目を得意にしているスピード系の選手。
日本人選手が2人、十種競技で世界選手権に出場するのは22年ぶりのこと。
競技は2日間にわたるだけに、励まし合える選手がいる中で競技ができるのは、右代にとっても心強いはずだ。
得意種目の跳躍と投てきでは、十分、世界のトップレベルとも競り合えるはず。
日本の「キング・オブ・アスリート」右代に、北京で躍動してほしい。
(「世界陸上PRESS」小川勝 = 文)
右代 啓祐(うしろ けいすけ、1986年7月24日 - )は、日本の陸上競技選手。
専門は十種競技で現在の日本記録保持者。
北海道江別市出身。
国士舘大学体育学部卒業、国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科博士課程在学中。
スズキ浜松アスリートクラブ所属。
身長196cm。体重95kg。血液型A型。
競技経歴:
大麻東中学校で陸上部に属し、1年生でハードル走、2年生で100m、砲丸投、走高跳の三種競技Aに取り組んだ。
1年で168cmだった身長が2年で183cm、3年で188cmと急激に伸び、膝の痛みを誘発するオスグッド病によって思い切り練習ができなかったという。
中学では通信陸上北海道大会での走高跳3位が最高位。
札幌第一高等学校の大町和敏監督に推薦入学の打診を受け同校へ入学。
成績は1年生でインターハイ北海道地区大会・走高跳9位。
秋の新人戦では、出場枠の問題でやり投に出場。
走高跳の練習中に骨盤を剥離骨折し、ウエイトトレーニングしか練習できない冬を過ごしたという。
2年生の春にはオスグッド病も完治し、走高跳とやり投でインターハイへ進んだ。
高校2年の冬、大町監督から八種競技への転向の打診を受け、初戦の札幌支部大会で5606点の北海道新記録をマーク、3試合目でインターハイ2位となった。
大学は監督の母校国士舘大学へ進学した。
1年で日本ジュニア選手権優勝、2年次に7055点、3年次に7166点を記録。
4年生次に全日本インカレと日本選抜和歌山で優勝している。
大学での自己ベストは7512点であった。
2009年に卒業し大学院へ進学。
この年の日本選抜和歌山大会で日本歴代2位の7930点をマーク。
2011年、スズキに入社する。
同年6月の日本選手権混成競技で日本人初となる8000点超えの8073点をマーク、日本記録を塗り替えた。
同時に世界選手権参加B標準(8000点)を突破した。
同年8月27日、韓国・大邱(テグ)で開催された世界陸上競技選手権大会では7639点の20位であった。
2012年6月、日本選手権で自身2度目の8000点オーバーとなる8037点を記録して3連覇を達成し、この種目で1964年東京オリンピックに出場した鈴木章介以来、日本選手48年ぶりとなるロンドンオリンピック出場が決まった。
8月、ロンドンオリンピックに出場して7842点で20位に終わった。
2013年11月 大阪高槻市にあるスポーツクラブトライにて中川隆が提唱するトライ体幹理論を3日間18時間に及ぶパーソナル合宿で直接学んだ。
右代は2014年の日本記録更新時の取材にて、この時に体の正しい使い方を学べた事で自分の意思で記録を更新出来たと語っている。
2014年4月27日、日本選抜陸上和歌山大会で8143点を記録し日本記録を更新、さらに6月1日の日本選手権混成競技では自身の掲げる目標(8300点)を越える8308点を記録し、日本新で5連覇を達成した。
同年の9月30日から10月1日にかけて行われた2014年アジア競技大会(韓国・仁川)では8088点を記録し金メダルを獲得した。
同年12月22日に東京で開かれた日本陸上競技連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」では年間最優秀選手に選ばれた。
2015年7月5日の第99回日本選手権では8058点で同大会6連覇を達成、世界陸上北京大会の日本代表に内定した。
十種競技記録:
順に種目、記録、ポイント、(自己最高記録)
・100m 11秒24 808 (11秒14)
・走幅跳 7m15 850 (7m45)
・砲丸投 15m19 801 (15m65)
・走高跳 2m03 831 (2m06)
・400m 49秒66 830 (49秒66)
・110mH 14秒90 862 (14秒90)
・円盤投 50m17 874 (50m17)
・棒高跳 4m80 849 (4m90)
・やり投 69m11 876 (73m82)
・1500m 4分32秒62 727 (4分26秒68)
十種競技 8308pts.
全ての自己記録を更新できれば優勝も見えてきます。
ただ、彼の身長が196cmで、高飛び記録206cmということは、10cmしか飛び上がってないということですよね。
普通に考えればこの記録が一番更新しやすいのではないかと思いますが、是非とも頑張ってほしいものです。
結果はこのブログで!
では、8-23生まれの有名人です。
1852年アーノルド・トインビー (英:経済学者)、1912年ジーン・ケリー (米:舞踊家,俳優,振附師)、1946年キース・ムーン (英:ミュージシャン(The Who/ドラムス))。
おめでとう!

クリスタルボイスで清涼感を!
Sam - Olivia Newton John

